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デジャヴ


このところ、マレーシアのジョホールバルの話やら、若い頃の熊本駅の話やら、昔々の話を思い出してはUPしてみたのですが・・・・
ハッキリ言って、かなり忘れているのです。
「えっと、アレはアッチだっけ。それともコッチだったっけ」
的な、どっちだったかを思い出せないのではなく、スッポリと抜け落ちちゃってるのです。

写真を見たり人から話を聞いたりして
「おおっ、そうそう、そうだった」
このように一時的に忘れていても、何かをキッカケに思い出せる場合を、仮に「記憶の紛失」と呼ぶ事にします。
それに対し、何を見ても聞いても全く思い出せない記憶もありますね。
これを「記憶の消滅」と呼びましょう。
アメリカのエラいセンセーが、記憶の消滅率を時間軸で調査したそうです。
どのくらいの時間が経てば、どのくらいの割合で記憶が消滅するのかを調べた訳ですね。
そしたら、ブックリする結果が出てしまったそうです。
それは
『ニンゲンの記憶は、MAX20年で消滅する』
のだそうです。
そんな事を言われたら、ワタクシだってブックリします。
ワタクシの場合、成人する前の記憶は全く消滅してる事になるんですから。
でもワタクシは、全てとは言いませんが、学生時代の記憶だって残っております。
あ〜んなコッパズカシい事も、そしていまだに胸がキュンとしちゃうような記憶も。
もしセンセーの説が正しいとしたら、これはどういう事でしょうか?
以下は、ワタクシの仮説です。
全く根拠は無いので、ヨソで話すとハジをかくかもしれません。

ワタクシは1X歳の時に、●●●を経験したとします。
そのまま時が経てば、3X歳でその記憶は消滅します。
しかし、その時の●●●を思い出すたびに、新たに記憶されるのではないでしょうか。
記憶の有効期限は、そこから20年になるのです。
いわば、そこで記憶はコピーされる訳です。
だからこそ、印象に残る記憶は消滅しないのです。

ただし記憶がコピーされるたびに、徐々に事実との相違点が生じます。
過去の自分と伝言ゲームをやってるようなモノですから。
だんだん美化されたり、逆に見苦しく変化したり。
ニンゲンの記憶なんて、そんな曖昧なモノだったりしますから、
「あの素晴らしい光景をもう一度見たい!!」
などと、かつて感動を覚えた風景が忘れられず、夢とチボーに胸ふくらませて再訪したのにガッカリ。
ありがちな話です。
それなのに、期待せずに三度目に訪れたら、またまたカンゲキしちゃったり。
そんな事もありげです。
写真などといったメディアに残された正確な情報と違い、キオクのなかで増幅しちゃったり脚色しちゃったりイロイロですからね。
これを『印象ハンチングの法則』と言います。
(これも勝手に名付けたので、ヨソでは通用しませんので注意)


大観峰での3ショット

さて、話は「デジャヴ」に移ります。
デジャヴとは皆様もご存知のとおり、
「あっ、この光景(このシュチュエーション)、初めてのなのに、なんだか過去に経験した記憶が・・・」
ってな感じのアレの事です。
その原因として挙げられるのは、
「ニンゲンが潜在的に持っている予知能力」だったり、
「前世の記憶」だったり、
いわゆるアッチ系の説明が多々あります。
ここで言うアッチ系とは、
「フシギとされる出来事を、疑いも無く都合いい方向に解釈し、そして信じてしまう人々」
の事ですが、果たしてホントにソレはアッチ系の出来事なのでしょうか。
上の写真、阿蘇の大観峰での『K山商会・くずなり・ワタクシ、おぎひま』3ショット写真のケースで考察してみませう。
写真をじっくり確認すると
『K山が居る』『くずなりが居る』『おぎひまが居る』
『阿蘇である』『大観峰の石碑の前』『眼下に火口原』『雄大に広がる』
『青い空』『K山商会のエリンギあたま』・・・・・
などなど、幾多の情報が含まれております。
写真であれば、その全ての情報が一枚に集約され、何年後に見ても まったく同じ状況を見ることが出来るのです。
(若干は色が褪せたりはしましょうが。)
ところがアタマの中の記憶と言うものは、この様々な情報の断片を あちこちに分散させて保存してしまうそうです。
比較的新しい記憶であれば、これらの断片の繋がりを、容易に関連付ける 事が出来るのですが、
時間の経過と共に、徐々に関連性が薄れたり 途切れてしまったりするそうです。
アタマの中もデフラグを掛けられれば良いのですが、それはできません。
それから何十年かの時間が経過し・・・・・
K山商会・みね部長・おぎひま、ジジィ3人で、美幌峠に立ったとします。
その時、ワタクシが叫びます
お「あっ!!この光景、この状況、前にもあったハズじゃ!!」
み「えっ?この3人では初めてじゃよ。勘違いしてないかのう?」
お「そがんこつは無か。間違いないったい」
K「ボケちゃったかのう。それとも前世で・・・・」
まさに、「デジャヴ」というヤツに遭遇した瞬間です。
これは、遠い昔の阿蘇大観峰でのワタクシの記憶の断片が、 接続を失ったり間違えたりしてしまったケースだと考えられます。
『雄大に広がる』『青い空』
を、3人で眺めたってのが引き金になり、
『この3人で石碑の脇に立ち、眼下に広がる雄大な風景を眺めた』
なんて物語が一人歩きしちゃうのです。
『阿蘇である』『眼下に火口原』 といった部分が欠落し、
『くずなりが居る』 は、別の場所に行った時のみね部長の記憶と入れ替わり、
『大観峰の石碑の前』 は、美幌峠の石碑にすりかわり、
『エリンギあたま』 は、もう全員イッちゃってたりして曖昧になり・・・・・
これが、デジャヴの正体なのだそうです。

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