母上様!
                                       於天神920812/1805
 5時間眠って、12日の今日は午後4時に目覚めました。
 徹夜の研究、まだ納得できず、歴史探索の好きな愉美子の助けで、系図その他を調べたら、重大なことを発見しました。それを以下に申し述べます。
 1.逆算すると、常七さまの生年は、没年明治36年(1903)から満年齢62を差し引くと、1903−62=1841年、つまり天保の改革の前年であり、井伊直弼が暗殺された桜田門外の変は1860年(万延元年)でありますので、当時の常七さまは、21歳、まさにお小姓の年齢であります。
 2.辻家の系統を見ると、祇園の辻キミは常七(以下敬称略)より一回りほど年下で、その母の夫が「小姓」であったとしても、井伊直弼の小姓ということは、年齢的に辻褄が合わないのであります。(辻の妻という洒落でしょうか!)
 3.屈辱の桜田門から、常七は武家の出であることをひた隠しにして、河内生まれの姓もなき常七という名を作り出し、信濃屋の入り婿になったのであります。
 4.辻キミの実父が小姓であったとしても、その息子(名不詳)も同じく小姓であったことはありうることでも、井伊直弼暗殺に立ち合ったのはその息子ではないでしょう。そう考えないと、年数が合いません。もしかすると、常七は自分の過去を辻家の歴史に搦めて、すべてをうやむやにしたのかもしれません。
 5.常七が問題の「小姓」であれば、同じ藩中の別の家の娘・辻キミと幼なじみであり、たまたま同女に祇園で邂逅し、愛し合ったのでありましょう。信濃屋に婿入りは全く生活のためであり、信濃屋当主に、才能や人品を見込まれたもので、その義父は一切常七の本名や経歴を知らなかったのでありましょう。
 6.後藤きくが異説としての「常七偽名」に触れなかったというのは、全然知らなかったためでしょう。
 7.常七というかたは、「常」に旧君・井伊直弼を忘れず、その家紋・「七」曜を胸に抱いていたために、偽名を「常七」にしたのでありましょう。また、十菱という新姓登録は、岩崎の三菱に対抗してのことでしょうが、家紋は主家のご紋を畏れながら拝借したのでありましょう。
 8.常七の秘密を知っていたのは、辻キミのみで、他には知らさなかったと思います。武士の恥辱でありますから。(増田充績は唯一の例外では?)
 9.ですから、同じ武家同士として、常七は事実を語り、増田充績とは、元武士として対等に昵懇の仲となり、長男でない充夫を剣菱系の長女(故に跡取り)のせいの婿に貰い受けたのであります。
 10.次に、せいは明治30年、数えの20歳で彦一を出産し、5年後に死没していますから、乳は本人または乳母から彦一に与えたに違いありません。なぜ、妹きくの乳房を要するのでしょうか。それとも、きくも、たまたま同じ頃に子を生み(誰を相手に?)、乳母代わりになったのかもしれません。
 11.上の通りであれば、充夫は姉妹の二人を同時に愛していたとも考えられますが、それがあまりとすれば、彦一が邪険にきくから乳を貰ったというのは、彦一の「小説」ではないのでしょうか?
 12.きくがすぐ後添えになったということは、上項の証拠にならないかしら?
 13.これは別のことですが、紀州の十菱某から、私は前に手紙を貰ったことがありますが、どなたか、系図上でご存じでありますか?
                    
 私は歴史書によって、井伊直弼の近習の家臣の名を捜し出し、年齢から推論して、常七の本名(姓名とも)を調べ出すつもりであります。近ごろ、常七さまの霊が私にふたたび掛かり出したのは、「正史」を明らかにせよという思し召しでありましょう。
 常七様ご自身が武士であれば、私の十菱家系には、まるまる武士の血が流れております。新川家は別であり、温和な農民であったのでしょう。山蔭基央(もとなか)によれば、母上の骨格人相から見て、「リンサンの母上は、明らかに朝鮮人が移住して、瀬戸内に住みこんだ人の子孫だ」ということになりますが、私は朝鮮人は好きですから、むしろそれが事実なら喜びます。天皇家にも濃厚に朝鮮の血が入っているのは歴史的事実でもありますし。
 本家の十菱にも、武士の常七の血が入っていますから、長男・東吉のように外国雄飛の人が出てもおかしくありません。むしろ、父・常七の延長線上を突っ走ったとも言えます。しかし、半分は商人の血でありますから、福太郎さんのような全くの俗人が出るのも仕方ないことでしょう。
 しかし、本家の長男・東吉が分家の充夫に金をせびったというのは、面白いことです。常七没年が明治36年、充夫没年が同41年で、実父・常七没後は特に、本家からは金が出ようがなかったのでありましょう。
 とにかく、せい系統の彦一以下の子孫にも、学者として駿武があり、実業家としては、小粒ながら珠樹がおり、私系統には竜という官途におけるピカ一の成功者ありで、まあまあでございましょう。
 増田家は神道であったということで、私にはその系統の宗教血筋が強く来ているようであります。色と金と名のうち、私は色と名の二つでどうにか一流になっておりますが、色男に金は添わず、その点が問題です。私の躁鬱症は充夫祖父からの遺伝という説は本当なのですか。それはまあ結構です。狂人と天才は紙一重。精神病院で一生を過ごしたわけでもなく、サイババにお会いしてからは、順風満帆となり、財にも恵まれると確信しています。ただし、色の道は未成就のようで、この辺に、まだ波乱のきざしが残っておりますが、大聖・サイババのお陰をもちまして、色情の因縁が消えれば、あとは滑らかかと存じます。
 三日続けて、食業を廃しておりますが、幸い次の台風で涼しくなりかけておりますので、太母さんから救援の金子とお呼び出しがあるまでは、NYの法律翻訳を続けます。
 今夜は9時から、今井正の「戦争と青春」がTVでありますので、ツルコに似ている奈良岡朋子などを見て、太平洋戦争の復習を致します。遊興の徒に似ておるようでも、実は私はいつも勉学しているのです。一介の英語屋ではないのであります。
 珠樹は可哀相に、詩人や舞台の道を捨て、英語屋になり切ってしまい、惻隠の情に耐えません。畑のせいか、いわゆる優秀な子女にも恵まれぬ様子ですが、ユリカのような祖母孝行の孫もいるから、まあいいですね。私の身代わりとして、両親の面倒を見てくれたことには珠樹に感謝しております。よろしくお伝えください。この手紙の内容は、彼も理解すると思います。
     寿と幸と福とを祈り上げます!

                                                   麟 拝
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