とほるさん!  utu only
                   錦荘H130821/1301
 台風は奈良県に大雨を降らしたと言うのに、橿原市は晴れています。今朝、眼科医に二
度目の診察を受けました。もう奇麗になっているから、目薬さえ続けていればよいと。お洒は目lこ悪いと言っていました。でも帰って神定1.5合、眠くて寝ました。12時台に起きてまた酒、眠くてたまらない。合間lこ、中村重雅からの電話。「愛美通信」とかを読んで感動したと。私は眠くてたまらないので、途中で降参。切ってくれるというので、オアリガトウコザイマスと言いました。それほど眠い。朝からすこしチラシ寿司の前夜残りを食べただけ。食欲は消えています。

 酒は間を置いて1.5合づつの神定。神定は医者の言うことを聞かない。ただ眠くなるのです。朝4〜5時に起きたから仕方ないでしょう。愛美本邸はいい道場でした。あそこで隣の禅寺の生臭坊主をブットバしたり、暴力の限りを尽くしたので、家主に追い出されたのでした。前世のような遠い思い出です。今はあのころの元気の微塵も残っていません。
 1合飲んでまた眠くなりました。

 眠さのなかから突発的に食欲が出て、食事を終えました。0.5合はあと酒です。このあたりチョビ雨、東京のほうが風雨しきりのようです。これで全国の渇水状況は一挙に解決でしょう。暑さと大台風、今年の気候・天候はたしかlこ異常でした。人々の行動も異常です。全地球的にです。今日は上田ヘルパ−が台風で仕事をキャンセルしました。それほどのことはなかったのlこ、買い物もできず私は弱っています。

 片々たる日常生活の記述lこ終始しています。それ以外lこないから仕方がありません。書
いても仕様がないなら書かなければいいのにと思います。

 太宰治は玉川上水で39歳のとき入水自殺したと日本語大辞典(講談社)に出ています
が、山崎トミ工(字を忘れた)と横死したとは書いていない。不名誉なことゆえ伏せたのかな。しかし、あの女がいなかったとしたら、太宰治は死ななかっただううから、どこまでも情死である。その前lこは乱酔も情事もあっただろう。その合間に何か書いていただろうと思う。書くということは作家にとって本能的行動である。だが、死にたい欲望は数枚の原稿用紙も押しながしてしまった。

 トミ工は富栄かな。太宰治の伝記が手元にないから、確かめようがない。台風は美濃地方 lこかかっています。静岡県に警報がでており、ヤマトのほうはもうお目こぼしの様子で
ある。台風が来ると何かがピンと張り立つのだが、来なければまたダラダラ人生だ。香川
や愛媛は台風にやられているのlこ、なぜ奈良のこの辺では何ともないのか。この巨大台風は分裂してしまったのかもしれない。

 眠気がなくなり、0.8合を X で飲んでいます。何で飲むのかわからない。アル中だか

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らとしか答えようがない。目には悪い。そうであうう。室温は28度で、クーラーは27度である。やや暑い。26度に下げよう。タバコの火付きが悪い。左の肘が鳴る。骨がイカレているのかな。小倉北区の長谷川恵真さんに私がタウンしていると書いたから、心配するだうう。左足の骨もコックリ言った。あちこち故障だらけである。それで酒を飲んでいる。そして、むせる。

 五月がヘルパーの代わりlこ郵便局に行ってくれる。ラクガキチョウも買ってくれる。中村重雅は、五月が私lこ甘えついている、リンが死んだらどうするのかと本人に電話で非難
したが、私は彼女を無料の家政婦として珍重している。彼女が自殺未遂で私のところlこ来
たのは、神の差し回しとしか思えない。タバコの火付きが悪いのは、フィルターのせいだろう。じかだと火と吸いロとの距離が短いのだ。

 酒が残りすくなになったので、五月が買ってきてくれるという。有難い人だ。歩けない人間は周囲lこ支えられて生きている。あいにく雨が降ってきて、自転車が使えないという。
私はタバコが目に沁みている。長谷川恵真さんから送ってきたサチャ・サイババのシール
には、彼の画像を取り巻いて5枚の花弁があり、そこにSATHYA,DHARMA,SHANTl,PREM A,AHIMSA と書いてあります。SATHYA は TRUTH だっけ、SHANT は PEACE だっけ。サイババ関係もずいぶん忘れています。だいたい過去はみなGONEです。若く健康な人々が社会を経営しています。私はお添え物です。

 夕バコを馬鹿のみしています。目に沁みます。五月は家計簿をキチンとつけています。
眼科までタクシー代いくらだったと聞くので、答えようがありません。記憶がないからです。「確か、2000円から810円のおつりだったから、1190円だったかな」がせいぜいの答えです。記憶を要することは全部だめです。土曜に来るヘルパーは菊谷さん、9時半に来るのだって。一所懸命覚えました。情けないことです。また眠くなりました。
 5時14分。

 五月が雨がやんだときを利用して池田酒店から一升パックを2本買ってきました。自転
車の早業です。私は眠るに眠れず、「旗本退屈男」を8時に待っています。むかし、市川
右太衛門がやっていたのを、今は息子の北大路欣也がやっています。原作者は佐々木味津三(1896〜1934)で愛知県生まれです。「右門捕物帳」も書き、大衆作家としては一流です。今東光と連れ立って出口王仁三郎に会い、自分の財布の金額を透視され、仰天したということです。今東光の弟子で尼さんになった小説家は何というひとだったか。度忘れです。どうしても出てきません。

 アイウ工オ、カキクケコと捜し出しましたが、中学生のころと同じで出てきません。「般若心経」を書いた人で、若いころの作品はセックスを内容としていました。有名人で成功しました。五月も顔は浮かぶが、名が出ないと言っています。じれったいね。困って中村重雅に電話で訊いたら、瀬戸内寂聴とわかりました。また忘れそうです。

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