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1999 年 12 月の記録

日付 内容
2000/1/1  昨日、紅白を見終わった後 PC-VAN で OLT (On Line Talk) をして年を越した。何も起こらず一安心した。

 朝、朝食を食べた後のんびりし、年賀状が着たので整理後、母方の実家に行った。甥、姪は、母 (彼らにとっては祖母) から習字を習い、その後食事をした。

 PC に最近撮影したデジカメ写真 (含・コスプレ) を入れたのを妹に見せ、
「これはジャンプ連載中の封神演義のスープーシャンでこれがロボコンのロビンちゃんとロビーナちゃんで、これがカリオストロ…」と説明したら
「その記憶力をもっと役に立つことに使えばいいのに」といわれてしまった(苦笑)。そのときの妹への返事は
「(一般的な人より高い記憶能力の)素質があっても、対象に興味がなければ発揮できんとよ」です。仕事については金というモティベーションがあるのである程度つまらないことでも覚えていろいろ意見を言ったりしますけど、それでもねぇ。

 帰宅後、香椎宮にお参りに行った。

 第一種情報処理の午前の問題を二年分ほどやってみると、80点位は取れるようになった。これからは午後の問題を重点的にやるようにしたい。
2000/1/2  朝、メールボックスを覗くと、年賀状を送った高校時代の同期からメールがきていた。年賀状を見てこのサイトにアクセスしたとのこと(しめしめ。アクセス数増加の野望が実現しつつある)。で、デジカメ購入の候補に COOLPIX があるがどんなものか、という相談が入っていた。メールがくるということは今日ある同窓会にも来るものだと推理し、同窓会場で説明する旨返事のメールを出し、デジカメと VAIO を持って、家を出た。

 三越の平山画伯の展覧会を見、警固神社と水鏡天満宮に参った後、同窓会場に移動した。同窓会は集まりが悪く、さらに彼は欠席になっていた。確かに彼が確実に来るという保証はなかったのだが、むっとして一人寂しく(苦笑)料理を食べていた(心から語り合える友が少ないので(涙))。

 とはいえ、野望を実現するためには席を回ってここの URL をアピールすべきでした。しまったなぁ、来年やりましょう。

 とはいえ、隣の精一π先生との間で、話が始まった。先生の PC がルーターにアクセスできなくなったということで、さらに話を聞いてみると、いつのまにかブラウザがプロキシを読みに行く設定になったのが原因のようだった。ルーターにアクセスする場合もプロキシ経由でやろうとしてルーターを見つけきれなくなっている模様。ちなみに先生はプロキシの設定をした覚えはないとのこと。とりあえず
  1. ブラウザの設定で、“プロキシを利用する”というチェックボックスをはずす
  2. プロキシを使うなら、“ローカルのデバイスに対してはプロキシを使わない”というチェックボックスにチェックを入れる
という処理をやってもらうことにした。このあたりは VAIO を使って実演したので、PC を持ってきたのはまったくの無駄ではなかった。しかしそれでも動かないときは先生から連絡があり(それともこちらから連絡しないといけないのか?)先生宅に行くことになった。

 もう少し他の人とも話をしたが、それは割愛。

 同窓会の帰りがけに、福岡中央警察署付近(色気も何もなし)を以下の四通りで撮影し、メールを送った彼に四枚の写真を送った。普段はメールのサイズに気をつけるが、むっとしたままだったので一枚の画像データを分割せずにメールを四通送った(ごめんなさい)
  1. ワイドコンバーターなし。ワイド端
  2. ワイドコンバーターなし。テレ端
  3. ワイドコンバーター装着。ワイド端
  4. ワイドコンバーター装着。テレ端
2000/1/3  父親とキャナルシティに行き、いくつかパーツを購入後、精一π先生のところに行った。先生のところには Note PC (ネットワークカードとモデムカードが刺さっていた) と486 のデスクトップがありルーターと接続できるようになっていた。接続できなかった原因は意外と複雑だった
  • Note PC について
    1. ネットワークカード (の恐らくケーブル) が断線していて TA が見えなくなっていた (Note PC から見てネットワークカードは ping に反応したが TA は ping に反応しなかった)
    2. モデムでアクセスしようとしたら、モデムの TCP/IP のプロパティが複数登録されていたり、ネットワークカードの TCP/IP の設定を変えるとモデムの TCP/IP の設定にも反映されるなど妙な動作をしていた
      • モデムの設定は一組だけ残して削除した
      • 当初ネットワークカードに固定の IP アドレスを割り振ろうとしたが、モデムの TCP/IP の設定にも反映されるので、DHCP に割り当ててもらう設定に戻した (しかしこの設定で、ルーター = DHCP サーバーと連絡が取れないとアドレスが取得できなかったというメッセージがしつこく出てくるはずだが、それは起きなかった)
      • 当座の対処としてモデムからプロバイダにアクセスできるように設定した。また、いずれネットワークカードを買いなおす模様
  • TA について
    • プロバイダの電話番号などの設定が消えていた
  • デスクトップについて
    • TA とはすんなり接続し、特に問題は見られなかった。もともと TA を自動接続モードで使っていたようだが TA からプロバイダ情報が消えていたのでつながらなくなったように見えた模様
    • ネットワークカード (メルコのボード) のドライバがうまく動いておらず、WIndows CD 中の NE2000 互換ボードドライバが動いていた。当初メルコのドライバを生かそうとしたが失敗し、Windows CD のドライバを使う方向に切り替えた
といったあたりをいじって (対症療法的な対処もあるが) 問題を解決した。先生宅に行かずにアドバイスだけで治す、という荒業を実現したかったがさすがにこれだけ問題を抱えていたら無理だと感じた。
2000/1/4  酒を飲んでさっさと寝たため、午前一時くらいに目がさめた。そこで英語の単語の記憶を一週間分ほど行なった。

 博多リバレインに行き赤塚不二夫展を見た。入場時に石村萬盛堂の鶴の子をもらえたのが川端らしい。カラー原稿への着色がきれいで丁寧なことに驚いた。あの丁寧さは週刊誌で見てもわからないと思う。来週の日曜日には赤塚不二夫とタモリがフリートークをするらしい。

 国内留学時代にいっしょだったタイからの留学生(当時)からグリーティングカードが来たので返事を書いた。検索したらタイの大学の e-mail address を見つけたのでそちらにも同じ配信した所、タイの大学の e-mail address の方はDNS look up failure になって返ってきた。何ゆえ?

自分の部屋に戻ってすること
  1. キャッシュカードの処理
  2. 父親のために Dual Pentium Pro マシンをカスタマイズし、送る準備をする
    • 速度は速くないし接触不良の原因になるので RAID ははずす
    • 代わりに 14GB の IDE HDD を取り付ける
    • バックアップ CD を Drive Image for CD-R で作る
  3. 英語の勉強で建て直し
  4. ダイエットがらみで建て直し
  5. そのほか、仕事関連で準備
2000/1/5  親に起こされて朝食を取った後、できるだけ急いで帰宅の準備をした。博多駅までバスで行き、新幹線に乗り、倉敷に戻った。
  1. 洗濯した
  2. 仕事の準備はできなかった
  3. キャッシュカードの処理は済ませた
  4. Partition Magic 5 の申し込みを済ませた
  5. Dual Pentium Pro マシンのカスタマイズには苦労している。
    1. IDE HDD の内容を確認して消しても構わないことを確認した後、Dual Celeron マシンに取り付けいろいろインストールした
    2. しかし、ネットワークがつながらない(後でよく考えたらストレートケーブルを使うべきところにクロスケーブルを使った)
    3. Dual Celeron マシンの構成を元に戻した(つもりだった)が SCSI を読みに行けなくなった
2000/1/6  というわけで、日記らしきものを追加したら翌日になってしまった(やれやれ)。

 仕事から戻った後、Dual P-Pro 用の HDD をいじりまわしているがだんだん収拾がつかなくなってきつつあるような…。力を注ぎ込みすぎたので本日はこれにておしまい。
2000/1/7  部署 LAN 用の BIND, Mail Server のインストール先とデータを My Machine から常時起動しているマシンに移動した。メールチェッカを使っていると BIND が (私が休暇を人より余計に取ったりしてマシンが停まっていると) 動いてないのでエラーが出て面倒だった、とのこと。BIND の設定はほとんどの部分が My Machine のと変わらないのでエディタで切り貼りすることで比較的簡単にできた。ついでに Apache もインストールした。“It Worked!”までは見えるようにした。

 HDD へのインストールでドライブの並びがだんだんおかしくなってきたのを強引にパーティションマジックでサイズを拡張したら…クラッシュしました(涙)。もっともインストールのための材料は時間がたつほどそろうので、すぐに再インストールできましたけど。

 HDD のバックアップイメージを Drive Image for CD-R でやろうとしたら、手持ちの CD-R が対応品ではなく、失敗した。それ以前に Drive Image の扱いが面倒で (NT 上では起動できないのになぜインストールできるの?) すったもんだが続いた。HDD クラッシュの原因はこのあたりにもあるのかも知れない。さぁて、明日どうするか?
2000/1/8  なんとしてでも CD-R にバックアップイメージを作りたい!ということで調査を続けたら CD-R Drive が対応していないものだったということがわかり、地元の OA システムプラザに CD-R を買いに行った。店内でどれを買えば良いか相当に迷った。ドライブの機種とファームが一致しないと動いてくれない、ということで悩んだすえ、Caravelle の CD-R-N820S (Firm は 1.24) を購入した。

 ところがその CD-R Drive を既存の CD-R と置き換えて Drive Image for CD-R を起動しても認識してくれず、結局バックアップイメージの作成はあきらめた。この機種の Firm は1.21 以上が要求されていたので 1.24 だったら大丈夫なはずだったのに…

 次に Dual P-Pro マシンに HDD を乗せて起動したら、14GB のうち 8GB しか認識してくれなかった。そこで FDD を改めて買いに行き (最近 FDD を使ってないので使えるのがほとんどなかった) マザーボードのサイトに行って BIOS Image と Award Flash を手に入れて起動 FDD に入れ、実行したところようやく 14GB 認識できた。

 次にコンピューターのケースの入れ物 (ベッドの下に敷いて保管している) を取るためにベッドをひっくり返してついでに軽く掃除した。

 次に手持ちの SCSI HDD の情報を消そうと DOS を起動して FDISK をかけて…これが大失敗だった。うっかりして E-IDE (つまり今使っている NT が入った HDD) にも FDISK をかけてしまった。というわけで 22GB の HDD がクラッシュしてしまった。データが満載されていた訳でもないけど、メールなど結構失われてしまった。ただし FDISK だけだとパーティションテーブルを書き換えただけのはずなので PC VAN 上で修復方法を問い合わせている。

 というわけで、今日は労多くして実り少ない日だった。しかもここしばらく勉強してない。

 それでも何とかしないといけない。まず、Pattition Magic や Drive Image の CD-ROM の中を探すと、MBR 書き換えツールらしきものが見つかった。しかし少し使ってみたものの、どう使えばいいのかよくわからない。そこで年末に福岡で買った 34GB の HDD に OS をインストールすることに決めた。(このあたりで日が変わった)
1999/1/9  34GB HDD を取り付けて電源を入れると…HDD が認識されなかった。HDD が壊れているのか?とも思ったが、どう考えても BIOS の update が必要になっている状態だ。
『また危ない橋を渡らなけりゃならないのか〜(涙)』と運命をのろいつつ、VAIO で ASUS のページにつないで BIOS Image と flash utility を手に入れた。システムと command.com だけが入った FDD に二つをコピーし、その FDD でマシンを起動し画面に出てくる手順どおりに実行した。マシンを再起動させると HDD をきちんと認識できた。やれやれ。

 昔は書き換え可能な BIOS について
『不完全な製品を市場に出すということなのか?』と否定的に感じていたが、今回のように新規格に対応する (Dual P-Pro マシン時代のマザーボードでも over 8GB の E-IDE を認識できるようになったり、34GB の E-IDE HDD を認識できるようになった) という点からみると、あながち悪くないのかな、という気になった。

 OS のインストールも手間取った。最初 NT をインストール後、SP3 以降に対応したドライバを入れて再起動をかけてしまったら起動できなくなった。二度目のインストールでは、前残った NTFS パーティションをフォーマットも何もせずに再利用したらインストール中に“軽微なエラー”が発生して再起動できなくなった。三度目に注意を重ねて (こまめにサービスパックを当てずに最後に一回だけ当てて済まそうとする私が悪いのでもあるが)ようやくまともに動くシステムができた。それからは
  1. アプリケーションの導入と差分当て
    • 最近部屋にいろいろなものが増えて“あの C-ROM どこにやったっけ?”状態が続いている。前はひとつの CD-ROM ケースに再インストール用 CD-ROM 一式を入れていたがソフトを買い足したり、アップグレード版を購入したら混乱してしまった
  2. 過去データをもとにメールとブックマークの再構築
    • なくなっているサイト・ページもそれなりにあった
    • or.jp → ne.jp になっているところがあった
    • つい最近 netnews で知ったサイトはその newsgroup の記事全部をファイルに落としてワードプロセッサで検索した
に明け暮れた。おかげさまで朝も…午前 6 時近くまで再構築してそれから 11 時くらいまで寝たから朝はないか、昼も食欲がなかった。
2000/1/10  父親に送るコンピューターを駅前のコンビにまで運んだ。やたらと人が多いなと思ったら、どうやら倉敷では成人式をチボリ公園でやるようだ。コンビニはやたらと混んでいた。それにしても…われわれのときもそうだったがこういう式にはいかにも不良ですというのが大挙して来るものだ。濃い目のシャツにボディフィッティングの背広やコートを着た人が多数いたし、強面のお兄さん達が駅前のロータリーをジープタイプの車でぐるぐる回ったり(後部座席の人物は立ち乗り)、3 ナンバーの外車?を乗り付ける者あり…。だからといって自分が成人式に行ったときもその手の人たちはたくさんいたので貶せるような立場にはないです。

 夜、英語の勉強を進めた。強引というか、いいかげんに進めて一応一週間分やったつもり。
1999/1/11  昼休みに英語の勉強を進めたものの、二日分ほどしか進まず。さぼった報いなり。
2000/1/12  昼休みの英語の勉強に加え、ノー残業デーというのをいいことに、さっさと帰って英語の勉強を進めた。ぜんぜん足りないがやらないよりはましか。しかし、このノー残業デーというのも曲者で、仕事が煩雑になる根本原因を解消しないまま休ませる日を増やしても仕事が遅れるだけなのに、と思う。休出?ある程度はするけど残業代がごにょごにょ状態ではなぁ。ともかく四ヶ月目のテキストを半分終わらせるのを目標にもう一分張りしてみますか。
2000/1/13  英語:早朝に二週間目の最後まで進めた。かなり飛ばしたが。

 NT の SP6 が出たようなので iria のキューに入れた。出たことに気が付いたのが早朝だったのですべてを手に入れるとテレホーダイ時間をはみ出す模様。仕方がないか。

 帰宅後 SP6 を当ててみた。私のところでは問題なかった。人によっては親指シフトキーボード?を認識しなくなった、などのトラブルがあったようだが、標準のパーツを使っている限りでは大丈夫そう。

 英語、帰宅後少し進めた。三週間目まで終わらせたい。
2000/1/14  会社においた PC に SP6 を当てたら ntoskrnl.exe が壊れたか見えなくなった、ということで起動しなくなった。仕事もほとんどできなかった。すわ SP6 の問題か、いや、 SP6 を当てているときに system32 ディレクトリの内容をいじっていたせいか (そういうことをするもんじゃないんですが) と思ったが、もしかしたら起動パーティションサイズを保証外の 4GB 以上に広げているせいかもしれない。ともあれ、 34GB の HDD が動くようになってサボっていた 22GB HDD のデータのサルベージを再開せねばならない。どこまで続く、ぬかるみぞ。
2000/1/15  22GB の HDD について
  1. まず、MBR を書き換えるだけで何とかならないか挑戦したがだめだった。そこでデータの回復はあきらめて OS を再インストールした
  2. かなり前に購入しお蔵入りになっていた Sound Blaster Live (Dual CPU マシンとの相性が悪いらしい) の動作確認をしたが、噂どおりすぐにフリーズするといった不具合が見られたので OS の再インストールで対処した
 34GB の HDD について
  1. Partition Magic で全体をひとつのパーティションで 34GB 確保に挑戦した。時間がかかるので途中で寝て、おきたらページフォルトがおきていた。データは読み出せたので 4G に戻し、二つのパーティションに分けて使うことにした。
 HDD への再インストールを進めているが会社に置いている分はちょっとしたことで躓いてしまい、データを移動させたまま起動しなくなってしまった。再インストールもできなくなったのでこれから自分の部屋の PC に HDD を取り付け、とにかくデータを読み出した後ですべてのパーティションを削除することにした。しかし、この PC (今使っている分) も下手をすると起動しなくなるかもしれない。ぬかるみは、いまだ続いている。
2000/1/16  ぬかるみからは何とか脱出できた。しかし、かなりのぬかるみだった。先日の OLT ではついついインパール戦線での撤退になぞらえてしまった(もちろんそれを経験した歳ではありません)。
  1. データを HDD に残したままの再インストールは、余計なパーティションを残さねばならず、それがインストールの足を引っ張ることが身にしみたのでデータサルベージと OS 再インストールを明確に切り分けた
    1. 二つの HDD をいったん持ち帰り、部屋の PC につないでデータを MO に移した
    2. その後パーティションを白紙の状態にした
  2. HDD を C: (4GB) と D: (17GB) に分けて、 D: にアプリケーションとデータを主としておくことにしたが MO をつけてインストールすると MO がどうしても D: に割り込んでくることに悩まされた。これはいったん MO の電源を抜いて OS をインストールし、ディスクアドミニストレーターで HDD に対してドライブネームを明確に指示して対応した
  3. OS インストール時 ATAPI.SYS を使って Ultra-DMA を強制利用しようとしたら、起動時に HDD にアクセスできない、というメッセージが出て青くなって死ぬようになった。これは PIIXIDE (HP Kayac の V. 2.05) を導入して対応した
後は、データを移動して明日使う報告書を書けば…。あ、プリンタドライバはまだ登録してないか。

 仕事を始める前に書店にいった。前回受験した第二種情報処理の願書は神田の三省堂に置いてあったので、こちらでも書店においてないか、ということで行ったのだが、さすがになかった。その代わり願書つきの受験雑誌があったのでそれを購入した。広島の事務局に申し込むよりわずかに高くなるが、例題集がついているから悪くはなさそうだ。

 14:00 ころに会社に行き、PC にプリンタドライバも登録して明日出す報告書を書いた。20:00 ころ会社を出て、明日の出張用の乗車券を購入するために駅まで歩いて行った。
2000/1/17  MIDI を聞きまくりながら音源データをいじっていた成果?調子がおかしくなって wav が聞こえなくなった。それだけならともかく Netscape Messenger が起動しなくなった。

 今日は出張だったので、出社後早めに駅前に行き郵便局に立ち寄って第一種情報処理技術者試験の願書を出した。出張先に向かう列車の中では英語の勉強を進めた(出てくる単語を覚えただけ)。

 出張帰りの列車の中でも英語の勉強 (こちらはちゃんと中身の問題) をすすめたが、時間があっという間にたち、しかも疲れてしまった。午後 8 事ころ会社に戻ったら、出門しようとした人が部署と名前を聞かれていた。1 時間ほど仕事をして退社しようとしたら今度は私が聞かれた。最近はやりの残業規制のための調査なのかもしれない。しかし最近やっているこのような運動は
“どこぞの部署がもっとも居残りが多いから早く帰らせろ“というような単純な結果しか返さず、残業が多い原因とその対策まで踏み込まないのが非常に気に食わない。

 Netscape の件は、ニュースデータを削除したらどうにかならないか、とわらにもすがる思いで?試してみたら起動するようになった。メールデータは削除したくなかったのでほっとした。wav が聞こえなくなった件は SB64 のドライバをいったん外して再インストールしたらうまく行った。

 知人から、ここの日記が FILO なのは読みにくい、というメールがきた。うーん、困った。ある日の日記を書いたときに前日の日記に手を入れることもあるから FILO の方が最終的には読みやすいはずですが…。トップのリンクもラベル付きにしてみようかな?
2000/1/18  というわけで、昨日の登録以降、トップページから日記みたいなものへは最新のラベルの位置にリンクするようにしてみました。更新情報も奏すべきなのでしょうが、面倒なのでとりあえずここだけそうすることにします。

 部署内 LAN に部署の書記の人の PC (結構古い 98 note) をつなごうとしたらネットワークカードが認識されず、非常に苦労した。以前の高校時代の先生がトラブっていたときはネットワークカード付属のケーブルが断線していたようだったが、今回はネットワークカードを代えても解消しなかったので隣の机にきていたケーブルにつなぎなおしたらあっさり動いた。問題のケーブルは自社でかしめたそうでトラブルが入りやすい要因はあったようだが、ジャックの部分を見ただけではわからないようなちゃんとしたつくりだった。こういうトラブルは気づきにくく、場合によっては
『PC98 だから相性の問題では?』などといってしまうかもしれない。
2000/1/19  妹とメールをやり取りして、ある程度父の面倒 (PCがらみの点で) を見てもらうことになった。しかし、後で家に電話をかけると、ちょっと頼りすぎるんじゃなかろうかという雰囲気が父親の言動からみえ隠れした。まぁ、いつものことなんで、一応釘はさしたつもりなんですけどねぇ。大丈夫かなぁ。今週末はうまく時間が取れれば帰省しようかと考えている。

 普段、電話がかかってくることがなかった部屋に電話がかかってきた。誰からかと思ったらまさぽんのお母さんからだった。まさぽんが浅草キッドのお二人とFM ラジオの収録 (掲示板を見ながらのトークらしい) をしているということで、駆り出されたわけです。掲示板に行き、ごちょごちょと挨拶を書き込んで見直し『相変わらず文才ないなー』と思って送信ボタンを押したら…ルーターの接続が切れていて (手動接続でかつ 150 秒パケットがこなかったら切れるようにしている) せっかく書いたメッセージが消えてしまいました。それから慌ててメッセージを書いたらハイテンションな雰囲気になってしまいました。『これじゃ…』と後で書き込みを見て絶句しました。
2000/1/20  何か疲れていて帰宅すると今まで眠っていました。昨日の日記に書いた掲示板に書き込み失敗した話、今日確認すると一番最初に書いた書き込みが見えました。でもあの時は登録エラーが出ていたはずなのに…。

 Windows NT 武装化計画の内容に沿って LAN の外部を参照しないように db.CACHE 内のデータを書き換えた。もっと早くやっておくべきでしたがサボっていました。
2000/1/21  昨日は 20:00 ころ寝込んで 23:30 ころ起きたわけだが、それから My Site を更新し、英語の勉強をしたら (ちょっとのんべんだらりともしていたので) 5:00 ころになっていた。英語は月例テストが最後まで進めなかったので会社で昼休みにも進めた。TOEIC 形式の、時間が区切ってあるものに対してそういうやり方でいいのか?ということはあるんですが、もう強引にそう進める、と。それでもまだ終わってないのですけどね。

 帰社後すぐに床屋に行った。月例テストを何とか済ませ、帰省の準備に入らねば。洗濯を先行して実施。英語の月例テストはそこそこ進めた。

 家に帰省する旨伝えると、午前中は誰もないといわれたので始発で帰る予定を変更した。

 メールの中に、Solid Edge Origin (無償 CAD) の登録をしたので届いたメールがあった。いろいろ特典がある商品の話が書いてあったが…メールに記載されているリンク先が用意されていない!ちょっとちょっと、大丈夫?ミッドレンジ CAD を販売し、カーネルを外販しているそれなりの会社なんでしょ?
2000/1/22  昨日は 22:30 時ころ寝てしまい、「気分は上々」「探偵!ナイトスクープ」を見逃した(正確には見るつもりでテレビをつけっぱなしで寝てしまい、ナイトスクープあたりでうるさくて目がさめたので電源を落として床に戻った)。

 5 時ころ目はさめたが、始発で帰らないのですこしのんびりし、英語でヒアリングの分を済ませた。これから風呂に入り、帰省する。

 のぞみ 5 号に乗ろうとしたら雪で15分遅れるとのこと。新幹線内では月例テストの最後の部分を済ませた。博多駅に到着したのは 13 時だった。妹が迎えに着てくれたのでそれで帰宅し、父親を連れてトリアス久山に向かった。しかし、目的の品が展示品のみで、その他の品揃えも今一つ物足りなかったので T-ZONE キャナルシティ店へ転進した。そこで E-200, PM-760C パラレルケーブルを購入した。帰宅後セットアップをはじめようとしたらキーボード (PS/2 コネクタ) を AT タイプに変換するアダプタがないのに気づき、慌てて買いに出た。

 最終的に PC は無事起動した。データが手元にないので取り扱いはできなかったが一息つけた。月例テストは切手を貼ったので、明日投函する予定。
2000/1/23  父親にコンピューターの起動の仕方と停止の仕方を教えた。教えたがいかにも理解できてなさそうだった。参った。妹がかんしゃくをまわすわけだ。尤も親のほうは、「妹はすぐかんしゃくをまわす」と愚痴っていたが、むべなるかな(苦笑)。起動の仕方と停止の仕方は紙に書いておいたので、弟がきてくれればある程度何とかなるだろう。

 帰る前に叔母のところまで送ってもらった。正月に弟のところに寄った時は姪の横でぐったりしていたら『ちぃたぁ遊んでやらにゃいかんかもね』と思っていたら、幸運なことに?弟一家は外出中だった。叔母の部屋で一息ついた後、さらに天神まで送ってもらった。天神で英語のテストの回答とジョージアの懸賞の応募はがきを出した。OA System Plaza, Bic Camera, T-Zone によって SB64 が残ってないか探したがバルク品はもうなかった。岩田屋新館地下で石村萬盛堂の鶏卵素麺を購入した。

 帰宅後、資料をかき集めて妹宛てに、鶏卵素麺はらふぃっとさんあてに送った。弟に電話して、ある程度父の (PC 操作の) 面倒を見てくれるように頼んだ。妹もそうだったが弟もゲームであそばさせるといったことでなれさせろ、ということを言った。
2000/1/24  会社にCAD & CG Magazine から私宛の小包が届いた。た、たしかに私はモニター募集に応募しましたが、
「対象は建築用 CADだがカーネルがシミュレーターと共通なのでシミュレーターのフロントエンドに使えないか試してみたい」と書いたことがよもや採用されるとは思いませんでした。いや、形状のやり取りはできるはずだから、レポートがかけない事態にはならないのですが、ソフトが届いた直後は腰が引けました。期限は約二ヶ月。一度原稿用紙で 2.5 枚〜 4 枚のレポートを出せばいい。ちゃんとやればできないことはない内容です。

 情報処理技術者試験の通信教育の添削 ( 二ヶ月目) が戻ってきた。

 いろいろな化学のツールを探していたら ChemSketch を再発見した。少し興味を惹かれた。
2000/1/25  朝、部屋のマシンにタイムクライアントを導入した。これで、internet に接続する限り部屋のマシンの時計はほとんど狂わなくなった。ちょっとうれしい。

 仕事がらみで同じ部署の社員の PC に電信八号をインストールした。

 終業時間直後に自室によって、あるサイトにアクセスしたらカウンタ 777777 番が取れた。ちょっとうれしかった。

 後は…今日は特になし。
2000/1/26  昨日、再インストール時に必要となるドライバやらサービスパックを集めて 8 倍速で CD-R に焼いた。今日、会社に持っていってそれを会社に置いた PC で見ようとしたら認識できなかった。CD-R の焼け具合が十分でないのか?と思ったが、焼いたときにはベリファイをかけていたのでまったくおかしいわけでもないはず、とほかの PC で見てみたら (最初それなりに時間がかかったが) 読めた。ということは会社に置いた PC の CD-ROM の方がスペックアウト気味、ということか。

 昼休み、久々に英語の勉強を進めた。 昨日とは別の社員が電信八号に興味を持った。
2000/1/27  まー、会社に全社的に公開しようと計画されている DB があると思ってください。そこにはいろいろな成果が詰まっている (はず)。そして今のあなたの仕事の中に、その DB に間借りして、別ディレクトリに部署の DB を作るようなことがあると思ってください。DB はセキュリティの面から、DB 全体を管理している部署に申請したうえで、認可されたディレクトリのみが見えるようになる、というわけです。このルールは、ま、普通ですわな。もともとの DB を A と呼び、間借りするほうを B とでもしましょう。
 今、あなたは努力の末、自部署の部課長から B が見えるように手続きを済ませました。そのとき、DB の管理部署から
「A も見えるようにしませんか?」というメールが来ました。そりゃぁ部課長たるもの、これまでの会社の成果を参考に、問題解決への方針を示してほしいものですから、メールを出しました。
「A (あんなのとかこんなのが入っています) もみたい方はメールしてください」

このメールに対して返事をくれた方もいますし、くれなかった方もいました。たまたま対象者にあったときに確認したら
「多分見ないと思うから見えなくていい」といったこともありました。
で、大体これくらいでいいかな、といったところで申請書を書いて直属の部長 (返信はなかった) に出したら
「なんだ、これ申請書のことは。(メールについては) 意味がわからなかったから聞こうと思ってた」だそうで。

しばらく前に社内 LAN に載せるコンテンツのことで喧嘩になったとき、
「おまえ (私のこと) コンピューターのことわかってんの?」なんていうから
「少なくともあなたよりはわかってますよ」といったら
「そりゃどういうことだ!」と激昂したのはどこのどなたでしたっけねぇ(ため息)。ま、これも給料、それも給料。仕方がないか。

しかしこれって会社の最高機密を漏洩したことになるのかな?…ここはソビエトじゃないから大丈夫か。
2000/1/28  昨日は単にむかむかしていただけではなく、ちゃんと英語の勉強もやり懸賞応募やソフトのユーザー登録の準備もした。さらに、手元にある CD-ROM で CD-R が読めるかどうか確認した。

 そんなことをごちゃごちゃやっていたせいか、今日はとても疲れてしまった。会社に置いた PC の CD-ROM ドライブは先ほど交換したが、そこでヒットポイントが 0 近くまで落ちた。これから一眠り使用と思う。また「気分は上々」の時間に起きられないかな?

 あ、しかし実りある行動だけじゃなくて COOLPIX ファンのサイトに行ったら NIKON が COOKPIX 990 という 300 万画素のデジカメを発売する話を見つけ、ニコンのサイトに行ったりもしたっけ。個人的には画素数は 100 万を超えたあたりからそれほど気にならなくなり、 COOLPIX 950 を購入したのは“動作が速い”という評判が一番の動機だった。もし COOLPIX 990 が出て悔しくなってしまう状況になるとすれば、以下のような点で COOLPIX 990 が 950 に勝っていたときでしょう。
  1. COLPIX 950 と同等以上に起動時や録画が速い
  2. ピントがよく合う (D1 の技術を取り込んでいてよく合いそう)
  3. 感度が高い (感度、高いみたいですねぇ。ISO 80 → ISO 100)
2000/1/29  部署内 LAN を広めるにあたって、統一したメールクライアントがあったらいいんじゃないかという話が出た。付属のエクスチェンジやアウトルックエクスプレスを利用するという手もあるが…
  1. メールチェッカはついてなさそうだった (結構重要)
  2. すでに使っている人もいる (アウトルックエクスプレスは複数アカウントに対応しているようだがエクスチェンジは違う?)
といった感じだったので必ずしもみんなが使えるわけではないようだ。条件は
  1. フリーであること (予算はつかないつかないと思うから)
  2. サイズは小さいほうがいい (PC の環境が貧弱な人も多い)
  3. 内容はシンプルなほうがいい (あまりお遊びの要素はいらない)
  4. メールチェッカが着いていること (通達配信が主目的なので“読ませる”ことが重要。何分かおきに自動的にチェックさせたい)
  5. アドレス帳はあったほうがいい
  6. 今使っているかもしれないアウトルックエクスプレスやエクスチェンジとは別途登録するのだから、複数アカウントの必要はない
個人的には電信八号を一番最初に見つけ、それなりにカスタマイズした。私は特に電信八号のアドレス長が気に入っている。しかし、使い方やカスタマイズの説明をすると
「素人には抵抗があるんじゃないか」という意見が出た。ま、これはもっともではある。そこで、vector でフリーなものを探し、試してみた。結果、Ed Max のフリー版 (多機能な分ちょっと重い感じがする) か sesna のフリー版がデザインもよく、お勧めかな、という感じを受けた。他のメールクライアントが悪いわけではないが今回の目的にはやや物足りない感じを受けた。

 弟が父に PC の使い方を教えにきたか確認するために家に電話した。弟は来ていなかったが、妹がある程度フォローしていたことがわかった。父親の口調はそれなりにうれしそうだった。私が書いた PC の起動/終了マニュアルでマウスボタンの方向を間違えていたところがあったとか。

 英語: 5 ヶ月目の一週間分はやった。第一種情報処理:午後問をひとつやった。記述式はやはり難しい。
2000/1/30  早いとこ、Turbo CAD を扱い始めないといけないのだが、ぐずぐずしてしまう。

 英語については二週目の単語を書いて覚えるのと文で書いて覚えられる分はさっと流した。

 部署内で情報共有化を担当しているメンバーに Ed Max フリー版と sesna のフリー版をメールで送った。
2000/1/31  二つのメールクライアントについて説明したところ、Ed Max の方に人気が出た。ちょっと重いような気もするが、こちらを使ってみることにする。アドレス帳を整備した。これがうまく広まれば、次は文書の管理番号作成ということになる。Apache + CGI での実現を考えているが、どうなることやら。

 昼休みは久々に情報処理の問題を解いた。午後の問題に挑戦したがケアレスミスをしてしまった。情けない。

2000 年 2 月の記録

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