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じじばばリーフ(2005夏・粟国島)


粟国へは、10人乗りプロペラ機

那覇空港に到着するや否や、ソッコーで国際通りまで繰り出し・・・・・・・
ラフティー、ジーマミ豆腐、ジューシー、ゴーヤチャンプル、そしてオリオン。
かなぁりイイ気分で店を出れば、南国のキョーレツな日差しは容赦なくヨッパライを照りつける。
いざるように『ゆいレール』に乗り込み、次の飛行機に乗るべく空港にトンボ帰りし、
「29番登場口からバスでのご搭乗になります」
なんて放送に急き立てられ、ドヤドヤと階段を駆け下りてバス乗り場へ。
オレンジ色のバスの客は、我が家族3人を含めても僅か9人で、情けないほどに閑散とした状態での出発となる。
しかし、けっしてガラ空きの便に乗ろうとしている訳では無く、ほどなく停車したバスの目の前に駐機しているのは・・・・・
パイロット含めて10人乗りの、なんともチンチクリンなプロペラ機だったのだ。

今までに経験した最も小さな飛行機はモルジブで乗った飛行艇だったのだけれど、今回のはソレよりもはるかに小さい。
2人掛けの座席が5列にギッチリと並び、ニンゲンが機内を歩き回れるような通路すら無く、まるで軽自動車に定員オーバーしてムリヤリ乗り込んだようなすし詰め状態なのだ。
あらかじめ一人ずつ体重計に乗せられて、うまい具合に重さのバランスがとれるように座席を指定される。
「ハイっ、目の前の操縦桿には触らないで下さいねぇ」
クルマで言えば助手席に当たる席を指定されたオネェチャンは、ひきつった作り笑顔で何度もうなずいた。

助手席に座ってるのも、お客さんです

「後の人にも回してくださいねぇ。みんなに行き渡ったかなぁ?」
たった一人の乗員であるパイロットが、全員に紙オシボリとウチワを配る。
「この飛行機にはエアコンが付いてませんから。到着までのガマンですよぉ」
真夏の沖縄の太陽に晒された機内は蒸し風呂状態で、パイロットもウチワで自らを扇ぎながらの片手運転で、滑走路を目指してノタノタと進む。

滑走路と平行に並んだ広い誘導路では、離陸の順番を待つジェット機が整然と並んでいた。
その列に加わり、なんとも不自然にチンチクリンな我が機体。
ひとつ前の順番のジェット機が滑走路に入り込み、誘導路の前方が開いた思ったら・・・・
待ってましたとばかりに加速を始め、なんだかインチキみたいにフワッと浮き上がってしまったのだ。
おおっ、チャッカリと誘導路から離陸かい!
加速と言っても大した速度では無かったので、油断していた矢先だった。
そんな低速ながらもキチンと空を飛び、眼下の空港は徐々に小さくなっていった。

タイヤは出したまま飛んでます


爆音轟かせて低空飛行する様は、なんだか真珠湾を目指す爆撃機のクルーのようなキモチになり、思わず敵機・敵艦を探して雲間や海面を見つめる。
しかし現在はイチオウ平和な時代であり、眼下にはリーフに囲まれた小さな砂浜だけの島々に遊ぶ人々やレジャーボートがノドカに見え隠れしているだけだったりする。
たいした距離ではないので、ほどなく前方に島影が迫ってくる。
おおっ、アレはオアフ島!
我、奇襲に成功せり!
ホレ、急降下爆撃だぁ!
トラやぁ!トラやぁ!トラやぁ!
なんて訳もなく・・・・・
なんとも頼りないミニミニ滑走路に、
「あたしゃコレで十分!」
といった感じでアッサリと着陸してしまった。

沈没船     チンチクリンな、粟国の滑走路


民宿の軽1BOXに迎えられ、サトウキビ畑の中の直線路を進むと、アッというまに島の南側集落にある民宿に到着。
ガイドブックによると食堂兼用の宿との事だったけれど、なんだか営業実態は無さそうで、入り口の閉ざされた食堂のテーブルには宿泊客らしいジジババが3人ばかり思い思いに席につき、茶を飲んだり本を読んだりしている。
ポツリポツリと交わす会話の内容から察するに御一行様では無いらしいジジババどもは、旅を楽しんでいる気配も無く、さりとてツマラなそうでもなく、なんだか間違って連れてこられてしまった訳でもあるまいに、とにかく呆然と時を過ごしているだけといった気配なのだ。
宿は妙に閑散としていて、ジジババと我が家が全ての客らしく、殆どの客室は無人のままフスマや窓が開け放たれていた。
お盆時期の多客期のハズなのに、コレはナゼなのだろうかと思ったら、どうやら那覇からのフェリーが欠航になったらしい。
先ほどの飛行機からは海面は穏やかに見えたのだけれど、確かに、宿の窓から見える港あたりは白波が立っている。
そうか、もしかしたら接岸できなかったのか。
物憂げなジジババどもは、積み残されてしまった客だったのか。


宿からの眺め1宿からの眺め2


一夜明ければ今日もギラギラの晴天で、朱蘭さまはイソイソとダイビングショップに向かった。
もともとこの島へ来たのは、ソレが目的だったのだ。
従って、例により、オトォチャンと4歳になったオコチャマの二人は陸上での居残りとなる。

「ダイビング以外は、たいした観光スポットなし」
と聞いたウワサは大正解だった。
島にはバスやタクシーなどは存在しない。
父子二人で、島の東南端の“運ん崎”に設けられた海岸っぺりの木道をあてどもなく歩けば、キョーレツな日差しに照りかえる珊瑚礁。
島随一の海水浴場であるとのフレコミである東岸の“ウーグ浜”まで、約一時間で辿り着いた。
この頃、やたらと不可思議なフレーズをホザくようになってきたオコチャマの
「なんだか眠たいキモチが湧いてきた」
なんてセリフに応じて、モンパの木の下でヒルネ。

運ん崎の遊歩道


島での昼メシは、民宿で食う事になっている。
それがこの島のキマリではないのだけれど、アチコチに食堂が存在する訳では無いので、そうするのが便利なのだ。
宿を目指して父子2人でトボトボと歩いていると、後方から来た4WD車がスッと停まった。
「どこの宿だい?送っていくよ」
正直、炎天下の中の一時間の帰り道はオコチャマにはシンドイなぁなどと考えていた矢先だったので、なんだかテレパシーでも通じてしまったかのごとく停まってくれたクルマがアリガタい。
「あのぉ、泳いじゃったんで濡れてますが・・・・」
「いいよいいよ。この島じゃ、遠慮してたら歩くしか無いんだぞぉ」

思いがけずにラクチンな思いで宿に戻ってメシを食い、今度は島の西端の“筆ん崎”を目指す事にする。
目的地までは約3km、もちろん移動は徒歩のツモリだ。
ツモリも何も、ソレしかないのだから選択の余地が無い。
「アラッ、子連れで歩きぢゃ大変でしょうが。バイク乗れる?ウチの使いな!」
突如あらわれた琉球オババが指し示したのは、赤い原チャリのスクーターだった。
「えっ?子連れだからこそ、スクーターは無理ですよぉ。」
「子供を前に乗せりゃイイの。ケーサツ? バカ言ってるんじゃないわよ。んなものヘーキ! みんなやってるんだから。」
確かに、見た限り、島内は子連れ2人乗り3人乗りはアタリマエで、しかもノーヘルなのだ。
そんな訳で、2年前の母島以来の親子ツーリングに。

機動力がアップしました


母島ではオンブ紐で背負っての2人乗りだったけれど、さすがに4歳児用のオンブ紐など用意がない。
琉球オババのオススメどおりオコチャマを前に乗せ、ハンドルを親子一緒に掴んでの走行となる。
ソテツの原野を走り抜ければ、自分が運転しているツモリのオコチャマは、
「かぜがやさしいねぇ」
などと不可思議にホザく。

洞寺   そこの鍾乳洞


機動力は大幅アップし、洞寺の鍾乳洞に立ち寄って洞窟探検。
最も探検と言うのはオオゲサで、
「ほぉ、コレですか」
てな感じで見物終了。
筆ん崎の断崖絶壁の上のマハナ展望台への道は、マトモに案内標識が無くて、まるで迷路の様相で面白い。
いきなりイキドマリになったり、ふと停車した脇に放し飼いの牛が寝そべっていてブッたまげたり。
それでも小さな島なのでアッというまに到着してみれば、巨大な風力発電の風車が立ちそびえ、まるでこの島を動かしている巨大プロペラエンジンにさえ見えてくる。

マハナ展望台   海は遥か断崖の下


島の北側の牧場をひと眺めし、原野の中の巨大ビルのような沖縄海塩研究所に着いてしまうと、これで島の名所らしい名所は終了なのだ。
相変わらず自分が運転しているツモリのオコチャマは、どうやら走る速度とスピードメーターの関係に漠然と気がついたらしい。
目の前のメーターを睨んでは、
「坂は10。まっすぐは20。30はダメ!」
ナマイキにも速度を指示しやがる。
カッタルイので微ガレのダートに入り込めば、これにはなかなかビビった模様で
「オトーシャン、ダメェ!ホンモノの道を走りたいぃ!」
などとホザく。

沖縄海塩研究所  ビルディングみたいですが、中は竹だらけ
この竹で塩分を濃くして、  さらに煮詰めて、  はい、出来上がり

幼稚園から小中までが合体した学校の前に横断歩道があり、そこに島内唯一の信号があった。
交通量など多くないし、たかだか1車線の道幅なので、状況的には全く不必要ながら
「沖縄本島や本土に渡った島の子供たちが、信号機にビビらない為の練習用」
といった理由で存在しているらしい。
誰も押さないボタン式信号は、とにかく青色く光り続けているのみだった。

朱蘭さまは無事にダイビング船から帰って来たと言うのに、この日のフェリーも欠航だった。
宿にはオイテキボリのジジババの姿はなく、どうやら飛行機で帰ったのだろうか。
そしてこの夜の宿泊客は、ついに我が家だけとなってしまった。


ウーグ浜


ウーグ浜に出向き、ダラダラと海水浴。
今日もギラギラ晴天なのだけれど、はるか東側の水平線に巨大な雷雲が現れた。
ときおり聞こえる雷音にビビっていると、それどころではなかった。
なんとその雷雲は、大きな竜巻を従えていたのだ。
「こ・こりは、逃げたほうが良いのだろうか・・・・」
父子で、お互いの顔と竜巻とを交互に見つめ合っていると、
「ダイジョブじゃあ。ありゃ、コッチには来ない」
なんだかカッタルそうに座り込んでいた島のオジイが、ニィッとした笑顔を浮かべた。
そしてそれをキッカケにして、誰に聞かせるでもなく語り始めた。

そのオジィによると・・・・・
この島は沖縄戦では、沖縄本島への上陸拠点としてコテンパンにやられ、殆どの建物が破壊されたそうだ。
確かに、戦前からの建物は皆無なのだ。
「ヒコーキの爆撃なんて屁みたいなモンじゃった。じゃがのう、アンタ! 艦砲射撃の恐ろしい事!
(コーフンのあまり、部分部分が意味不明)
気がつきゃ、右も左も米兵だらけじゃ」

今や、そんな痕跡は何一つ無く、まったりアイランドとしか表現しようのないこの島には、
「とばっちり」
なんてフレーズが浮かぶ。
そもそもココに限らず、大多数には「とばっちり」な出来事だったのだ。

沖合いに現れた竜巻


貸し切り状態だった民宿に、我が家の他にも家族連れがやってきた。
しかし純粋な宿泊客という訳ではなく、この宿の娘の里帰りらしい。
ムコ殿は所在無さげにスミッコにたたずみ、やたらと耳をホジりながら海ばかり見つめている。
その視線の先には、昨夜の雷雨で空気が洗われたからか、水平線に座間味諸島や渡名喜島がクッキリと見える。

そしてまた暑い、熱い一日の始まりなのだ。


命は海から
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