AZの金銭征服
驚かないのだ。むしろこの大きな会社の中にまじって裸一貫を訴えた方が目立つに違いない、と私は思った。そこで、自分は金もなければ、地位もバックもない一介の若い田舎者だと、少しも飾らずにありのままを訴えた。そして、一金千二百円を奮発して北海道名産のアイヌの木彫熊を北海道観光物産陳列所から買ってくると、手紙に添えて送った。
 「これは私の故郷の名産物だが、私はこの熊と同様な人間である。これはタネも仕掛けもなく、ただアイヌが木を彫って作ったものだ。私も北海道から出てきたタネも仕掛けもない、裸一貫の男だ。しかし、たった一つ、貴下に約束する。地球の裏側にある貴下の会社に嘘をいおうと思えば、いくらでも上手につけるが、私は決して嘘はいわない。と同時に、私には若さと柔道二段という鍛えた体力を持っている。“若い”企業のテレビに私を使うことは、どういう形でも決して損はさせないだろう」
 手紙の結びで私はこう訴えた。


  一朝目覚めれば・・・・・

 この手紙への返事は必ずする、と私は信じて疑わなかった。誠意を尽して真実を吐露したものに、反響がないわけがないと思っていたからだ。
 予期にたがわず、果たして手紙の返事がきた。 
 「あなたについて重役も興味が湧いたので、改めてあなたを調査し、且つテストするつもりだ」
 という文面だった。そして間もなくナショナル・シティ・バンク東京支社から調査員が会社へ訪ねてきた。しかし、いくら綿密に調べても真実は一つしかない。結局、私の手紙と同じ報告が本社に出された。昭和三十二年三月ごろのことである。
 次はいよいよテストという時、郷里の先輩たる南条徳男氏が建設大臣になり、私は氏の世話で渉外秘書という仕事を与えられた。そのためNBCの方は暫く御無沙汰しなければならぬ仕儀に立至ってしまった。が、それから二カ月ほど経ったころ、高速道路建設のための外貨借款問題が起り、私はその下交渉のため米国に派遣された。
 米国での滞在中、ある日、世界の富豪として名高いロックフェラーと会うことになった。約束の日時は丁度NBCの重役からも招待されていた。しかし政府交渉の参考意見をロ氏から聞く必要上、ともかく私はロックフェラー・センターにあるチェーズ・マンハッタン・バンクを訪問したが、会議のため面会時間は三十分延期するという。そこで、私は、
 「今日は生憎とNBCからも招かれているので、三十分も遅れるなら会わなくてもよい」

 といってそこを出てしまった。
 これが幸運をつかむきっかけとなった。
 NBCの社長にこの話をして「・・・ロックフェラーの意見など聞くより、私は自分のライフワークたる貴社の方が大切だ」と見栄をきると、社長は大いに喜んで、「君はなかなか面白い男だ。ロックフェラーといえば、アメリカ人でも容易に会えない。それを外国人で面会を断わったなどとはかって聞いたことがない。だが、その気概があれば金持になる見込みは十分だ。よろしい。君をNBCの日本総代理人に指定してやる。大いに頑張りたまえ」
 といってくれた。
 まったく妙なことで思わぬ幸運を拾い上げたものだ。ロックフェラーを軽くみたら、自分が重く見られたのである。しかし、私には金持の他人よりも自分が金持になることの方が、はるかに重大だったのだ。
 私は、NBC総代理人のお墨付きを頂戴すると、勇躍として帰国した。都合のよいことに、帰国すると間もなく、南条大臣が辞めたため、私も自然、建設省の仕事から解放された。そして南条氏と大映社長の永田雅一氏を顧問に迎えると、八重洲口の幸田ビルの一室に事務所を移転し、名前も現在の「太平洋テレビ株式会社」と改めて、いよいよ本格的にテレビ界へうって出たわけである。だが、社員は僅かに二人だった。それでも私の胸は希望でふくれ上がっていた。机二つしか入らない田村町時代から比べれば、大きな飛躍だったからだ。私の背後には世界随一のテレビ会社NBCが控えているのだ。


  我が世の春

 こうして「太平洋テレビ」は創立した。一昨年の九月のことである。NBCからは開店祝いとして、「三十二年オールスター野球」のフィルムを送って寄越した。このニュースが伝わるや、日本の各テレビ局は猛烈な獲得合戦を演じたが、私はこれを日本テレビにゆずった。というのは、実はわけがあったからである。
 私がまだNBCのテストを受けていた時代に、送られてきたフィルムを持って、日本の各テレビ局を巡訪したが、だれも相手にしてくれなかった。なかでも一番ひどかったのはKテレビで、私の顔をうさん臭そうに眺めながら、こう突っぱねた。
「冗談じゃありませんぜ。NBCの代理員が七十円の小型タクシーに乗ってきますかよ。大方、あんたは変な外人からイカサマ物をつかまされたんで、NBCの名前をかたっているんだろう。偽物はさっさと帰ったらどうだ」
 私はこの時以来、Kテレビを相手にしていない。余談になるが、私はいまキャデラック一台を自分用に、その他会社用には外車数台を使っている。考えれば実にゼイタク至極な話だが、これというのもKテレビでいわれた言葉が骨身に応えているからだ。
 こんな容器で人間の価値判断をする日本人の根性が情けないと思う。NBCは私を信用してくれた。ところが日本の場合は、Kテレビ一社に限らず、大部分の会社が、それでは認めないのだ。否、反って馬鹿にし、蔑視する傾向が強い。ここに日本人とアメリカ人の大きなズレがあり、日本の事業発展のハンディキャップの一因になっていると考えるのだ。
 それはとにかく、物事が一つうまくいくと、面白いように次々とうまく運ぶものだ。それからニ年経った今日では、代理店業もNBCのほか、アメリカ、カナダ、フランスと十六の代表的会社の代理を引受けているだけでなく、世界各国のテレビ局から代理店の勧誘が盛んにくる始末だ。MBC(NBCの誤植?)の重役が先月来日した時、「太平洋テレビはNBCより大きくなった。
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