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プチ離島の昼と夜(2006秋・志摩諸島)その1


夜の和具港(答志島)

秋の3連休。
船の予約もバッチリだし、宿の手配もカンペキ。
朱蘭さまのダイビング機材も宿に送り、後は出航する日を待つだけだった。
目指すのは利島。
伊豆七島と呼ばれる島の中で、最も影の薄い存在の島なのだ。
とにかく何も無い島らしく、何冊かのガイドブックを見てみても、半ページも載っていればマシなほうだったりする。
なぜ、そのような島へ? と聞かれれば、答はカンタン。
あのトカラ列島を訪れて以来、辺境の島に飢えてしまっていたのだ。
ソレから比べれば、五島列島も波照間島でさえも、清く正しく栄華を極めたハッテン島に見えてしまうアリサマ。
そんな我々のナマイキな欲望を3連休程度で満たしてくれそうなのは、利島しか有り得ないと思えたのだった。

ところが・・・・・・
イタイケな我が家の島旅を、アイツがブチ壊してくれやがった。
その名は台風さま。
しかも、ご丁寧に2個も来やがった。
「なんだなんだ。オマエらのような弱っちい台風なんかに負けてたまるか」
意気込んでみた所で、こればかりは我が家の気合ではタチウチ出来ず、アッサリと船の欠航が決ってしまった。
台風に刺激された秋雨前線上にキョーレツな低気圧が発生し、台風真っ青な暴風・大波をブチかませてくれたのだ。
それでなくても、御蔵島に負けず劣らず船の欠航率が高い利島だというのに、そんな状態では諦めるしかない。
利島どころか、大島行き以外は全て欠航が決定してしまった。
その大島でさえ「条件付き出航」、つまり
「行ってみるけど、着岸できなかったら帰ります。ソレでもOKなら乗ってね」
って意味で、場合によっては「大シケ体験遊覧船」で終わってしまう事になる。
大島は、そんなリスクを負ってまで行くべき島だとは思えず、我が家の伊豆諸島行きはオジャンになってしまった。


さっそく、3連休を過ごす代替案を論じなければならなくなった。
「こんな状態だから、島はムリよねぇ」
「行くとしたら、台風や前線から離れてる、西のほうの島だろうなぁ」
「西のほう? 2泊程度で行けるところに、オモシロそうな島あったかしら?」
「う〜む・・・・・・」

岩屋山からの眺め(答志島)

ここで、唐突に一つの島を思い出した。
それは、観光系の本も出してる出版社のオトコから聞かされた島だった。
「アンタ、島が大好きみたいだけど、それならWKN島(仮名)にも行った事あるよね? グフフフフ・・・・・」
「WKN島(仮名)?」
その島の名前は、聞いたことすら無かった。
アドベンチャー系の島なのか? グルメの島なのか? それとも古式ゆかしい歴史を感じさせる島なのか?
さっそくネットで検索してみると・・・・・
うわぁ!! なんじゃこりゃ! こんな島がニホンにあったのか!
ある意味ではアドベンチャーだし、ある意味ではゴチソウサマだし、そしてある意味の歴史的要素も含んでいる。
しかし、少なくとも女房・コドモ連れで行くような島ではない、オゾマシい内容が次々とヒットした。
彼のセリフの中の、グフフの部分に大きな意味があったのだ。

まあ、現実的にココに行く訳は無いけれど、せっかく思い出したので、朱蘭さまにもWKN島の存在を伝えてみる。
すると、話は思わぬ方向にハッテンしてしまった。
「なにこれ? 行きたい行きたい!! 絶対に見てみたい!」
「マ・マジすか?」
「行こうよ行こうよ! そういう島、ソコにしか無いんでしょ? 他に無い島だからこそ行く価値があるのよ」
「で・でも、コドモを連れて行くにはイロイロとモンダイがあるんじゃないかなぁ?」
「ダイジョーブ! まだ訳が判らない今のうちだからこそ、そういう島に行くチャンスなのよ」
「・・・・・・・・・・・」
「あっ、近くに答志島がある! この島、アタシのトモダチの出身地なのよ。どんな島だか見てみたい。2つの島をセットにしようよ!」

こうして利島の代替案は、予想だにしない方向に決った。


首塚からの眺め(答志島)

答志島

連休渋滞の東名を、ヘロヘロと西に進む。
答志島は三重県の鳥羽から船で20分ほどの位置にあり、それならば伊良湖から伊勢湾フェリーで鳥羽まで渡るのがラクチンそうだ。
ところが、台風とキョーレツ低気圧の影響で、これまた欠航。
陸路で伊勢湾をグルリと大回りし、鳥羽に着いたのは日没後だった。
途中の桑名あたりからデンワで宿を探し、何とか押さえられた和風ペンションの指示に従い、港近くの駐車場にクルマを止める。
ここからは市営の定期船に乗り、答志島の和具港で降りよとの事。

答志島の東端には答志、和具の2つの集落、そして西端に桃取という集落がある。
我々の乗り込んだのは「和具経由 答志行き」で、西側の桃取へ行く場合は、鳥羽から別の船便に乗らなければならない。
島の東と西はクネクネとした山道で結ばれてはいるものの、公共交通機関などは存在せず、なんだか東西別々の島の様相なのだ。

答志島までは、いくつかの島に挟まれた内海だとはいえ、鳥羽港を出るや否や船は大きく揺れ始めた。
さすがにフェリーが欠航しただけの事はあり、我が家のチキンなオコチャマはオヤクソクのようにフガフガとワメきだしやがる。
「今日は波が激しく、答志港は着岸が危険です。この船は和具止まりとなります」
立ち席まででた満員の船内にドヨメキが広がるものの、さほど緊迫感は漂わない。
2つの港の間は、歩いたって15分程度の距離なのだそうだ。
「まもなく和具に到着します。完全に着岸するまではキケンですので席を立たないで下さい。(ガッチャアン) ぐわあ!」
トドメのような揺れと衝撃を残して、船は和具に到着した。
狭い港の路地には送迎のクルマがゴッタ返し、下船した客が次々とそれらに吸い込まれていく中・・・・・・
係員達が岸壁にしゃがみ込み、アタマを並べて船の側面を覗き込み、そして船体をサスっているのが何気にヤバそうだった。



なんだか疲れ果てた銭湯のような答志島温泉の風情は、ぬるめの湯加減が妙にシックリとしていた。
「ボウヤ、100円あげるから、風呂から出たらソコの販売機でジュースでも買いな。ヨソで買っちゃダメだよ」
そんな受付オババの存在も、妙にホッとする情緒を醸し出す為の重要パーツだったりする。

答志島温泉

そして一夜明ければ、さっそく島の探索を開始。
相変わらずの強風の中、まずは港の近くの「首塚」なる場所を目指す。
九鬼嘉隆とかいう水軍の武将が、関が原の合戦で破れてココで自害し、その首が葬られているのだとか。
そんな事が、宿で貰った観光案内図に書かれていた。
ソレがどうこうという訳では無いのだけれど、ソコは港に面した小山のテッペンなので、景色の一つも眺めようと登ってみたのだ。

着いてみれば、和具と答志の2つの港に挟まれた、小さな半島の頂上だった。
なんでこんな結果論的な言い方になるのかといえば・・・・・
宿で貰った観光案内図が、方角・距離間ともに激しくデフォルメされすぎていて、実際の地形と全く照合が出来ないのだ。
「コレは地図ではない。観光スポット(らしきモノ)をランダムに記載してある絵なのだ」
などと解釈すれば納得できる。
その観光スポット(らしきモノ)ごとにスタンプを押す欄が設けてあり、それらの場所に設置されているスタンプを押す仕組みになっていた。
全てを押せば景品が出る訳ではないけれど、なんだかスタンプラリーみたいで、オコチャマの楽しみにはなりそうだ。
実際にはインクが乾いていたり、破損してスタンプが無くなっていたり、すこし残念な状態になっていた。

九鬼嘉隆の首塚

この島には、いくつもの古墳があるらしい。
その中でも岩屋山古墳というのが見ごたえがあるらしく、それならば行ってみる事にする。
考古学的・文化的な知識は全く無いけれど、珍しいモノならば見なければソンではないか。

ゆっくり歩いて90分ほどのハイキングコースの中腹にソレはあるとのことで、急な階段をひたすら登る。
きちんと整備された登山道で、オコチャマだって自力で登る事が出来るのがアリガタい。
途中、蟹穴古墳というのもあったので、ソレを覗いてみて少しイヤな予感。
石が並んでいるだけで、古墳だとカンバンに書かれていなければ何が何だか判らないシロモノなのだ。
果して、我らが岩屋山古墳の正体は如何に? 登り損はイヤよ。

そして辿り着いたモンダイの岩屋山古墳は、山のテッペン近くにあるオワン型をした土のカタマリだった。
そして驚くべき事に、横穴式の石室に入りこめるのだ。
なんだか山の岩小屋みたいだけれど、古墳というだけにアリガタミが違う。
その石室の中に、まずは朱蘭さまが四つん這いになって入り込んだ。
「すごい! 思ったより広い! 4畳半くらいはあるかしら。 うぎゃぁ!」
うぎゃあ? なんだなんだ! ナニゴトだぁ!
「コーモリが居た! 羽根をバタつかせて威嚇してきた!」
「コーモリだぁ? なんのなんの」
今度はオトォチャンが、すっかりビビリまくっているチキンなオコチャマを強引に引き連れ、石室の中に入り込む。
「やだよう! コワいよう」
「バカ言うな。いいか? コーモリだって、我々がコワいのだ」
中に入り、目が慣れてくると、確かに天井にぶら下がっているコーモリの姿が見えた。
「コラァ、コーモリ。悔しかったらパタパタしてみやがれ。今は外に出る事が出来ない分だけ、キサマのほうが立場は弱いのだ」
オコチャマの顔をコーモリに向けさせたその時、
バタバタバタバタ!!
「うぎゃぁぁぁぁぁ」「ぶひょぉぉぉぉぉぉ!」
コーモリは羽根をパタパタどころか、石室の中を激しく飛び回り始めた。
わ・悪かった、コーモリ。これからもキッチリと、この古墳を守ってくれたまい。

岩屋山古墳の石室  ご自由にお入りください


そのままハイキングコースを下り、答志側の集落に出る。
それは、宿のオバチャンのオススメのメシ屋でヒルメシを食う為だ。
その店の自慢のメニューは、伊勢うどん。
実は、伊勢うどんについては、少し気になる事があった。
前出の出版社のオトコと、もう1人のオトコとの会話が気になっているのだ。
その概要は、以下のとおり

   ●出版社のオトコ
     鳥羽の駅内の食堂にて「伊勢うどん」を食した。
     太くてグズグズしてて・・・伸びてるのとも違う。
     麺の肌はザラザラというかスがいっていて、
     讃岐のように「ンマイィィィ!」という感激などまったくなく、
     「まあ名物とやらを経験として食べた」という感触だった。
     食べ物の本も著している会社の先輩に聞いたら
     「伊勢うどん?(苦笑)」
     というリアクションだった。成り立ちからしてふるまいものだしな、とのこと。

   ●もう1人のオトコ
     伊勢神宮付近で何軒か行ったが、どこで食べてもそんな感じだった。
     特にウマイ!って言うもんじゃない。
     店でも大概てこね寿しとかのセットになってたりして
     1本で勝負していないところですでに負けている。

   ●出版社のオトコ
     先輩も、同じようなことを言っていた。
     「おれならてこね寿司だけでいい」
     と。

聞いてしまったからには、旨い・マズいに関わらず、自分で確かめてみたくなるのが心情なのだ。
そんなチャンスが訪れたからには、コレを逃がす手は無い。
てこねずしだって気になるではないか。

答志集落の食堂

離島ならではのクルマも通れない細い路地を右往左往して見つけ出したその店は、テーブルが二つとカウンターちょろちょろのコジンマリとした店だった。
「い・伊勢うどん、お願いしますぅ」
「あいよぉ」
ほどなく、店のオババがモソモソとした動作で運んできたうどん。
ううむ。
ワカメがタップリと盛られたドンブリの中には、妙に太目の麺。
そしてその歯応えは、讃岐と吉田の中間くらいだろうか。
なによりも圧巻なのは、なんだか黒い汁。
関西人が「東京のうどんは、汁が真っ黒やんけぇ」などとノタマうけれど、このうどんは、東京人が見たって真っ黒なのだ。
これは醤油ではあるまい。
おそらく、魚醤かタマリのタグイに違いない。

個人的な結論から言えば、とってもンマかった。
前評判が悪かったからかこそ、ンマく感じたのだろうか。
でも、とにかくンマいのだから仕方ない。
この島の伊勢うどんは、フツーの伊勢うどんとは違うのかもしれない。
だって、もう一つの期待である、てこねずしは出てこなかったのだ。
メニューにはあったので、どうやら無条件でセットにはなってないらしい。
そうか、ンマいからこそ一本で勝負してるのだったりして。

つばさ公園

ヒルメシを食い終わり、この島とも別れの時がやってきた。
なにしろ、次なる島である、WKN島(仮名)が待っている。
その怪しげな実態を、キッチリと見てこなければならないのだ。
もっとも、カミサン・コドモ同伴なので、隅の隅まで体験調査する訳にはいかない。
「ええ? べつのしまにいくの? やだ!」
オコチャマが、おもむろにWKN島への移動を拒絶した。
コドモなりに、オトォチャンが何かのマチガイでWKN島の毒牙にハマる事を心配した訳ではない。
さりとて、この島の古墳やユーレイ温泉、伊勢うどんなどに魅せられてしまった訳ではモチロンない。
ただ単に、つばき公園や八幡島の脇の公園の、どこにでもあるフツーの遊具で遊んだのが楽しかっただけに違いない。
これは毎度毎度の行動だ。
大枚ハタいて飛行機で南の島に行ったって、サンゴの海や秘境の滝よりも、ブランコやオスベリに夢中になるヤツなのだから。
「ダイジョーブ。次の島だって、楽しい公園がウジャウジャあるよぉ」
「ホント? じゃあいく。はやくいきたいよぉ」
へん。
カンタンなモンだ。
でもコイツが、本来の意味を知った上でWKN島に興味を持つのは、あと何年後の事なのだろうか。


さらば答志島。(和具港)

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