フロントライン(2003夏・小笠原)その7(携帯版)
一夜明ければ、母島での最後の日。
おがさわら丸の遅れで一日削られてしまったのと、前日がスコール風の雨で殆ど外出できなかった為に、なんだかロクに母島を堪能できないままに、今日の日を迎えるハメになってしまったのだ。
朱蘭さまは、雨だって平気なダイビングを楽しめたんだから羨ましい。
母島は、父島ほど大勢のダイビング客が訪れる訳では無いので、大掛かりなダイビングショップを営める訳も無く、海に出るのは小さな漁船のチャーター船で、スタッフも人手不足で大忙しだったらしい。
さて、母島最後の日は、おがさわら丸の思わぬリカバリーに助けられた形になった。
どういう意味かと言えば・・・・・
我々が一日遅れで小笠原に到着して以来、おがさわら丸は遅れを取り戻すべく、スーパーピストン運行を行っていた。
もともとお盆休みに合わせたピストン運行だった為、それを取り戻すのは容易な事ではなく、竹芝でも父島・二見港でも到着後にソッコー出航を繰り返す強行スケジュールとなっていた。
従って入出航時刻もバラバラな状態で、今日は、おがさわら丸が夕方前に父島・二見港に到着し、2時間後には出航してしまう有様なのだ。
片や、ははじま丸は
「あたし、オトォチャンについていく」
なんて感じで、おがさわら丸に完全追従していくらでもダイヤを変更してしまう良妻っぷりである。
今日は、夕方前に到着したおがさわら丸からの乗り換え客を乗せて母島に着いた後、事実上の回送状態で、19時ごろに父島に向けて戻ると言うのだ。
この、通常ではまず有り得ない、ははじま丸の夜間航行のお陰で、我が家は日没後まで母島に滞在できると言う事になったのだ。
そうとなったら、この恩恵を有効活用しなければ損である。
昨日とは打って変わって泣けてくるような晴天で、母島は
「んもう、何でも好きにしてぇ」
などと、我々を怪しげに誘いをかけてきている状態なのだ。
まずはレンタバイクを借りなければならない。
原チャリスクーターとはいえ、オコチャマをオンブしての走行に二の足を踏んでいたのだけれど、母島に官能的な誘いを受けてしまった以上、受けて立つ事にしたのだ。
宿のレンタバイクは一台しか借りられなかったけれど、別の民宿のスクーターをもう一台手配してくれた。
その民宿にバイクを取りに行くと、なんと80ccのスクーターも置いてある。
コレはラッキーだ。
だって、2歳児をオンブするとはいえ、コレは一応は二人乗りであると思われ、80ccならば法的にも問題が無い。
「オバチャァン、さっきデンワでバイクをお願いした者なんですが・・・・」
「ああ、ハイハイ。聞いてるよ」
「あのぉ、コッチの80ccのほうを貸してよ」
「ええ?ソッチは別の予約が入っちゃってるの。なんで50ccじゃダメなの?」
「実は・・・・・」
オコチャマをオンブするツモリである旨を伝えると、オバチャンは考え込んでしまった。
「そういう事情を聞いちゃったからには、50ccを貸す訳にはいかないわ」
おおっ、なんとも厳格な。
余計な事を言わなければ良かったよう。
結局、
「予約客がスクーターを使い始める午後一時までに必ず戻ってくる」
という約束で、80ccスクーターを借りられる事となった。
紆余曲折はあったものの、とにかく2台のスクーターで出発なのだ。
しかも、心ならずも
「いつかは親子3人でツーリングを・・・・」
なんて希望が、実態は矮小化しているながらも実現してしまう事になった。
オコチャマをおぶったオトォチャンの80ccが先行し、後を50ccの朱蘭さまが追いかけるフォーメーションを取る。
オンブ紐でガッチリと縛り付けているとは言え、何かアブナそうな前兆が見えたら、後のオカァチャンがソッコーで知らせる為だ。
目指すは、母島の北端の北港。
沖港の集落を出ると、あっというまに周囲は無人のジャングル地帯となる。
グングンと登る細い山岳路が右に左にクネクネと続き、こりゃレンタサイクルなどで来たら死んでしまいそうだ。
道の舗装状態は決して悪くないものの、至る所に巨大なカタツムリの遺骸が転がっていて、なかなか気が抜けない。
長い登りの果てに、遥か眼下に海を見下ろす崖沿いの道となる。
このあたりは夕陽ヶ丘という名前が付けられていて、運が良ければ沖を泳ぐクジラの姿を見る事ができるポイントだそうだけれど・・・・・・
もちろん、世の中はそんなに甘くは無く、寝てしまったオコチャマが気になって先を急ぐ事にする。
更に、ひたすらアップダウンや真っ暗なトンネルを繰り返し繰り返し走り抜け、車道の終点の北港に到着。
北港は、戦前は北村という集落があり、鰹節工場などを中心に栄え、娼婦の館まであったそうだ。
もちろん今は無人で、聞かされなければ旧集落の存在さえ判らないような、かなりこなれた廃墟系スポットである。
小学校の痕は石垣だけで、あとは工場痕らしき建物の残骸。
当時は東京行きの船も発着したという桟橋の残骸は、よくぞここまで朽ち果たものだと感心してしまうような様相で、ただただ海に向かって突き出している。
目の前の入江の先に続くであろう父島や、遥か本土を目指す船の発着所にしては、あまりにもチンチクリンになってしまった小さな桟橋の残骸が、なんだか北港のミイラのように感じてくる。
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