ニッポンのス−パ−で売っている日本人向きキムチは、たいてい酸っぱくて食えるものではない。それは、日本人向きカレ−ライスかライスカレ−が、印度では通用しないの同じ事情です。
 愛女・ワコは牧野元三と同いどしだから、誕生日が来たら、丑として48歳になるのでしょう。昭和24年生まれです。牧野元三の携帯電話番号を教えてくださいという願いが頻りでありますので、ここに「プライヴァシ−大公開」をします。04−65−6421−55です、ときどき和子奥様が出ますので、その上品さんに気壓されないようにね。


イベントは夏休みに多いので
                                      在橿原970626/0541
 尚美会会長の要職にあるアリサン(アラビア語で至高の人という意味)は、私の文章産出の速度に追いつけないと悲鳴をあげています。元原稿をコピ−機に乗せて、200部作るだけの仕事なのですから、普通の主婦でもできます。資金は「神立銀行」からアリサン経由で届きます。
 瓶詰のキムチは日本人用に作ったためか、ソウルの大衆食堂で食べたのとは大違いでした。韓国のメ−カ−名は明示していないし、川崎の三輝とかいう会社が輸入しただけのものです。私にはスッパ−イッ! 5月7日に作ったころは美味しかったのでしょう。もう賞味期限の7月6日が近づいています。びん詰・缶詰ものでは、元の味を保つことはできない。自分で作るのが一番いいが、私に韓国生まれの妻がいないかぎり、それは無理だな。私は余分な品物の処理に困る。また、隣家の創価学会のキクチ君に食べてもらおうか。
 大分に住んでいたころ、別府に行って。ある韓国料理店に入って、キムチをわけてもらったことがありました。それはそれは旨いもので、愉美子はそのキムチだけをおかずに一日ごはんを食べていましたっけ。
 
 私に事務局がないばかりに、私の書いたものは何ヵ月も遅れて皆さんのところに届くのかな。諺でいう「夏炉冬扇(カロトウセン)」みたいなものになりますか。日本人は「六日の菖蒲」とか「十日の菊」と言います。前者は、5月5日の節句に遅れたショウブは何の役にも立たないということだし、後者は、9月9日の菊の節句に遅れた無駄ものという意味です。
 全く、人間は運と巡り合わせで生きていますが、このキムチびん詰を買うときには、ずいぶん迷ったものです。試食はできないしね。オヤサマ・カミサマに伺ったら、「あんた、まだ欲があるね。買ってごらん。あとでわかるから」とすげないお返事でした。私は前世が朝鮮の慶州(キョンジュ)だもので、キムチにはグイと引かれてしまいます。1999年には慶州(キョンジュ)に行って、あそこで一生を終えようかな。素晴らしい書家や画人がたくさん居る文化都市です。奈良と都市縁組みをしているから、ヤマトから素直な歴史的先祖地帰りになるかも。


小用のための刻み寝とはいっても
                                      在橿原970626/0932
 やはり一日に9〜10時間は眠っているようです。洗顔後、ワ−プロに向かい、4拍してお下がりの御神酒・菊正宗を4勺ほど戴きました。
 先夜も、久しぶりに、熟睡中に、「ごしゅうさま、御主様」の小声が聞こえました。カミコトバと違って、下から聞こえてきます。「何か?」と問うと、「いつもの月末のお支払いのこと、ご心配なく。また、然るべきお人をこちらに差し向けるようにいたしました」といういつもながら簡明な精霊長からの報告でした。
 寝ているあいだは、ほとんどこれも切れ切れですが、オヤサマ・カミサマ(天地運営支配の神)との対話が続き、この数日で私の頭の構造はすっかり変わってしまいました。習慣的に昔のような方向に考えを持ってゆきかけると、間髪を入れず、「もうよい、もうよい、よしよし」との神教えが入ります。ヨシヨシには「お止め」と「善哉善哉」の二つの意味が含まれているようです。「そんなことをいくら考えても何にもならない。いまや、世界は大変わり中である。天地の変化だけではなく、一人一人の人間の心が根本から革命されているのだ。善にも悪にも、その変化が大きく出てくる」の響きでありました。


千春さんから手紙が来ました
                                        在橿原970626/1019
 ポトリと一通。657神戸市灘区青谷町4−1−3青谷プラザ301の森村千春さんからの2枚の便りです。
 彼女と、微子ちゃん(古くは御子)とのあいだには文通があるようです。彼は例によって、千春さんを女神に見立てていますが、本人は「普通のオンナよ」と言っています。性交や結婚が不要になった女性が世界中に増殖中です。いい傾向です。

 ただし、私は例外で、数え72になって絶対に妻一人を必要としています。
 また、津波よけの山中コミュ−ン建設のために一千万単位の資金が必要です。
 私は老トル芝居を全部やめました。パフォルマンス(演技)などは全くの無用の長物。
 銀婚式は西洋の風習で、結婚が50年間続いたら、それをお祝いするのです。
 今の日本では、この一年で「銀婚離婚」が離婚全体の24%を占め、その件数は9560です。偽善結婚はすでに崩壊しているのです。
 だから、一昨年、ワコは私の家を駆け込み寺にしました。
 捨てられた夫は所有権の剥奪・強奪とかで、私をアサハラショ−コ−に見立て、呪いと憎悪の生き霊を私に送りました。
 私は甘んじてそれを受け、ワコの夫の身代わりとして、不倫の妻ワコに霊憑りで暴力を与えた。首を絞めた。死なない程度に。そして安田和子を身辺から払った。天理教との連絡をしっかりつけたから、ワコは生活に困るということはない。風聞によれば、まだヤマトで老人介護の仕事をしているという。

 ワコは吾子だった。カズコのような垢のついた名前ではなかった。しかし、彼女を和子と同定しないと、気持ちが収まらない常識人がウヨウヨいる。法律で確定された氏名にそれほどの価値があるのか。私は寿里上人でも、ジュリでもいいのだが、私が法律名・十菱麟を名乗ると安心する向きが多い。殆どである。阿呆なことよ!
 私は紳士道をとっくに捨てた。ダルマ道にもバイバイ。モリムラチハルは、今やダルマ道の真最中。


日にちは前後するが                 
                                       在橿原970714/0348
 何となく空いてしまったスペ−スに、丑の刻に何かを記す。
 雨つづきで室温は28度に下がっている。今日はやっと月曜日。学童生首展示事件で泣きすぎたために、また目が爛れているので、午前中に野島眼科に行かねばならない。
 生活保護の身分のお陰の無料診療も、8月で終わりだ。
 隣人・菊池哲栄は自動車整備工場をやめる決心をして、どこかに資金調達に行ってしまった。大阪だろう。吉野の山の過疎部落の農家に私と同棲するプランに大賛同している。
 しかし、他県への引っ越しには、福祉は少ししか出さない。50万円かかるとすれば、
錦のたまづさ・創刊号