京都旅行記2004(後編)
前編はこちらより。
5日目。
この講座も後半の日程に入る。
そろそろ少しずつ時間の長さを感じてしまう。
この日は他の大学院生が研究発表をおこなったのだが、正直まったく理解できない。
これは話す人が悪いのではなく、その人の研究領域に対するバックグラウンドがないからであり、
しょうがないといえばしょうがないのだ。
6日目。
ついにこの講座もあと2日。朝の目覚めも相変わらず悪い。自覚しないだけで疲れはたまっているのだろう。
この日から、昼休み前の授業が、事前了解のもとに延長されることになった。
その先生は「時間が少しだけなくなりますから、弁当を買ってくると良いと思います。伊勢丹の地下の弁当が美味しいらしいですから」
とおっしゃったが、こちらの実感としては、伊勢丹に行く時間すらない気がする。
結局この日は近くのコンビニで弁当を買って食べた。
この日は講義の後、京都タワーに行ってきた。
初日に泊まったホテルが、京都タワーと同じ系列なので、タワー無料招待券がもらえたためである。
あえて夜を狙って行ったのだが、これが正解であった。
ネオンがきれいで、やはり高いところから見る景色はすばらしい。
7日目。
いよいよ最終日。
例の延長する授業は、最終日ということもあって先生自ら白熱し、
終わったのは、次の授業まで10分少々、という時間。つまり昼休みも10分少々。
やっぱり伊勢丹に行く時間なんてありやしない。ということでコンビニに急ぎ、おにぎりをかっ込む。
そうしてすべての講義が終わった。講義の終わりごとに拍手が起こり、私もちょっと感動してしまった。
たぶん、6日間を終えた感慨と、講師陣に対する感謝の気持ちが相まっての感動であろう。
京都の夜も最後なので、街をぶらついた。明日のことも今日は考えなくて良いのだから。
どうでも良いが、京都では「水曜どうでしょう」が見れるのである(サイコロ5の最終回)。
再放送ではあるが、まさか京都でどうでしょうを見れるとは思わず、ちょっと嬉しい。
しかしこの時間、私はいとこから英文和訳の質問が来てしまい、それに答えるべく格闘していたので、
どうでしょうには集中できなかった。
8日目。
今日は一日自由時間。せっかくだから京都を観光して回ろう。
ということで最初に行ったのは清水寺。しかしここは坂道が多く、しかも結構きつい。
そのうえ今日は暑かったので、飲み物が欠かせない。
そんなこんなでようやく清水寺に到着。本堂の舞台の景色はやはりすばらしい。思わず背筋が伸びる。
おみくじを買ったところの店員のおばちゃんが感じ悪い。隣の店員としゃべっていて、
「何よ、邪魔しないで」てな感じの態度であった。
ついでに言うならば、引いたおみくじは凶。
・・・。寺を出た後は、護国神社に立ち寄り、坂本竜馬の墓に行く。
(これは狙って行ったわけではなくて、たまたま目に付いたので寄って見た)。
この人の行動力は見習いたい。しっかり合掌してきた。
その後、二年坂の途中の甘味どころに寄り、生麩あんみつを食べる。
私は一人食事はぜんぜん気にならないたちだが、甘味どころに一人で入るのは初めてで、変な感じだった。
あんみつも、初めて食べたのはいつだか思い出せないくらい久々である(もともと甘いものはあまり食べない方)。
しかし、京都らしいものを食べたいとなると、この甘味どころははずせなかった。事実このあんみつは美味かった。
汗だくになって清水寺を出たところで、私には珍しく疲れてしまった。
飛行機の時間を早められないかと思って(それくらい疲れてた。私には珍しいことである)、旅行代理店に寄って確認したら、
パックで予約した飛行機は全く変更が利かないとのこと。
しょうがないから、と開き直り、今度は金閣寺に行くことにした。
京都駅から金閣寺までは市バスで30分以上かかる。よってバスの中で昼寝をして体力回復を図る。
金閣はやはりきれいで、今回はその周りもゆっくり回ってみたが、やはり落ち着いた雰囲気が良かった。
さて、残された時間をしっかり観光に使いきり、そろそろ空港行きのバスに乗ろうと切符を買ったら、
そこの店員さんに、「台風が近づいて、空港までの橋が封鎖されるかもしれません」と言われた。
しかもこの店員さん、というかお兄さんは、こういうことをいともさわやかに言ってのける。
お兄さん「バスより先にはるか(関空行きのJR特急)が止まりますから、それで判断するしかないんですよねぇ」
私「てことは、乗ってみないとわからないんですよね?」お兄さん「そうなんですよぉ」
ただ私にはそんな悠長な事態ではない。宿泊費が余計にかかることを心配しているのではない(まぁそれはそれで痛いが)。
帰ってきたら翌日からすぐ仕事なのだ。
しかも私のとった飛行機は最終便。
つまり、橋が封鎖したら、それは即、今日千歳に帰れなくなる、ということになるのだ。
最後の最後にどうしてこんな落ち着かない思いをしなきゃならんのだ。
ちなみにこの原稿は、バスの中で書いている。空いているので楽なものだ。
つまり「俺は今日無事に帰れるのだろうか」という不安に駆られながらの原稿執筆なのである。
・・・この後の話は、番外編に持っていくことにしよう。
(2004年9月1日)