書簡集リスト
をテレビで見ています。お年を召しました。君が代をみなに歌われる身はどんな気持ちでしょうか。私も歌われたい。前世では皇帝やキングになったことは何度もあります。日本は天皇の国なのですね。共産党もこの式に出て、君が代を歌ったのでしょうか。「朕はタラフク食っている」とはやした左翼の子孫はいまどうしているのでしょう。

 遺族が沢山見えます。正午の黙祷です。共産党も黙祷しているのでしょう。霊の存在を認めているのでしょうか。天皇の髪の毛も白くなりました。彼は私が数えて八つのとき生まれたのです。彼には老人斑がありますが、私にはありません。私には一本の歯もありませんが、天皇は歯を守ったようです。遺族570人が80歳を越えているとのことです。

 1ドルは121円か。プロレタリアにほ縁がないことです。食事を終えてウツの薬をのみました。30服も服まないで、1服だけにしました。効くものなら、1服で効くでしょう。0:48PM。面白いものはどこにもないと観念しました。つまらないとわざわざ言う必要すらないのです。STRAIGHT。本塁打。ホームラン。アラハレヨ、アラハレヨ、神ノココロハ人ゴコロ、人ノ心ハ神ゴコロ。全く退屈になると祈ります。なかにし礼が徹子の部屋に出ています。満洲の大金持ちの子供だそうです。羨ましいね。髪の毛は私より白いです。

 阿鼻叫喚の満洲。ソ連軍侵攻。五月帰ってきました。育ての母(91)の老人ホームに行って来たのです。孫(五月の長男)lこ追い出されてホームに入ったのです。五月は義母を叱咤して、自分の家lこ帰りなさいと強く言っています。
 礼は姉と一緒に自殺しようと思ったとか。大金持ちの息子でも、結構苦労しているのです。泣かない、笑わない子供に育ったと言うこと。引き揚げ船から飛び降りようとしたのです。七つの男の子が夜に船室で夫婦や恋人たちのセックスを実見してショックを受け悲観したのでした。カバカバしいCMもわりに平気になりました。牢獄に何十年も入れられている人より自由ですから。

 五月は相変らず食べ物の話ばかり。私は腕を振って遠ざけます。食うことは嫌いなのです。言わば必要悪。霞を食べて生きられれば一番です。眠るのは長ければ長いほどいいです。永眠がBEST。五月の実姉とその夫はもう死んでおります。夫は癌。60代で死んでいます。「みんな早く死ぬね。俺も早く死なないとあかん」と言ったら、五月は「寿命があるのに」と笑っていました。私は天寿というものを信じているような、いないような。ただ、病で人間が死ぬのは不都合だと感じています。

 とにかく、あと100年たてば、この甲子園に集まって群衆は全部黄泉の客だと思うと、なにもかも空しくなり、野球を工ンジョイする“気”も失せます。カバカバししい気持ちの原点はここにあります。サイババの学校には野球などありません。スポーツなるものがありません。また、学生たちは映画に行かないし、小説も読まないのです。人間はややこしいものです。私は原則的にどこの葬式にもいかないし、どこかこ子供が生まれても祝おうとしません。喜怒哀楽から離れているのです。ヒコイチは「鬱」のことがわからなくて、SORROWと捉えていました。赤ん坊みたいなもので、私の所に来ても何も吸収しようとしませんでした。あなた

                         ―3/4―


とばかり同じ話をしていました。あなたとの場を錦荘に移しただけでした。

 「送りバウンド」って何だうう。酒は無意味だが、ずっと飲み続けです。サイババてのアシュラムは飲めない所、吸えない所として、私には不自由です。酒はむせます。身体はもう要求していないのです。むしろ反発しています。もうすぐこの手紙も終わりです。校正しましよう。校正ぬきで送った手紙もすいぶんあります。自分で自分に飽きたからそうなってしまったのです。そうそうこの飽きを卒業します。結局全部同じだから。かくなる上は、あなたに字の間違いがない手紙を読んでもらおうと思います。

 シルデイ・サイ・ババはどうしてあんなにタバコを服んだのかしら。サイババ信者のなかには、あれは煙草ではなくマリファナだと信じこんでいる人もいました。チペンという宗教学校が出ています。智恵の弁当。辨か辯か。「食べれる」と「食べられる」。 NHKのアナウンサーが前者を使っていました。これは私らオールドにとってはMONDAlですが、ヤングにはどうでもいいことなのでしよう。 CMはくり返すから厭なのです。 NHKでもニュースになると繰り返しをやります。反復で教え込むのは、教えるほうでも厭になるのlこ。煙草の煙は目に沁みるのに、繰り返し服んでおります。馬鹿です。

 猿みたいに身体を掻いています。蚤かな。蚤などlこやられる身体ではいけないのです。蚊も蛋も食わなし身体になりたい。アルカリか酸かの問題かな。痒くて痒くてたまらない。存在しているのが辛い。これは「鬱」の原点。あなたは明るく、いつも楽しい。人間が違い過ぎる。よく付き合えるものです。「爽」はどこに行ってしまったのだうう。


     















                                                  ではね!

                                               ジュービシリン
                         ―4/4―
かへりみて悔いはありたり愚かにも過ぎにけるかも七十五年

このわれはかういふものと決めたれば身動きできぬ人生なるぞ

花火など見て過ごしたる若き日は幸せなりきただ生くるのみ

年老いてかかる姿にならむとは思ひだにせず若き日々には

動かむか坐りつづけのこの身には血のめぐりなく勇む“気”もなし

緩下剤などは要らずと便も絶え自然にまかすこの身体をば

くわへては落とす火煙草不注意のわれを叱りて今日も過ぎゆく