主筆・十菱麟の言上、以下のごとし。(941031・1913記)

 長らくご愛読賜りまして有難うございました。10月17日より行く手さだめぬ旅に出て、今は奈良県天理市豊井町309−1・朝倉詰所の庇(ひさし)を借りて、露の命を保っています。本文中の事情によりまして、私は大和(=奈良県)の住人になり、あと波乱の3年間、日本民族と運命を共にします。印度移住は1997年に延期しました。詳しくは、池ノ谷和典先生(852長崎市住吉町2−22武田ビル2F・電話0958-43-7110)にお問い合せください。
 愉美子とその六児を励ますお便りを送ってやってください。

愛を語る人よ!
                                       在天神941017/1206
 からっとした秋日和。日曜日なので、和平(小4)と音仁(中3)はファミコンで、またもや勝ち負け遊び。嘆かわしい風潮ですが、如何ともしがたい! 今頃、インドの子供たちの半分は小学校にも行けずに、親の仕事の手伝いをしたり、乞食という正業にいそしんでいることでしょう。こういった子供時代の体験の大きな相違は、あと20年も経ったらどのような国家間の相違を生むのでしょうか?
 日女(小1)は、長い風邪をこじらせて、今朝から38度の熱、吐いたり戻したりしていました。愉美子の予想では、今年はカラカラ天気だったから、インフル工ンザがひどいだろうとのことです。新種のビ−ルスも発生するでしょうから、予防注射も効かないのではないかと。私は昨日から、ハワード・マーフ工ツトの『旅路の果て』の邦訳に取りかかっています。正午までに原書で15ページを仕上げました。全体で280ページくらいの本だから、一日15頁の速度だと、40日で完成ということになりますが、来たる22日には長崎県諫早市で「香縁会」があるし、今日も来客があるので、予定どおりには行きますまい。とにかく、相当の多忙が予想されるので、『天神だより』の10月号の発送もまだ済んでいないというのに、11月号の原稿を書き始めています。
 風船カヅラの種子は10月号の封筒に入れつつありますが、まだ不足の模様。東窓の外
を見ると、まだ幾つも風に吹かれてフラフラしています。足りるかもしれない。10月号発送部数は全部おおよそ800と、愉美子は言っています。「99サイババ渡印旅行団」の人々や、各地「香縁会」の出席者、御嶽山10月「月会」参加者などに送っているので、正式申込者の2倍ほどになっています。なかには、「組識は大嫌い」という人もおり、「これ以上、リンサンの本は読みたくない」という人もおられるので、容赦なくハガキで「送付停止たのむ」の申し入れをしてください。また逆に、漏れなく毎号送ってもらいたいというかたがたは、この際、正式申し込みをしてください。ワープロ入力の都合上、住所氏名にはフリガナを付け、電話番号、郵便番号、職業、生年月日を併記してください。用紙はハガキで結構です。
 さて、「愛する人よ」と呼びかけましたが、私の言いたかったことは、愛とは「猫撫で声でなにやら優しいことを言う」とか、「誰を見てもニコニコ・ニヤニヤする」とか、「せいぜい善行に努め、今日も善いことをしたワイと、安らかに床に就く」ということだけではないと、

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天神だより
終刊号・1994年11月
私はまえまえより信じているからです。激しく厳しい愛もあります。サイパパの写真はともかく、ダルシャンのときの彼には峻厳たる雰囲気があります。平気で人々を無視するし、差し出された手紙を受け取ううともしないスワミには、神の厳しさが充分に表われています。
 私は今年の春、四国で渡部英機さんに駅で会ったとき、ものも言わずに彼の眼鏡を奪い取り、それを線路の上に投げ捨てました。私は彼を愛しているが、その愛の表現がたまたま、そのような形に表われただけです。その後、彼からは絶交の宣告がありました。猛悪の大敵をも愛するということなど、地上の人間の誰にもできることではないでしょう。神愛の化身だったイサ・キリストですらも、頑迷の宗教指導者に対しては「汝ら、マムシの末裔よ!」とか「汝、白く塗られた墓よ!」とかの罵倒を浴びせて(5字不明)かし、教会の牧帥や神父は、そういうキリストの凄愴面を無視して通ります。
 愛の美名のもとに、私lこ禁酒・禁煙・禁性を説教する人があとを絶ちません。私は無視
します。私はインドで処女を娶る計画を捨てていないし、酒・タバコもやめやしないし、他人様への悪口も平気でします。陰口は叩かないにしても、正々堂々と相手を論難します。偽キリストや偽宗教指導者への論駁は、これからの動乱期には、ますますその鋭鋒を研ぎ澄まさねばなりません。
 仮に、私が心身ともに聖者のごとくに装いを凝らしたら、いったい、日本人の何割が私についてくるでしょう。99.99・・・%の人はリンサンを敬遠して、どこかに去ってしまうでしょう。私は生き神様などに祭り上げられるのは大嫌いです。私のどれかの名刺の肩書きに「無始而無終祖」とありました。誰の継承者でもなく、将来どんな後継ぎも作らぬ「おや」という意味です。イチ同胞団というのは、地球人類社会そのものの別名ですが、人々はこれを一つの小さい組織と思い違いしています。それはそれでいい。人々に理解を求めるのも、今は無理です。30代lこ「AZ同胞会」をやっていたころ、私ほAZシリーズの一冊に、「私が70歳になるまで付いてきてくれる人は幸せだ。しかし、そんな人はいないだろう」と書きました。その70歳も2年後に迫っています。
 愛は形ではない。愛は心です。そして、その心は神変不可思議な無限数の様相を取ります。有限の形を捉えて愛を規定しようと思っても、追いつけるものではない。形だけの愛であるならば、どうして神は、インドの疫病で40万人を殺したり、この現在、世界各地で起こっている殺し合いや餓死などの悲惨を許すでしょうか! この世のすペてはマーヤ(幻妄)です。マーヤは影でありますが、影は光あってこそ生じるもの。マーヤを見て、神の生身(なまみ)を観じ、神の栄光を賛美するところまで行けば、その人は堂々と「愛」を語る資格を得ます。それ以前の感傷的な「愛の談義」は鼻くそのようなもので、神の烈風で吹き飛ばされてしまいます。

四拾から

 孔子さまによれば、四十歳は不惑ということです。私が不惑の齢に達したときは、武州府中lこ間借りをしていて、7月15日の誕生日から旅に出ました。当時の妻オリコと老女七曜と、物故した愛人マサコの遺児、マリヤを連れての無銭旅行でした。七曜は高知県の農協理事長の妻でしたが、三角関係の苦悩に耐えかねて、私の所に来て修行をしていました。ひと回り上の寅だったと思います。七曜がマリヤをおんぶして信州まで旅をして、私たち小旅団は富士吉田の浅間大社の境内lこあった宿舎に暫く休んでいました。生活はオリコと七曜の托鉢に依りました。60歳になっていた私の母・敏子も東京から避暑がてら甲州の夏を楽しみに来ました。「富士山によく似合う」と桜桃忌の小説家が書いた

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