ポカと出ている。洗濯物を取り込んでこよう。

旅lこゆきたい
                                    於橿原園960727/1120
 足の甲が痛くてたまらない。ちょっと打撃を与えると内出血を起こす足指のあたりにかけて、何かしら痛い。よく調ペると、手の甲lこ怒張して出ている動脈と似たようなものが、足の甲にも出ている。これはもう、闘病日記、さらに言えば「死を見つめる日記」lこなっている。
 たしかあと3分後の11時半が昼食の時刻と思うが、記憶に自信がない。今まで分かっていたつもりのことが、あな怪しくなってくると、万事心もとない。
 去年から、いやもっと前からかな、私はタチの悪い要介護老人になっていたようだ。チャイムが鳴った。しょうがない。歩こう。
 [0729/0945後記−−ここは私の落ち着く処ではないという“気”が強<なってきた。でも県内のあちこちのホームに旅をしたい。どこかに、「おやさま」がこのオコリンボを落ち着かせる宿を用意していてくださると信じている。0804/0003後記
−−この可能性絶無と判明。私は福祉の乳房を捨てる。]

オヤサマ、危ない!
                                     於橿原園960729/1022
 朝っぱらから、腹を立て、不足を言い、他人の陰口を叩き、もはや散々の目lこ遭っています。朝食のときlこ、皆が斉唱する「誓いの言葉」lこは、よい心がけ(ダルマの徳目)が沢山入っていますが、誓ったとこうで必ず破れるのにと、私は「誓い」という言葉にまず引っ掛かりました。どの人を見ても、朝食が終われば、たちまち猛烈な陰口と憎みの表現を始める。それも声高々と。そして、そういう老醜の人々を、私は強く枇判していました。ダルマ(徳目)は、これを易々と守れる人もいるし、その逆の人もいます。私は愛と真心の寵らない形式的道徳を無視するというところから、AZ以後の人生をやってきました。ダルマの存在価値がよく分かっていなかったのかもしれません。あるいは、少なくとも私だけは、ダルマ無視の人生をやろうと決めたのでしょう。その結果は、今ご覧のとおりの人生結末(あるいは展開)となっています。私は『明日香だより』で、人の悪口と批判を公然と行いました。しまいには、サイババの否定まで始めました。今、このホームという狭い狭い社会lこ来て、改めて、形式ダルマを守らないと(たとえば、食卓で菜箸を使わなかったら)大変だということがよく分かりました。老女たちは忽ち怒り、こんどの新入りは無作法な奴だという風評が、園内にひろがることになるのです。「半拘束の老人ホームにリンサンが収まるかな」と言った友の言葉を思い出します。
 とにかく体力がついたのだから、福祉の命令どおりlこ、30日lこはここを出てアスマン
に戻らねばなりません。そして、一人になって危ないのは、まずお酒です。オヤサマの「消酒」法において、「飲むなとは言うておりまへんで。飲みたいときは、どのようにでも
飲んでよろしい。ただ、こちらの神側からは、“消酒”の神水をドンドン送りますんやで」
と言われたことが大きく引っ掛かっています。オヤサマの恩寵を、私のほうで勝手lこ、
断酒会で覚えた「工ゴ意志lこよる断酒」lこ、切り替えて固定してしまうからです。
 あす30日は、最後の夕食までを頂いて辞去しようと考えています。意地汚いようです
が、それほどここの食事は美味しいのです。全員黙々と、それがあたかも聖なる行であるかのごとく食べています。
                        −5−
黒い雷雲が南のほうから
                                    於橿原園970729/1455
 迫ってきた。雷雨を皆が期待しているが,外れても、それを淡々と受けるのが、人生の達人。宝くじに大期待をして買う人は、やはり少し可笑しいな。私は若いときから、あれにはあまり興味がなかったが、よほどその気になっても、一枚買うのが関の山だった。ギャンブルにも深入りしなかったのは、僥倖と射倖に関心がなかったからである。
 しかし、ZA中lこ、不思議な助け(奇跡のこと)があることlこは気づいていた。本当に
私たちが切羽づまって、雪中の深夜lこ泊まり場を失っていたりすると、不思議な救いの手が出ることは事実だった。しかし、その「手」は、私たちが貯金することを許さなかった。私たちほ貯め込み根性を出して、一二度、郵便貯金を設けたこともあったが、その溜まり額は必ずいつか「神の手」で吸い上げられることがわかったので、そのような「貯め込み根性」を捨ててしまった。その日はその日かぎりのZAが続くのだった。「今あればよし」は、私が受けた神言のなかで一番難しいが、現実ではいつもその通りだった真理だった。
 今の私はどうだうう。生活保護費という最低限の定収入がある。それを補う不時の収入(たいていは寄付金)は、福祉から金額の公表を迫られている。その額だけ、支給額から減らすことを、彼らは考えているのである。私は福祉への依頼根性があるために、それを何となく拒絶または一日延ばしlこしてきた。
 今朝、ふと財布を見たら6万もあった。6は受け身・謙虚の数だ。私は請求書どおりに払おうと思い立ち、タクシーで南都銀行lこ行った。帰ったら、お札は半分の3枚lこなっていた。往きのタクシーで、運転手から「歩かなきゃあきまへんで」と強い調子で注意された。私は6の素直さで受けて、銀行からテクテク郵便局まで歩いた。そこで、小学校唱歌の月賦を8月、 9月分と払った。
 オヤサマにお伺いした。「先の月まで払いすぎですか?」
 「そんな小さいことはどうでもええんやで。滅多にこの郵便局には来られんのじゃろ。よしよし。」
 しかし、だいぶん、体力に限界が来たので、神宮前駅からタクシーに乗ろうと思った。
歩いてゆくと、右側に喫茶店があった。「ご褒美だよ。涼んでおいで」と言われ、350円のアイスコーヒーを注文した。500円玉を置いて、「おつりを先にね」と言った。ママは喜んでいた。傍のテーブルで若いサラリーマン風の男が、日替り定食を食べていた。以前の私なら、半分しか食べられなかった代物である。私はその皿を見た。食べられそうである。私の胃袋は拡大した。

ボケ文学は可能か?
                                      於橿原園960729/1548
 四八32やな。濡れ手でアワとゆくかもしれん。32は僥倖運とされる。
 日常生活での私はひどいボケで、先ほどもポットにお湯を汲みに行ったが、老女たちに次々のご注意を受けた。「ポットのお尻は、そこにある雑巾で拭くのですよ。そうすると、床lこポタポタと落ちません。」もう一人からは、「出口からこぼれないようlこ、少し斜めに持ちなさい。」ハイハイと言うばかりである。何も知らぬ独身男lこ、老女たちが寄ってたかって、教育してくれる。うるさいと思わず、有難いと受けよう。
 しかし、ボケや麻痺が足と脚に来ており、手の指も先が痺れている以上、頭のボケも当然進んでくるだうう。新聞やテレビや図書lこは、おしなべて興味がなくなっており、当園の老女たちがお待ちかねの「暴れん坊将軍」が、今夜あるよと知らされても、前ほどは気が動かなくなっている。世間全体への関心が薄れているのだが、アトランタでテロがあったと聞くと、私の神経はピリツと締まる。
 私はもともと今の社会の壊滅的大変化を予言することで、世に出てきたところがある。

                        −6/18−