罪深き絆

 

第一章・奈落・

 

  心地よい眠りを夢に遮られ、わたしは目を開けて、窓から月明かりの差し込む寝台に上体を起こした。傍らで眠る少女は無造作に金色の髪を枕の上に広げて、安らかに寝息をたてている。今更、気の遠くなるほどの昔の事を思い出すとは……、女王候補であるこの少女を手折ったことに対する罪悪感なのか……。
 しかし、わたしは後悔していない。彼女に出会ったことによって、ようやく何かを得たような気がする。久々に生きていることを実感できるのだ。
 愛らしい寝顔を眺めていると、愛しさが込み上げて髪を掬い上げて口づけた。
…ううん……クラヴィス様?…」
 少女は身じろぎして瞳を開け、起き上がってわたしの背にもたれかかった。
「ずっと起きていらしたのですか?」
「…………いや」
 わたしは振り向いて少女に微笑みかけ、肩に置かれた手に指を絡ませた。
「夢を見ていた、遠い遠い昔の夢を…」
 少女はわたしの手をそっと握り返した。この心地よ
さ、幸福を逃したくない。
「……これから見る夢は、お前と共にありたい」
「クラヴィス様、…闇の安らぎを見せて下さい。私、あなたのサクリアが好きなんです」
 わたしは少女を再び抱き締め、そのまま言葉のない世界へと旅立った。

 

 

  鬱陶しい。
 今のわたしの気持ちを言葉に表すと、こうなのだろう。  どうやら顔に出てしまったらしい、目の前に立っている黄金色の髪を持つ人物の声の刺が増える。
 ジュリアス。
 この宇宙が創造されてから、気の遠くなるほどの永い時を共に過ごしてきた相手。
 わたしたちの役目は、未来永劫続いて行く筈だ。
 だが永い年月を経た今、二人の間に生じたずれは、修復不可能となっていた。
 創世期にはあれほど互いを理解し、無二の友であったのに。
 心の喪失感を埋めるために、求め合い、恋人同士であったことも。
 変わったつもりはない。………少なくともわたしの方は。
「聞いているのか! クラヴィス」
 ジュリアスの曇りひとつない瞳が、わたしを睨みつける。
「……聞いている」
 売り言葉に買い言葉というように、わたしは冷笑を浮かべて答えた。
「女王候補と特別な関係になるとは。そなたは守護聖、しかも筆頭守護聖なんだぞ。自分の立場というものを分かっているのか」
「承知している。…だからこそ、別にわたしのサクリアを彼女に贈っているのだ。…文句はあるまい…」
「そなたという奴は!」
 ジュリアスの瞳孔が怒りで金色に染まった。
 瞳だけでなく、黄金色のオーラが全身を包み込む。
 普段は自らの感情を完璧に制御しているが、元来ジュリアスは気性が激しい。つつくべきところをつつきさえすれば、その防御を取り外すことはとても簡単だ。
 わたしは機会があることに、ジュリアスを怒らせていた。それは守護聖の長として、君臨している奴への反発からではなく、単純に怒った姿が見たいだけだったのだ。
 なぜなら感情を激したジュリアスは美しい。全身から黄金色のオーラを放ち、周囲を圧倒する。 ………これが光の守護聖の輝き。
 わたしのサクリアが底知れぬ闇の底に身を置くことで、発することと対照的に、ジュリアスのサクリアは自ら輝くことによって発せられる。
 輝きの神々しさに人々は恐れをなすが、心の底では皆光を欲しているのだ。………このわたしでさえも。
 ふと、いたずら心が芽生えた。
 光を所有することは叶わぬとも、一瞬だけでも曇らせることはできないものかと。
「お前がそんなに言うのなら、聞き入れてやってもよい」
 ジュリアスの顔にかすかな安堵の表情が広がる。
「……その代わり、わたしの望みをひとつ、叶えてもらおうか」
 わたしがそう言うと警戒するように体を強ばらせた。
 ジュリアスの心の動きが手に取るように分かる。わたしが無理難題を吹っかけると身構えている。
 わたしは苦笑した。ならば、その通りにしてやろうではないか。
 黄金色に輝く髪の一房を掴み、口元に引き寄せるた。ジュリアスの瞳孔が再び金色に染まる。 わたしは一歩前に足を進めた。
「お前の顔を、こんなに間近に見るのは、久しぶりだ」
「…望みは何なのだ」
「わかっている筈だ……」
 震える顎を掴み、瞳を見つめたまま唇を重ねた。
 最初は抗っていたジュリアスは、わたしが危害を加えないと知ると力を抜いた。金色に染まっていた瞳は熱を帯び、黄昏の夕日色に変化した。
 わたしは手を背中に滑らせた。
 どれくらいの時が経っただろうか、背後からカタンと小さな音がした。
 胸騒ぎがしてわたしは振り返った。
 戸口に立っているのは、昨夜甘い時を共有した少女。
 少女の瞳は大きく開かれ、閉じられた。そして入ってきた時と同じく、唐突に走り去った。わたしは戸口を見つめて立ち尽くしていた。
「追わなくて良いのか?」
 ジュリアスの冷静な声が耳に響く。
 走り去った少女のことは気掛かりだ。だがそれ以上にわたしは邪魔されたことを残念だと思う自分に、愕然とした。ジュリアスは立ち尽くすわたしになおも言った。
「我らに定められた運命の“枷”、他の者を巻き込むな」
 “………枷”、ジュリアスはそう考えていたのか。
 その一言が欠けた心の奥底に流れ込み、わたしは部屋を後にした。

 

 

 

 少女は森の奥にいた。
 わたしの姿に気づくと、悲しげに微笑んだ。
 彼女の笑顔はいつも明るかった。その明るさにわたしは魅かれたのだ。そんな彼女に悲しみを教えてしまった自分の罪大きさを感じた。
 ジュリアスの言う通り、光を求めてやまないこの想いは、“枷”であったかも知れない。
 今、抱き締めるべきは、目の前にいる少女。………彼女の悲しみを拭い去り、全てをわたしの安らぎで包み込むのだ。
 そう願った時、体中を暖かいものが駆け巡った。
 その懐かしい感触にわたしは驚き、戦き、そして知ったのだ。
“わたしは心を失ってなどいなかったのだ”と。
 それを気づかせてくれたのは、目の前の少女。
 わたしはその細い肩に手をかけて、引き寄せた。
「…わたしと、これからの時を共に過ごしてくれ」  これが今の正直な気持ちだ。わたしにとってただ一つ確かなものは、彼女の存在だけ。
 わたしは少女を抱き締める腕の力を強めた。
「クラヴィス様、力を緩めて下さい。…息が出来ません」
 少女は恥ずかしそうに、見上げた。
「…私に、私にあなたの全てを下さい」
「よかろう…」
 わたしはそう応えると、少女に口唇をそっと重ねた。
 再び抱きよせる力を強めた。
 わたしの心は思いもかけない幸福感に、震えていた。

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