Chapter5. >前へ

「もう…いい加減にしなさいよ!!」
 立ち並ぶ屋台と道行く人々の雑踏の中、春麗の我慢は限界に来ていた。
 その原因となった人物は、春麗の厳しい視線をものともせず、新たな食料を物色すべく次の屋台へと足を向けている。

 “そもそもなんでこんな子と一緒に行動しようと思ったのかしら……。”
 国際刑事警察機構、いわゆるインターポールの麻薬捜査官として活躍する春麗は、その麻薬捜査が一区切りついたところで上司からこの任務を受けた。麻薬捜査が一区切り、といったところで別に完全に終わった訳ではない。しかし話を持ってきた上司によると、この任務は『急を要する』事態らしい。
 余りにも逼迫した上司の表情に春麗は内容もろくに確認せずに引き受けてしまったのだが、まずそこからして間違っていたと今でも後悔する。ナッシュにも電話で漏らした通り、こんなあてども無い『お伽噺』よりは、正体は不明なれど姿ははっきりと見ることが出来る『べガ』を追っている方が遥かに気が楽というものだ。
 そして慣れない事をし、思うように進まない事態から生じる焦りが原因で、春麗はもう一つ頭痛の種を抱え込む羽目になる。
 それが今の同行人だ。
 出会いも些細なものだった。ある時春麗は休憩を兼ねて昼食を摂るべくとある飲食店に入り、注文の品が来るまで色々物思いにふけっていた。
 その時、無意識の内に一番頭を悩ませていることが口を衝いて出ていたらしい。
「『波蝕の鎧』か……。」
「知ってるよ、ソレ。あたしもそれ探してるんだ。」
 春麗がびっくりして顔を上げると、その視界に一人の少女の姿が入った。
 自分の身長ほどの細長い棒を持ち、頭には金環。そして本物かどうかわからないが、お尻からぴょこんと尻尾らしきものを出している。(気にすまいとしていても自然に目が行ってしまうので、いっそのこと本物かどうか聞いてみようと春麗は思っているのだが、今のところ聞けずにいる。)
 いきなり話し掛けてきた彼女はソンソンと名乗った。まだ幼い感じを残した顔つきに敵意は見られず、むしろ好感さえ持たせる。
「探してるって……どういう事?」
 春麗はいつの間にかテーブルの向かい側に腰を下ろしているソンソンを怪訝そうな顔で見返した。
「わたしが住んでる村に変な病気が流行って、その原因が『波蝕の鎧』だってじいちゃんが言うから探してるんだ。原因がわかれば治す方法もわかるかもしれないし。」
 そう答えつつソンソンは春麗が注文した料理が運ばれてくるのを物欲しそうに眺めてから、思い付いたように春麗に向き直った。
「そうだ! ね、良かったら一緒に探そうよ。一人で探すよりも絶対良いと思うよ!」

 気弱になっていたのだろうと思う。何も手掛かりが得られず、一人で燻っていたのだから。普段の春麗ならいきなり正体の知れない者と行動したりはしなかったであろう。刑事という職業に就いている以上、自分の『人を見る目』は信用しているが、任務で動く場合には事情が違う。
 ましてこのソンソンは、勢いで一緒に行動することになってから後興味を示すところといえば飲食店だけ。人数が増えれば効率が良くなるどころの騒ぎではない。
 とうとう春麗の堪忍袋の緒が切れた。
「とにかくこんなところで遊んでいる暇なんて無いのよ、ソンソン。貴方が手がかりがあるからってここへ来たのに……。」
 春麗は怒りを押し殺した低い声で続けた。
「私はこれ以上貴方に振り回されて時間を無駄にすることは出来ないの。貴方がそんな態度を取り続けるつもりならもうここで別れましょう。その方が……」
「そうやって怒ってばっかりだと負けちゃうよ? なンかちょっとでもお腹に入れようよ。そしたら落ち着いて次に何すれば良いかわかると思うよ。……それに食べられる時にちゃんと食べとかないと。」
「…………ッ」
 ソンソンの答えに春麗は次の句が告げられなかった。
 目の前の、まるで幼い頃よく聞かされたお噺から出てきたような格好をしている小さな同行人は、春麗の『苛立ち』を見抜いた上で、落ち着かせる為にわざとこのような行動を取っていたのだろうか?
 ソンソンの春麗を見上げる顔は今までになく真剣なものだ。やはりわかっていてやっているのだ。
「……落ち着く、か。」
 そう言いつつ春麗はため息をついた。と、その時、視界の端に何処かで見たような姿が横切った。
 セーラー服に白いハチマキ。その格好は遠目でも良く目立つ。
「ちょ…ちょっと待って。知り合いがいるわ。」
 春麗はそう言って走り出した。こんなところで彼女と会うのは、多分偶然ではあるまい。
「さくらちゃん!!」
 そう叫びながら思い切り手を伸ばし、白いハチマキをつかむ。
「あぃたッ!!」
 その反動でさくらの首がくきっといい音を立てた。予想もしていなかっただけに痛さ倍増である。さくらは涙目で後ろを振り返り、ハチマキを引っ張った犯人を確認した。
「……春麗さん!?」
「よかった、追いついて。こんなところで何して……。」
「しーッ!! 声大きいです。隠れてるんですよ実は。」
 さくらはちょっと大袈裟な身振りで示した。隠れているとはいえ彼女の格好ではすぐに見つかるような気がすると春麗は思ったが、取り敢えずその場は黙ってまわりを見渡した。後から追いついてきたソンソンも、春麗の真似をしてきょろきょろしている。
 視界には特に変わった人は見当たらない、が、春麗には心の中で該当する人物が一人浮かび上がった。
「隠れてるって……あ、ひょっとして自称サイキョ〜流師範!?」
「そうなんです。ついてくるっていって聞かなくて……。私一人じゃ不安だって言うんですけど。」
「……それよりはまだ一人の方がマシよねェ。」
 困惑しているさくらの様子を見つつ、春麗はため息を吐いた。詳しい説明をされなくても大方想像がつく。気楽に、自分の気持ちの赴くままに青春を謳歌しているように見えるこの闘う女子高生も、見えないところで結構苦労しているようだ。
「……わかったわ。まずはここから離れましょう。この辺は多分あなたよりも私の方が詳しいから。とにかく『彼』と離れられれば良いのよね?」
「はい!お願いします!」
「じゃあこっち。行きましょう。」
 春麗は目配せで横にある路地を示すと、行き交う人々の間を素早くすり抜けて移動を開始した。その後に遅れないようにさくらとソンソンが続く。
 その数分後、自己主張の激しいピンクの胴衣を着たダンがさくらを探しながらそこを通り、通行人に見事にぶつかって一悶着を起こした事は当然3人は知る由も無かった。


 春麗・さくら・ソンソンは先程の繁華街から30分ほど離れた、とある飲食店に腰を落ち着けていた。先程から「食べ物屋」ばかり巡っているような気がするが、手近で落ち着いて話が出来るところとなると、結局そうなってしまう。
 それにここの店は店長と春麗は結構前からの顔なじみな上に、いわゆる「一見さんお断り」法則が暗黙の了解として存在する。それ故に例えダンが追いかけてきたとしても見つかる恐れはない。
 それを聞いてちょっと安堵の表情を見せたさくらと、最早食べる気満々のソンソンは初対面なので、まずは自己紹介などをした後に軽食を注文した。
 しばらくして話を切り出したのは当然春麗である。
「で、さくらちゃんは例によって『あの人』の追っかけでここへ?」
「それもあるんですけど……。」
 さくらはお茶をテーブルに置きながら少し間をあけた。そして春麗に改めて向き直ると、真顔で口を開いた。
「春麗さん、『波蝕の鎧』って知ってます?」
「……まさかあなたの口からその言葉を聞くとは思ってなかったわ。」
 春麗はこの任務に着いてからもう何百回目ともなるため息を大きくついた。一方のソンソンも食事に熱中しながら目だけをさくらの方に向けている。
 そんな2人の反応を、さくらは何とも言えないようなきょとんとした顔で交互に眺めた。
「知ってるんですか。」
「知ってるも何も、今の私の任務がそれよ。」
「はぁ……。結構大事なんですね。噂はあながち嘘じゃないんだ。」
 さくらの話によると、日本の高校生の間で非常にオカルトじみた噂話が流行っているという。それは世界中で消えている街に関係しているであろう『波蝕の鎧』に触れる事が出来ればどんな願いでも叶うというもので、通常なら信じろという方が無理なこの話を信じて消息を断つ若者が増えているとの事。
「傍から見てればものすごいおかしな事なのに皆真剣に信じてて。最近は何か変な宗教まで出来ちゃってるんですよ。しかも1つや2つじゃないんです。一種の社会現象になってる感じ。」
 さくらはちょっと眉を寄せ、困ったような表情で話した。
 『消える街』の被害は日本も例外ではなく、人々の不安や恐怖が歪んだ噂を生まれても不思議ではない。そしてそういう噂ほど広まるのは早いものだ。まして日本は小さな島国である。
 相槌を打ちつつ春麗はさくらに先を促した。
「……で、そうこうしてる内にケンさんから連絡があって、リュウさんがその『波蝕の鎧』を探しに出たらしいって聞いたんです。ケンさんはリュウさんを追いかけてみるって言ってましたから私も、と思って……。」
「そう……じゃ、彼らもこの件にかかわってる訳ね。」
「えぇ。何かリュウさんの様子、ただ事じゃなかったみたいですよ。」
 さくらの言葉に春麗は考え込んだ。
 信憑性が無いにもかかわらず、存在感だけが膨れ上がっていく『波蝕の鎧』。
 リュウの格闘家としての『勘』は計り知れないものがある。そのリュウが何かを感じて旅に出たという事は、やはり何かあると考えていい。
 そしてここでふと、春麗はさくらの口からある人物の名前が出てきていない事に気がついた。
「そういえば……あの神月財閥のお嬢様はこの件に関して何も言っていなかった? こういうの好きそうだと思うんだけど。」
「それがね、聞いて下さいよ。どうもその『波蝕の鎧』とかいうののせいでだいぶ『株』がやられちゃったらしいんです。」
 さくらは待ってましたといわんばかりに話し始めた。神月かりんは財閥の持ち株の所有権を半分以上握っていたのだが、『波蝕の鎧』の噂で予想外の株価の変動があり、かなりの損失を出してしまったらしい。
 直接ではないにせよ、波蝕の鎧のおかげで損失を出した事実に変わりはない。故に真っ先に乗り込んでいくと思いきやさにあらず、「失った株を取り戻すのが先」とそのまま部屋にこもってしまった。
 彼女曰く、
「神月家にとって、波蝕の鎧などというくだらない物は恐るるに足らないものですわ。そんなものに振り回されるのは愚の骨頂。今すぐ世界が滅びるという訳じゃなし、そういう体力仕事は自称『英雄』に任せておけばよろしくてよ。」
 さくらはその時のかりんの様子を見事に真似しながら伝えた。余りの『物真似』の上手さに春麗が思わず失笑してしまった程だ。
 そしてさくらは最後にこう付け加えた。
「でも本気でマズい事になりそうだったら連絡しろって言われてます。何か秘策でもあるのかな。まさか『まんじゅしゃげ』って事はないと思うんですけど。」
「それなら始めから出てきて一気にカタを解決してくれた方がありがたいのに……。」
 そう言いながら春麗は頬杖をついた。『お嬢様』のやる事はイマイチ理解し難いものがある。『波蝕の鎧』に振り回されるのは愚か者だといっておいて、実際には自分自身も思い切り振り回されているのだ。
 ──本人がその事実に気付いているかどうかはわからないが。
 何れにせよ神月かりんがこの件にかかわってこないという事実は、春麗にとって安心すると同時に期待を裏切る材料だった。何しろ神月財閥のネットワークは桁が違う代物だ。彼女の参戦で状況が引っ掻き回されたとしても、それを補って余りある情報網が手に入らないのがちょっと痛い。
 春麗はそうやって考えを巡らせながらつぶやくように言った。
「彼女、一体何処までわかってるのかしら。」
「結局何もわかってない、と言うか今のところまだ調べてないみたいですよ。そうじゃなかったら株で損はしないだろうし……。その気になったらわかりませんけど。」
「……やってる事が結構ちぐはぐね。あのお嬢様でも混乱するんだ。」
「かりんさんも人間ですしねェ……。」
 春麗の感想に、さくらは苦笑いを浮かべた。
 結局のところかりんは、『鎧』の存在を信じていないのである。故にその噂が株にまで影響するとは予想していなかったし、株を失ってからも噂の根元を突き止めようとはしていない。
 それよりも、とさくらは言った。
「春麗さん、どうやって波蝕の鎧を探すんです? 何か手掛かりとかあるんですか?」
「それが最初にして最大の難関なのよ……。」
 さくらの質問に春麗は頭を抱え込んだ。かりんはこの件には首を突っ込まない。ナッシュの話によればアメリカ軍も何もつかんでいない。当然自分達も何もわかっていない。正に八方塞がりである。
 今までとは違い、多少落ち着いて考える事ができるようになったと春麗は思う。しかし落ち着いて考えてみたところでやはり何も対策は浮かばず、考えは堂々巡りするばかりだ。
 先程ナッシュに電話をかけた時、彼も苛ついているように感じたが、その気持ちは春麗にも充分すぎるほどよくわかった。
 そして今またしてもわかりかけてきたその時。
「慌てなくてもそのうち着くよ。」
 口一杯に包子を詰め込んだソンソンがさり気なく口を挟んだ。
 春麗は予想外の言葉に思わず真っ向からソンソンを見据える。
「……『着く』ってどういう事?」
「じいちゃんが言ってた。『“深淵”への道はすべて集束する』って。」
「何?その『アビス』って言うのは……? 『波蝕の鎧』と関係があるの?」
「わかんない。そこまでは聞いてないし。とにかくその『鎧』を探してたら知らない間に着くって言ってた。」 
 春麗の厳しい視線は矢張りソンソンには通用しないらしい。ソンソンは平気な顔をして最後のごま団子を口に運び、お茶を飲んでようやく落ち着いた顔を見せた。それにしても彼女は見かけの体格からは想像もつかないほどよく食べる。
「よく考えたら私、貴方の事何も聞いてないのよね。貴方は鎧についてどれくらい知ってるの?」
 春麗はなるべく感情を表に出さないように聞いた。ソンソンが敵であるという事は到底考え難い。しかし何かしらの秘密を持っているであろう事も事実だ。
「全然知らないよ。じいちゃんも全然教えてくれなかったし……。じいちゃんがただ一つ教えてくれたのは『船』を探せって事。船に乗れたらあとはすぐだって。」
 春麗もさくらも、狐につままれたような表情でソンソンを見つめた。
「……貴方のおじいさんって一体何者なの?」
「じいちゃんはじいちゃんだよ。昔は強かったみたいだけど、今は腰が駄目みたい。病気もあるしね。」
「……。」
 春麗は黙ってしまった。ソンソンからはこれ以上期待できる話は聞けそうにない。
 しかし「船を探せ」というソンソンの祖父の言葉には騙されてみる価値があるように思う。
「──よし!」
 春麗は左の手の平に右手の拳を打ち付けつつ立ち上がった。
「本部と……それからナッシュ中尉にもう一度連絡を取ってみるわ。取り敢えずソンソンの言うように『船』を追いましょう。」
 例えどんな理由であれ、『足踏み』をしてしまうのは一番よくない。それは春麗自身が一番身にしみている事だ。
 時に悩んだり、苛ついたり、傷ついたりする事は多々あり得る。しかしそれにこだわって何時までも最初の一歩を踏み出せなければ、物事は何も進まないまま時だけが過ぎていく。
 事態を好転させたいと願うなら、どんなに辛くても前に進まねばならない。
 そう、それが痛い程わかっているからこそ、彼女はこの職業を選んだのだ。
 父と同じ『刑事』という職業を。

 


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