於天神930616/1422

 朝からSSSの第9巻の「5歳の子供」のところを訳していました。必要に迫られ、あなたの「霊的指針」を参照していました。「必要箇所を暗唱」とまで比良龍虎さんは書いておられますが、私には読むのが怖いところばかり。
 マレーシアの帰依者がこれをおつくりになったということには、地域の或る事情があるとは察しますが、日本で初めてサイセンターの扉を叩く人がこの緑の本を渡されたら、震え上がる人が何%いるかなと思っています。玉石混交のなかから、まず玉を拾い出すには、比類ない「ふるい」にはなると思われますが、多くは(もしくは少ない人々は−−神さまのみがご承知の%)「いつかは会員になれるかもしれないが、今のところシンパ程度のところにいよう」とか「こんな厳しい規則がある組織には入らない」とか「慈悲の母神と聞いていたサイババは実は最強の厳父だったのか」とか、いろいろ呟くのではないかと、私の妄想の耳に聞こえます。
 あなたの抑制した序文には、同感するところが多いのですが、絶対服従の帰依者はこう
いう意見を発表することさえいけないのではないかと思います。とにかく、私は縮み上がっ
ているのです。
 憲章に「意図的にそれる者は」と但し書きがありますので、それは一つの救いですが、「行動規定」にある9ヵ条のうち、私に出来ているのは1と6だけです。7と8は努力中です。8は特に、これを厳守すれば私の批評活動ははとんど停止します。過去の人間は「本人のいない」現在しか批判はできないわけで、たとえば仏教史の記述で一向一揆の批判などもできなくなります。使徒ペテロたちが不正財産申告をしたあの夫婦を「叱り殺した」ことを批判した文章を前に書いたことがありますが、これもできなくなります。現在のキリスト教会(プロテスタント)で什一献金を励行している牧師のことを悪く言うこともできません。たとえ仮名かイニシャルを使っても、次の文章は不可能になります。「友人の牧師K氏は、新約聖書にはないが、旧訳聖書からの権威づけで1 0%献金を信者に強制しているが、これをサイパパの組織に比べると天地の差である。云々。」
 この件に関して、ヒスロツプはその「ババとの対話」で次のように書いていますが、これは唯一の救いです。
     (P174)Hislop: Is it wrong to criticise a person?
       Sai: It is not wrong to criticise a person if the evaluation has been
arrived at slowly and carefully.
 しかし、どのくらい「ゆっくりで注意深く」であればいいかということになりますと、ゆっくり一生をかけても自信がなければ、結局、人間の分際ではアートマ具現のいかなる人物をも評価できないという結論に達するだけではないかとまで思えてきます。
 サイババの発言は応人説法・待機説法と考えてきましたが、そういうフワフワしたところにいつまでもおれば、ダルマの厳しさから逃げ回って暮らすことになります。聖書から都合のいいところばかりを引用して説教する牧師みたいな人が、サイババ周辺から出てこないかななどと、またもや言わずもがなとことを言い出すこの私が、やはり問題です。 私のような批判癖の根深い人間は、「について」の本を読まず書かずが一番いいのかもしれません。「による」本を訳しているのが、私のサーダナ的仕事でありましょう。
 シャー氏の最新著はまだ読んでいませんが、おそらく厳しいダルマ的な著作ではないか
と予想しています。これもまだ読んではいませんが、PENNさんの本は誰のものよりも読みたいと思っております。知的なアプローチをする諸家のなかで、抜群にババとの霊的ケーブルが太いおかたと推察されますので。

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 それにしても、率直かつ天真爛漫に書かれた日本人として最初の「について」の本である「理性のゆらぎ」を英語にしたらいいのだがという思いを禁じられません。私に時間と金ができたら、またスワミのG0−SIGNがあったら、あなたの本を英訳したいですね。外国人に日本人のサイ消化のプロセスを知ってもらいたいからです。サイババと格闘し、結局100%帰依に到った日本人列伝という事例研究書などいかがでしょう?
     TRANSFORMATI0NS OF JAPANESE SEEKERS UNDER SAI’S LIGHT
とでもいったものを?
 組織には規律が必要です。求道者には寛大と励ましも必要です。仲間(兄弟姉妹)の生々しい七転び八起きの物語のようなものは、まだ世界中で誰も書いていません。
 カストゥリの「サイ伝」は主としてリーラの物語ですが、数年前の私はあれを読むのが苦痛でたまりませんでした。日本組織では「福音伝道」ではないということを強調していますが、GOSPELの原義が“good tidings”であってみれば、カストゥリから始まってあなたの「ゆらぎ」まで、みな「福音」です。それを発表することは「伝道」です。カストゥリ的福音が合わない人々もいる筈です。本質的に無信仰の日本人には、あれは向きません。遠いインドの違っ
た文化圏での奇跡物語で終わってしまいます。
 無限数の「名」と「形」であれば、お地蔵さんでも愛染明王でも、南無大師遍照金剛でもいいわけですし、生長の家信者には「生長の家大神」と谷口雅春の写真でいいわけですが、数々の「名」と「形」からどうやってサイババにジャンプするか。
 またもきりがないような手紙になりそうです。
 「理性のゆらぎ」で組織につながる人は多いでしょう。そしてまた、組織につながる・つながらないとは別に、あなたに深い接触を求めてくる人も多いでしょう。そして、あなたはもう一冊「についての本」を書くことになるでしょう。「学問度をすこし薄めた」一般向きの本を。そして、presentatio nについてPENNさんのように常時ババと霊的コンタクトを必要とするようになるでしょうし、素材として求道者の挫折や悩みの体験もドッとあなたに押し寄せてくるでしょう。
 それは天理教の開祖の霊体と、天理教に反逆した芹澤光冶良先生との関係に似てくるよ
うな予感もします。芹澤先生は開祖の霊言を取り次いだが、天理組織からは無視されまし
た。サイパパ組織にはそういうことはありえないとは思われますが、似たようなことも起こるのでは。

 唇が寒くなりました。とにかく、あなたのピチピチした若さ溢れる文体で、不動金縛りの帰依者(また悪口になってしまった!)にはできない発想と思想展開で、どんどん著書をふやしてください。医学と理学のための時間を半減してでも。
 「愛児」としてのあなたの自由奔放な表現は日本人に必ず「福音」を与えます。さしづめ、ニューエイジの人々があなたに注目するでしょう。聖母予言の人々ももしかして。そして、柔軟な頭脳と感性を持った神道家、仏教僧、クリスチャンもいずれは。
 旋風を起こしてください。私は陰ながら応援します。私のセンスはもう若い世代には合わないから、あなたが一線に立つべきです。私はせいぜいサイ言をできるだけ忠実に伝える「翻訳者」の任務に徹します。
                                             AUM SAI RAM!

                                                十菱 麟
                               879−69大分県大野郡清川村天神
                                       電話0974−35−2140

追伸 序文本文3行目にミスプリントがあります。


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