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わっぱ巡礼(2005夏・粟島)その1
「岩船港までお願いします」
「はい、わかりました。お泊りは瀬波温泉ですかぁ? いいお湯ですよぉ」
村上駅から乗ったタクシーのオバチャン運転手は、誇らしげに温泉自慢を始めた。
港と温泉は近くなので、そのように思い込んだのかもしれない。
「いいえ、温泉じゃなくて、岩船港まで・・・・・」
しかし、PRモードに入ってしまったオバチャン運転手の思考回路は、すでに修正不能に陥っていた。
「温泉街の目の前が海水浴場です。ボウヤも泳ぐんですよね。海開きしたばっかりですけど、もう水は冷たくないですよ。」
「いや、だから港まで! フネに乗るんですから」
「ああ、粟島に渡るんですか。そうですか。でね、瀬波温泉はね、・・・・・・・・・・・」
オバチャン運転手は、まるで瀬波温泉を1人で支えているが如く、悲壮感さえ漂わせながら喋り続けた。
コチラは何も悪くは無いのに、なんだか申し訳なくなってくる。
ああ、そもそもタクシーなど乗るハズでは無かったのに。
離島でのキャンプ、それが本来の目的だったのだ。
4歳児を連れてのキャンプなので、クルマでそのまま上陸できる離島として、粟島を選んだまでは良かった。
当然ながらキャンプ場もあり、温泉もあり、そしてなんと言っても名物の『ワッパ煮』が魅力ではないか。
それは、ワッパと呼ばれる竹で編んだ筒型の容器に水と味噌を注ぎ、
そこに海の幸をフンダンに放り込み、
その中に焼け石をブチ込んでイッキに煮立ててしまうという、
なんとも豪快な磯料理なのだ。
粟島は、そんな必殺技で第2候補の佐渡を蹴散らし、ダントツ1位で予選を勝ち抜いたのだ。
しかし・・・・・・
いざフェリーを予約しようと、粟島汽船に問い合わせて驚いた。
「このフェリーへは、クルマでのご乗船は出来ません」
「えっ? 満員って意味ですか?」
「いいえ、そういう事ではありません。島民のクルマと工事関係者のクルマしか運ばないんです」
そうだったのか。
何を見ても、クルマの航送料金が書いてない訳だ。
「なにぶん小さな島ですから。観光客のクルマが入り込んだらタイヘンな事になるもんで・・・・・・」
それは困った。
キャンプ道具を抱えて歩き回るのは、オコチャマ連れには辛そうだ。
しかし、一度ノーミソに刻み込まれてしまったワッパ煮のイメージはキョーレツで、もう食わない訳にはいかない。
いまさら佐渡に変更したところで、どんな旨いモノを食っても、タメイキ混じりのゲップが出るに違いないだろう。
キャンプを諦めて宿に泊まってでも、地べたを這いつくばってでも、粟島に行こうではないか。
まさに地べたを這うように、バス、地下鉄、新幹線、JRローカル鈍行、そしてタクシーを乗り継ぎ・・・・・
実際の所要時間以上の長旅気分の果てに、いよいよ岩船港に到着した。
「お帰りの時、向こうの港からデンワ下さいね。時間を合わせて迎えに来ますから」
オバチャン運転手は、そう言って名刺を差し出した。
「見てのとおりに何も無い港ですから、そうしないとタクシーは来ませんよ」
ううむ。
このオバチャンにデンワをすると、なんだか瀬波温泉に拉致されてしまいそうな気がする。
それはともかく、確かに何も無い港だ。
島に渡る前に、非常用のパンでも買っておきたかったのだけれど、それを買える店も無い。
これは困った。
同じ日本海の離島である飛島で、店が軒並み閉まっていてヒルメシ難民化した経験があったのだ。
なんだか飛島とは兄弟分のようなイメージの粟島で、同じ失敗を繰り返したらアフォではないか。
「どうする? 少し時間はあるし、街まで探しに戻る?」
そんな朱蘭さまの提案に、ワタクシは少し考えてからキッパリと答えた。
「やっぱり、パンなんか不要!!」
なにしろ、粟島でのヒルメシは、期待のワッパ煮なのだ。
万が一ソレが食えない事態に陥ったら、粟島上陸の意味さえが無くなってしまう。
島の片隅でパンなどを頬張り
「いやあ、買っといて良かった」
などと、手に手を取って喜び合っている場合ではない。
ココは退路を断ち、とにかくワッパ煮ひとすじで勝負するのだ。
粟島への船は『フェリーあわしま』が1日1往復、『高速船あすか』が2往復するのが基本で、夏などは増便されるものの、冬はフェリーが1日1往復するだけになる。
我が家が乗船したのは高速船で、キッチリと『急行料金』なるモノをとられ、粟島までは僅か1時間足らずで着いてしまう。
ただし驚くほどに高速な訳では無く、フェリーとの所要時間の差は30分余りで、その位ならばノンビリできそうなフェリーに乗ってみたかった。
しかし、前記のような便数なので、都合のいい時間帯には高速船しか無いのだから仕方が無い。
もっとも、便を選ぶなんてのはゼイタクな事なのだ。
ここしばらく訪れた離島の中で、1日に何便も船が出る島など皆無だったではないか。
朝の1便しかない為に酒田で前泊を余儀なくされた飛島なんてマシなほうで、父島、母島、南北大東島、そしてトカラの島民に
「都合のいい時間帯に・・・・」
などと言ったらブチのめされてしまうだろう。
なにしろ、船が来る日のほうが遥かに少ないのだ。
とにかく、我々の乗った高速船は、まるで湖を航行しているがごとく、果てしなく穏やかな日本海を突き進んだ。
鏡のような海面とはまさにこの事で、この船が海を掻き分けて作ったモノ以外、波がまったくないのだ。
船は揺れないほうがイイに決っていて、これならばオコチャマも酔う事はないだろう。
気分良くデッキに出てみれば、意外な光景に気がついた。
異常なまでに、漂流物が多いのだ。
流木はともかく、ウキのような物、ペットボトル、カップ麺のカケラ・・・・・・
そんなモノが、ホントに絶え間なく視界に飛び込んでくる。
恐らく普段は波間に見え隠れして気がつかないだけで、海はここまで汚されてしまっていたのだろう。
実際に、そういうモノをエサと間違えた鳥やウミガメが、大量に死んでいるらしい。
これは憂うべき事態ではないか。
報道によると、中国のハッテンに伴い、日本海へのゴミの海洋投棄は著しく増加したそうだ。
未処理の生活廃水タレ流しもアタリマエで、それが近年のエチゼンクラゲ大発生の一因だとも言われている。
しかし
「中国人は原始に帰れ」
などと言っている訳ではない。
日本人だって、程度の差こそあれ同じ穴のムジナなのだ。
「清く正しく、海にゴミを捨てるのは止めましょう」
と言うのは簡単だけれど、そんな単純な問題では無いだろう。
とりあえず、そういうコムツカシい話は、ワッパ煮でも食いながら考える事にしよう。
薄暮の空に浮かぶ粟島のシルエットはグングンと近付き、内浦港の姿がハッキリと見えてきた。
港に迫る裏山、そのフチと海とのスキマにヘバリつくように並ぶ集落の姿は、やはり兄弟分の飛島を連想させる。
しかし、飛島とのカンロクの違いは、民宿の送迎のクルマに乗せられてから思い知らされた。
一言で言えば、ハッテンしているのだ。
酒屋、みやげもの屋、食堂、民宿などがビッチリと並び、観光客らしき老若男女がウヨウヨと徘徊しているではないか。
我々が乗った最終の高速船は哀れな程にガラガラだった事もあり、これは予想外の実態だ。
とにかく人だらけで、2ヶ月前にトカラの島々を経験したばかりの我々には、マバユいばかりの和風リゾートアイランドにさえ見えてしまう。
手に手にタオルを下げたグループは、ゴージャス立ち寄り湯の『漁火温泉おと姫の湯』にでも向かうのだろう。
この島には、そんなモノまであるのだ。
そして着いたのは新築ホヤホヤといった感じの宿だった。
「いらっしゃいませ。1泊だけのお客さんでしたよね?」
そうなのだ。
当初はキャンプのツモリだった我が家は、宿の予約に出遅れ・・・・・・
観光協会にオネダリしてキャンセル待ちした結果、なんとか1泊づつのコマギレ日替わりで宿が確保できたアリサマだった。
島の宿のキャパが小さい事が原因だと勝手に想像していたのだけれど、上陸して初めて、そうではなかった事に気がついた。
要するに、観光客が大量に押し寄せていたのだ。
でも良い。
とにかくワッパ煮さえ食えれば。
上陸した時刻が遅かった為、ソッコーで晩飯となった。
それは、またまた予想外の内容だった。
料金の割には、ゴージャスすぎるのだ。
刺身、煮魚、焼き魚、蒸魚・・・・・・
それらはまるで魚のフルコースのように、いや、バイキングのように並んでいる。
魚嫌いにとってはゴーモンとしか言い様の無い光景なのだ。
我が家のバヤイは、
「こまったなぁ」
「仕方ないわねぇ」
などと言いながら、ぜんぜん困っていないどころか笑みさえも浮かべるアリサマ。
この場合の「困ったな」は、
「こんなにゴチソウを並べられると、日本酒が進んじゃって困る」
という意味だったりする。
魚も好きだけれど、ソレ以上に酒好きなのだから仕方が無く、もちろんホントに困っている訳ではない。
いわゆる、お互いに見苦しいイイワケをホザきあっているだけなのだ。
それにしても、オカズの量が多すぎると思ったら・・・・・
我が家が案内されたテーブルにだけ、なぜかオムライスまで1つくっついている。
「ねぇ、コレって3人分みたいじゃない?」
「うん、確かに。コドモはメシ無しで頼んだハズなのに・・・・」
そんな会話に、ビビッと反応する視線があった。
それは隣のテーブルの、やはり4歳位のオコチャマを連れた3人家族だった。
どうやらコドモの分も頼んでいたにもかかわらず、我が家と席を入れ違いに案内されたらしい。
しかしオカズが大量すぎるので、コレで3人分だとばかり思い込み、気がつかずに食べていたのだ。
「アラアラ、ごめんなさいねぇ」
事態を察知して駆け寄ってきた宿のオバチャンが、オコチャマ分を我が家のテーブルから移動させた。
すでに晩飯は終盤に差しかかっていたその家族は、駄目押しのように登場した新たなオカズに動揺を隠せず・・・・・
オトォチャンは「ぐへ」などと声をあげ、オカァチャンは眉間にシワを寄せ、オコチャマだけがオムライスの登場に歓喜した。
その家族も、我が家同様に「出された物は残さない」タチだったらしい。
予想通りに半分以上も残されたオムライスを夫婦で押し付け合い、まるでビールで流し込むように食べ尽くし・・・・・
放心状態のオトォチャンは、焦点の定まらない目つきで、誰もいない空間に向かって呟いた。
「明日の晩飯、コドモの分はキャンセルお願いします」
ただ上陸しただけで終わってしまった初日から一夜明け、いよいよ今日から粟島観光が始まる。
現在位置は島の玄関口としてのカンロクを誇示している内浦地区で、島の東岸の真ん中あたり。
まずは島の西岸の釜谷地区に行って見ようではないか。
妙にハッテンしている島だと言っても、さすがにバスやタクシーなどは無く、ソコまでは山越えの道路経由で6kmほど歩く事になる。
しかしダイジョーブ。
島を一周する観光船は釜谷に寄港し、そこでの乗り降りが自由なのだ。
1日4便ながら、うまく使いこなせば海上バスの感覚で釜谷まで行き来できる。
船に乗る前に、今夜の宿に荷物だけでも置かせてもらおうとしてオドロいた。
朝のサンポがてら交渉に行くと、宿のオバチャンは
「いつでもどうぞ。もう、お部屋は空いてますよ」
などとノタマう。
先客は、こんなに早くからチェックアウトしたのだろうかと疑問に思ったら、そういうワケではなかった。
通されたのは民宿とは別棟の一室で、オバチャンは
「いやぁ、しばらく使ってなかったから」
などと言いながら、掃除を始める始末。
聞けばこの部屋は、団体旅行の添乗員用の部屋なのだそうだ。
宿は満室なのに、オバチャンが間違って予約を受けてしまい、仕方なく我が家をココにブチ込む策に出たらしい。
なんという仕打ち!!
でも、問題ない問題ない。
我が家はワッパ煮さえ食えればノンプロブレムだし、離島の民宿にしてはリッパな部類の部屋なのだ。
むしろ、どうせ空いているならば夕べから泊めてもらいたかった程だ。
そういえば、佐渡でも同じようなメにあった事を思い出す。
今回と同様、宿は満室なのに、オバチャンが間違って予約を受けてしまったのだ。
その時の我が家は、近所の廃業した民宿の部屋にブチ込まれた。
ちなみに、その時もノンプロブレム。
オカミの健康上の理由で廃業したとの事で、けっして朽ち果てた宿だった訳では無く、かえって本来の宿よりもリッパな部屋に泊まる事ができた。
いずれにしても、オバチャンが間違えなければ泊まれなかった訳で、とくに今回の場合は、粟島を断念していたハズなのだ。
そう思えば、この添乗員部屋をアリガタがらなければバチが当たる。
観光船は立ち席が出るほどの大盛況で、比較的穏やかな島の東岸に沿うように、時計回りで走り始めた。
海沿いの道を走るレンタチャリの姿は、なんだかキモチ良さげに見える。
実は、この島のレンタチャリにはオコチャマ席がついているヤツもある事を目撃していて、
「明日はチャリでも借りよう」
なんてことを話し合っていたのだ。
しかし、その先でオソロしいモノを目撃してしまった。
ずっと海岸沿いを通っていた道は、島の南端の矢ヶ鼻あたりで、まるで天まで届かんばかりに一直線の急な登り坂になっていた。
先ほどのチャリの運命を案じつつ
「ココを通るなら、絶対に半時計回りにしようね」
などと囁きあっているうちに、船は急峻な西海岸に出た。
ほどなく到着した釜谷で半数の客が下船したところを見ると、やはりこの観光船は海上バスとしての性格が強いのだろうか。
とにかく我が家も下船してみると、コチラはコチラで、離島にしてはなかなかのハッテンなのだ。
集落と海との間に広々とした緑地帯があり、そこには公共系ご立派キャンプ場にあるような、バカデカいバーベキューコーナーのようなモノが設けられていた。
しかし、ソコでバーベキューなどは出来ない。
その名の『わっぱ煮広場』が示すとおり、よくよく見れば専用わっぱ煮コーナーなのだ。
大勢でズラっと並んで、地べたでワッパ煮を作ろうという趣向なのだろうか。
確かに磯料理であるからには、食堂よりも屋外で食べるほうが王道なのだろう。
しかし、なんだか難民キャンプか野戦病院の炊き出しのようで、せっかくのワッパ煮が貧粗に見えてしまう。
我が家は内浦に戻ってから、食堂で食う事にしようではないか。
だって内浦の食堂に掲げられていた、『生ビール』のノボリに誘惑されてしまっていたのだ。
ソレは、アツアツのワッパ煮とは極めて相性が良いに違いなく、
「フンイキよりも味が優先!」
「今回は、その為にイロイロな事を耐え忍んでいるのだ」
などと口々に叫びあいながら、決意を確認しあう。
要するに我々は、何だかんだホザきながらも、救い様の無いノンベェだったのだ。