“気人間”
                                   在明日香970722/12006
 私が幼いときから“気人間”だったことは、知る人ぞ知る。“気人間”でなければ、小学校一年の学芸会で、自作の戯曲を演出して、父兄からヤンヤの喝采を浴びたりはしない。ところが、学校に通いだしたら、どんどん“気”が鈍ってきた。これは、あなたがたの周囲の子供たちにも見られる現象のはず。学校に上がる前はとても良い絵を措いていたのlこ、小学校1年、2年、3年と進むうちlこ、まるで平凡lこなり、どこの誰でもが描くような絵しか描けなくなり、本人も絵画そのものに興味を失ったという実話はどこlこでもある。これはもちろん、教師が凡庸であるためでもあるし、文部省から天下りの管理主義的教育が、子供の自発性の芽を摘み取ってしまうからでもある。昔は自由学園といういい学校があった。羽仁もと子さんという秀れた自由人(善カルマのお陰で、あれほどの自由性を発揮した)が創設し、キリスト教に基づく自治的生活教育を実践した。自由といっても、野放しのそれではなく、ダルマ(倫理・道徳・法律など)をしっかり守っていた。ダルマというものは、守れば安心で、人生上余計な脱線をしないでよいものだ。これも神さまからの賜物。とにかく、あの学校からは羽仁進という映画監督が出た。

 私がクリアした学校はみな名門lこは違いないが、知識の詰め込みで“気”を駄目にするので有名なところばかりだった。これもあちこちに書いたが、私が東京一中の2〜3年生のとき、ふっと隣席の菊地央君の名前を忘れてしまい、数学の授業中だったにも拘らず、アイウ工オ五十音の繰り返しで必死lこなったが、結局キクチ君の名前は思い出せなかったという話。今の私だったら、「君、名前なんというの」でもいいし、彼のあとを尾行して、誰かが彼lこ「おい、キクチ!」と呼びかけるのを待つ。とにかく、彼の名が度忘れで出てこないということは、それほそのままでいいのだ。度忘れ現象は、記憶作用の神秘性とつながっており、すこしくらいは、その解説をどこかに書いたことがあるような気もする。

 とlこかく、事実関係を拾えば、その後1〜2年記憶ノイロ−ゼになっていたが、学業成績lこは影響なかった。学校のプールで泳ぐ級友のフグリが日増しに大きくなるような気がし、実際に彼らの腋毛や臑(すね)毛は、私のより遥かに男らしく黒々としていたので、オンナみたいlこ色が白く、陰毛も碌lこ生えそろわぬという私は、大いなる劣等感を持った。青春期はみなあんな体験をするのかもしれない。私も高校に入ったころになって、どうにか、精神的バランスを取り戻していた。
 それlこしても、今回急に足腰が利かなくなり、家の中を這い回るようなことになって、まったくのパニックを起こし、二度目の老人ホーム入りを申請すると同時lこ、25年の連続飲酒をやめたくて、「おやさま」lこ死lこ物狂いの接近をしたことは第一号に書いた。
 あのころ、中村重雅君の報告によれば、私がちょくちょく神憑りになり、そのひとつで、私の前世がナライト(「おやさま」の側近の女性)だとロ走ったとのことである。けさ、そのテープを聞いて、「へ工ツ!」と驚いた。そのことをすっかり忘れていたからだ。それなら、私の腋毛が若いころでも5〜6本、今は擦り切れてゼロ本という体質の由来もわかる。また、霊的結合をした「おやさま」が私に格別lこご親切であるわけもわかってくる。

冷房なしの橿原園
                                    於橿原園960726/1216

                        −3−
 白橿町に近い、丘の上の老人ホーム橿原園lこ、すでlこ2泊している。95歳をトップに、老女がゾロゾロ。平均年齢は80歳半ばだろう。私などぺエペのほうで、95オウナがもし
25歳のときに私を生んだとすれば、私がその息子lこなるわけだ。
 ご飯が美味しく、私は子供のころのように次の食事を待ち侘びる。実際、食卓lこ着くとご飯のお代りを三つもしたりする。夜中の2時に目が覚めて、あと眠れず、空腹と戦うの
は苦しいものだ。今日はまた、荷物を取りにアスマン(明日香マンションの略称)に行くが、パンと煎餅は必ず買わな<てはいけない。つなぎのためlこ。
 アスマンは契約上はまだ、私が借りていることlこなっているが、この身体では自炊はもう無理と判断している。

42−8616
                             在ホ−ム960726/1667
 東京の世田谷で事業を始めたとき(私の30代半ぼ)、苦労して手に入れた電話番号が上に出ている。そのころは、局番の(42)を誤魔化したが、最後の4字だけ、「ハロ−、ヒーロー(英雄よ、今日は)と世間lこ覚えてもらった。
 今日、アスマンに感熱紙を取りlこ行ったところ、またジャックスの請求書が来ていた。
「29日までlこ8616円を払え」とのものだ。その数字をボンヤリ見ていたら、世田谷の電話番号がそのまま金額lこなっていることに“気”がついた。多少の揺れ、および感動あり、「オーイ、英雄よ。老いさらばえたと言ったとて、僅か8616円くらい、払ってやれよ、ケチ」という風にも聞こえて<る。向こうの催告書には、いつもの通り、これを払わないと、出るところlこ出てもらうという脅し文句が入っていた。
 私を脅したって仕方ないのだ。いつか、素直lこ民事法廷lこ出てやったほうがいいかもしれない。完全に支払い能力のない人間を、裁判官はどう扱うのかしら。私の老人性痴呆症を証明する医者の診断書でも貰っておいたほうがいいのかもしれない。
 こちらlこ来ても、アスマンでのアアアと同じ溜め息が出る。根本的lこは、何も変わって
いないのかもしれない。しかし、本当のウツは郵便局にも行けなくなるほどだが、私は身体の痛いことさえなければ、誰にでも会いにゆく。躁鬱症とは違う。
 あれ、待てよ。「さっき8616を払おう」という“気”を少し出した瞬間、私の脱肛がスツと引いた。歩いていても、座っていても、痛くないのである。脱肛は便秘lこ付き物だ。その便秘のほうは、1週間も10日も続いているらしい。私は面倒だから、日数をかぞえてもいなかった。便秘をそのままにしておいて、食欲の異常増進があったり、脱肛の軽減があったりする。訳のわからない現象だ。「呼ばれ」ている。5:42PM。「死に」で祈る。
 またワープロlこ向かった。6:42PM。数霊の神さまは「死に」を強調なさった。8616の冠として、二回も。

両手の指先の痺れのために
                                     於橿原園960727/1028
 アスマンでは、読売新聞のページ開きも困難だったが、ホームlこ来ていささか回復したのか、割にラクにめくれて嬉しい。それにしても、あまり新聞を読まないから、ヨミウリ
は断ってしまおうか。
 娯楽室で気づいたが、歌詞は無理にしても、以前に覚えた音楽のメロディーは案外正確lこ記憶している。気分のいいときには、鼻唄をやっている自分。今日は白雲がポカ

                       −4/18−