書簡集リスト
 カードは出揃って私の目の前に並んでいます。なぜか、スペードがやたらに多い。ウツになると、オール真黒になります。そうだね、勤勉の助けとなるクラブも4〜5枚は見えます。ダイヤとハートの赤いやつは本当にチラホラ、ほとんどないのです。とりあえず、クラブを馬鹿になってやりきりましょう。月に60万稼げば、Yは喜ぶはずです。早死するかな。酷使病かBLACK死です。ツケが回って来た、というのはやはりホンマにあるようだな。
 カルマ説という人類最原始理論が最後の勝利を収めるのかな。
 クラブplusスペードという黒づくめはいいのかな。クラブだけの土方は大変だ。C LUBは大体が棍棒なのだから、暴力の象徴です。それをごまかすために、才智や学術に結びつけたが、SPADEみたいに生産ONLYというものではない。クラブ=暴王が、無知の農奴=スペードを支配したのです。その目当てはダイヤです。DIAMONDを握ると 99.99...%の糞オンナが靡きます。これが娑婆の方程式。
 ハート≠SEXですが、Dualityの一元化に分かりやすいのだね。快楽が伴うし、つ
いついだが、法華経ではオンナの前で笑うな、目をみるな、独りで会うなと、難しい条件を付けています。それが菩薩道というわけで、法念はそれに絶望して、声聞や菩薩の人たちには法華経もよかろうが、凡人のわれわれには阿弥陀経しかないと説いたわけですが、そういえばそう。法華経は究極の経文ということになっていますが、成立は阿弥陀経があとですか?(リサーチ要)
 私は文学的人間だし、菩薩道を行くのだという誓願があったので、阿弥陀などには見向きもしなかったが、これはやはり思い上がりかもしれないな。阿弥陀経をもう一度精読するつもりです。しかし、馬鹿でもチョンでもOKよという観世音菩薩という普通の門も法華経には用意されています。一概に、ナンマイダにならないでもいいとは思っています。しかし、大乗経典のすべても釈迦の方便だったとしたら、南無釈迦ムニプツで当体に迫るしかないが、こんなことをやっていると、また何方年か無駄使いをしてしまう。
 NAMASが信頼、帰依であるならば、何で、南無無名仏と唱えてはいけないのかな。なぜ、南無サイパパとか南無HS(made by Shirley)になるのだろうか?
 今暁はこれで終わります。920508/0225。

 ιはiota、「私」の代わりに使ってみようか。「あ」を押せば出るようにセットしました。ιは目にも止まらぬ、かすれた存在です。ιは8日の朝、8時ごろ起きました。夢のなかでιの4番目の最後の妻が出てきました。目覚めたらウツから抜けていました。ιのウツはどうしてもオンナに関係があります。金や名声や権力ではないようです。
 プラームスのピアノ協奏曲#2がFMから出ています。ιは今日の金曜日を休みにしようかと思っています。ιは前妻とその子たちのためにALIMONYを稼がねばならない。
 ハワイ辞書では次のように定義しています。
 An allowance for suppor made under court order to a divorced person,usually the for the former wife,by the former spouse out of the former spouse′s income or estate. It is also granted without a divorce,as between legally separated persons,or those whose marriage has been annulled.
 法律用語のようだ。Separationは別居と訳されるでしょうが、同居しての離れ離れはlega11yにありうるのか、またannulmentも。
 法律は粗大現象だけを掴まえる手立て。損得問題、それだけ。

 同日、23:25。ウツ薬を昨日飲んだのが、まだ効いていて、昼間は寝てばかり、いつのまにか真夜中近くなりました。アマデウスのミステリー「悲劇の天才」と

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いうのが0:35から2:30まであります。西独の1984年の映画です。「私」がなくなってιになると、私の在り場を確かめて生きてゆくという今までの習慣がおばろになり、蚊のようなιがヒョロヒョロと空気のなかをあちこち流れて行っています。ιには確固とした意志は持てないで、計画もほとんど立てられません。まだ、眠気が濃厚だ。アマデウスまで起きていられるかどうかも不明です。文ももう書けない。

 5月11日午後の0:23です。昨夜、どこかの迷い牛がうちの菜園に釆て荒らし回ったので、引っこ抜かれた柵を修理したりして、しばらく畑仕事をやっていました。さきはど、妙真から5月8日付けの書状来。彼のカメラに写った真人像が記されていました。以下は彼の文章です(イタリックの部分)。
1.「サービス精神の行き着くところが何もないことは分かっていてもやめられない。人の喜びが自分の自己満足」と彼は言っています。
2.相変わらず「先生から一本取りたい」ということも。
3.今月中に得度を受け、頭を剃るようです。
4.真人さんは先生から言われた「0.001%の可能性」に託しています。
5.満タンには違いありませんが、今までと違う深い部分なので、本人もまたあまり自覚なく、「別にそうは思わないけどなあ」と言いながらも、先生のレターに敏感に反応し、嬉しそうにしています。
6.引っかかるところはキッチリ引っかかって反省も気づきもやっています。
 以上は妙真の翻訳ですから、どこが当たり、どこが外れているのか、私には分かりません。得度をして、手紙が書ける状態になったら、confirmまたはcorrectしてくたさい。
(1)は分かるが、サービス精神とやらが過度になると、相手は喜ぶどころか、怒ったり憎んだりするというのが、私には多い。それでもやめられない、というのはまた別の景色だろうか。
(2)不明です。‘勝ち負けなしの紳いくさ’でなくて、何を私から取りたいの?何でも取らせますから、お申し越しを願います。私の傷心はあなたの勝ちということか!
(3)いいことです。元三も何度も剃ったが、禿げ隠しの動機が強かった。人から清潔でいいと褒められぱなしでした。
(4)何が0.001%かは忘れた。取り違いだろう。
(5)鋭敏に反応しているなら、一方交通の手紙も意義があります。
(6)反省とか気づきとか(if any)ご発表項きたい。
 これで、手紙の区切りをつけます。大逆縁の涼しい顔さんを真っ黒に怒らせてしまい、また元どおりバトンを妙真に戻しました。涼顔は止めたそうです。
 HEROはカトマンヅーから音をテープで送ってくれました。彼は大阪ではあまりモテ
なかったらしいが、なぜかなあと思っています。
                        鈴十
                        または LYN JEW

                 −7/7−