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2002年 8 月の記録

日付 内容
2002/9/1  起床、入浴。ハリケンジャーも龍騎も見た。ただし SmartVision が凍りついたので音質・画質は良かったのに完全には見られなかった。今回の話は
モンスター達「ね〜、ご飯まだ〜!」ということになろうか?
以前朝倉は弟をモンスターに食わせたくせに今回はちょっと甘いんじゃないか、という気がした。

 午前中は洗濯と久々に部屋の片付けをした。雨が降っていたので外に出る訳にも行かず、ちょうど良い機会だったがそれほど進んだわけではない。

 OA システムプラザに行き、CD-R を購入した。

 帰宅前に散髪屋さんによって予約をした。部屋に戻ったら「王家の指輪物語」が放映されていたので見た。次に CD-R を焼こうと B'z Recorder を起動したら青画面になってしまった。なんどか再起動中したが途中でベッドに横になったら散髪の予約時間を越すほど寝てしまった。こりゃだめだ。後で謝りに行かねば。

 CD-R 焼きについては WinCDR も動かず、ということで本当に OS の再インストールが必要な事態になった。これも駄目だ。
2002/9/2  ショックでなかなか眠れず。それでもなんとか寝て、そして起床。

 先月末に飯山から IBM のパネルを使った LCD モニタが発表されていたとは知らなかった。現時点では Fire GL4 と Quadro 900 XGL のみ対応って…

 今日はオルトクロロフェノールという液体を使って試料を溶かし、粘度を測った。ま、これだけでどんな試料を測定しか分かる人もいるだろうがまぁいいだろう。かなり気をつけて使ったが飛沫が腕や脛、胸などにかかったようだ。スポットで薬傷を起こした。また周期がたまらんと不評だった。これはまぁ過去のことを考えるとお互い様だと思う。

 とはいえ測定者自身をかなり痛めつける作業である。結構きつい。

 帰宅して確認したら TRICK の録画終了時に SmartVision がハングしていた。ドレミソラを予約していたら TRICK が撮れなかったかもしれない。ドレミソラの録画予約を解除していてよかった…じゃなくて何か改良を行なわないとこれじゃあなぁ。

 HDD への再インストールを行なうためにデータを移動しはじめた。
2002/9/3  新しい HDD に OS をインストールしはじめた。 HDD をフォーマットしはじめたところで就寝。起床後それ以降の手続きを進めた…らインストールディスクが G ドライブになってしまった。これはこまる。とりあえず以前の HDD に取り替えてから出社。

 今日も同じ仕事を続けた。今日は薬傷対策として 90 リットルのゴミ袋に穴を開けてかぶった。これで飛沫がかかるのを防ぐことができた。これで体の調子はあまり悪くならなくなった。

 帰宅後、録画した TRICK を見た。

 G ドライブになってしまった HDD は味利きをした後 OS を再インストールをすることにした。まず 4in1 ドライバを組み込んでみたら起動画面が崩れるようになった。デトネイタードライバが問題だったわけではないようだ。これを確認後 OS を再々…インストールしたらうまく起動しなかったりして何度もやり直す羽目になった。

 それでもなんとか動くようになった。そこで (サービスパックやビデオドライバを除けば) 最初に B'z Recorder をインストールした。そして動作を確認したところ、きちんと動いた。

 そしてまた元の HDD に戻してこの日記みたいなものを書いているが、何かの拍子にハングアップするようになった。う〜ん、マザーボードを疑うべきなのか?
2002/9/4  起床、出社。

 今日は実験をしないことになっていたのでこれまで出てきた結果をまとめた。予想と全然違う結果に落ち込んだ。

 また、今日張るはずだった部会もなくなった。そういうわけで定時退社…いつもよりも素早い定時退社をした。そして
散髪屋さんに行って謝って、改めて予約した
そして PC の修復に取り掛かった。
  • 新しく OS をインストールした HDD に SP3 をあて、アプリケーション (MS Office 含む) をインストールし、SR-1 やら SP2update やら手持ちのディスクに入れたパッチをあて、それから Windows Update を使って最新のパッチまであてなおした
  • そして前の HDD から
  • しかも状況はだんだんと悪化するのだ。それまでハングアップしなかったところでハングするようになっていった…
  • 頭にきてケーブルを 40 芯のものに代えてみた。“ATA-33 で動きやがれ!”というわけだ。旧態依然のモードのほうが却って安定してないか?と思ったが、でもハングした
  • デトネイタードライバーが悪さをしているのか?いや、セーフモードでもハングするようだ。まぁそれまでにオーバークロッキングやらソフトクアドロ化だので負担をかけたからあちこちを壊れた、とも考えられる。
  • 久々に memtest をかけてみた。メモリが劣化したかもしれない、というわけだ。メモリ周りでエラーが起きれば (これまでの経験から) test3 までに何らかのエラーが出るが、特にエラーは発生しなかった
  • BIOS で IDE の DMA を止め、 PCI のバーストモードを禁止した。 CAS レイテンシも 3 にしてみた。でもハングした
  • すっかり行き詰まったが『前に 40GB の HDD にも OS を入れたな』ということを思い出し、取りつけてみた。するとこいつは止まらない…40GB の HDD に入っている OS をチェックすると SP3 をあててなかった (SP2と Pre SP3 リリースのいくつかまでがあたっている)。SP3 が原因か?と思ったが必ずしもそうではなさそうだ。こいつもまた死にはじめた
  • AC 電圧は 101.8V と十分高かった。AC 電源の出力も (変動する状態は分からないが) 高いようだ
2002/9/5  起床、出社。

 今日は一日中実験した。最後のサンプルが入った粘度計を水槽に落としてしまったのが悔やまれる。

 今回の不具合についていくつかの仮説をたてた
  • IBM の HDD 原因説
    • (理由) IBM の HDDを使いはじめてからこれほどおかしな挙動が現われた
    • (反例) IBM の HDD は 2 台使ったが以上の現われ方が極端に違う
      • 最初の HDD はかなり長く使っていたらおかしくなった。サービスパックや HotFix をあててゆくうちにおかしくなったのかもしれない
      • 二台目の HDD は最初にサービスパックや HotFix をあてられるだけあてたからすぐに異常が現われたのかもしれない
  • HotFix 原因説
    • (理由) IBM の HDDが原因ではないとして他の PC でサービスパック 3 と HotFix を三つあてた OS が動いている。それなら残りの
  • GeForce4 (本体・デトネイタードライバ・Rivatunre のどれかあるいはすべて) 原因説
    • GeForce4 を取りつけてからおかしくなったから

 IBM の HDD については BIOS で DMA を切り、 PIO Mode 2 にしたら凍りつきにくくなった。よって (マザーボードが出す IDE の信号が汚いことも原因かもしれないが) IBM の HDD に問題がある (特にエラーが起きやすい) ことが分かった。そこで低速でいいから IBM の HDD にこれまで使っていたデータを集め、その上で Western Digital の HDD に OS を入れることにした。
2002/9/6  起床、出社。

 午前中はオリエンテーション、午後は調べ物を行なった。定時後は散髪に行った。

 ほとんど空にした Western Digital の HDD に OS をクリーンインストールした。種々のデータを復活させつつあるところだが、今ひとつ調子が良くない。マザーボード自体がへたっていて IBM の HDD を最初にうまく扱えなくなったということか?

 TV の表示が引っかかる原因の一つはワクチンソフトだったようだ。しかし今はタイムシフトモードで動かすと凍りつく。なかなかうまくいってくれないようだ。
2002/9/7  起床。

 PC の状態は更に悪化しできるかぎりのことをしてもフリーズするようになった。かなり落ち込んだ。

 午後から活動。OA システムプラザに行った。
『そうかぁ、シングル CPU でよければ Athlon 1500+ が¥13000, マザーボードが¥16000, メモリは 512M で¥16000 (岡山価格です。念のため) みておけばいいのか。それで AGP 8x, USB 2.0 付き, IDE ポートは 4 本かぁ。シングル CPU なら消費電力も気にしなくていいだろうし…。PentiumIII 1.1GHz だとまともに動くようになったとしても再生で引っかかるんじゃないかな?』
かなり悩んだが買うなら明日ということにした。

 疲れたのでねた。起きた後マザーボードを交換してみることにした。手持ちの SDVIA は 3 枚ある。そして片側の CPU ソケットの爪を折ってしまってシングル CPU 動作しか出来なくなったボードを放置していたのだ。

 マザーボードを取り出す時、AGP スロットに結構埃が入り込んでいることに気がついた。以前使っていた AIW-RADEON の場合は汚れる前にカードをさしていたが GeForce4 の場合はさした時に埃を噛んでしまった可能性がある。埃は取り払ったがマザーボードは (以前片方の CPU ソケットの詰めを折ったためにシングル CPU でしか使用できない SDVIA に) 交換することにした。

 サーバーとして使っている方の PC でチャットをしながら起動してみると…きちんと動く。テレビを見てもフリーズしない。Athlon マシンを買う必要がなくなったのにはほっとした。また、AGP スロットの接触が問題だったかもしれないので明日マザーボードを再交換してみる。なお、テレビ録画を再生するとやや引っかかるがこれは CPU パワーの問題だから仕方がない。また Dual だとソフトとの相性が出る可能性があるのでやっぱり駄目ということもありうる。

 これはゲーム理論の実習用資料として有効かもしれない。
2002/9/8  やや寝坊して起床。録画をチェックしたらきちんと動作していた。

 次に (AGP スロットから埃を取り払った) Dual 可能な方の SDVIA に取り替えた。動作は格段に安定したがそれでも大量のデータを転送したらシステムが止まることがあった。また SmartVision が終了できないことがあった。
『やっぱり IDE 周りが壊れているのか?』とがっかりしたが、ACPI ユニプロセッサな HAL に変えてみたら、Single CPU でしか動けないマザーボードと同じくらい安定した。よって
  • マザーボード自身が壊れた訳ではなさそう
  • ACPI マルチプロセッサ状態だと SmartVision や HDD のハングアップが起きやすい。ACPI ユニプロセッサだと安定する
  • Athlon にしても Dual だと不安定になるだろう
ということだろう。IBM の HDDをプライマリに持って行く試験もそのうちやることにする。
2002/9/9  起床、入浴、出社。

 新しく入った仕事を中心にやった。先取り的にやったので取らなくてよい条件まで取ったがまぁいいだろう。かなり集中したので疲れてしまった。

 ACPI ユニプロセッサな HAL を使っているが全然フリーズしない。YMF744 搭載のサウンドカードを Dual CPU 状態で使っていたらよく再起動が起きていたが、あらためて Dual CPU は鬼門だと感じた。

…Athlon マシンを買っていたらこういうことには気がつかなかったろうなぁ。
2002/9/10  起床。 ACPI ユニプロセッサカーネルで動かしている PC の調子はあいかわらず良い。出社。

 昨日の仕事を続けた。計算に結構時間がかかる。間に合うか?

 定時に帰宅。H2-A の打ち上げライブをみようと nasda にアクセスしたがなかなかつながらなかった。つながっても中継とは接続できず、結局見られなかった。

 コンボドライブが IO DATA から出ている (ドライブは日立LG 製) が SONY からも出るようだ。対応するメディアが微妙に違うが、どちらかを買いたいものだと思う。

 T210 はもう黒しかなくなった?どの商品も白色版がないんですが何故?…と思ったら IBM, まだ T210 のキャンペーンやってるじゃないか〜。しかも私が買った時より 1 万円安い。もうちょっと待てばよかったかなぁ…ってこともないか。
2002/9/11  起床、入浴、出社。

 今日も続けて同じ仕事をした。終夜運転で得た結果をまとめつつ次のタスクを動かす。 PC を動かしつづけることが無駄を省くことになるというかなんというか。午後 7 時まで粘れば多分新しい結果も得られたのだが面倒くさくなって定時で帰った。明日やろう。

 Mozilla 1.01 がリリースされた。XSS 脆弱性というものがどういうものか旧バージョンと新バージョンの Mozilla で試してみた。おお、たしかに新バージョンではリストに出てこない (そもそもそこにない) ファイルが旧バージョンではそこにあるように見える。ただ、偽の ftp 画面を旧バージョンで見ても怪しげな呪文がつくようなので注意深く使えばそれなりにやれるのだろう。

 パスタの作り方やじゃがいもに関するページを検索した。
2002/9/12  起床、出社。

 あいかわらず同じ仕事を続けた。ほとんど終わったが追加分の計算をしかける必要があった。なんとなく計算に必要な時間が長くなっているような気がする。まぁ明日にはほとんど終わるだろう。

 今日もほとんど定時で退社した。

 ぶ、ブラックユーモア
2002/9/13  起床、入浴、出社。

 仕事、今日終わるつもりだったがいまいちできが良くないものがあった。この連休中にできるだけ動かしてやろうということで新たな条件を組み入れた。

 今度、本部長が来るようなイベントがあるのだが、部長から
「本部長から (私に?) 話があるから。会議室を予約しておいて」と言われた。な、ななな、何か私の悪行がばれたのでしょうか?いや、悪いことをして左遷とか解雇とかだと所長からのお達しで十分でしょう。ってことはどこか遠いとこに行かされる?まぁシベリアに送られることは内にしても外国の田舎に送られることはあるだろうし。胃、胃に悪い。

兎も角、考えてみればこちらに来てから『飼い殺しかなぁ』というような扱いを受けてきた。
「具体的な使いみちは 10 月までに決めるとしてとりあえずつばをつけておくか」ということだったのか?何かあったら今やっている仕事が切れてしまうので仕事の相手先と打ち合わせを持つことにした。

 昔、部署で使っていたスキャナを借りたいという人が現われたが外箱が行方不明、ドライバが行方不明だそうだ。はぁ〜。昔あれだけ頑張ったのになぁ。

 産総研からつくば経由で筒が来た。開けてみたら OPEN HOUSE 2002 の宣伝ポスターだった。 12/10 にやるらしい。倉敷においておいてもしかたがないのでつくばに送り返し、向こうで貼ってもらうことにした。一応裏を取るために産業技術総合研究所のサイトに行ったけど…書いてない。なぜ?
2002/9/14  起床、入浴。

 情報処理の勉強をしようかと思ったがやらないうちに一日が終わった。

 知人のサイトにあるウレタン被覆線での配線を説明したページ。見た途端笑っちゃいました。ここまでやれるとはすばらしい。

 旧聞だがスティングで有線詐欺のシーンをみて、「そうだったのかぁ〜!」と思ったこと。ウルトラマンでフジアキコ隊員がテープを読むシーンは、過去電信記録を読んでいたという実績があったからなのかぁ…ということです。インターナショナリゼーションが進んだ今ならユニコードを鑽孔したテープを読んでもらいたいものです。
「読めねぇと思ったら unicode じゃないじゃないか。Word ファイルを送ってくるんじゃねぇ」とかありそう。

 自分の PC を乗っとられて NASA に攻撃してしまった事件について、
>会社員が使っていた基本ソフト(OS)は、ウインドウズやマックなどではなく技術者向けで、侵入対策が不十分だったという。
って… Linux を使っていたということ?
2002/9/15  起床、ハリケンジャーと龍騎みた。ハリケンジャーは……こんなのでいいのか?趣味で作っているんじゃないのか?龍騎は主要人物達が切羽詰まってきたようだ。

 テレビ東京系列の「Drive A Go Go」という番組で知人のペンションが出るということなので録画した。この録画ファイルをから CM を抜いた上で DVD+RW に焼こうとしたら特定のところでエラーが出た。再生する分は問題ないのに変換仕様としたら問題が起きるようだ。エラーが発生するフレームを削除すればいいか、と考えて
  • 高画質→高画質変換を実施。この時プレビュー画面を見続けた
  • エラーが発生してアプリケーションが落ちたところを記憶し、アプリケーションを起動し直して以下のように修整した
    • エラーが発生すると思われる部分で分割
    • 場合によっては該当部分のフレームをいくつか削除
  • この時点では高画質→高画質変換は確認作業としての意味で行なっており、元データの断片を DVD 焼きに使おうと考えていた
こういうことをやっていたら 24:00 を過ぎてしまった。最後のファイルの変換が成功することを祈って寝床に入った。P!!! 1.1GHz ではエンコードに時間がかかる。
2002/9/16  起床、昨日問題があった部分が全部変換できるようになったのを確認した上で DVD 焼きに入った。しかしまたエラーが発生した。仕方がないので高画質→高画質変換後のファイルを使って焼き直したところ、うまく焼けた。

 念の為にエラーが起きた付近を試聴したら“ガリッ”という雑音が入り、直前に聞こえてきた音が再び聞こえたあと次のファイルのフレームに移動した。知人が出ている部分は全く問題はないが今ひとつ面白くない。

 VIDEO CD も作ってやろうと変換を始めた。VIDEO CD は標準で 1 枚に 約 70 分入るのに対して 30 分番組なので高解像度でエンコードしてみることにした。各ファイルを結合して VIDEO-CD (走査線数は標準の倍) という形式に変換しようとしたら途中で死んでしまった。今使っている PC がおかしいのかソフトがおかしいのかよくわからないがこういう不具合ばかりで非常に不愉快だ。で、各ファイルを個別に標準の VIDEO CD 用 mpeg ファイルに変換することにして岡山に出た。

 部屋に戻ってきた後全てのファイルが変換できていることを確認し、VIDEO CD を作ってみたが…普通のメディアプレーヤーでは反応しないようでがっかりした。また、WinDVD で見ても次のファイルに異動できるところとできないところがあり、少なくとも今回作ったものは役に立たないと感じた。これなら VIDEO CD 用 mpeg1 ファイルを直接メディアプレーヤーで見たほうがいい。

 てなことで一日が過ぎてしまった。

 これは、面白すぎる。
2002/9/17  起床、入浴、出社。

 ここしばらくやっていた計算にようやくけりがついた。

 明日の打ち合わせのために報告書を書かねばならないができていない。帰宅後もできていない。これは流石にまずいなぁ。

 部署内でスキャナー (RI-850) のドライバを探したが見つからない。部署内では見つからないだろうと考えてリコーに問い合わせたらすぐに送ってくれた。箱はある人が保存してくれていたので利用に問題はなくなった、はず。TWAIN ドライバを組み込む前に ASPI ドライバを組み込むことは知らなければトラブルの元だし、本体が動かなかったりしたら大変だが。

 マクロクールライトを自作できないか、検討している。Nikon のマクロクールライトの一番の欠点は光量が不足気味な事だろう。そこで発光ダイオードの数を 30 個にした (Nikon のは 8 個) ライトを作ろうと考えはじめた。一番難しいのはカメラにどのように固定するのか、ということだ。28mmφのオスネジを切ることを本気で考えたが専門の業者にでも頼まなければ無理だろう。レイノックスのアダプターリングをうまく使いこなすしかなさそうだ

 北朝鮮は拉致疑惑の解明という点で大盤振る舞いをしている。拉致事件の解明が進むのは良いことだと思うがその引き金が現在のアメリカの“(イラクの次に) 何がなんでも攻撃するする”という態度にありそうなのは複雑な気分だ。
2002/9/18  起床、出社。

 本部・所長・部長がいるところで、新潟の工場で働く話が出た。とある関係の設計業務ということだった。これまで異動の内示というのは部長クラスが呼びつけて
「**への異動がきまった」と伝えるだけだったのが、わざわざ本部長が来て
「○○で人が欲しいということだがどうよ?」と意想を尋ねられるのは初めてだったので面食らった。しかし、この設計業務についてうんといわなかったら品質管理の仕事が待っていたようだ。品質管理よりは設計業務の方がよっぽどましだと思う。お〜、やばいやばい。最初は派遣という形らしい。

 11 時から今の仕事について打ち合わせた。これまで使っていた溶媒を持ち帰ってもらった。

 午後は借りていた試験瓶を返しに行った。その他いろいろ実施。
2002/9/19  起床、入浴、出社。

 午前中は週報と議事録作成。午後もいろいろ実施。

 帰宅後、疲れていたので眠った。龍騎スペシャルは録画のみで見逃したがつまらなかったらしい。

 新潟の ADSL 状況を調べてみた。社内の住所録にある寮が異動後に住むところならば、倉敷より伝送損失 (計算値) が 16dB (約 40 倍) 良好だ。

 引き続きマクロクールライトについて調査した。昔なつかし TL497 の昇圧モードを参考にして定数を求めた。ChaN さんの白色 LED ランプの回路に比べるとマージンを取れないのが辛い。サトー電気でほとんどのパーツが手に入ることも分かった。トランスはアミドンのフェライトコアで十分なのか TDK の PC44 材にするのがいいのか?判断がつきかねている。
2002/9/20  起床、出社。

 検討会に出たけど…。こんなんだったら、と失望して月報を書いた。まぁ月報は今日中にしあげなければならなかったので言い訳がましいけど。

 マクロクールライト製作のための穴あけを会社でできないかこっそり調べようとしたらここを見られていたためにすっかりばれてしまっていた。

 ALL-IN-WONDER Radeon 8500DV を知人に送った。苦労するだろうなぁ。

 定時後は退職者を送る会に参加した。
2002/9/21  起床、入浴。

 今日もまたごたごたやっているうちに一日が過ぎた。

 OA システムプラザやアプライドにも行ったが特に買ったものはなし。

 マクロクールライトの回路を書いてみた。何度も何度も書き直していたら 3:00 位になってしまった。
2002/9/22  起床。

 昨日より産業技術研究所から KNOPPIIX 日本語版 3.14 の iso イメージを落としていた。CD-ROM から起動する Linux らしい。ようやく落とし終わったので CDRWIN で焼いている。

 マクロクールライトの回路については本当にチョッパ方式でいいのか、フライバック方式にした方がいいのではないかと悩んでいる。ともあれ部品明細表を作りはじめた。

 夕刻になって入浴。今日はとにかくだるい。

 これまで Biglobe のカウンタサービスを使っているが、そのカウント数をみるためには自分もトップページに行かねばならなかった。それにどこから人が来るのか興味がわくようになった。そこで CGI を使ったカウンタを取りつけた。知り合いのところはホームページの飾り職人さんの perlcounter を使っていた。ホームページの飾り職人さんのページからたどると杜甫々さんが wwwcounter という同じような機能を持つカウンタを作っておられたのでこちらを使ってみることにした。できるだけ Biglobe の Vpack に似せてみた。しばらくは並べて置くがいずれ wwwcounter のみにしようと思う。

 KNOPPIX 3.14 を動かしてみた。実用性はちょっと分からないが面白い。
2002/9/23  起床、入浴。

 Biglobe に置いているコンテンツの量を調べたら 4.5MB 位になっていた。少し整理したほうがいいように思う。

 KNOPPIX をもう少し試してみた。自室 LAN は DHCP を全く使わない構成になっていたので変更し、 CD-ROM で起動すると外に出られるようになった。設定の保存などができないのが残念。

 Biglobe のカウンタを外した。アクセスログをみてみた。最近アクセス数が増えたが特定の人が何度もアクセスしているわけではないことが分かって安心した。
2002/9/24  起床、入浴、出社。

 派遣先の課長と担当者の所に
「大学の先生の退官記念パーティと情報処理技術者試験があるので 21 日を初出社にさせて欲しい」とメールを送った。念の為に園か長宛に電話したら今日は出張しているとのこと。

 新潟経験者から新潟の住環境?を聞いた。雪は積もる時は結構積もるらしい。しかも車道は雪かきされるが歩道は積もるので車が必須?勘弁してよ。

 今日は部長に対して月度報告をしなければならない。で前もってメールで受け取っていた (はずの) 報告書を印刷しようとしたら…新潟に長期出張中の課長の分と間違えて別の人の分を二重に (別名で) 保存していた。しかもメールは既に削除している。これはいかん。月報を再び送ってもらわねば、と新潟事業所の連絡先とされているところに電話をしたら…
「(前略) **課徴をお願いしたいんですが」
「今日は来てないようです」
「出張ですか?」
「そう…です (よくわからないけど多分そうだろう、という雰囲気)」

しかし課長の週報を確認したら、今日は会議があるということだった。そこでもう一度電話すると
「実は**課長は席を移られました。今日はみておりません」
「どこに電話をかければいいでしょうか?」
「転送してみますので (保留になって数分)。話し中のようです。○○○番ですので」
ということだったので、そこ (どうも生産現場の部員がいる帳場) に電話をかけると
「こちらにはいません。席もありません (うるせぇんだよ、といった口調で)」

む〜…それなら課長はアノ仕事に絡んで出張しているのだからアノ部署に電話をかけて聞こう
「**課長は席を移られました。今日はまだみていません」
「今日は会議がある層なので来るはずです。どちらのほうに移ったのでしょうか?」
「え〜カノ部署です。」
「どこに電話すればいいでしょうか?」
「番号は…△△△番だと思います」

この時△△△番というのは正しかったようなのでにかけておけばよかったかもしれない (もちろんこの時点で不在だったかもしれない)。しかし社内用電話帳に△△△番が無かったのでカノ部署の書記の電話番号にかけてしまった。
「**課長はおりますか」
「こちらにはおりませんが…ちょっと呼んでみます」
ということであちこちに転送して尋ねたようだが見つからなかった。転送を一旦やめた時に書記の人の声が聞こえた。
『こちらに移ったって言われた』私もそういう風に聞いたので電話したのですよ。

その場ですぐに連絡を付けることは無理だったので見つかりしだい電話をしてもらうようお願いした。課長…相当に影が薄いのでしょうか?それにしてもこの連絡の悪さはすさまじいものでした。こんなところに行かなきゃならないのかぁ。

 ま、結局課長と連絡は付いて月報を改めて送ってもらった。

 総務の担当者が来て
「派遣という話が出ているけど期間はどのくらい?」と尋ねてきた。そういいわれても…
で周囲の人に聞いてみると“派遣”は派遣元が給料を払い、派遣手当てを払うのに対して駐在になると駐在先が給料を払い、手当ては出ない、とのこと。なるほど。それで総務が派遣期間を気にする訳だ。

 部長報告では新潟事業所の現状の一部が分かり更にくらくらした。いやぁ…すごい。でも流石に書けない。

 部屋に戻ったら SmartVision HG/V が暴走していた。
2002/9/25  起床、入浴、出社。

 スキャナを借りていった課長 (東京) から電話があってインストールと使い方について説明する羽目になった。Windows 2000 への、ドライバのインストールは滞り無く進んだが、私も知らなかったことに直面しててこずってしまった。

 結論からいうと Rios Systems RI-850 のスキャニングリソースは Windows 95/98/NT にしか対応しておらず、Windows 2000/ME では動かない。このことを私は知らなかった。Windows 2000 ではプラグアンドプレイ機能により CFM ScanWoks というのが読み込まれ、これなら動作するが A3 サイズのスキャンには対応していないようだしハードウエアボードを使ったバックグラウンドの自動補正機能にも対応してないようだ。

 で、てっきり RIOS のリソースが選択されているものと思って説明を始めたら全然話が噛み合わない。課長に
「課長がこちらに来た時 (日記みたいなものには書いてないが 19 日か 20 日のどちらか) にした説明と違うものが画面に映っていますか?」と尋ねても
「(使い方を教わった時の画面は) 忘れました」という返事(がっくり)。PrintScreen キーを押して何が表示されているかをメールに添付してもらってようやく事態が飲み込めた。さらに機器の選択で Rios のリソースを選んでもらったらそれはエラーが出て動かないことという返事が来るに至って (リコーのページで確認はしてなかったのだが) 次の二つのことが分かってきた。
  • Windows 2000 では RIOS のリソースは動かない
  • PnP で読み込まれたリソースなら Windows 2000 で動くかもしれない
課長に説明をした時に会社の PC (Windows 2000) を使おうとしたら同様に RIOS のリソースは動かなかったこと、および CFM ScanWorks が読み込まれたことを思い出し、会社の PC に残っていた Scan Utility を起動して自分でも初めて使う ScanWorks についてなんとか説明出来た。往年の TI のプログラマみたいなことをしてしまった。

 ともあれ、ScanWorks の使い勝手は良くないことも分かったのでスキャン用に Windows 95 が入った PC を用意してもらうことをおすすめした。

 当事業所で、この部署を参考に上位機種を入れたところがあるがそこではまだスキャナは動いているのか気になって行ってみた。するとそこの OS はまだ Windows 95 であること、そして下期に Windows 2000 にリプレースされることが分かった。う〜ん、ディスコン品はつらいなぁ。

 10/1 付けで辞令が出るが前々からの都合で 10/19, 10/20 は私用でふさがっている。強引だが 10/21 に新潟に初出社するような計画を進めていたら案の定、部長が「そんな計画はおかしい」と言い出した。「君はあんまり動いたことがないだろうから分からないんだろうけど」なんてセリフを 2 年前につくばに異動し、半年前に戻らされて飼い殺しのような扱いを受け、更に今動かねばならない人間に言うなよ。「君は独身だからに持つも少ないだろうけど…」などと段ボール箱 50個あまりを使って異動している人間に言うなよ。この会社にいて常識を説く陳腐な人間を何人もみてすっかり辟易した。これだけ会社の都合でひんぱんに動かされたから今度は私の都合も十分に加味した計画を立てさせてもらう。

 とはいえ、初めてゆく工場でもあり様子見をしておくべきことも分かってきたので上旬に 1 日だけは行って派遣先の部署と打ち合わせようかと考えている。

 派遣先の部署は 21 日初出社ということ自体に文句は無かったようだが部長がクレームを付けたので「計画をちゃんと決定した上で連絡してくれ」といった感じの (行間からは“トラブルは御免だ”という気持ちがにじみ出た) メールが入った。

 今所属している部署の課長が相談に来た。どうも会社のノート PC が起動しなくなった。FDD 経由で DOS を BOOT したら起動できるのでファイルを保存しているが FDD 経由なので時間がかかるし long filename が失われる、とのこと。一番手っ取り早いのは筐体を開けて HDD を取り出して別の起動可能な PC にセカンダリとしてとりつける方法だがレンタル品なので荒療治ができない。しかし先日手に入れた KNOPPIX が使えるんじゃないか?と考えた。

 定時後さっそく KNOPPIX CD-ROM と 512M コンパクトフラッシュをそのノート PC に突っ込んで起動した。しかしこれはうまく行かなかった。KNOPPIX 経由だとハードディスクの中身が見えない。コンパクトフラッシュの中身は見えるのに。

 また、ノート PC の起動失敗時の挙動をみてみると一番最初のローダーか BootManager が動かなくなっているような印象を受けた。で、その課長麾下の部員に教えてもらって起動 DISK なるものを作ってみた。しかし boot.ini の設定が良くないのか起動できなかった。

 今日も SmartVision HG/V が暴走していた。
2002/9/26  起床、入浴、出社。

 10/7 の週に一旦新潟に行くことにした。そのかわり公休とは別に 10/15 の週は全部休むことにした。しかし…赴任計画書に荷物の搬出を 18 日にする、とかいたのに判子を押すなんて…やっぱり部長は馬鹿だなぁ。

 もうほとんどやることがなくなった。年休を取るかなぁ?

 SmartVision での録画はあいかわらず暴走する。何かがおかしい。

 引っ越しの準備を開始した。
2002/9/27  起床、出社。

 午前中は久しぶりに出張から戻ってきた課長と話し合い、次に所長報告にでた。

 午後は品質光学の使い方に関する講演を聞いた。結構ためになった…。

 帰宅前に東京からスキャナの使い方について問い合わせが来た。Win95 にインストールしたそうなので、RIOS のリソースの使い方を説明できた。

 気がついたら歯が黒くなっていた。どう考えても夜中に烏龍茶を飲んでいたから茶しぶがついた戸しか思えない。と言う訳でオーラ2を買ってみた。さっそく試したら結構落ちるので面白がっている。
2002/9/28  起床、入浴。

 部屋の整理、荷物の梱包を始めた。ぼつぼつと始めて現在までに 6 箱 (すべて本かマンガ… DVD もあるか) +服 1 箱の梱包を終了した。

 後は…選択をしたほかは特になし。
2002/9/29  起床、ハリケンジャーと龍騎見た。龍騎は…オーディンは神崎が変身しているようでいて、まだどんでんがえしの要素を担保しているなぁ。

 午前中はほどほどに荷物の整理。午後は駅前まで出ていった。

 帰ってきてから少し寝た。その後また荷物の整理にかかった。
2002/9/30  起床、入浴、出社。

 転勤先から“今回はスケジュールに従うが二三日でみんなできていることができないのはおかしい”などとメールしてきたので
“他人の常識を押しつけるな。実績があっての計画立案だ”と返事した。

 TRIZ の部会に出た。これが最後の出席になるか?

 帰宅後荷物の整理を進めた。いくつかの本 (地図や通信教育のテキスト) は古くなり過ぎたので捨てることにした。

 北海道西友の肉の代金返金騒動はリスク管理の欠如が問題だったんだろうなぁ。

2002年 10月の記録

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