Chapter6. >Into the air

 綺麗に磨き上げらた空港内のロビーで、目の前に広がるパノラマに並ぶ航空機を見、明らかに初めてと言うことを宣伝せんばかりに叫ぶ少女が一人。
「ねぇねぇモリガン!!あれ見てよあれー! すっごく大きい飛行機ー!!」
「……ちょっとは落ち着きなさいよ。全く恥ずかしいったら無いんだから……。」
 はしゃぎまくるリリスを尻目に、モリガンは呆れ顔でため息を吐いた。本当にリリスは『自分自身』なのかと疑いたくなる一時である。大体飛行機など『夜の散歩』の最中に幾度となく見ているはずなのだ。
 ナッシュはそんなモリガンとリリスの様子を見て、苦笑とも微笑ともつかない微妙な表情を浮かべつつロビー中央のソファに腰を下ろした。

 ナッシュはガンビットから預かったディスクやモリガンの話、その他今までのデータをまとめた。
 『波蝕の鎧』の噂は異常なまでに全世界に流布している。実は見えぬ処で各国が情報協定を結び(それぞれの思惑はどうであれ)、必要以上の情報は一切公開していなかった。にもかかわらず、人の口に戸は立てられないという言葉通り、噂は何処からともなく派生して水が土に染み込むように徐々に徐々に人々の間に浸透していく。
 信憑性に乏しいこの噂がここまで広がっているという事実。これは人々が無意識の内に何処かで『鎧』の存在を信じ、その力を恐れているという証拠になりはしないだろうか。
 消えた街の情報も気になるところだ。一概に『消えた』といってもその内容は大別して2種類。全く突然に町中の人々が文字通り消えてしまった場合と、原因不明の奇病が流行り成す術もないままに全滅してしまった場合だ。
 どちらも何が原因なのか、また、行方不明になった人々は何処へ行ってしまったのかは皆目検討が付かない。仮説すら立てられない状況なのである。
 ただ唯一、共通する点がある。
 人々が消えた街の上空では必ず『船』が目撃されているのだ。
 目撃されるのは絶えず人々が『消えた』後なので、その船が人々を連れ去ったり疫病を流行らせたりしているのかどうかは不明である。しかしこの船は無関係と考えるのはどうやっても無理な話だ。
 任務を受けている以上、いつまでも同じところで燻っている訳にもいかない。ナッシュは取り敢えず一番『船』の目撃例が多い地方を割り出し、そこを行き先と決めて実際に動く事にした。

 そこで問題になったのが移動手段である。ナッシュには一応の権限が与えられている為にどんな移動手段でもとろうと思えばとれるのだが、リリスがどうしても飛行機に乗りたいと言い出した。
 いわゆる戦闘機はよくて複座機。2人乗りだ。モリガンとリリスが合体すれば乗れなくもないが、リリスは自分で乗ってみたいといってきかない。第一戦闘機は制空権がうるさい上に空港の確保等問題が山積みになる。そういう意味では貨物機を使用しても同じ事だ。
 それらよりも多少は融通が利くヘリコプターという手もある。しかしリリスがあくまでも『飛行機』にこだわったので、この案は無条件で却下された。
 結局、大人しく旅客機での移動と相成った。国外への移動となり、モリガン達のパスポートやビザが面倒な事になるかと思いきや、係員は2人の顔を見ただけであっさりと、その上笑顔までおまけにつけて通した。
 その様子から察するに、恐らくは催眠術に類するものなのだろう。『夢魔』という異名をとる以上、それくらいは当然『朝飯前』という訳だ。
 あとは搭乗の時間を待つのみなのである。

「全く。よく貴方もあの子の我が侭に付き合うわね。もしかしてあの子の方が気に入ったのかしら?」
 ナッシュのすぐ隣に並んで腰を下ろしたモリガンが、ちょっと悪戯っぽい笑顔を浮かべてナッシュを見た。
 いつまでもナッシュが落ちないのが不満なのかと思ったが、別にモリガンの言葉に刺は感じられない。むしろ『お堅い中尉殿』をからかうのが目的のようだ。
 ナッシュは肩をすくめた。
「余裕を持てといったのは君だろう?」
「……そういう意味で言ったんじゃ無いわよ。」
 自分の言葉を逆手に取られたモリガンはちょっと眉を寄せる。割と人間的な反応だ、とナッシュは思った。
「わかってる。まぁどの道時間稼ぎが必要だ。それにあまり軍の権限は使いたくない。」
 『特殊任務』によって与えられた権限を使うのは容易いが、それはいわゆる『諸刃の剣』となり得る。下手な使い方をすれば、間違いなく上層部は揚げ足取りにかかるだろう。
 ナッシュはそのまま視線の先をリリスに移した。彼女は相変わらず広いロビーを行ったり来たりしては目を輝かせて色々なものに見入っている。
 そんなリリスを見ながら、ナッシュはふと口を開いた。
「しかし驚いたよ。あんな子が君の中にいたとはね。」
 そう、リリスの存在は『もう何事にも驚かない』ナッシュを驚かせるには充分な材料だった。昨晩モリガンの話を聞く際に、「この子の意見も聞いてみたら?」と目の前にいきなり出されたのが彼女だ。
 ナッシュが努めて冷静を保ちながら聞くところによると、リリスはモリガンの『一部』であるらしい。
 大きすぎる力が原因で自滅しそうになっていた生まれて間も無いモリガンから、養父が力を分離して封印した。そのモリガンの力(魂)の一部に『仮初めの身体』を与えられたのがリリスなのだという。
 リリスが『生まれた』のはつい最近とのこと。彼女たちの言う『最近』を人間に換算するとどれ程の年月になるのかはナッシュには判らないが、確かにモリガンに比べれば随分幼い印象を受ける。
 ただ時折表情の端に、モリガンと同じサキュバス特有の『顔』が覗く以外には。
 そんな事を考えながら、ナッシュは先の言葉を継いだ。
「──道理でたまに仕種の中に子供っぽさが入る訳だ。」
「……知ってたの?」
 モリガンはナッシュの観察眼に少し驚かされた。興味の無い風に装っていても、押さえるべきところは押さえるというわずかな変化をも見逃さない、そして無駄の無い洞察力。
 ナッシュに反感を持つものが多い敵だらけの空軍で『中尉』という地位を獲得するだけの事はあるように思える。最も、モリガンにとってその地位がどれほどのもので、何の意味があるかなどと言うことは分からなかったし、理解するつもりも無かったが。
「でも彼女も君自身なのだろう。何故完全に同化してしまわない?」
 ナッシュが更に疑問を口にした。今までほとんどモリガンに質問というものをしなかった(というよりあまり口もきかなかった)ナッシュだが、ここへ来て急に口数が多くなった感じだ。
 落ち着いたのか、少しばかりの余裕が出てきたようである。
 そんなナッシュの様子をちょっと面白く思いながら、モリガンは笑顔で答えた。
「楽しいじゃない。色々な視点で物事が見られるわ。……そりゃ確かに同化してしまった方が後々の私の為にはなるんでしょうけど……。今が楽しければそれで十分よ。」
 本当にこの夜の女王は退屈というものを嫌うらしい。
 快楽を追い求め、全てをその一瞬にのみ懸けて生きる。そういう刹那的な生き方は、人間にとってもある意味理想的では無かろうか。
 ふと、思い出したようにモリガンの眼差しが厳しくなった。
「ちょっと聞いてもいいかしら?」
「……何を?」
「貴方がそこまで『正義』というものにこだわる理由。」
「──。」
 ナッシュの表情こそ変わる事は無かったが、心の片隅に漣が立った様子をモリガンは何となく感じた。普通の人間なら見極められないような完璧とも言えるポーカーフェイスだが、今のモリガンの言葉は一種の動揺を誘うような『鍵』である事に間違いはないようだ。
 ナッシュは黙ってモリガンの出方を見るつもりらしく、次の言葉を待っている。
 モリガンはそのまま続けた。
「人間界に散歩に来た時、私はあのべガに興味を持ったのよ。人間が持つにしては大き過ぎるあの能力にね。……でも、その人間離れした男を執拗に追う人間の存在を知って、私の興味はそっちに移ったの。
 一介の、それも普通の人間があの『魔人』と呼ばれるべガという男を追い、その理由が『正義』。ただ『人道的に許せない』だけでそこまで正義という漠然としたものに命まで賭けるなんて。……その正義の裏には一体何が隠れているワケ?」
 『正義』とは人によって受取り方が随分違う、非常にあやふやで定義しにくいものだ。万人の為の正義などというものは存在しない。一方の正義は、他方の悪と同義になり得る。
 まして人間の言う『正義』という概念はモリガンには理解できない。しかし普通その正義というものは何らかに基づく『理由』があるはずだ。恋人や家族を守る為というスタンダードな目的から、逆に親しい人を奪われた復讐である場合、また極端な例としてはただ目立ちたい、他人から感謝されて羨望の眼差しで見られたい等、上辺の綺麗さには程遠いどろどろした感情が渦巻いている事も有る。
 モリガンは今まで何人もの正義を背負った男達を見てきた。確かに表向きは実に立派な志を持った者達ばかりだったが、裏を返すと大半の者が非常に偏った正義を振りかざしている。
 所詮人間。結局人間は「自分の為」にしか生きられないのだから無理もない話だ。
 しかしナッシュの場合、その『裏側』が全く見えてこない。何らかの理由があるのはわかる。深層心理にかかわる事だが、サキュバスのモリガンにしてみれば、心の奥底にかけられた閂を抜く事くらいは訳のない話だ。
 にもかかわらずナッシュの心の底はどうしても見る事が出来なかった。見られないとなると一層見てみたくなるのは当然の心理といえよう。
「普通は『夢』の中に入ればその人間が何を欲しているのかが判るのよ。夢の中は本当の欲望が一番剥き出しになる場所だから。……なのに貴方の夢が読めない。こんな事初めてだわ。実際に会えば判るかとも思ったんだけど。」
 そこまで聞いたナッシュは表情が心持ち硬いまま、ため息を吐いて椅子に沈み込んだ。
「──君が俺に付きまとうのはそれが理由か。」
「半分はね。」
「やれやれ……。」
 実際ナッシュは虚を突かれていた。よもやダークストーカーに正義の理由を聞かれようとは。
 確かにナッシュには正義にこだわる理由がある。しかし日が経つにつれ、いつしか理由は薄れて正義という手段だけがライフワークのように残ってしまっていた。
 事実今モリガンに指摘されるまで、自分の理由など忘れていた。その奥深い理由は今まで誰にも話した事は無い。
 ──そう、親友であるガイルにすら。
 ナッシュは眼鏡を外して天井にかざし、レンズを通して見えるちょっと歪んだ照明を眺めてから横目でモリガンを見た。
「何故それが知りたい? やはり興味本位か。」
「そうね……興味本位が一番。だってこれだけ私と一緒にいるのに貴方は平気なのでしょう? 普通の人間ならもうとっくに干からびてるわ。その原因もありそうだと思うのよね。」
「……。」
 ナッシュの見たところ、モリガンは決して自分から頭を下げるような事はしないタイプだ。その彼女がナッシュに対し、言わば恥をしのぐ形で直接『質問』をしている。
「私なりに考えてみたけど判らないのよ。軍に固執しているのか、麻薬に固執しているのか。貴方ほどの頭があって、何でわざわざ自分を不利な状況に置いて真正面から『敵』にぶつかる訳?」
 何が人間をそうまでさせるのか。それほどのエネルギーの源は何処から生まれるのか。モリガンはそれが知りたかった。モリガン自身は何事にもあまり執着する事が無い。何かしら物事に固執するその心理がわずかなりとも理解出来れば、世の中に対する見解もまた少しは替わってくるかも知れない。
「……成る程。」
 ナッシュは眼鏡をかけ直し、モリガンを見据える形で向き直った。
「ところでモリガン、君は退屈が嫌いだな?」
「……何よそれ?」
「嫌いなんだろう?」
「嫌いよ。……何を今更そんな事聞くのよ。」
 モリガンはナッシュのこの質問にちょっと戸惑った様子だ。怪訝な表情をまともにナッシュに返している。
 とそこで、目的の航空機の搭乗時間が来た事を告げるアナウンスがロビー内に響き渡った。
 そのアナウンスに反応したナッシュは電光掲示板で間違いの無い事を確認すると、「時間だ」と言いつつソファから立ち上がった。
「ちょっとナッシュ!?」
 モリガンは座ったままでナッシュを見上げた。振り回されているのは充分に判っている。だがそんな中途半端な質問をされたまま、しかも自分の解答を得られずにはぐらかされたのではたまらない。
 そんなモリガンの様子を知ってか知らずか、ナッシュは背を向けたまま意外な台詞を口にした。
「──『賭け』をしないか?」
「……?」
 モリガンがつい思わず腰を浮かす。
 ナッシュは構わず続けた。
「期間は『波蝕の鎧』の決着がつくまでの間。その間に君の俺に対する興味が失せた場合は無効。」
「内容は何なの?」
 案の定、モリガンの興味はナッシュの次の台詞に注がれた。ナッシュは視線の先だけモリガンに向け、おもむろに口を開く。
「『ただの人間が正義という看板を背負って何処まで行けるか』 ……人間の意志の強さはどれ程のものか、それを賭けの対象にしようという訳だ。」
「……具体的には?」
「波蝕の鎧の存在は人智を超えるものだろう。その波蝕の鎧に対して俺が最後までかかわっていられたら俺の勝ち。途中何らかの形でリタイアしたら君が勝つ。」
「……大したユーモアのセンスだわ。」
「多少の退屈しのぎにはなるだろう?」
「どうかしらね。」
 モリガンは立ち上がりながらリリスに向かって手を上げて合図をし、そのまま搭乗口の方に行けと促した。それからナッシュの横に並んで自分も搭乗口へと歩き出す。
「その『賭け』について2つ3つ質問があるのだけど。」
 歩きながら自分の腕をナッシュの左腕に絡ませて、モリガンは見上げた。ナッシュは別に嫌がる様子でもなく、目で「何だ」と問い掛けている。
「貴方が途中リタイアする事だけど、死んだ場合はどうなるの? 私が勝っても何も無いじゃない。」
「そういう状況に陥いる前に、君自身が判断すればいい。もうこれ以上俺が闘えなくなったと君が思った時点で君の勝ちだ。……即死の場合はどうしようもないがな。」
「でも他にリタイアする理由なんてあるのかしら?」
「可能性としては色々ある。波蝕の鎧を狙っている連中はかなり多いと聞く。それなりに障害も出てくるだろう。それに上層部が俺に対して露骨な妨害工作をしてくる場合もあるしな。」
 ふぅん…と、モリガンは少し考えるような目付きをした。確かに条件がいささかあやふやな感じはある。
 わずかな間沈黙が続いた後、モリガンは唐突につかんでいたナッシュの腕をぐっと引っ張った。ナッシュが驚いて立ち止まる。
「──何だモリガン?」
「お互い、勝った時の報酬は何?」
 モリガンは腕を離し、ナッシュを真っ直ぐ見つめて聞いた。それを受けてナッシュはちょっと間を置いた後、思い付いたように答えた。
「……君が勝った場合は俺が提供できる範囲で君の希望を聞こう。ご期待に添えられるかどうかは判らんが。」
「それは私の云う事を聞くって事? ……何でも?」
「まぁ有り体にいえばそういう事になるな。それとも他に何か賭けて欲しいものが?」
「いいえ、それでいいわ。貴方の命を好きにさせてもらうという取り方をしても構わないかしら?」
「……あぁ。」
「じゃあもし私が負けた場合は、私が貴方の云う事を聞く事になるのかしらね。」
「君がそれで構わないならそうしてもらおうか。」
 ナッシュは意味ありげに微笑を浮かべた。
 こんな表情も出来るのだ。それを見たモリガンはふっと肩の力を抜いた後、改めてナッシュを見返した。
「面白いじゃない。その賭け、付き合ってあげるわ。」
 自分に賭けを申し込んでくる人間がいるなんて思いもしなかった。そしてこのナッシュの提案は、全体的にモリガンの疑問に『応える』形になっている。何がナッシュを正義に向かわせているのか、自分の目で確かめろという事だ。
「貴方に不利なんじゃないの?これは。」
「余裕は勝ってから言うんだな。これでも俺はかなり諦めが悪い方だ。」
 再び歩き出しながら聞いてきたモリガンの質問に、後ろからついていく形になったナッシュが答えた。
 前方では先に搭乗口に到着したリリスが大声で2人を呼んでいる。
 これでいい、とナッシュは思った。わざとこういう要素を持たせる事で、今までのように自分で自分自身を追い込んでしまう事態は回避できるだろう。
 モリガンがどう捉えているのかはわからないが、ナッシュはこの『賭け』を自分の為とするつもりだ。自分を見つめ直し、自分の信じた道を見失わないようにする為の。
 そう考え、改めて気を引き締めながら、ナッシュは搭乗のゲートをくぐった。

 


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