自平成10年5月19日
                                         至 −−−−−−

               71歳十菱麟からイチ同胞のあなたに送る親書

 これは売り物ではありませんが、リン団父の生活を支えるきっかけにしてください。
 彼は生活保護以外、何の収入もありません。その保護費も今はゼロに等しいので、老翁は政府を相手に不正直を決め込むしかありません。
 ご送金は直接封書に入れるか、次の金融機関を使ってください。
     南都銀行神宮前支店普通預金:360721ジュウビシリン
     郵便貯金14560−3271641ジュウビシリン
     十菱麟アドレス:634−0822奈良県橿原市鳥屋町1−5錦荘6号室
     電話&FAX0744−28−4731
                                        
脱走退院
                                        在橿原980519/2026
 去る5月6日に、鬱病がひどくて飛鳥病院に急遽入院(馬から落ちて落馬したみたいな日本語 )しましたが、キチガイ病院の凄まじさにホンマに狂いそうになり、苦しくて、今日5月19日に無許可で脱走退院しました。
 思えば、私がオハイオ州立大学大学院を脱走して、ケンタッキ−州境の風光明媚の町・シンシナティに移転したのも無許可でした。だから、あとで国務省に追い回され、結局は同期の留学生300人よりも2ヵ月早い強制送還の措置を受けたのでした。キャンパスの医者や、私と一緒に暮らしていた日本人留学生たちは、私を完全に「発狂」したと思っていました。精神病学でいうならば躁病発症でした。今度の脱走退院もそれですね。
 飛鳥病院には電話はつないでくれず、サラ金の手先の893が面会を私に強要しても、病院側は絶対会わせず、向こうが暴れたら即刻110番ということになっている、と聞きましたが、私があの鬱状態で、「もうメシも食えない」と信じ込み、「どうせ無収入なら、生保の利く病院でメシとベッドだけは一生確保して、そこで死ぬまで暮らそう」と決意したのは、やはりヘンでしょう?!
 私独りは一生食えても、あとのこの2DKは瓦解し、家賃も払わずには家主さんが大困りです。それに気がつかなかったあのころの私がキチガイで、今の自分が正気だと私は思うのですが、皆さんの判断はどうですか?

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 自由価出版の事務面は相変わらず、松嶌徹さんに任せています。私は事務能力ゼロです。たとえば、「ランド−ンの紹介記事をあと10部送ってくれ」と私のほうに申し越されても、私は何もできません。痔と椎間板ヘルニアの足では、郵便局に歩いて行くこともできないのです。タクシ−を使わないとならないので、大変オカネが必要です。どうかお助けください。
 トホルさんの住所は562−0000箕面市白島2−21−34パラヴィラ302、電話&ファクス0727−24−7694、松嶌徹郵貯口座番号:14190−68085001です。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 さて。帰ったら、次に紹介する村井英人君の手紙がドアのなかに落ちていました。なぜ病院に転送されなかったかは不明です。

[かしはら通信] はもろもろのダヨリから脱しました
                                        在橿原980519/2218

 なんと!飛鳥病院なら、今のタイムは、睡眠剤を8時過ぎにもらって、9時には消灯。私は9時から10時までに寝つこうと必死の時間です。ところが、もう10:21PMとなり、ねむいどころか、夕食の一合飯では足りぬらしく、あと2合を焚いています。不可解です。ミンザイ+下剤はもう9PMという遅めのジコクに服用したのにねえ。何が何だかわからない。眠くならぬし、腹は減るし、仕事はやりたいというディレンマ。働きすぎてまたウツに戻ったら大変だ。今はひたすら神さまに祈るしかありません。
 村井英人君の固い筆跡には、いろいろ不思議なことが書かれてありましたが、どうか事情を読み取ってください。彼は、とにかく処女強姦がかかっているので、7年もしないとムショから出られないでしょう。出所は60歳近くでしょうか。判決を待たぬと分からぬことです。私を親代わりに訪ねてくるでしょうが、そのとき私がどこで何をしているかは、本当にはわかりません。

 『鳥屋だより』まで沢山の「たより」が続いたので、標題をやや堅く、また「かしはら」という広い領域を採用しました。この上は[奈良通信]ですが、茫漠すぎて使うことはないでしょう。[日本通信]は日本語では出ないということから類推してください。

 それで、私の鬱が抜けて、新「爽」期が来たからには、趣向もずいぶん変えてゆこうと思うのです。私はたしかに老化していますが、私のベッドの隣の桜井さん(昭和3年生まれ)を見ていると、親切に介護せざるをえないほど大ボケにボケていたのでした。奥さんは他界して彼は独り身です。25歳の一人息子と暮らしていましたが、酒は飲むわ、転んで怪我はするわでは、息子さんの手に余りかね、精神病院に入れたらもう、一生預かりにしてもらいたいようです。
 22歳だかの優しい娘さんはお嫁に行っているし、これからは子育てです。旦那の世話と老父の世話など両立するわけはありません。自然老耄と病死でも待っている気の毒なかたでした。彼は、たとえば眼鏡をかけても、この文章そのものを理解しないでしょう。私が手紙を書いていたら、好奇心をもって覗き込み、「それ続け字というんやろ。むずかしいのう」とコメントしました。労働者階級出です。足はヨタヨタしていますが、リハビリのつもりで、しょっちゅう病院の廊下を行ったり来たり、「気」歩きをしていました。

ダヨリとは頼り・依存です
                                        在橿原980520/0003
 骨ごと齧れる固いイワシを二匹も食べたら、ご飯もどんどん入りました。気づいたら真夜中を過ぎてしまっていました。椎間体(ツイカンタイ)の「若化現象」に必要な修復材料なのかな。『  だより』には、私の依存性が溢れていました。「イチ同胞団」全体を私に頼らせ、私も「イチ同胞団」に頼ろうという魂胆です。これでは共倒れと悟りました。
 ブラウン・ランド−ン博士は、三つの時に父親の砂糖工場の機械に引っかかって、片脚が膝から下までグチャグチャになり、17歳の思春期までずっと病気続きだったと伝えられていますが、彼は接骨医や類似の医者に一切かからず、自分の努力と信仰で、その脚を完全に治してしまいました。トランプのマイナス札を沢山集めたからといって、負けるとは限らぬ。そういう逆転勝ちの一例がブラウン・ランド−ンです。

 私の鬱が抜けたために、私の全心身が自由になって、清々しいです。このまま寝ないでもいいみたいですが、やはり眠りを試みます。何せ0:23AMですからね。
[かしはら通信]・その1
かしはら通信・その1