18.神の河に浴した男
                                        於天神930317/0939
 ダス・ガヌはサイババの帰依者だった。彼は以前から、プラヤグにある聖なる河「トリヴェニ・サンガム」に一度浴したいと願っていた。ある日、彼はこの目的で家を出ようと決心した。しかし、彼は自分の意図を誰にも話さなかった。彼はドワルカバイ・マスジッドに行って、サイババに打ち明けた。「主よ、私は一ヵ月ばかり村を出て、旅をせねばなりません。私の昔からの願いが成就するように祝福してください。」
 サイババは微笑んで話を聞いていたが、やがて口を開いた。「トリヴェニ・サンガム河で身を清めると、誰でも全ての罪が洗われるということを、私も聞いているよ。」
 ダス・ガヌはこの言葉を聞いて、非常に吃驚した。どうしてサイババはこの願いを知っていたのか? 彼はサイババの足もとに伏して言った。「あなたは全能・全知の神さまです。」涙が彼の目から溢れ出した。三つの聖なる河、ガンガとジャムナとサラスワティの水が、サイババの蓮華のおみ足から流れ出し、その神聖な水のなかに自分が浴しているような感じがした。彼の身体と衣服はびしょ濡れになった。
 ガヌは立ち上がって言った。「私はもうプラヤグに行く必要がなくなりました。サイババ、私はここであなたの蓮華の御足のもとで聖なる水に浸ることができました。どうか私が家に戻って、濡れた服を着替えることを許してください。」サイババはこれに答えて言った。「お前は偉大なガヌだ。お前の強い信仰心のおかげで、ここで聖なる水浴ができたのだ。どうか、私の敬意を受けてくれ。」サイババは自分の両手を組んで、ガヌに頭を下げた。そのあいだに、ガヌの服がアッというまに乾いてゆくのを、皆が見ていた。ガヌは濡れた服の着替えに家に戻る必要がなかった。そこに居合わせた全部の人々は、サイババを賛美する叫び声を上げた。


19.ヒンドゥ−教徒とイスラム教徒の融和

 ゴパルダスは、コ−ペル駅の近くの小さい村に住んでいた。彼は警部の地位にあり、3人の妻を持っていたが、まだ一人も子供がいなかった。彼は人の陰口を聞いて、たいへん不幸であった。ある日、彼は警察の職を辞してサンニャシになろうと決意した。彼は辞職願を書いて、これからの身の振り方を考えていた。そのとき突然、ドアにノックの音を聞いた。友人のダム・アンナ・カサルが戸口に立っていた。
 ダムに挨拶して、ゴパルダスは言った。「友よ、どうしてこんなに朝早く、ここに来たのですか?」
 ダムは次のように答えた。「私は郵便列車でア−マッドナガルに行くところだったのです。列車がコ−ペル駅に止まったとき、誰かが私の耳にささやいて、ここで降りなさい、あなたの友達があなたを必要としている、と言ったのです。駅で降りると、そこに四輪馬車が待っていました。それに乗ったところ、行き先も告げないのに、老いた御者が私を君の家まで連れて来てくれました。」
 ゴパルダスはそれを聞いて言った。「それに、あの列車はコ−ペル駅に止まるはずはないのにね。」
 二人の友はどうしてそんなことが起こったかを考えていた。この小さい町には二輪馬車のタンガしかないはずなのに、その四輪馬車の御者はいったい何者だろうと、二人は怪訝に思った。しばらくしてから、ダムは言った。「どうですか、君の具合は?」
 それで、ゴパルダスは自分がしようと思っていることを全部話した。何もかも聞いてから、ダムは次のように言った。「これで、私は全部わかりましたよ。私をここに連れてきてくれたのはサイババです。支度をして、すぐシルディに行きましょう。」
 二人はシルディ村に向かって出発し、夕方には目的地に着いた。二人を見たサイババは挨拶して、ハジ・シッディキに尋ねた。「ハジジ、あなたは齢を取り、経験を積んだお方です。誰がヒンドゥ−で、誰がムスリムか言うことができますか?」ハジジは二人の顔を見て、知らないと答えた。
 サイババは言った。「神さまは人間をお創りになったので、宗教を創ったのではありません。すべての人間は神さまの目から見ると同じです。無知な者だけが宗教のことで争うのです。」
 次に、サイババはゴパルダスとダム・アンナに向かって言った。「あなたがた二人は揃って私の所に来ました。あなたがたの願いを神さまが叶えてくださるよう、私は神さまに祈って上げましょう。」
 二人の友はサイババの足に触れた。二人の心は悦びと霊感に満ちた。
 9ヵ月経った同じ日に、健康な息子がそれぞれの家に生まれた。二人は別々にサイババのもとにお礼に来たが、思いがけなく友に出会って、よい知らせを分かち合った。ゴパルダスもダムもサイババの足に触れた。それから、ダムは言った。「私たちは力を合わせて、一つのことをしようと思います。ヒンドゥ−もムスリムも一緒になって、ラムナバミを祝うつもりです。これからは、私たちはヒンドゥ−とムスリムのすべての祭を一緒に祝うことにします。」
 新しいマスジッド(モスクのこと)のイマ−ム(イスラム教寺院の司式僧)はこう言った。「はい、サイババ、私はシルディの全ムスリムを代表して約束します。私たちはあらゆるヒンドゥ−の祭に参加いたしましょう。」
 その時から、ヒンドゥ−とムスリムのあらゆる祭は、両方の信者たちによって祝われることになった。サイババもシルディの村民と一緒に、すべての祭に加わった。サイババの影響によって、すべての人々は宗教の違いを問題とせず、まず自分たちは人間だと考えるようになった。みなはそれぞれの宗教を互いに尊重した。かれらは全ての人を自分の親戚として遇した。おたがいに愛し合った。村人は平和のなかに暮らした。印度のどこを見ても、サイババほど、ヒンドゥ−とムスリムの統合に成功した人はいなかった。
 サイババは人類のすべてを愛した。それに倣って、彼の多数の帰依者たちは、宗教の区別なく全ての人を愛するようになった。


20.サイババの終焉

 何千何万という人がサイババのもとに来た。物質的な恩恵を求めて来た人も、その願いを叶えられた。多くの人たちは病人を治すためのビブチをサイババから貰い、失望する者は一人もいなかった。身体が麻痺した病人ですらも、ビブチで元気になった。
 1858年にサイババがシルディ村に来てから、約60年間にわたって、サイババはこの村に住んで人々に奉仕し、帰依者たちに素晴らしい教えを垂れた。
 1918年(大正7年)になって、タチャは病気になった。結核にかかったのである。彼の状態は日増しに悪くなっていった。それでも、彼は毎日ドワルカバイ・マスジッドにお参りをした。歩くのも大変だったが、彼は休むことをしなかった。彼は自分のことよりもむしろサイババのことを心配していた。自分の母の臨終の床で、サイババが一生タチャの面倒を見ると母に約束したことを、タチャは覚えていた。しかし、その病気は治りようがなく、彼は死を覚悟
大聖シルディ・サイババ小伝