徹君(電話0727−24−7694)。自由価である。

とそこまで書いて読み直したら
                                       在明日香960804/1847
 まだ1ページあると“気”がついた。これもボケの一つであううか。(後記・結局あと2頁欲しかった)
 美しく静かに老いてゆくlこは、清貧に甘んじること、それから白雲をよく仰ぎ、コオロギと一緒lこ歌をうたい、買い物をしたら荷物を忘れてくること。
 この最後は、愛神サカヰさんの身にも起こり出していると、今しがたの電話で拝聴した。 愛神詣では、大阪の人がよくやっている。最近は妙真マツシタ君、安達勉さん、松嶌徹
さんなど。「だれlこ一番アイシンさんの心が通じますか?」と尋ねたら、言下に「妙神さんですね」の答えが帰ってきた。
 酒井愛神さんは巳年だから、戸籍のお名前は酒井克巳である。私の弟・珠樹は昭和5年生まれの午。ミはウマより一つ年上となる。
 しかし、買い物で受け取った品物をそこlこ置き忘れ、「あ、もしもし、お客さん!」の声lこ追われたのは、私の場合、30代から度々であった。きっと、30代からボケていたのだろう。この頃だって時たまやるが、若いときに比ペて、特に回数が増えたとも思えない。やはり、ヘンジンかな。

次のミニ「私家版」(16頁)は
                                      在明日香960804/1857
 けさ早くから、地区の保護司の方が見えた。東から日光がそそぐ6畳の客間は暑いの
で、DKのほうに寝ござを敷いてお話をした。
 用件は、私が身元引受人lこなっている村井英人君(昭和21年生まれ)を引き受ける気
持ちに変わりはないか、という確かめだった。「模範因で仮出所を許された場合、刑務所
まで迎えに出ますか?」との質問lこは、次のように答えざるをえなかった。「僕は生活保護を受けているので、そのとき旅費があったら行くし、無ければ行けません。」保護司は、
その点は官費でなんとかすると答えた。
 2DKのこのアスマンを見て、保護司は次のように言われた。「村井英人さんが帰ってくると、ここは少し狭いようですね。広いところlこ引っ越ししたらいいですよ。」わたし、「福祉のきまりで、家賃3万8干円以下の所に住むようになっているのです。ここは、その限界をオーバーしているので、もっと安い家に引っ越ししろと催促されておりますが、なかなか
無くて困っています。それに敷金を出す余裕がありません。」
 村井英人君が労働でもやって、お金を貯め、彼の資力で「広い家」を確保したら、私は
そこに引っ越しして、間借り人lこなることはできそうだ。引っ越し料は福祉が出してくれると言ってた。
 でも、他人と同じ釜のメシを食うという関係になると、福祉のカネをどう使っているのかと、その辺がややこしくなる。清川村時代、愉美子母子は生活保護を返上し、私だけが保護を受けていたことがあった。炊事洗濯などの家事は愉美子がやっていた。私は生活保護費をそっくり愉美子に渡した。自分のものは自分のもの、他人のものは他人のものとい
う官庁的思考法lこ、「一体生活」(ヤマギシカイ用語)は馴染まない。スッタモンダの挙句、どうにか収まったが、本当は下宿代としてコレコレ万円を愉美子に支払うというような契約書が必要だったみたいだ。光熱費の人数割り負担とか。
 あああ、とやはりこの辺で、ひとつ溜め息。

                       −13/16−
どうも初めから可笑しかった
                                        在明日香960801/1045
 脱肛で身動きできず、二人の従兄がバタバタと狸紅熱で死亡するのを見ても心を動かさず、踏切で石榴のように割れた脳漿(ノウショウ)を見ても、それを両親lこ報告せず、い
つも大体独りで、母親に甘えることもなかった。
 齢(よわい)30代となって、子供たちがそろそろ小学校というころ、長女・ひとみ(昭和25・7・24生まれ)は、誰に言うともなく、こんなことを言っていた。「どうして、うちのパパはよそのパパみたいになってくれないのだろう?」もちろん、私には理解不能。あのころ、突っ込んで訊いておけばよかったと、今では思う。子供lこは子供の感じ方がある。しかし、私は大人のショーパイに熱中していたためlこ、こわっぱの評言など、いとも簡単に無視してしまったのだ。
 ひとみは近所の画塾にかよっていた。先生は八丈島が好きで、あそこから持ち帰った明日葉の種子を父兄に配っていた。アシタバは健康を護る優良野菜である。しかし、その絵描きさんは早死にした。40代初めだったような気がする。30代半ばの私はキチッと喪服を着て、葬式に参列した。涙は出ず、特別の感慨もなかった。
 私の涙腺が突如緩んだのは、山岸会本部で愛人・マサコが急死したときだったと、既に書いた。実はその少し前、一族郎党を引き連れて、トッコウ(特別講習研鑚会)に参加したときにも泣いた。それは、ツルコの次男・聡(まだ赤ちやん)との生別が近いことを予感して、草むらlこ隠れて小一時問も泣いたのが最初だったかもしれない。ヤマギシカイは私を泣かせるのがうまい団体だった。

 足指の麻痺部分がチクチク痛くなってきた。立ち机の椅子に坐り詰めで、これを書いて
いたためだうう。自然は固定を嫌う。大生命=神が、勤続45年のサラリーマンに拍手を
送っているだううか。答えはNOである。歪んだ社会がそのような人間を創る。

正午を39分過ぎている
                                       在明日香960801/1240
 松嶌徹君から手紙が来た。曰く、「ずっとお留守のようでしたが、“ほんみち”lこでも行っておられるのでしょうか。やはりお声が聴けないと寂しいものです。」
 老人ホームのショートステイで毎日パクパク食べていたなどということは、彼の想像を
超えていたにちがいない。
 あのころ、ワープロばかり使っていて、目が疲れ、声に切り替えて「気語り」で語っていたテープが何本かある。それも松嶌徹君に預けておくから、聴いてみたい人は松嶌徹君
に申し込んでください。私の「気語り」テープlこはもちろん著作権がないから、だれでもそれを複製(コピー)して、みんなlこ分けてもらいたいと思っている。
 愉美子は愛と学びの人だが、茨木市のキミコ(ともに敬称略、歴史的人物だから)はハ
ートとダイヤの人である。私はハートのAが表、ダイヤのAが裏lこなっている。ダイヤ、すなわち金銭に関心がないわけではない。ただし、Aだから数字ならイチとなる。

 サンキューサンキューで暮らしたいと思っている。ところが、私は神のシバ面が気になって、どうしようもなかった。原爆のシバ。暴走族を用いて3歳の幼女を殺すシバ。オリン
ピックlこもテロを起こすシバ。私は或る夜、このことで必死lこ神に祈った。サイは母神、
ババは父神。天理でも、表面に出て<る慈悲の救済者は「おやさま」(母神)である。そ
の奥の、実は中山ミキを娶った男神は、あれほどの言語を絶した「至悟気」(悟りに到ら
しめる“気”)をミキに与えた。ミキが池lこ飛び込んで死んでしまおうかと思った話は有名

                         一14/18−