Chapter10. >the moonlight

 モリガンの呼び掛けに応じるかのように、影が揺らいだ。
 突然に襲い掛かってくるかと思いきや、相手はそれをせず、ゆっくりとモリガンの方へ歩み寄ってくる。そして最早月が取って代わった淡い光の元へとその姿をさらした。
 モリガンを尾行していたその影は女だった。短く刈り込んだ赤い髪に、意志の強そうな眼をしている。
 そして一際目を引くのは、背中から放射状に突出している『骨』──
 一目見て人間とは異なる者だという姿をしているが、かといってモリガンのような種族よりは人間に近い。
 その様子から彼女もまた、ミュータントやその類に属する者なのだろう。それを踏まえた上で、モリガンは睨んでくるだけで一向に何もしてこない女に対して話し掛けた。
「──私に何の用なのかしら? ただくっついてきた訳じゃないんでしょう?」
「こンな街でうろついている間抜けな人間のツラを一度拝んでやろうかと思ったからさ。」
 息を吐き出す様に女が答える。割とよく通る声だ。
 ここで、モリガンの悪戯精神が働いた。口の端にうっすらと笑みを浮かべつつ、更に言葉を続ける。
「で、その人間を観察しに来て、何をするつもりだったの? ただ見に来ただけ、じゃぁ貴方も単なるお間抜けな『ミューティー』ね。」
「てめェ!!」
 侮辱混じりの完璧な挑発に、女が乗った。
 背中の骨を1本引抜き、鋭く尖っている方をよく見える形で握り直す。それはまるで大振りのナイフのように鈍く月の光を反射していた。
 それから再び得物を逆手に持ち替えると、思い切り地面を蹴り上げモリガンに向かって突進を開始した。
「人間ってヤツはどいつもこいつも数が多いからって自分が正しいと思ってやがる! 少しは痛い目を見て後悔しな!!」
「貴方の方こそ、見かけだけで人を判断していると後悔するわよ……?」
 モリガンは女の第一撃を楽に躱すと、自分も戦闘態勢に入るべくすっと右手を水平にかざした。
 ──その時
「止めろ! 待つんだ!!」
 辺りに響き渡る男の声と共に、その場の気温が急激に低下した。
「──何!?」
 モリガンは反射的に後ろへと飛び退いた。と同時に、今まで自分がいた辺りに巨大な氷が出現しているのを見た。
 そして更にその先には、モリガンにもう一度攻撃を加えようとしていたはずの女が、両手両足を氷に封じられて転がっている。
 モリガンの髪の毛の先も、微かに凍っていた。
「何なのよこれ……?」
 呆然とその髪の毛を触ってみる。幻覚などではない、れっきとした氷だ。
 一方で、身動きが取れなくなった女が闇に向かって憎々しげに叫んだ。
「畜生! 邪魔をするなアイスマン!!」
「何言ってるんだマロウ。元はといえば、君がいきなりいなくなるのが悪いんじゃないか。」
 マロウが叫んだ先、月明かりと闇の境目に2つの人影がそう答えながら姿を現した。
 一人は男──アイスマンと呼ばれた方で、文字どおり体中が氷に覆われている。今モリガンと、マロウと呼ばれた女の戦闘を氷で止めたのもこの男だろう。
 もう一人は女で、よく見ると風を伴い僅かに宙に浮いていた。腰まであろうかという長い髪は、目が覚めるように白い。不思議な雰囲気を持つ女だ。
 このマロウの仲間らしき2人連れも、ミュータントであると言う事は想像に難くない。そればかりか、それぞれのユニフォームには『X』の文字が入っていた。
「無理を言われりゃ誰だって消えたくなるさ。」
 両手両足を固定されて全く動けないマロウは、唸るように呟く。
「無理なんか言ってないじゃないか。一旦マンションに戻ろうという話をしただけなのに。」
「うるさい!! それ以前になんであたしがお前等なんかと一緒に行動しなきゃならないんだ!!」
 なだめようとするアイスマンに対し、マロウは全く取りつくしまも無い。
 その横で呆れるようにマロウを見下ろしていた女の方が、モリガンに視線を向けた。
「……怪我はなかった?」
「えェ、おかげ様で。──貴方達はX-MEN?」
 この質問に相手は一瞬、それもほんの僅かに意外そうな表情を見せたが、すぐに気を取り直すとモリガンに右手を差し出した。
「そう、私はストーム。そこの彼がアイスマンで、貴方に襲い掛かったのがマロウ。」
「私はモリガン。」
 と、モリガンも握手に応じる。こういう場合は人間の礼儀に合わせておいた方が後に色々やり易い。
 そしてそのまま相手に警戒心を抱かせないように、また、相手に質問をさせる隙を与えないようににっこりと笑みを浮かべ、社交辞令よろしく先に質問をした。
「彼女、マロウというのね。彼女もX-MENなの?」
「マロウはまだチームに入って間も無いのよ。」
 ストームはちょっと困惑した様子で再びマロウを見やった。メンバーとしても彼女にはてこずっている、という感じだ。
 またそれとは別にこの2人の間にはちょっとした因縁があるのだが、その時のモリガンにはもちろん知る由も無い。
「──何じろじろ見てンだよ。」
 ストームとモリガンの視線に気付いたマロウが、2人を睨み返す。
「まぁとにかく!」
 そこへアイスマンが強引に割り込んだ。
「僕らは一刻も早くマンションに戻らなきゃならない。一体どれだけタイムロスしていることやら。」
 と、そこでモリガンに気がついて、向き直る。
「あぁ、悪かったよ。乱暴な止め方をしてしまったけど、大丈夫だったかい?」
「大丈夫よ。それよりも聞きたい事がいくつかあるのだけど。貴方達、今までこの街にいたの?」
 モリガンはアイスマンの心配を遮るように聞き返した。
 モリガン達がこの街に到着した時からずっと、人の気配などは全く感じられなかった。こんな派手な3人組みが同じ街を、しかも全く生物の気配の無い街をうろついていれば、気がつかない訳が無いのだが──。
「着いたのは昼過ぎ位かな。でも今までずっと工場の方にいたんだ。」
 鉢合わせなかった事に対する答を、アイスマンはそう推測した。そういえばモリガン達は工場の方は覗いていない。何故覗かなかったのだろう。
「……工場って、何があるの?」
「工場そのものは別に何の変哲も無いところさ。──でも変な物を見つけた。」
「変な……もの?」
「これだよ」
 アイスマンが差し出した物は、氷付けにされた『何か』だった。
 氷そのものの大きさは40センチ四方と割と大きい。その中に、一見するとまるで魚の様なものが封じられている。
 魚──多分魚だ。しかし何故この魚は尾鰭に当たる部分が二つに割れ、胸鰭は長く先に爪のようなものを持ち、目は三つ目で口には鋭い牙が並んでいるのだろうか。
「これは……何?」
「さぁ? まず第一に考えられるのは、この工場で怪しいものを作っていた結果ってヤツかな。」
「……でもあの工場自体は何の変哲も無い町工場だわ。その上何か隠れてやっていたような情報も見当たらないし、尚且つこんな奇形が今までにいたのなら、それなりの噂は耳にしたはずよ。」
 ストームが横から口を挟んだ。その通り、変な噂があったなら、ここに来るまでの間に何かしらの予備知識として入って来そうなものだ。
 となると、やはり消えた人々との関係を疑わざるを得なくなる。
 モリガンが口に手を当てて考えていると、その顔を見ていたアイスマンが思い出した様に聞いた。
「ちょっと聞いていいかい? 君は何でここに?」
 その質問に驚いたモリガンが、勢い良く顔を上げる。
「──何故?」
「何故って……それこそ『何故?』だよ。こんな街に一人で、しかもこんな時間に歩いているなんて。普通に考えればおかしな話じゃないか。」
 ──確かにおかしい。モリガンはそう思った。
 先にガンビットに会った時もそうだったのだが、モリガンは自分の素性を隠す為、相手に気付かれないようにささやかな精神操作を行っていた。相手の、自分に対する興味をそらすのだ。一種催眠術といっていい。
 そうやって、今まで色々煩わしい詮索をされるのを回避してきた。素性を隠すことに関して別に深い意図がある訳ではない。ただいちいち質問される(と思われる)事に答えるのが要するに面倒なのだ。
 もちろん彼等がその気になれば、後から素性は簡単にばれてしまうが、それは知ったことではない。とにかくその場がスムーズに運べばそれで良い。
 しかしアイスマンはモリガンに対し興味を示した。つられたのか、ストームもモリガンのことを不思議そうに眺めている。
 精神操作が上手く行かなかったのは、恐らくこの街に漂う瘴気のせいであろう。そう考えるのが自然だ。
 ──仕方ないわね。どうやって言ったら辻褄が合うのかしら。
 冷静になって見れば、不自然極まりないこの状況。モリガンは言葉を選びながら口を開いた。
「私も波蝕の鎧を調べているのよ。ここに来たのは私だけじゃなくて、他に連れが2人いるわ──知ってるかしら、アメリカ空軍のガイル少佐とナッシュ中尉。」
 意外にもこの一言で済んだ。アイスマンとストームはお互い顔を見合わせると、納得したような表情でモリガンを見返す。
「あのナッシュ中尉か。成る程。ガイル少佐も実際に会ったことはないが、噂は良く聞くよ。──で、今何処に?」
「すぐそこのホテルで作戦会議中。会う?」
「そりゃぁ是非! ……と言いたいとこだけど。」
 アイスマンは肩をすくめた。先程から気にしていた時間のことを今また思い出したらしい。
「会わずに行くよ。いたことだけ伝えておいてくれれば良いさ。目的が同じならいずれ連絡を取らなければならないだろうし。」
 そう言いつつ、アイスマンは身動きの取れなくなったマロウを肩に担ぎ上げた。
「──離せよ。」
「駄目だ。頼むからそう我が侭言わないでくれよ。この街に来た途端工場へ逃げ込んで、ようやく見つけたと思ったらまた逃げ出した後にこの騒ぎだろう? 波蝕の鎧の調査に行けと言われた時は、そこまで嫌だとは言わなかったじゃないか。」
「こんなチームを組まされるって知ってたら、始めッから断ってたさ! 大体波蝕の鎧か何か知らないが、それで人間が滅びたって知ったこっちゃ無いんだ。」
「一つ……聞いても良いかしら。」
 アイスマンとマロウの会話にモリガンはちょっとした興味を覚えたので、ついとマロウの顔を覗き込んだ。人間を憎むミュータントは決して珍しくはないが、マロウには何かもっと深い要素が隠されているような感じがしたからだ。
「何故貴方はそこまで人間を憎むの?」
 マロウは目だけをモリガンの方へ一瞬向けた後、
「……アンタには判らないよ。絶対にね。」
 低く、威圧感のある声でそう答え、それきり目を閉じた。──まるで全てを拒絶するかのように。
「──そう。」
 モリガンもそれ以上は聞かなかった。
 ここまで人間に対して敵意を剥き出しにするのだ。こんなところで簡単に話せるような理由ではないだろう。
 「もう、いいかい?」
 雰囲気を察したアイスマンが聞いた。
 それに対し、モリガンは目で頷きながら一歩後ろへ下がった。
 するとアイスマンは足元に氷の柱を作り出し、自分の身体を宙へ持ち上げた。そうして氷の橋状のようなものを作り、その上を滑って移動するらしい。
 傍らのストームも、風をまとって宙に浮く。どうやらこのストームは、風などの気象条件を操るミュータントのようだ。モリガンはそう推測した。
 そんなモリガンの視線を感じて、ストームが振り返った。
「ナッシュ中尉に宜しく伝えておいて。どうも嫌な感じがするのよ──波蝕の鎧というのは。」
「えぇ。伝えておくわ。」
 モリガンが軽く微笑を含んだ返事を返すと、それが合図になったかのようにアイスマン達は一気に空へと消えた。
 後には当然のように静寂だけが残った。
 モリガンは彼等を見送るかのようにしばらく空を眺めた後、もう一度見晴らしの良い表通りへと出て工場の方を見下ろした。やはり何故調べようと思わなかったのかが疑問なのだ。
「……そういう事。」
 よく見て、何となく納得した。
 見た所は何の変哲も無い。だがじっくり観察すれば、本能的に人が嫌がる『何か』が漂っている感じがする。この街に漂ってる瘴気が更に濃くなったような、一種人を寄せ付けない為の障壁のようなものが。
 何故あのX-MEN達が(特にマロウが)あの工場に入ろうと思ったのかは判らないが、モリガンは自分自身があの工場を不審に思わなかった事に対し、何者かにしてやられたような感じを受けた。
 普通の人間であるナッシュ達が、無意識の内に避けるのは判る。モリガンが行った精神操作と同じ作用が、あの工場には働いているからだ。しかし自分までその操作に引っかかっていたとは。
「面白いじゃない。」
 あれが波蝕の鎧によるものなら、相手にとって不足はない。充分に楽しめそうである。
 一人で突っ込もうかと一歩踏み出しかけたが、思い直して止めた。
 折角だから、楽しむ要素は多い方が良いという考えと、万が一の可能性、ある種波蝕の鎧に対する警戒心が交錯した為だ。
 そしてくるりと踵を返すと、元来た道を戻り始めた。

 ナッシュは月明かりが微かに差し込む薄暗い廊下に出て、軽いため息と共に食堂のドアを静かに閉めた。
 中ではガイルが酔いつぶれて寝てしまっている。決してアルコールに弱い訳ではないが、昼間の疲れと慣れないメンバーの同行、そしてこの街の持つ独特の雰囲気で、いつもよりペースが早まったらしい。
 ナッシュはもう一度ため息をつきながら、窓の外に目をやった。
 庭に冷たい月の光が落ちている。そういえばこの任務につく為に家を出た時も、こんな感じの夜だった。まだ3日も経っていないというのに、随分昔の事のように思える。
 そんな事をぼんやり考えながら煙草の箱を取り出して2・3回振っていると、正面の玄関のドアがゆっくり開き、モリガンが入ってきた。
「遅かったな。」
「色々あったのよ。……心配した?」
「いや、別に。」
 あっさり返す。
 モリガンも別に返事を期待していた様子ではなく、静かにナッシュの方へと近付いてきた。
「貴方の『お友達』はもうお休み?」
「中で潰れてる。俺もここ数日寝てないからな、そろそろ寝かせてもらうよ。」
 ナッシュは煙草を元に戻すと、廊下の奥、寝室の方へと足を踏み出しかけた──が、
「冷たいのね。今まで私が何やってたと思うのよ。」
 というモリガンの声に引き止められた。
「──何かあったのか?」
 ゆっくりと振り返って聞く。
「そりゃもう色々。聞きたいでしょう?」
 モリガンはくすくすと意味ありげに笑みを浮かべつつ、なおもナッシュに近付き首に手を回した。
「それに貴方には、飛行機の中での『貸し』もあるのよね。」
 更に顔を近付けてささやく。
「……。」
 表情を出す事も無く、ナッシュは黙ったままさり気なく目を逸らせた。言わんとしている事は判るが、現時点で付き合うつもりは更々無い。
 その時、ふとあるものが視界に入った。
「──それよりも面白そうな事がある。」
「何よ?」
 その問に答える代わりに、視線を窓の外に流した。自然、モリガンもその視線の先を追う。
 視線の先、窓から見える月に照らし出された庭の隅に、何か蠢く影があった。
 見る限り、人のようだ。人の形をしている。それがゆらゆらと庭を移動しているのだ。
 しかし、人にしては何処かおかしい。歩くというよりは、滑るように移動しているという表現が正しい。それも全く音を立てずに、である。
 それはしばらく庭を行き来した後、すうっと道の方へ出ていった。
「……何なの?あれ。」
「判らん。だがこの街に留まった甲斐はあったってところだな。」
「飽きないわね。」
「全くだ。──追うぞ。」
 言いながら手早く着ていた上着を脱ぎ捨て、側にかけてあったジャケットを羽織り、ドアへと向かう。
 そのナッシュの背中に、モリガンが鋭く声をかけた。
「ちょっと! ここの中で寝てる人はどうするのよ?」
「放っておけ。起こした所で役に立たん。」
「でも今の奴等が中に入ってきたらどうするワケ?」
「……なら見張りでリリスでも置いといてやってくれ。」
 ナッシュはそう言い残すと、素早く玄関から外へ出ていった。
「ちょっとナッシュ……! ……もう。」
 モリガンは半開きになったドアを睨み付け、どん、と片足を踏み鳴らした。この前から何度も良い様に使われている感じだ。便利屋という扱いにされているのではないか、とも思ってしまう。
「今回の私ってば大概お人好し過ぎるわ。」
 闇の中で、そうひとりごちた。本当にどうかしている。
「──とか言いながら、モリガン結構楽しんでるクセにぃ。」
 そんな声に振り返ると、何時の間にかリリスがそこに立って楽しそうにモリガンを見つめていた。
「……とにかく、そういう訳よ。貴方はここでお留守番。」
「や。折角今から楽しそうな事するのに、リリスだけ置いてけぼりって無いよ。私も行く!」
「……。」
 モリガンは膨れっ面をしているリリスを見てため息を吐いた。確かにモリガンがリリスの立場なら、意地でもついて行くと言い張るだろう。
 しかしそれはそれ。この場合はリリスの興味をちょっとそらしてやれば良い。
「ねぇリリス。貴方ナッシュの髪型も気にしてたけど、ガイルの髪型も不思議がってたでしょう?」
「……?」
 リリスの興味が微かに傾くのを、モリガンは見逃さなかった。すかさず畳み掛ける。
「今が調べる良い機会なのにね。こんなチャンス、二度と巡って来ないと思うけど……?」
「……何しても良いの?」
 見事に乗った。目をきらきらと輝かせてモリガンを見上げている。──何と扱い易い事か。
「えぇ、良いわよ。好きになさい。」
「わぁい♪」
 今までの不満顔など何処吹く風。リリスは嬉々として、それこそ飛び跳ねながら食堂へと駆け込んでいった。
 飛行機の中でも思った事だが、あれが自分自身の分身であると思うと、少し頭が痛くなる。
 だがすぐに気を取り直すと、闇の中へ合図を送るかのように手をかざした。
 すると何処からとも無く無数のコウモリが現れ、モリガンを包み込む。
「──さて、と。ようやく楽しめそうね」
 モリガンはいつもの、例の独特の格好に戻ると、一旦ぐっと伸びをしてからあの妙な人型をした『何か』と、それを追うナッシュの後に続くために駆け出した。

 


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