神人サッチャ・サイ・ババの横顔
昔、アメリカの太平洋岸に住んでいた哲学者・神秘家に関口野薔薇という人物がいた。昭和30年代には私と文通ができたから、ご存命であった。その関口氏が「キリストは大霊媒であった」というショッキングな題名で著書を出したことがある。キリスト教会にとっては、爆弾のような宣言だったに違いない。
イエス・キリストは悪霊を追い出すエクソシストでもあった。悪霊を豚の群れに移してから、その豚を崖から追い落とすこともあった。青年時代のイエスは、後年円熟してイサと呼ばれたころと比べると、きわめて厳しかった。神父や牧師はここのところを避けるが、イエスは明確にこう述べた。「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに。こうして、自分の家族の者が敵となる。」(マタイ伝、10:34。)
また、イエスは弟子に「地上の者を"父"と呼んではならない。あなたがたの父は天の父おひとりだけだ」と教えた。しかし、カトリック教会ではファ−ザ−という名の神父は無数におり、教皇はPOPE(父の意)であり、信者はパ−パと合唱する。
イエスの父は天にいた。そして、関口野薔薇は、イエスは天父の霊媒だとしたのだった。教会では「中保者」という言葉でイエスを規定することがある。しかし、霊媒の原語は英語ではMEDIUMであり、これにはもともと「媒介物、媒体」という意味しかない。イエス・キリストも神を人につなげる媒体ではなかったのか。神の言葉の通訳と言ってもいいだろう。
霊媒は意識不明になるのが通例である。エドガ−・ケイシ−は自己催眠によって霊媒役をしたが、覚醒すると何も覚えてなかった。中山みきも、初めのうちはそうであったが、親神との一体度が増すにつれて、明瞭な意識のまま神言を取り次ぐようになった。しかし、それには前に述べたように「刻限」があって、そこが留置場であろうと、刻限が来ればカミコトバは滔々(トウトウ)と流れ出てきた。苛立った留置場の巡査は、老婆を裏の井戸に引き出して、冬の最中に冷水を浴びせるという残酷なことをした。それはみきの命を縮めることになった。
道はさまざまである。イエスの道が中山ミキより優れているとか、サイババの道がイエスの道より上だとか、そういうことが好きな人は言い立てるかもしれないが、私は愚かしい比較だと思う。人にはそれぞれの道があり、「神芝居」において、どの道も同じように不可欠な役柄から生まれるものであり、神の目からは高下の弁別はないのである。
天理教祖は新しい宗教を建てるつもりはなく、ただ「お道」と呼んだ。弟子たちが生き残るために「天輪教」のちに「天理教」として宗教法人にした。ベルグソンの言葉を使えば、「動的宗教」(神秘主義)から「静的宗教」(組織、教団)に移行したのだ。
ヒンドゥ−教社会にはババ(父)が掃いて捨てるほどある。しかし、どんなエセ行者であろうとも、その人をグル(導師)とし、ババ(父)として慕う信者たちを軽蔑するわけにはいかない。それぞれが、魂の進化の道程において、ある「段階」におり、一つの「学校」で学んでいる。そのステップを踏まないと次の段階に進めないのではあるまいか。サイババは金儲け専門のヨガ教師を厳しく批判することもあり、「今やっている宗教や行法を真剣にやれば、それでいいのだよ」と優しく説くこともある。どちらが本当だと気色ばむこともあるまい。応人説法であり待機説法であり、仏教では「応病与薬」とも言う。
アヴァタルは印度以外の国には出生せず、釈迦はアヴァタルでなかったというようなサイババの発言も、どこかのグル−プには悶着を起こすだろうし、イエス・キリストは「神の部分的顕現」であると主張するサイ帰依者は、当然キリスト教会内に敵を作るだろう。論議は論議を生むが、そういうことは別にして、われわれ一人一人は、やはり今日も己れの道を行かなくてはならない。
しかし、天理教祖の場合もそうであったように、「道」が突如として変わることもある。前に引用したが、土埃りのカルマ道を走る車も舗装道路に出れば、もう埃りをかぶることはない。薬瓶の譬えのように、カルマには有効期限があるとサイババは言った。恩寵によって、カルマや因縁は解消され、埃りの立たないアスファルト道の快走もできる。泥道からハイウェイに出れば、それは「道」の変化である。そういうことはあろう。だから、形式としては「個人の道」は固定できない。しかし、心においては、いつも同じ真心の道しかあるまい。その道はダルマの道である。


30.おわりに

この小著は、直前著の「大聖シルディ・サイ・ババ小伝」と同じく、無謀なものだったかもしれない。構想を練るでもなく、紆余曲折しながらも、「気」のままに流れてきた。身近な人たちに読んでもらうという素志から、引用した諸家あるいはその著作権保有者の許諾も受けずに、自由に種々の書物の内容を役立ててきた。もちろん、専門の出版社の手によって多くの読者の目に触れることは私の幸いとするところである。そのような場合には、出版社のほうから正規の手続きを取ってもらって、著作権問題を解決して頂きたいと願っている。
それまで、この本のコピ−プリントを少しずつ作って、縁のあるかたがたに贈ろうと思っている。いつそれが届くかは私の資力にもよるが、いずれにせよ、「神の最上の時」にこの本があなたの手に渡ることを祈り、かつ信じている。
サイババに関する日本語訳の書物はまだその数が少ないが、前掲の比良龍虎氏、および渡部英機氏(799−23愛媛県越智郡菊間町種3145 電話0898−54−3610)に連絡して若干の書籍・テ−プを取り寄せて頂きたいと思う。
私としては、これからも私家版として「サイババに関する本」を書いて行こうと念願している。
 また、今後インドに渡ってサイババのダルシャンを受けたいと希望するかたがたは、シュリ サティア サイ センタ−東京支部に連絡して、必要な情報を手に入れるとよいと思う。また、私にご相談になれば何程かの助言を差し上げることができると思っている。
私への連絡は下記にお願いする。
ご精読に感謝します。
                           AUM SAI RAM!

(879−69 大分県大野郡清川村天神・十菱 麟  電話0974−35−2140) 完 
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