フロントライン(2003夏・小笠原)その11(携帯版)
今日は、レンタカーで島内を巡るのだ。
ここは大都会の父島なので、ちゃんとした『わナンバー』のレンタカーが存在するのが嬉しい。
いよいよ父島ドライブに出発なのだ。
まずは、前日にビーチまでバスで走った二見湾沿いの道を南下し、それから『夜明道路』と呼ばれる、島の中央部をクネクネと南北に貫く山道を北上する事にする。
これはイロイロと熟慮した上での結論ではなく、誰が考えてもそのような道順になるであろう。
要するに、それしか道が無いのだ。
運転席の位置が高いワンボックスなので、かえって視界が良くてアリガタイ。
昨日、バスから見えた小粋な売店でアイスを食ったりして寄り道しながら、いよいよ夜明道路に突入する。
この道沿いに、ひそかに気になるB級スポットがあるのだ。
夜明道路というジャングル道を駆け登って、中央山の展望台入り口に到着。
ここから階段を5分くらい登れば、標高319mの山頂に到着出来るのだけれど、もちろんここはB級スポットではない。
この中央山は父島最高峰と言われるけれど、実際にはちょっと南側の山のほうが高いようだ。
それでも、何ともいえない絶景で、遠く母島さえも望む事が出来る。
山頂には旧日本軍の砲台の痕があって、確かにココから狙えば敵の軍艦は一網打尽なのだろう。
もっとも、一隻二隻の船に砲弾をブチ込んだところで、なんら戦況に影響を与える状況では無かった事はミエミエで、それだけに余計に哀愁を感じてしまう。
備え付けの双眼鏡を北に向けると、夜明山の中腹にコンクリ製の廃墟のようなモノも見える。
それも戦争の残骸なのかどうなのか、夜明山方面への尾根筋を縫って進む夜明道路がすぐ近くを通っているように見えるので、もひとつお楽しみが増えた。
夜明山の山頂直下に駐車場があり、そこからダート道を200mほど進んだ先に初寝浦展望台というビュースポットがある。
初寝浦ってのは、あの「階段を30分降りなければならない、究極のプライベートビーチ」の事だ。
もちろんビーチまで降りるツモリは無いけれど、その天国と地獄が同居した光景を断崖絶壁の上の展望台から眺めるのも楽しそうなので、クルマを停めて見に行く事にする。
しかし、クルマを停めた理由は、それだけではない。
実はココに、B級スポットが存在しているのだ。
それは、その名もオソロシや『首無し二宮金次郎』といふ御仁で、ガキの頃に古い小笠原ガイドブックで見て以来、妙に気になっていたのだ。
古き良き時代には、必ず小中学校に存在したと言われる「二宮金次郎像」が、なぜか首無しの状態で、人里離れた山中にあると言うのがナゾすぎるではないか。
いたいた!
駐車場とは道を挟んだ反対側に、確かに首が無い状態で突っ立っている。
それは周囲の明るい風景とは裏腹に、妙にブキミな存在なのだ。
この像は、最初はマニュアルどおりにふもとの学校の校庭に設置され、もちろん首はついていたとの事。
それが紆余曲折のうちに、旧日本軍の設備と共にココに移されたそうだ。
それでは、いつ、首が飛んでしまったのだろうか。
そのヒサンな答えは、石碑に刻まれていた。
米軍が小笠原を占領していた当時、一人の米兵が帰国の際に首をはねて持ち去ったそうなのだ。
なんとも悪趣味なオミヤゲなのだろうか。
それでも金次郎は、アタマが無いから読めるハズの無い本を、けなげに、そしてマジメに読み続けている。
近年になって台風に転がされ、それでも若干の位置修正をしながら、まだまだ頑張りつづけている。
この金次郎様は、リストラや左遷にメゲないサラリーマンのお守りとして、もっともぉっと有名になり、そして尊敬される存在になって欲しと願って止まない。
初寝浦の展望台から見下ろすと、もう断崖絶壁の真下に見える程の所にビーチが見える。
もちろん誰の姿も見えず、帰りの階段でイキダオレになったら、金次郎さんしか気が付くまい。
その展望台のところに、あの中央山から見えたコンクリ廃墟があったのには驚いた。
旧日本軍の設備なのか、ツブれた土産物屋なのか。
続いて長崎鼻展望台に降り立つと、目の前にデーンと兄島が迫っている。
父島のすぐ北側の島で、一時は飛行場の建設候補地にされた島だ。
父島との間は兄島瀬戸と呼ばれる急流の海で、確かに川のように流れているのが良く見える。
それにしても、誰もが疑問に思う事なのだろうけれど・・・・・・・・
小笠原の主だった島々の名前、父島・母島・兄島・弟島・孫島・嫁島・姉島・妹島・姪島・・・・
ちょっとセンスを疑うような、なんて安直なネーミング。
もう少し、なんとかならなかったのだろうか。
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