天理大学の教職にあったことも今わかりました。私と天理教の縁もここからなのですね。 過去帳のある神戸の祥福寺のことも知らなかったので、今度お参りいたします。
 亡父の記録を読んで行きますと、「新小説」に大正末期、島崎藤村と並んで作品が掲載されたとあります。
 母上の項には、「若気のいたりにて文士と結婚」には微苦笑。その「いたり」がなければ、私は今この世に存在しないわけであります。
 亡父の従兄弟の一人に愛媛大学学長・芦田氏が居られたことも初見です。5年前には目に入らなかったものです。父方増田の曾祖父が第一銀行の創設者の一人であったことも。同じかた(増田充績)が北海道にホップを栽培して、サッポロビ−ル会社を設立したことも今確認しました。これからは、今までの麒麟をやめてサッポロにします。神戸のお店の跡地が現在の第一勧業銀行の神戸元町支店になっているというのですから、ここも訪れます。この位の祖先認識は珠樹にはまだないでしょう。末弟・駿武は考古学者ですから、私より先に認識していたのでしょうね。7時になりました。以上、長くなりましたが、私の誤解があったら、ご訂正をいつかお願いします。          

                                                 頓首再拝

                                                十菱  麟

追白
 結局、解けない謎は(1)七曜紋の由来、(2)銘酒・剣菱と剣菱屋と関係ありやなしや、の2点となりました。


献歌
     よはひ積みやうやくにして振りかへり出で来しかたを知るぞうれしき

     母上のお陰ありてぞ肉身の出自を知りて子らに伝へむ
書簡集リスト