山岸会にいたころ、私とこの女二人で、福知山あたりから山陽地方まで旅をしたことがあった。途中、ある青年がZA中のカズコの腰のあたりが豊かなところに魅惑されて尾行してきたことがあった。私はその青年を宿の私の部屋に上げて、本気かどうかを尋ねた。カズコはその男を嫌っていたが、私は二人で徹底的に話し合うようにと言って、オリコと別の宿屋に移った。カズコは青年を追っ払ったのはいいが、私の愛を疑ってそのまま行方不明となった。私は心配しながら、オリコと旅を続けたが、瀬戸内海沿岸に下りてから汽車に乗っているうちに、急に福山で下車したくなって降りた。ああいうとき働く感覚を私は「脳内レ−ダ−」と呼んでいたが、頭のてっぺんに気を集中すると、脚が勝手にうごくのである。知らない街の小道をスイスイと歩いた。表面意識ではカズコのことなど考えていない。ある喫茶店の前でふと脚が止まった。そこへカズコが出てきた。「あら、とうしたの、先生!」「君こそ、なんでここにいるのだい?」カズコはその喫茶店のレジで働いていた。彼女は一人旅で福山に下車して途方に暮れていたら、ライオンズクラブの紳士が近寄って、ホテルを世話し、破れた古靴のかわりに赤い可愛い靴を買ってくれたという。男の知人(女)が経営していたその喫茶店に就職させてくれたとのことだった。その資産家のライオンさんは私と奇しくも同歳で大正15年生まれだった。その夜、店が終わってから、そのライオン氏と喫茶店ママ、私とカズコ、オリコの計5人で話し合いがあった。ライオンは私を散々責め、カズコへの未練たらたらだったが、彼女がはっきり私を選んだので、元どおりの男一人女二人の旅に戻った。毎夜、私はカズコを抱いて休み、オリコは座敷の隅に眠っていた。
 福山のホテルで、弱い立場のカズコはライオンに迫られて身体を許し、その一晩で妊娠していたことが彼女の秘密だった。だから、オリコからの禅譲は受けられないという事情だったのだ。私はライオンの子でも私の子として認知するよと言ったが、やはりカズコは良心の咎めか東京の両親のもとへ帰った。あの妊娠がなかったら、カズコは今も私の妻であり、その後の私の運命は大きく変わっていたことだろう。
 そのカズコと初めて盤珪の龍門寺にお参りしたという話に戻る。年配の寺僧は丁寧に寺内を案内してくれた。眼光炯々たる禅師の自彫木像に私は衝撃を受けた。その眼は確かに生きていた。それは、今から思うと、今年2月18日の朝8時に、プッタパルティのアシュラムで私を見据えたサイババの「大凝視」と同じものだった。
 非難や叱責を越えた不思議な眼である。私の過去・現在・未来を徹見する神仏の眼だった。


13.一切事が調うか

 「一切事は不生でととのう」というのは本当だろうかと、昨夜就寝前にOMを唱えながら瞑想していた私は、考えるともなく考えていた。「なにも思わぬこの心」という不生の仏心だけで、娑婆のすべてが片付くのだろうか。これだけで、私に翻訳仕事をどこかから持ってくるような知恵や才覚、または天の摂理が働くのだろうか。たとえば、神が東京の或る医学博士に働きかけて、「豊後のリンという者にお前の論文の翻訳をさせなさい」と囁いてくれるものだろうか。神仏はそういう下世話のことまでも面倒を見るものだろうか。もっと高尚な悟りとか神人合一とか、そういう目的にこそこの仏心とやらは働くのではなかろうか、などど思った。
 サイババはどんなことでも「求めよ。神に求めるのは人の義務」と言った。キリストも「一日の糧を与えたまえ」と堂々と祈るように命じた。「悟りを与えたまえ」以前に、貧乏人には子供たちに食わせる10キロの米と亭主に飲ます1本のビ−ルが必要である。
 盤珪は「一切事」と言った。自分の悟りだけのことではなく、庶民の一切の悩みを解決する「何か」を手に入れたようである。
 ある人が持病の苦しみを禅師に訴えたことがある。「数日絶食し、頭痛強く、気分甚だ悪しく、このときには手を出し、枕のゆがみを直すこともならず」という人だった。その人が嘆くのに、「平生気分快きときは、法のためには身命を捨つべし」と精進をするのだが、持病の発作が起こると、どうにもならない。「大限到来」(臨終のこと)しても、その時に力を尽くすこともできず、どうしたらいいか前途が真っ暗です、という悩みだった。禅師は答えた。「気色本復の時はなんとあるぞ。」本復の時はいつもと同じですと申し上げたところ、「それでよいわ」のお示しのみで、あとは何もおっしゃらずであったが、ある不思議な魂の化学変化とでもいうべきか、その道心深き人はそのまま分別の相を離れ、さっぱりとした心境になったという。
 やはり、これは言葉ではない。眼には見えない法力のようなものが働いて、盤珪から弟子にその気が流れるのか、弟子自身の内部から活力が噴き出すのかは分からないが、言葉を越えた何かが作用するにちがいない。
 生長の家では「人間、神の子仏の子、実相円満病気なし、貧乏などはさらになし」で人々を救うと言い、創価学会では「南無妙法蓮華経を百万遍となえれば、どんな苦難も消える」と説き、キリスト教では「原罪を悔い改め、人類のために死んでくださったキリストを受け入れれば天国に行ける」と教える。こういう言葉や教理は尤もでも、それを機械的に反復するだけで人類は救われるのか。仮に私が盤珪のまねをして、「不生の仏心、これ一つでござる」と触れ回ったところで、人々は私をキチガイと思うだけだ。言葉を生かす「人」が主人公だ。白隠の時代には、盤珪の弟子や孫弟子が不生の仏心という言葉ばかりを後生大事に持ち回っているだけで、そこに魂も生命もなかったので、あのように白隠は罵ったのであろう。鈴木大拙は悟りの人というより欧米に禅を広めた学僧だったが、彼のおかげで後世のわれわれでも盤珪の肉声に触れる想いができる。大拙は円覚寺で大学生の私を玄関払いにしたが、その後も私は懲りずに彼の講話の席に出かけた。しかし、得るものが何もなかったのは、盤珪と儒者の関係のようだった。
 「風のもてくる落ち葉」で、愉美子は高校生二人の費用を賄うことができた。それも不生の仏心の効用であろうか。
盤珪不生禅