1 寺社に参る
 もろもろの神道家や仏教各派で決まっている拝礼の仕方ではなく、参拝の心の持ち方を説く。
 わが国は各地各所に無数の神社仏閣がある。見知らぬ土地へ行けば、ほとんど習慣的に私たちは土地の人に連れられてそこに詣る。祭があれば、クリスチャンもそこに行って、おみこしを見、おかぐらを聞く。京の鞍馬寺のお祭には、仏僧も神官も仲よく肩を並べて参加する。日本人の血のなかには、宗派をこえて融け合う宗教態度が流れているようだ。クリスチャンですら、そういう民族習慣に素直にとけ込んでいる国柄である。
 参拝とは、神仏の御徳のなかに入り込み、神仏の慈愛と広大無辺の力を受けることである。手を合わすとき、そこには我は消え、日常の営みから生ずるくさぐさの思いわずらいを放下しなければならぬ。
 「祈らずとても神や護(も)るらん」と述懐された明治天皇の教えは、祈らなくてもよいと言ったのではなく、正しい祈りの仕方を示したものである。世に霊験あらたかな寺社には、さまざまの願い事をもってお詣りにくる人の数がたえないが、本当はこの願い事が邪魔になる。神仏に一々言ってきかせなくても、一人一人の人間の在りかたや問題がどういうものであるかは、無限者の心に知られている。それは、今さら口に出して言うまでもない。一々口に出し心に念じなければ通じないような相手では、それは神でも仏でもない。
 だから、祈りはまず「放下」の態度でなければならない。鳥居や山門をくぐったら、もう人間的問題はすっかり忘れ去っていなければならない。それがまだ「かす」や「おり」として心の壁に付着しているならば、最初に手のひらを合わしたとき、その汚れを取り去っていただくように祈るべきである。
 祈りとは、請求や要求ではなく、まず身と心を投げ出し、明け渡すことである。「明(あ)」けなくては中身は詰まったままとなり、神仏の霊光は射し入ってこない。開けることは明けることである。心の扉をあけることによって、魂の夜があける。
 「いのる」とは「いきのる」、つまり「息」または「生き」を以って「宣る」ことだと説明した宗教家があったが、私は別の解釈を取りたい。丑の刻参りのように、怨敵を祈り殺そうとした場合、そこに働く念力は正しい祈りではない。それは「宣言」には違いないが、神意を離れた我執の意志貫徹である。
 こころみに「い」という音を発音する口構えをして、しばらく息を吐いてみるがよい。なにか、くやしいような、耐え忍んでいるような、怨めしいような、復讐を誓うような感じが出てくるだろう。そこに力を入れて、「いいい」と発音してみる。それは緊張の声である。りきみの声である。
 しかし、この「い」をすぐ「のー」という長音に変えてみる。そして自分の内面感情の変化に注意を払ってみるがよい。「の」は「のびる」「のびやか」「のし」「のはら」「のんびり」「のろのろ」というように、いずれも緊張から解放されて展開と弛緩のことばを作る。そして「のー」という長音をつづけているうちに、たしかに心はのんびりとしてくる。それが最後に「り」と締まると、そこに冴えた気分に一転する。「りす」という動物の性質、「りんりん」という鈴の音、R変のらりるれろという展開は、舌の動きのとおり、とどこおったもの、静かなものの動的変化である。
 日本語は、このように注意ぶかく音の性質と心の動きとを照らし合わせてみるとき、いろいろのことがわかる不思議な言語である。「祈り」という単語一つでも、初めは人間的我執に結びつけられた心が、神仏の力に乗(の)って伸(の)び、そのくつろぎがふたたび転じて日常生活にもどり、ラ行の響きが示す爽やかなリズムとともに生命がよみがえる消息を明らかにしている。
 私が冥想をしていると、しばしば咽喉を割って奥底の心(たましい)が浮かび出てくることがあるが、そのなかに数年前から、命令形で、
 「いのれ、いのれ」
 というのが時たま出てくる。これは「い」音がみじかく、「の」「れ」はそれぞれ長いのである。これが始まったころは、顕在意識がこの言葉をうけとめかねて途惑いした。「祈れ」と言われても、何をどう祈ったらよいのか? その魂の声は朗々と、また堂々と、権威をもって私の肺腑をつくようにして出る。そして五体を震撼させ、細胞のすみずみにまでひびき通るようである。
 そのうち私は、これは魂が私の全心身に言霊の力をもって命令しているのだから、特に意識をもって解釈しなくていい、ということが判るようになった。
 それはちょうど植木に水をやるようなものだ。植物の身としては、ただその潅水を思う存分吸収しさえすればいいので、水の成分について化学的考察をする必要はない。「いのーれー」という言葉に心身をひたすことによって、私の心身は創り変えられる。このように理解し、また事実そのようになってきた。
 次に、たびたび「い」が抜けたことばも出てくる。
 「のーれー、のーれー」
 これは「乗れ」であり「宣れ」である。これも命令形であり、私の心身に語りかける。これを何度も自分自身にしみ込ませているうちに、私は天地のリズムに乗(の)ることを覚え、また世の人々に臆することなく宣(の)る力も得た。
 私は自分の書くことや言うことを、理性の検閲係の手で取捨しない。それは全存在からほとばしるものである。河の流れや種子の発芽のように天然自然のはたらきであって、とどめられるものではない。その善悪美醜の判断は読む人聞く人の自由にゆだねてある。私の知性や感性は、霊性の発現の道具として使われているだけであって、主人公はどこまでも私の魂そのものである。私はたとえば、このような文章を書いていても、テニオハを間違えたり、訳の分からぬことを書いたりはしない。狂人のうわ言にはなっていない。私の全教養がここに参加している。知性を無視していないことがこれで判る。私の文章はわかり易いし、執筆に渋滞がないように、読み取る側にもとどこおりはないと言われている。
 私の頭脳は明晰であるが、私の文章がわかり易いというのは、単に達文、名文のせいではない。私は魂の命令のままに書く。この響きが直接読者の魂に共鳴して行く。読者の心が内側から照明されるので、文章に表された以上のもの、読者自身の人生が手に取るように見えてくるのである。
 私は結局「祈り」を人々に伝えているのである。私は眠るときも、飯をくうときも、筆をとるときも、祈りであると考えている。そしてこの平常心が結晶して、或る凝縮した形を取るときが、冥想であり、また神社仏閣の前にぬかずく態度である。 
 神仏の前に手を合わすときは、いつもそのようであって欲しい。我を向こう側に投げ入れて、そこにこだまする魂の響きに耳を澄ます。ここから全生活がよみがえる。
『AZ』13号
2 馬関のいざない
 1961年5月の神社巡拝旅行は、岡山の吉備津神社を最後として、エルベール博士夫人と山蔭基央氏に別れを告げ、私はまた単身の自由を取りもどした。
 旅中、比較宗教学の方法によって各地の神社に体当たりをここみるエルベール夫人の情熱に感銘を受けながらも、私の本性とは余りにかけ離れた西洋的探究法に何度か悲鳴を