の幼少期のことが明らかになった。それによると、マジャ・プラデッシュのマンマッドの近くにプンニという小さい村がある。この村は小さい川のほとりにある。この村に、ある貧しいブラ−ミンが住んでいた。ブラ−ミンはブラ−マンとも言い、古代インドの経典ヴェ−ダを中心とする正統派ヒンドゥ−教(すなわちバラモン教)を信じる人のことである。その人の名はガンガ・バヴディアと言った。彼の職業は川の船頭だった。朝から晩まで人々を小舟で川の反対側に渡す仕事にいそしんで、自分と妻のデヴギリ・アンマの生活を支えていたが、金を貯めるほどの余裕はなかった。
 子供が一人もいないので、それが夫婦の唯一の悩みであった。ガンガとデヴギリは信仰心が篤く、シヴァ神の帰依者であった。二人は大変慈悲ぶかく、乞食やサドゥ−(聖者、苦行者、托鉢僧を意味するサンスクリット語)が来ると、食物を与えて手厚くもてなした。夫婦の願いは、いつか秀れた聖者が彼らの家を訪れて祝福を垂れ、子供を授けてくれればいいなということだった。
 ある日のこと、ガンガはいつものように舟を漕いでいた。午後になって、にわかに空が黒雲に覆われた。大雨になりそうな気配だったので、ガンガは舟を樹に結びつけて、急いで家に帰った。果たして、夜になってから激しい雨が降りだした。雨はいつまでも止まないので、ガンガは舟が流されやしないかと心配した。舟を縛りつけていたロ−プも古いものだったから、いつ切れるか分からない。そこで、たまりかねた彼は妻のデヴギリに言った。「俺はこれから新しいロ−プを持って、川岸に戻るよ。安全な場所に繋ぎ直すのだ。」 デヴギリは言った。「こんなひどい雨なのに、危ないですわ。神さまを信じたほうがいいと私は思います。私たちの舟をきっとお守りになってくれます。」しかし、妻の言葉に耳を貸さず、ガンガは川に降りて行った。デヴギリは一人ぼっちで家に残され、気を揉んでいた。あの人は自分の命よりも舟が大事なんだわ、と思った。眠るどころではない。街に待ったが、とうとう居ても立ってもいられなくなった。

 (1987年とマジックインキで銘が入った古シャツを着た。朝から仕事を続けて、めしも食わないでいたら、腰が痛くてたまらなくなったので、裏の畑に出て鍬を振るってきた。汗を掻いて着替え。井戸水がうまい。室内は16度C。騒乱のボンベイは28度だろうと思う。日本人なら絶対下痢をするあの不潔な水道水を、インド人は平気で飲んでいた。胃腸が強くなっているに違いない。しかし、私はミネラルウォ−テルを15ルピ−[75円]で毎日1〜2本は買っていた。ある人は日本のつもりでバル[酒場のこと]に入り、「ウィスキ−水割り!」と注文したら、瓶だけで中身が違うミネラルウォ−テルを入れられて猛下痢をしたという。ビ−ル大瓶30ルピ−は安全だが、食事の3〜5回分だと思うと勿体ない。貧しい印度人はあまり酒を飲まない、いや飲めない。タバコも吸っている人が少ない。私がプッタパルティで乞食にショ−Pを一本やったら、何日か後でその男が追いすがって来て、「あのきついタバコのために、俺は咳で苦しんだ。お詫びのつもりで20ルピ−出せ!」には呆れ果て、1ルピ−もやらなかった。何でも乞食の種子になる国だった。)

 突然、ドアにノックの音がした。彼女は夫が帰ったと思ってドアを開いた。だが、そこには一人の老人が立っていた。「わが子よ、今夜の泊まりを恵んでくれぬかのう?」と宿を乞う老人に、デヴギリは哀れを催し、家に入れと勧めた。「心配しないでいい。儂はベランダの床に寝るからな。」優しいデヴギリはベランダにベッドをしつらえてやり、チャパティとカレ−の食事を用意してやった。老人は嬉しそうにそれを食べ、主婦を祝福した。そのとき、老婦人が入ってきた。彼女は老人の妻だった。それから、老人は次のように語った。「儂はお前の客扱いに至極満足じゃ。お前には3人の息子が恵まれるじゃろう。三番目の息子はシャンカ−ル神の化身となるぞ。」デヴギリはそれを聞いて、たいへん喜んだ。「時に、あなたさまはどなたですか?」と尋ねたところ、たちまち彼女の目の前に、主シャンカ−ルと女神パ−ルヴァティ−の神々しい姿が現れた。彼女は神々にひれ伏した。霊姿は消えた。
 印度には多数の神々が今も一般家庭に祭られている。パ−ルヴァティ−はシヴァの配偶神で、シャクティ、ドゥルガ、カ−リ−などの異名を持つ。ヨガ関係の本に親しんだことのある人たちには馴染みの名前であろう。シャンカ−ルはシヴァの別名だ。
 さて、この神々の示現のあと、デヴギリは長いあいだ眠れなかった。夫をひたすら待っていた。夫にこの話をしたら、どんなにか喜ぶだろうと思った。
 知らぬ間に眠りに落ちた彼女は、朝になって、またドアにノックの音を聞いて目を覚ました。夫のガンガがそこに立っていた。ガンガは言った。「ごめんよ。俺はずっと帰れなかったんだ。雨はひどかったし、道はぬかるみで歩けないし、滑るのが怖かった。たいへん骨を折って、とにかく川岸には着いた。舟を安全な場所に結び直してから、近くの古いお寺に雨宿りをしたのだ。そのうち眠りこけたら朝になっていたというわけさ。それにしても、お前はどうしたんだい? とても嬉しそうな顔をしているじゃないか。」デヴギリは前夜の訪問客のことを打ち明けた。一部始終を聞いたガンガは、自分が主シヴァと女神パ−ルヴァティ−に会えなかったことを残念に思った。
 やがて、デヴギリは身ごもって、双子の男の子を生んだ。しかし、ガンガは幸せな気持ちになれなかった。彼がいつも言っていたのはこうだった。「俺は惨めな男さ。俺は家を出て、サニャ−シになり、森のなかで罪を償う苦行の生活を始めるべきなのだ。」
 サニャ−シはサンスクリット語であり、「捨離」の意味である。インドの古代法典において、上流階級、すなわちブラ−マン(最高位のカ−スト)、カシャトリヤ(王族・武士階級)、ヴァイシャ(農商工業に従事する庶民)の生涯は四つの期間に区分された。順番で言えば、(1)学生期、(2)家住期、(3)林住期、(4)遊行期となる。この遊行期に入った人をサニャ−シと言ったのである。タイのような仏教国にも、これに似た社会制度がある。
 これを聞いた妻・デヴギリは次のように言って、夫を慰めた。「そんな考え方をするべきではないと私は思います。シヴァさまは、ご自分が私たちの息子としてお生まれになると仰ったのですよ。ですから、あなたは出家をしないで、家の仕事をお続けになったほうがいいのです。」
 時が過ぎ、デヴギリはふたたび妊娠した。今度は、シヴァ神が自分たちの息子として下生するのだと、母親は喜んだ。しかし、夫のガンガ・バヴディアは心慰まず、むしろ不安になった。「今こそ俺は森に行って悔い改めの生活に入らなければならない。自分もシヴァ神を拝めるように修行しないといけない。」そして、ある日、彼は家を出て、近くの密林のなかにある古いお寺で苦行を始めた。デヴギリは夫のことを非常に心配したが、親しい友人を通じて夫の消息を聞くことはできた。
 デヴギリは妻として、母としての義務の板ばさみになった。母としては、二人の幼い子供を育てねばならないし、胎内にはシヴァの化身が日に日に生育している。他方では、夫が森のなかで苦労している。どうすべきかと悩んだ。
 (今日の夕刊には、ボンベイの死傷者は1200人を越えたと出ていた。)
大聖シルディ・サイババ小伝