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草葉の峠(1995秋・信州)
峠越えは楽しいのだ。
古い峠であれば、その道を越えて去っていった歴史の片鱗をしのぶのも一考だろうし、
風光明媚な峠であれば、そのパノラマを堪能するのも楽しい。
しかし何と言っても、バイクで走り抜ける時の征服感がタマらない。
そしてそれは、山が険しいほど快楽度も増すのだ。
高く険しく、道を阻もうとする山。
その山の弱点を探り出す様に、右に左に何とか突破しようとする道。
ん〜!!!この攻めぎ合いがロマンじゃないか!!
ワタクシの初めてのバイクは、和製アメリカンであるSTEED400。
その当初は峠越えと言っても、東北や信州あたりのフツーのワイディングを走った程度で、もちろんダートなど未経験だった。
それでも、その頃はその頃なりに峠越えは楽しいと思っていたのだ。
「能登半島を目指そう。しかも目いっぱい峠を抜けていこう。」
思い立ったが吉日で、松本から安房峠を抜けて高山へ。
そこから更に白川郷を目指すその道に立ちはだかってくれた難関が『天生峠』。
地図上では妙にクネクネしているのが見受けられたものの、
「国道なんだから、まあ、アタリマエに走ってればアタリマエに越えられちゃうだろう」
それは、イナカの国道の実態を知らない行動で、しかもナメてかかるには相手が悪すぎた。
当時の天生峠は、
「ボク、いけないなぁ、こんなとこに来ちゃ。オトナになったらまたおいで」
なんて道だったのだ。
結果として道の厳しさに打ちのめされたのは当然の結果だったのだけれど・・・・・・・
それ以外にも、二度と見たくもないオゾマシい光景に遭遇する事になったのだ。
未熟なワタクシが大汗かいてオロオロと走れども、延々と続くジャリジャリのコーナー。
そんなコーナーをひとつひとつ曲がるごとに高度を稼ぎ、眼下は遥か雲の下。
やっと登りきったかなと思えば、次のコーナーを曲がった先に見えちゃった、気の遠くなるような頭上の山のテッペンまで続く道。
うげげげげげ・・・・
そしてホントにホントの峠のテッペンに。
んもぉクタクタ。こりは一休みしてイップクすんべよぉ。
こんな道を通らなきゃ辿り着けない峠だから、当然、展望台など有る訳が無い。
道端に、クルマが一台なんとか止められるスペースがあるだけで、しかもそこには先客のクルマが駐車中だった。
そんじゃそのクルマの横にでも止めさしてもらうかなぁ・・・・・・・・
って、お・おいっ!!!
クルマの影に潜むように、しゃがみ込んでるオバチャン!!
ホーニョーの真っ最中ではないか!!!
ソークーだった可能性も否定出来ないけれど、んな事をいちいちチェックしているバヤイではない。
居たたまれなくなって、そのまま一気に峠を下るワタクシ。
こんな山の中でクルマに遭遇するとは。
しかしそりはオバチャンだって同じ事。
まさかバイクが来るとは思わなかったのであろう。
オバチャンにとっては悲劇だったのだろうけれど、そりはコッチも同じなのだ。
登ってくる時とは逆に、遥か下まで延々と続くクネクネ&ジャリジャリのコーナー。
でも、トロトロ走ってる場合ではない。
そんな事は絶対に有り得ないとは百も承知ながら・・・・
ケツ丸出しで、しゃがんだ姿勢のままで追いかけてくるオバチャンの恐怖を背後に感じ、
「うわぁ」
などと意味も無く叫びながら、ひたすら駆け下りるワタクシだったのだ。
やっと人里まで降り切り、大きな橋の横で一服。
妙に、そして異常に疲れたよぉ。。。
はぁ。。。。。
くつろぐワタクシの背後から声が聞こえる。
「さよぉならぁ」
こりがケツ出しオババだったら、今度はワタクシがホーニョーしてしまう所だけれど・・・・
正体は、下校中らしい地元小学生の一団だった。
二本目のタバコに火をつけようとすると、再び
「さよぉならぁ」
ん?
さっきから、誰もその声に反応している様子が無いのだけれど、まさか、このワタクシに挨拶しているのでは?
すると今度は、イラついた激しい口調で
「さ!よ!お!な!ら!!!」
間違いない。振り返ると、5〜6人の子供たちが、ワタクシにメンチを切っているではないか。
「あ・あぁ。ふぁい。さようなら」
とっさに、オタついてマヌケな挨拶を返すワタクシ。
「ケッ。手間取らせるなよぉ」
とでも言いたげな表情を浮かべた顔を一斉にそらし、子供たちは笑い声を山峡に響かせながら去っていった。
ああ、哀れなケツ出しオバチャンよ。
あの山中で、あの状況で、この子供達と遭遇しなかった事をアリガタく思いなさい。
しかし、さすがに日本アルプスクラスになると、なかなか道の攻撃には屈しない。
南アルプスの北沢峠なんか、そうとうにムリして通しちゃった道だろう。
でも、通らせてくれなきゃ、そんな道は無いに等しい。
日本アルプスの中では比較的に弱っちい中央アルプスなら、権兵衛峠を越える国道が有名だ。
林道を舗装して国道に昇格させちゃった道で、木曽側と伊那側での、天国と地獄のような差が何とも言えないのだ。
みぞれ混じりの雨の権兵衛峠越え。
延々と続く伊那側の激細つづら折れをひたすら下りながら、身も心も冷え切ってくる。
「いけんいけん!!ここはひとつ、景気の良い歌でも歌って、落ち込んだ気分を高揚さすか!」
なぁんて考え、思わず口から出てきた歌が、『なごり雪』だった・・・
などと言った、ちょっぴり寂しげな逸話もある。
(権兵衛峠は、今やトンネルでイッキ越えとなってしまった。)
さて、そろそろ、この話の主役である峠を登場させねばなるまい。
その名は『牛首峠』。
権兵衛峠と同じく中央アルプスを越える峠なのだけれど、権兵衛峠よりも北側に位置する、県道クラスのダートの峠道。
木曽側の桜沢宿あたりと、伊那側の辰野町小野あたりを結んでいるのだけれど、もう中央アルプスも勢いを失いつつあるハジッコあたりをヒョイっといった感じで抜けてしまう峠で、ダートと言っても何の事も無い。
もしかしたら既に全面舗装されちゃった可能性も高いと思われる。
そんな峠がなじぇ主役なだろうか?
そう。
道としてはチンケな『牛首峠』、実は・・・・
魑魅魍魎(ちみもうりょう)のパラダイス、怨霊系の峠だったのだ。
この峠を越えたのは、1995年頃の秋だった。
当時、持っていた『ツーリングマップ』には、牛首峠に至るもう一本の道が記載されていた。
それは正規の峠道の木曽側登り口である桜沢宿よりも南側の贄川宿あたりから山に入り、小さな集落を通り抜けて、牛首峠の直前で正規の峠道に合流するダート道だった。
こちらの道のほうが面白そうで、迷わず贄川宿からの道を選択したのだけれど・・・・
とにかく、登リ口が見つからない。
贄川の宿場内を行ったり来たりし、クルマなど絶対に通れない道幅だけど、消去法的にはコレしか無いという道にチャレンジしたのだ。
奈良井川を渡り、川岸にへばりついた畑を抜けると、一気に沢沿いの狭い急坂登り。
しばらくは人も通った事が無いのか、ジャングル的にボーボーと生い茂った雑草の下には、子供の頭大の岩がゴロゴロと隠されている。
こんな所でハンドルを取られて沢に転落したら、いったい何時、誰がメッケてくれるのか。
そんなチャレンジも、丸木橋の出現と共に終わってしまった。
気を取り直して国道に戻り、桜沢宿から正規の峠道に入る。
こちらは何の事も無く、アッサリと峠直下の分岐点に。
そう。先ほど引き返した道との合流点なのだ。
こうなったら、さっきの道の反対側を、行けるとこまで行って見なければ面白くない。
先ほどの集落の名前が記されている道標を確認して突入!!!
しかし・・・・なんとも不便な所に集落があるものだ。
ホントに人が住んでいるのだろうか?
その答えは、凄惨なものであった。
分岐点からフラットなダートを進む事2キロくらいだったろうか。
道沿いに、ポツンポツンと古い木造家屋が見えてくる。
どれもこれも極めて古びた家ながらも、家の脇にクルマが止めてあったり、勝手口らしい所の戸外に洗濯機がポツンと置かれていたり、何気に生活のニオイが漂っている。
しかし・・・
徐々に近づくに連れ、異様さに気が付く。
この一見漂っているように見えた生活のニオイの中には、人間が住んでいる気配が全く無いのだ。
どう見ても動く訳の無さそうなクルマ。
洗濯機の中は落ち葉が溢れ、家のドアも窓も、もう長い間開けられた気配すらない。
家や家財を残して、住民たちはどこに行ったのだ?
そもそも、ホントに人間が住んでいた集落なのか?
まさか、この世の生活に未練を残しながらも肉体を失った亡霊達が、せめて形だけでもと体裁を整えた、偽りの怨霊集落だと言う事は有り得ないのか??
しかし、ホントにブキミな場所は、ここでは無かったのだった。
極めてブキミな光景に戦意喪失して、牛首峠方向に逃げ帰るワタクシの目にとまったのは・・・・・
うっ!!
それの存在には、来る時は気が付かなかった。
正確には、何かが有るのは気が付いていたけれど、こんなにブキミなモノだとは、予想だにしなかった。
こんなヒサンな様相は、今までに見た事が無かった。
あえて、無理矢理にでも似たような光景に当てはめるならば・・・・
そう。そりは梅図かずおの『漂流教室』だろうか。
それは駄菓子屋だった。
牛首峠の分岐と怨霊集落の、中間あたりにたたずんでいた。
まるで林道脇の崖にへばりつくような、小作りな店構え。
イナカのバス停の半分位か、駅のキヨスク位の大きさだった。
店の中には・・・・
アイス用冷蔵庫のガラス越しに、チューブ入りジュースが覗いていた。
駄菓子類が入ったガラスのカメ、いくつも並んでいた。
スチール製の棚には、何種類ものガムが積まれていた。
インチキくさいオモチャ類、鈴なりにぶら下げられていた。
なんとなく懐かしい光景。子供たちを待ち受けるには十分な品揃え。
そして・・・
全てが、一つ残らず、干からびていた。
まるで、店ごとそっくりミイラのようだった。
天井からは千羽鶴が幾重にも吊るされ、いったい何を祈ったのだろうか。
奥の壁には、画ビョウで貼られたたくさんの手紙。
その中の一枚に、『おばあちゃん、ありがとう』の文字。
『おばあちゃん、いつまでも元気で』とも書かれている。
おばあちゃんは、いったいどこに行ったのか。
今は山を降りて、子や孫に囲まれて平和に暮らしているのかも知れない。
あるいは、誰に見取られる事無くひっそりと、店と運命を共にしたのかも知れない。
まあ、普通に考えれば選択肢はその2つだろう。
考えてはいけない、さらにもう一つの選択肢・・・・・
「生きた人間には見る事の出来ない、営業中の店である」
それが正解でない事を祈るばかりだ。