じゆうぴし・りん                                   自由価・小鹿版

著者・十菱麟は事務不能の状態です。購読申し込みおよび辞退はすペて以下の人におねがいします。
  松嶌 徹 電話&ファックス 0727-24-XXXX (下記)


題名はむろん内容に関係ないが
                                      在橿原990402/1137
ムジナはタヌキの異名である。無自名と書いてもよい。自分の名が無いほうがどれだけ
いいかわからない。
 この本は湯布院以後の話である。元三が窃盗の自白者であるのlこ、警票の反応は冷たい。だから、そのままlこして、九州東海岸をZA乞食で北上した。ムジナ性の濃厚な牧野元三は、湯布院iこ至って、豊かなゼニに恵まれた。駅前の旅館に二人分の予約金を払いこんだあとの余裕である。
 「どこかで食事しましょう。」「うん。」座敷つきのスナックに入った。客はほかに一人だけ。カウンターの隅で暗い雰囲気を漂わせている。「呼んでやろう。こちらのおごりだとな。」元三がそこまで行って、何やら話している。「遠慮しますって。」「あんな陰気なのがいるだけで、こちらまで気分が悪くなるよ。耳を持ってでも連れてこい。」
 「耳をもって」は東京の言い方かもしれない。しかし、元三は文字通り、その男の耳をつかんでしまった。すぐ乱闘騒ぎとなった。私は止めに行った。何もそこまでやることはないと思いつつ。すると、ママが飛び出してきた。「男同士で収めるから、ママ、危ないから向こうに行ってて。」左手でママを押した。すると、簡単に転んで後頭部を壁にぶつけてしまった。頭を押さえながら、電話口lこゆく。やばい。私は元三lこ命じた。
 「喧嘩などやめだ。すぐそこらに引っ繰り返っていろ。」
 元三はしぼらく目をパチパチさせながら、そこに横たわっていた。やがて、パトカーが来た。その客はどこへやら消えてしまっている。警官たちは、私たちを本署に連れて行った。ママが負傷していることが大さい。その犯人は私だ。騒ぎの原因は喧嘩をしかけた元
三だ。
 何回か、護送車で裁判所に行った。
 判決は私実刑1年、執行猶予3年。愉美子が喜界島から急行して、私の弁護に当たった。「ご主人は家で酒を飲むとき、どんなですか。」「はい、大変陽気lこなります。」
 小さい子が5人もいるというので、私は執行猶予になった。元三は独身だから、即日4カ月の懲役に下ろされた。

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大分の三重町
                                     在橿原990402/1530
愉美子は喜界島から電話で手を回して三重町に家を借りていた。

 〔今のこと:サントリーの角を飲んでいる。「歴史」はアルバムを次々開いてゆくようなもので、機械的作業だ。人がいない。全く孤独の作業だ。一人でカレーライスをレトルトからつくって、酔いすぎないように飲んではいるが、足がもつれる。普通の人なら、往復15分の郵便局に、杖を突き突き往復50分で行ってきた。椎間板ヘルニアからきている足の痛みがきつい。元気に飛んで跳ねている子供たちは、別世界の人間に見える。私は今後一生杖暮らしであろう。未来に希望などあるはずがない。過去に戻って、どうにか気分を晴らしている。〕

 元三からのZA収入はないし、全くあの4カ月どうやって暮らしていたのだろう。
 酒の空き瓶を売って酒やら夕バコを手lこ入れていたようだ。季節には、栗や銀杏を拾っ
て食べていた。
 愉美子lこ電話で訊いてみたら、生活保護ではないですかと言っていた。阿蘇に2回、遊びに行ったとも言っていたが、そのうち一回はあまり覚えていない。人間の記憶はすぐ薄れてしまうようだが、鮮明なところは残っている。

 三重町から清川村lこ引っ越した。私がいると却って邪魔なのか、大分lこでも一泊休養していらっしゃいで、帰ってみると引っ越しが済んでいた。愉美は行動派だ。私を離婚したのもそういう一つの表れなのだうう。6人も子供がいるのlこ、さっさと亭主を追い出す。私には分からない。

清川村
                                     在橿原990402/1923
 バスも通る道路ばたlこ私の部屋があった。騒音ぎらいの私lこはひどい環境だったが、やがて慣れた。最後の子供・日女はここで生まれた。その兄さんの和平はもう声変わりしている。日女が生まれたとき、私は60歳。世間では、ずいぶん遅いお子さんですね、とい
うが、自然にそうなってしまった。
 日女が生まれたころ、「あなたは私をとりますか、それともお酒をとりますか」と迫られ、その結果、アルコール病院に入ったり、11カ月も断酒をした。
 あと1カ月で表彰状を貰えるというときに、あちこちに書いたが、怪談のような事件があった。大分市で屑屋をやっていた或る朝群人が、アルコ−ル病院で仲良しだった。その
男も私よりあとlこ退院したが、一人住まいで酒が切れない。息子は東京に逃亡し、何の音信もない。本当に寂しい男だった。
 私に何度も誘いの電話をかける。いつかゆく、いつかゆくで誤魔化していた。遊びlこゆ


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*松嶌のFAXは2005年02月現在 075-493-8850
                  
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