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時空の島(2004夏・八丈島)その1

ゆり丸で、八丈島に上陸

我が親子3人が乗った船が八丈島の底土港に到着したのは、昼を少しばかり過ぎた頃だった。
予約していた民宿にデンワをかけて迎えのクルマを依頼すると、宿のオバチャンは少し驚いた様子だった。
「えっ? この時間に船が着いたって・・・   ヘンねぇ。どこから来たんですか?」
「青ヶ島からです。貨物船に乗ってきたんです」
「貨物船? へぇ、そんな事ができるんですか」

八丈島と青ヶ島の間には黒潮反流とかいう荒波の難所があり、両島を結ぶ1日1便の連絡船の欠航率は50%に近いらしい。
我々が八丈島に戻ってくるハズだった連絡船も欠航となってしまったのだけれど、青ヶ島の民宿のオッチャンの計らいで、たまたま寄港していた不定期の貨物船に放り込まれたのだ。
八丈島の民宿のオバチャンが驚くくらいなので、かなり稀なケースだったのだろうか。
いずれにしても、そのお陰で八丈島での予定を変更せずに済んだどころか、かえって半日ばかり早めに上陸できた事になった。


八丈島での滞在は3泊4日だ。
中2日はオカァチャンはスキューバダイビング、オトォチャンと3歳のオコチャマは2人で島内を探検する事になっていた。
これは我が家にとってはフツーの事であり、今までも八重山の西表島、小笠原の母島、沖縄の南大東島、そして佐渡島などでも繰返されてきた行動パターンなのだ。
ダイビングをやらないワタクシが、イヤイヤながら子守りを引き受けている訳ではない。
確かに子連れでは行動に制限はあるものの、オトォチャンなりに離島の探索は楽しみであり、実際にも訪れた先々では大いに満足を重ねてきたのだ。
しかし、この八丈島だけは少し事情が違っていた。
当初に予定していた憧れの御蔵島は宿がとれずに断念し、その代替として、やはり気になっていた青ヶ島とセットにした形で八丈島を選んだものの・・・・
正直に言えば、八丈島など来たくなかったのだ。

「えっ? 八丈島ぁ? 10年以上前だけど行った事があるし、気になる場所は全部見ちゃったよう。いまさら行っても、どこで何をやって過ごせばいいのか思い当たらない」
八丈島の名前が御蔵島の代替案として挙がった際、ワタクシはそう言って抵抗した。
しかし、それはあくまでも表向きの理由だったのだ。

実際に前回は、
「いつか、もう一度、ココに来たいなぁ」
などと呟きながら、今は懐かしいプロペラ機のYS11で八丈島を後にしたのだった。
しかし、島のアチコチに残したハズのウツクシき思い出は、それから一年後のある日を境にして、忘れ去りたい思い出に豹変してしまったのだ。
いわばタイムカプセルを地雷に変えてくれたのは、一緒にタイムカプセルを埋めたアイツだった。

「なぁんだ。要するに、一緒に八丈島に行ったオネェチャンに、その後にフラれちゃった訳だな」
などと、簡単に解釈されてしまえばミもフタも無い。
まあ、正解と言えば正解なのだけれど・・・・・・
ワタクシだって、それなりに出会いや別れは経験してきているのだ。
百戦錬磨とまでは言えないけれど、10戦全敗くらいの戦績はあり、そのたびにいちいち地雷を埋め込んでいては日本中どこにも行けなくなってしまう。
そんな事はどうだっていい。
とにかく、今は妻子と共に八丈島に来ているのだ。

八丈富士の登り階段


すこし遅いヒルメシを食べた後、八丈富士に登ってみる事にする。
それは伊豆諸島最高峰の山であり、名前のとおり富士山のような形をした標高854mの山なのだ。
7合目まではクルマで行く事が出来、残りは1300段の階段を延々と登って山頂に至る。
さすがに八丈島にはバスやタクシーがあり、そのタクシーでちょこっと走れば、すぐに7合目に着いてしまった。
「さぁ、登るぞぉ!!」
オコチャマ用オンブ背負子を背中に登り始める。
オコチャマには行ける所まで自力で歩かせ、クタバったらオトォチャンがオンブして登る作戦なのだ。
なにしろ1年前の母島・乳房山登山の際には、なんと徒歩100mで挫折してしまったオコチャマだったりするので、この1年間でどれだけパワーアップしているのかも楽しみではある。

いざ登り始め、「オヤ?」と思う。
階段の状態が、前回の記憶と違うのだ。
あれから10年以上も経っているので老朽化したとかそういう問題ではなく、構造自体が全く違う。
整備されたコンクリートの階段のハズだったのに・・・・・・・
実際には不規則な石積みの階段で、当然ながら一段一段の高さもマチマチな為に、3歳児にとってはキツすぎる段差になっている個所もある。
「おかしいなぁ。こんなハズじゃ・・・・」
おそらく、まったく別の山の階段と、記憶が混同していたのだろう。
あるいは前回はオトナだけだったので、段差自体はなんらキツくないという記憶が一人歩きし、アタマの中で勝手にコンクリ階段になってしまったのかもしれない。
しかし、頼もしき我が息子は、喘ぎながら、休みながら、そして激しくオダてられながらも、自力で1300段の階段を登りきってしまったのだ。
これには我が子ながらアッパレすぎる。
アマッタレで、いまだにオムツさえ取れない我がムスコよ、もしかしたらキミは八丈富士の『単独・無パンツ初登頂』記録を樹立したに違いない。

火口に到着1火口に到着2


しかし、本当の山頂はココではない。
八丈富士のテッペンはボコっとヘコんだ火口と、その中の中央火口丘で構成されていて、ココは火口のフチまで登りきったに過ぎない。
本当の最高地点は、火口沿いにグルっと回った反対側なのだ。
ここから先は階段ではなく、それなりの山歩きの様相となるのだけれど、今回は何としてでもソコまで行ってみたいと思った。
その理由は、せっかくだからと言うキモチもあるけれど・・・・・・・・
前回はココで引き返したアイツとの八丈富士の思い出を、親子でテッペンまで行く事によって上書きしてしまいたかったのだ。

ほどなく岩ゴツゴツの道となり、さすがにオコチャマの単独歩行は困難となった。
すかさずオンブ背負子の出番となるものの、遂にこれ以上の前進はちょっとアブない感じになってきた。
過去の亡霊ごときのために、何もオコチャマを危険に晒してまで無理をすべきではない。
残念だけど引き返す事にする。
「もう降りよう」
そう告げると、後から登ってきたオカァチャンが怪訝そうに言った。
「どうしたの? 疲れちゃったの?」

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「どうしたの? 疲れちゃったの?」
それは、アイツと初めて出合った時の、アイツのセリフだった。
出張先での徹夜作業から開放され、やっとの思いで辿り着いた早朝の新潟駅の新幹線ホーム。
ヘナヘナと上野行き始発を待つワタクシの背後から、そんなセリフが聞こえてきたのだ。
振り返ると、見覚えの無いオネェチャンがしゃがみ込んでいて、上目遣いにワタクシを見つめていた。
正直なところ、あまり仲良くなりたくないタイプの女性だった。
なんだか曖昧な会話を二言三言交わすうちに、ホームに列車が入ってきた。
「じゃあ」
と言い残して先に車内に乗り込んだワタクシの隣の席に、まるでソレが当然かのごとく、アイツは並んで座った。

「今日も東京に戻ってからシゴトなんでしょ? 徹夜明けなのにタイヘンねぇ。アタシ? アタシもこれからシゴト!」
それからアイツは、自己紹介のような事を一方的に話し始めた。
長岡の大手電気メーカーで働いている事。
正社員ではなく、パートの組み立て作業員である事。
今日は新潟の実家から勤めに出る事。
普段は長岡のアパートに住んでいる事。
ソコでは猫と一緒に暮らしている事。
うっとうしかったけれど、疲れきったアタマにはそんな他愛の無い話もなんだか気が休まり・・・・・
アイツが降りる長岡までの短い時間も、それなりに楽しい一時となった。

「じゃあね。気が向いたらデンワしてね。」
降り際に手渡されたメモを見ながらダイヤルしたのは、それから3日後だった。
それは神経を擦り減らす毎日が続いていた時期で、あの新潟・長岡間の安らぎを再び求めてしまったのだ。
「ありがとう。覚えててくれたのね。」
弾んだ声で電話に出たアイツ。
それから、その声を週に何回かは聞く事になった。
そんな日々が1ヶ月ぐらい続いた後だろうか。
「ねぇ、今度の週末に新潟に遊びに来てよ。」
その時のワタクシは、そんな誘いを断る理由は無かった。


土曜日の遅い午後、新潟駅の改札口で待っていたアイツの姿を見て、少し戸惑いを覚えた。
この1ヶ月間、電話口で安らぎを与えてくれたアイツとはイメージが違う、初対面の時に感じた
『あまり仲良くなりたくないタイプの女性』
に戻ったアイツが、そこに立っていたのだ。
それは容姿がイイとか悪いとかではなく、あえて言えば、オーラの違いとしか言い様が無い。
「ひさしぶりぃ! はやくはやく、コッチコッチ!」
なんとも言えない違和感にタジロいだワタクシは、行き先も聞かないままバスに乗せられた。
そして住宅街の中のバス停で降ろされ、着いた先はアイツの実家だったのだ。
そこには、アイツの母親がいた。
アイツがワタクシの事を何と紹介していたのか判らないまま、ワタクシはその母親と無意味な世間話を交わした。
もちろん話が弾む訳も無く・・・・・・
そんな会話が2〜30分ほど続いた後、やがて母親はおもむろに言い放った。
「悪いけれど、ウチに泊める訳にはいかないから・・・・・・」

その夜、駅の近くの小粋なパブレストランで、アイツと2人でメシを食った。
「ゴメンね。嫌な思いした? そんなツモリじゃなかったのよ」
どんなツモリもこんなツモリも何だかどうでもよくなり、ワタクシは何も聞かなかった。
アイツと酒を飲むのはこの時が初めてで、やがてアイツとの会話に、再び電話口での安らぎを感じ始めていた。
そして気が付けば、最終の新幹線の時刻を過ぎていた。
「ダイジョーブ。アタシ、泊まれるところ知ってるから」
そしてしばらく飲んでから、アイツに案内されたのは、駅からそれほど遠くないビジネスホテルだった。
「ありがとう。それじゃオヤスミ。」
玄関の前でアイツに声を掛けるよりも早く・・・・・・・
アイツはツカツカとホテルに入り込み、そしてフロント係員に言った。
「ツインの部屋、お願いします。」
そして振り向きざま、ワタクシに笑顔を投げかけながらのセリフが、なおもアゼンとさせてくれた。
「フフフ。楽しみねぇ」

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朝、オカァチャンを迎えに来たダイビングショップの1BOXカーを見送り、父子で不動の滝を目指す事にする。
またの名前を御幸の滝と言い、なんでも昭和天皇が訪れた場所だそうだ。
この滝を絶賛したのは、青ヶ島に向かう為に八重根漁港まで乗ったタクシーの運ちゃんで、
「水が旨いですよぉ! 日本一ですよぉ!」
などとベタ誉めだったのだ。
わざわざ天皇を連れて行くからにはハンパな眺めの滝なハズは無く、それに旨い水も飲んでみたい。
宿からは片道2〜3Kmの道程ながら、八丈富士を自力で登ったオコチャマならば、何てことあるまい。
御幸の滝への道

街中を通り抜け、矢木沢橋を渡った所からは道がダートになった。
さほど荒れた道ではなく、普通の乗用車でも走れない事は無い。
しかしコチラは歩きなので、路面の状態は何も問題は無いけれど・・・・・
登るほどに勾配はきつくなり、ヘタバリぎみのオコチャマをなだめながら登る。
そんなダート道も、唐突に浄水所が現れた所で終点となった。
ここからは沢沿いの登山道となり、浄水所の取水パイプに沿うように登る。
道は細くなったけれど、かえって勾配が楽になった分だけオコチャマも元気だ。

御幸の滝まで、もう少し!


だいたい皇族が行く場所と言うのは、直前に道が整備されてしまうものなのだ。
知床半島の羅臼岳には皇太子様が登山する前と後とに2回登ったのだけれど、その登山道の豹変っぷりにブッたまげてしまった。
登山道だけではない。
ウトロから岩尾別に向かう道の万年ダート個所がイキナリ舗装された事を、岩尾別YHのオッチャンがこぼしていた。
「いくら陳情しても舗装してもらえなかったのに。年間を通した居住民がいないからだって理由で。」
それが、たった一度の登山の為に、山肌を削って道幅を拡張し、コギレイな舗装路になってしまったのだ。
そんなアンバイだから、不動の滝へのルートだって、安全そのものに違いない。
と思ったら・・・・・・・
いかんせん、昭和という時代は遠のきすぎたのだ。
怪しげな水力発電所の廃墟のような場所で、オコチャマの通れる道は完全に無くなっていた。
対岸に渡る橋も朽ち果て、どうしようもない状態なのだ。
八丈富士のホントの頂上に続き、またまた撤収する運命となった。

(今では滝の上流に水道の取水口が作られ、水が流れないマボロシの滝だったそうだ。)

発電所跡でイキドマリ・・・


宿に戻ってオコチャマに昼寝をさせ、次なる計画 『八丈小島 上陸作戦』 の準備をする。
八丈島の北西に浮かぶ島で、富士山型の火山だけが海に浮かんでしまったようなカッコイイ島なのだ。
最も、昭和40年代から無人島となり、島に渡る定期船は無い。
しかし島のツアー会社が、クルーズを兼ねて上陸できるツアーを企画しているのだ。
「5人以上集まったら」
と言うのが催行の条件なのだけれど、ダイビングから戻ってくるオカァチャンを加えれば、我が家だけで3人も参加者が居るのだから、まずはヘイキに違いない。
ところが、ツアー会社に電話をすると、嘆くべき答えが返ってきた。
「波が高くて上陸は無理でしょう。沖縄辺りに台風がいるもんで。今日は欠航です。おそらく明日も明後日も・・・・・」


なんてこったい。
アイツとの思い出を上書きすべく試みた未経験の行動は、ことごとく挫折してしまったのだ。
まるでこの島での光景は、再生専用のCDを見させられているみたいだった。


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