1.はじめに
於天神930318/1251
インド総人口8億のうち5億人は飢餓線上にあるという。これは全世界の飢餓人口の50%に当たる。インドに生まれる嬰児10人のうち1人は生後1年以内に飢餓で死亡すると統計は告げる。世界で最も貧しい国はインドであり、アフリカはそれに続く。
神人サッチャ・サイ・ババは1926年(大正15年)に南インドのプッタパルティ村に生まれ、アフリカ以外には国外に出たことはない。彼は数え年96歳でその肉体を脱ぎ、同じ南インドのコ−ヴェリ川流域に、サイババの名において3度目の下生をすると、本人が予言している。
初代サイババはボンベイの近くのシルディ村に1833年前後に生まれ、1918年10月15日に没した。享年はほぼ85歳である。それから8年後に2代目のサイババの誕生となるわけだ。シルディ・サイ・ババについては、私がさきに著した「大聖シルディ・サイ・ババ小伝」を参照して頂きたい。
サッチャ・サイ・ババについては、すでに日本語訳で数冊の紹介書が出版されている。問い合わせは次の二氏にお願いしたい。

比良龍虎
141東京都品川区東五反田3−10−21
電話 03−3447−0408

渡部英機
799−23愛媛県越智郡菊間町種3145
電話 0898−54−3610

私は1993年2月に半月インドに滞在した。その大半はホワイトフィ−ルドとプッタパルティのアシュラム(霊的人物の住居)で過ごした。インド滞在中、毎日乞食の大群に悩まされ、インド人の貧窮をまのあたりに見た。乾期には種子を撒いても芽は出ず、どこまで行っても赤土の荒れ地が続き、禿げ山には緑がなかった。英国による百年の支配、回教徒による千年の支配とさかのぼり、ヒンドゥ−諸王朝が栄えたころ、あの国土がどうであったかは、私にはよく分からない。紀元前3000〜1500年のインダス文明において、ドラビダ人の市民社会がどんなものであったかは、ますます不明である。
サッチャ・サイ・ババによれば、アヴァタル(あえて印度人の発音を用いる)は世界中でインドにしか降臨しないということである。AVATHARとは、全在の神聖原理であって、人間の形を取ってもそれに制限されない存在のことである。
釈迦、キリスト、ムハマッドらはアヴァタルではないと言われる。アヴァタルは神が人になったGOD−MANであり、人が修行して神と融合した者はMAN−GODと呼ばれる(メ−ヘル・ババの解説)。釈迦は神に触れず、涅槃(ニルヴァ−ナ)を説いた。涅槃の原義は「吹き消す」であり、煩悩の火が消え、知恵が完成する悟りの境地を言う。イエス・キリストは己れを「人の子」と称したが、信者は彼を「神の子」と崇め、神を「天父」とした。ムハマッドは神アラ−の「使者」または「預言者」と自称し、神とのあいだに一線を画した。インドのアヴァタルたちはみずからを「神の化身」と認めた。ラ−マとクリシュナはヴィシュヌ神の化身であり、サイババはシヴァ神やクリシュナ神の化身である。 この小著においては、サッチャ・サイ・ババの生涯を年代記的には述べない。それは他の著書に譲り、「横顔」として、彼の言説やエピソ−ドをスケッチ風に紹介するに留める。そして、私に出来るかぎりのコメントと解釈を付す。しかし、サイババ体験は各個人のものであり、全人類がもし彼に会うことができれば、そこに55億通りの解釈が生まれると言ってもよいだろう。
私が折に触れ採用する原書は、なるべく原題と出版社名を掲げるので、能力のある人は直接原文にも当たってもらいたいと思う。


2.少年ラジュの変貌

サッチャ・サイ・ババが13歳の1940年10月20日に、かの有名な肉親との決別宣言をした。それは次のようなものである。

まことに知れ 私がサイであることを
あらゆる執着を棄て あらゆる企てをやめよ
あなたがたとのこの外面的な関係は消えた
最も強力な者も私を捕らえることはできない

以下はその頃のことを回顧したサイババ自身の述懐である。文中で「スワミ」とあるのは、サイババ自身のことである。
「私がウラヴァコンダに滞在していたころ、当時ベラリ−の市会議長をしていたラマラジュという人がよくスワミのもとに来ていました。そのころ、人々は私のことを単に"ラジュ"と呼んでいました。ラマラジュは私の兄のセシャマラジュに次のように頼みました。"どうか、この休暇中に、この子が私たちと一緒にいられるようにしてください。セシャラマジュ、彼をただの少年とか、あなたの弟とか見なさないで下さい。彼は普通の死すべき人間ではないのです。彼の顔の純粋さと輝きを見ると、私は強く感動し、心は溶けてしまいそうになります。彼のなかには神聖な光が輝いています。あなたもあの少年と一緒に来て、私たちと一緒に留まっても結構ですよ。"
「ラマラジュは私たちを全部ハンピに連れて行きました。これから私が語ることは誇張でも、エゴ的な吹聴でも、作り話でもありません。ハンピに着いてから、皆はヴィルパクシャ寺のなかに入って行きました。私は一緒に入る気がしなかったのです。しかし、もし私が一緒に行かないと、回りから圧力がかかることは分かっていました。皆は私に腹を立てるかもしれません。そこで、私は胃の具合が悪いと仮病を使いました。そのグル−プは50人か60人くらいでした。タミラジュたちもその仲間にいました。しかし、ラマラジュはスワミと心を一つにしようとしていました。彼は私の手を自分の手に握りしめると、何度も私に恭しく懇願しました。"どうかラジュ、私たちと一緒に来てください。"私がどうしても行かないと言い張ると、彼は本当に困ってしまい、不幸な面持ちになりました。それから、ハラティ(樟脳の炎を打ち振る儀式−−訳注)が神殿の奥に祭られたヴィルパクシャ神に捧げられていました。しかし、皆が驚いたことに、神像の代わりにラジュの姿だけが見えたのです。セシャマラジュは怒りました。弟の私が皆をからかっていると思ったからです。私が外にいるようなふりをして、実はこっそり神殿に忍び入って、神像の後ろに立っていたと考えたのです。
「何という過ち、何という冒涜か!」と兄は思いました。選りに選ってハラティの神聖な時に神像に成り代わるとは!と激怒したのでした。しかし、ラマラジュはそこにいるのはラジュであって、ラジュとヴィルパクシャは同じものだと、固く信じました。
「兄セシャマラジュはすぐに外に出て、私が木の下に立っているのを見つけました。しかし、彼は自分の目を信じようとしませんでした。彼はそのまま私を見張りながら、別の人に、寺のなかに入って私がいるかどうか見届けるように頼みました。ところが、皆が喜んだことに、ラジュは外にも中にも同時にいたのです。それでも、かれらはそれを私に言
神人サッチャ・サイ・ババの横顔