ドリームキャッチャー


「おい、晶」
 冬休みも近いある日。
 誠心寮、勝手知ったる友人の部屋のドアをを松岡が開くと、晶はひとりで何事かの作業をしているところだった。
「あ、松岡」
「何をやってるんだ」
 晶の手許を見て、松岡は不思議そうな顔をする。
 晶がいじっているのは、どう見てもその辺に落ちていたものを拾ってきたとしか思えないような、細い木の枝である。
「冬休みの課題。自由研究があるじゃん。それ」
 確かに、世界史か何かの教科でそんな曖昧な課題もあったように思うが、冬休みはまだ始まっていないのに。
 今時自由課題というのもどうかと思うが、これが結構きついものがある。生徒の自主性を促すのが目的らしいが、そこそこ高尚なものを求められるので手が抜けない。何を提出するのも自由だが、そのレベルが成績にもろに反映されるのだ。何でも好きな題材でいいというあたりが、一層質が悪い。
「何だってお前は、休みが始まる前からそんな事をしてるんだ」
 何事もぎりぎりまで引き伸ばす晶らしくもない行動。雹でも降らなければいいが。
「一応さ、実物をつけた方がいいと思って。冬休み入ってからだと間に合わなそうでさあ」
 やる気があるのはいいが、研究のレポートのほうを先にやらないのが、いかにも晶らしい。
「で? なんだそれは」
 問いただす松岡の視線の先には、小枝が折り曲げられたり紐で繋げられたり、しかしどうにも意味不明な物体になってしまっているモノがある。不器用な晶の事だ。失敗ばかりしているのだろう。
「本屋で、面白い雑誌見つけたんだよ。読みやすかったから、それ研究課題にしようと思って」
 机の上には、二冊の雑誌が無造作に広げられている。
「インディアンの文化?」
「そう! それでさ、そこに載ってる奴、俺も作ろうと思って」
 見れば、雑誌の表紙には、細い木の枝や蔓を円形に結わえた中に紐が蜘蛛の巣のように張り巡らせてある、目の粗すぎる網のようなものの写真が載っていた。
「ドリームキャッチャーっていうお守りなんだよ。おもしろいだろ」
 松岡は、雑誌をめくり、ざっと記事に目を通してみた。悪い夢をその網に捕らえ、良い夢だけがそこをすり抜けてくると、インディアンの間で信じられているドリームキャッチャー。虫捕り網ほどの大きさの物を窓の外にぶら下げたり、手のひらサイズの物を携帯したりするらしい。女性はイヤリングなどの装飾品としても愛用しているようだ。なるほど、興味深い記事ではある。
「ふーん。……じゃあ、今日は無理かな」
 ぼそりと、松岡が呟いた。
「え、何」
「いや、暇だから公園でもぶらつこうかと思って来たんだがな。せっかくの晶のやる気を削ぐのも勿体無いだろう」
 そうでなくとも、やる気が出るまでに時間のかかる男だ。松岡は考えたが、晶はガタンと立ち上がると、松岡の腕を掴んだ。
「なんだ、それならそうと言えよ。行こうぜ!」
 松岡は無駄を嫌う人間だ。暇つぶしなどという言葉は、普段の忙しい彼からはまず出てこない。晶はその事を誰よりも良く知っていた。高校生になってからというもの、松岡とは一緒に出掛けたくてもなかなか実現できないでいるのだ。晶から強引に誘い出す事は、時々あったが。
「おい、晶……」
 有無を言わせず、松岡を引っ張って部屋を出る。
「ちょうど良かったよ。公園で探したいものもあったしさ」
「探したいもの?」
 晶の笑顔に、松岡ははてと言ったような顔をする。
「お守り。鳥の羽根つけたいんだよ。公園なら落ちてるんじゃないかと思って」
 確かに雑誌に載っていたドリームキャッチャーには小枝の輪の下に羽根がついていたような気はするが。何かのこだわりがあるのか、ただ不精なのか、晶はお守りの材料を拾い物で済まそうとしているらしい。
 まあしかし。
 たまにはこうやって誘ってみるものだ。
 天気の良い屋外ではしゃぐ晶が、一番彼らしい。
 12月の空はあまりにも青くて寒そうだけれど、その下で笑顔を見せる晶は、そんな寒さを微塵も感じさせない。
「ないもんだなぁ」
 公園に着いてから、しばらく葉の落ちた木々の間を散策してみたが、お守りに使えそうな鳥の羽根は落ちていない。よくよく考えてみれば、屋外に鳥の羽根が落ちているのを見かける事は滅多にないような気がしてきた。まだ学校の鶏小屋のほうが見つけやすいような気がするが、生憎と彼らの学校では鶏を飼っていない。
「晶。ペットショップにでも行って頼み込んだほうが、早いんじゃないのか?」
「うーん……。できれば野鳥の羽根の方がいいんだけどなあ……」
 晶の顔は浮かない。彼の性格からして、ペットショップで扱っているような綺麗な鳥の羽根のほうが好きそうな気がするのに。
「まあ、仕方ないかぁ。じゃあ、今日は純粋に散歩しようぜ」
 切り替えの早い晶は、ただ暇な時間を堪能する事に決めたらしい。
 しかし、半時ほど経った頃には二人ともが大きな木のたもとに座り込んでいた。晶は、お守りの材料を持ってきていたのだ。二人で何事か話しながらそれを組み立てるが、晶のおぼつかない作業に松岡が手を出そうとしても、晶はそれを許さなかった。普段の勉強であればすぐに松岡に泣き付くのに、珍しい事もある。
「これは自分で作るよ。出来上がったら松岡にやるから」
「俺に?」
 松岡はキョトンとするけれど、晶は優し気にも見える表情で松岡を見た。
「お前ってさ、生徒会長なんかやってるせいもあるかもしれないけど、良いものも悪いものも、みんなそっくり享け止めちゃうようなとこあるじゃん。だからさ、少しでも悪いものが少なくなれば良いと思って」
 晶の言葉に、松岡は唖然とする。そんな風に考えているとは、思いもよらなかった。
 晶が、見かけよりも繊細な心の持ち主である事を今更のように思い出した。そしていつも、自分の事よりも人の事ばかり考えているという事も。
「ちょうどクリスマスになるから、そのプレゼントな」
 晶は笑う。
 そんな晶に言って良いものかどうか迷ったが……。
「晶。それ提出するのは年明けで、帰ってくるのは更にその後だぞ」
 松岡の言葉に、晶は今気付いたかのような驚きの表情を作った。というか、本当に今気付いたのだが。
「嘘、マジ……」
 思わず吹き出す松岡。本当に晶は、いつも予想通りの反応を返してくれる。
「笑うな! いいよ、じゃあこれは提出しない」
「おいおい。それじゃせっかくの研究の意味がないだろう」
「いいんだよ! もともと、ついでなんだから」
「ついで?」
 晶は、ふいとそっぽを向く。
「もともと、あの雑誌を見掛けた時に、松岡にこれをやろうと思って作り出したんだよ。そしたら、色々とインディアンの歴史や文化なんかが載ってたから、ついでに自由課題に使おうと思っただけだ」
「晶……」
 晶がいつになく懸命だったのは、課題のためではなく松岡のために、お守りを作ろうと思っていたからだ。それも、クリスマスに間に合うように。
「どうせなら、いい夢見られたほうがいいじゃん……」
 照れ隠しのつもりか、晶は少しだけぶっきらぼうに言う。
「……そうか」
 松岡は笑うと、隣で木にもたれている晶の肩にコトンと頭を預けた。あまりにも珍しい松岡の行動に、晶は内心仰天する。珍しいというか、初めてだ。
「寝る」
「はぁ?」
 セントラルパークでもあるまいし、白昼堂々、公園の木に寄り掛かって昼寝しようというのか。第一、寝るにはちょっと寒すぎやしないだろうか。
 いつもの松岡らしくない。
 一時の沈黙。
「いい夢なんて、お前が傍にいれば、簡単に見られるんだよ……」
 それだけ静かに呟いた後に、松岡は本当に眠り込んでしまった。
「松岡って……」
 時々、本当に信じられない事をする。
 晶はそんな風に思ったが、松岡が最近特に忙しく走り回っている事も知っていた。けれど、自分が疲れていても、少しでも暇ができれば彼はその時間を晶のために使おうとするのだ。
 だから晶は、松岡を起こさないように静かにしている事にする。
「俺のためだけに、じゃないよな」
 晶は小さく呟いた。
 晶のためだけではなく、松岡自身が晶の傍にいたいからなのだと晶は知っていたし、そう思ってもいたかった。
 自分が松岡にしてやれる事は、そうそう多くない。松岡に言わせるとそんな事はないらしいが、少なくとも晶はそんな風に考えていた。
 けれど、松岡の助けにはなってやれなくても、彼が心を休める場所になれるなら。
 それだけでも、それは晶の誇りになる。
 これからもずっと。
 そんな風にいられたらいいと、晶はぼんやりと考えて、冬の空を見上げた。

 あれはいつの事だったか。
 正妻でなかった母を捨てた父を恨んで、ずいぶん斜めになってしまった自分をそのまま受け留めてくれた友達がいた。
 晶だ。
 他と交わろうとしない自分を、晶はお構い無しに丸ごと包み込んでくれた。
 自分がこんな風に他人のまとめ役を担えるようになったのも、晶が傍にいてくれたからだ。
 松岡は闇の中、ひとりでその場に佇んでいた。
 周りで微かに光を放つもの、それは彼を取り囲むように屹立している、透明なガラスの覆いだ。
 周りから押し寄せようとする黒い波が、その七色に光る壁に遮られて次々と押し戻されて行く。
 その壁を、するりと抜けてくる小さな光があった。
 近付くにつれ、それは人の形を取って行く。
 それは、晶だった。
 彼は弾けんばかりの笑顔で松岡に纏わりつくと、その身体に絡めた腕で柔らかなあたたかさをもたらす。
 ドリームキャッチャー。
「お前が俺に与えようとしていたものは、これだったんだな……」
 松岡は呟くと、晶の腕にそっと自分の手を重ねて微笑んだ。

 松岡が閉じていた瞳をそっと開くと、世界が横転して見えた。
 どうやら自分の頭は、晶の膝の上にあるらしい。肩に晶の手が置かれているから、引き倒されたのかもしれない。
 少々ばつが悪いながら、悪くないシチュエーションだなどと考えながらごろりと横向きの身体を仰向かせると、松岡に膝を貸した晶も、木にもたれたまま眠っているようだった。
「晶」
 苦笑しつつ声をかけると、自分を見下ろすように俯いていた晶の瞼がピクリと動く。
 それほど、深い眠りではなかったらしい。
「あ、松岡……起きた……」
 まだ半分眠っているように、晶が呟いた。
 その時。
 バサバサと音がして、晶のもたれていた木の枝から一羽の鳥が飛び立った。
 真白な鳥。
 鳩のようにも見えたが、正確なところはわからない。
「あ……」
 その鳥が飛び立った空から、白い羽根がふわふわと舞い降りてきた。
 太陽の光を反射しながら降る、小さな羽根。
「嘘……」
 小さな羽根が三枚、二人の許に落ちてきた。
 柔らかな、白い羽根。
 起き上がった松岡は、それをそっと拾うと晶に手渡した。
「凄いや……こういう事って、あるのな」
 握らされた羽根に、晶は感嘆のため息を洩らす。
 確かに、凄い偶然だった。
 そんな所に鳥がいたという事もだが、その羽根が三枚も同時に抜け落ちるなど、ちょっと考えられない。
「よかったな」
 松岡の言葉に「御利益ありそう」と満面の笑みで頷く晶。
 しかし、この羽根を使って作るお守りを受け取るのは松岡だ。一番得しているのは、彼かもしれない。そもそも晶は、松岡のために喜んでいるのだ。
 松岡は、そんな晶の頭をポンと叩くと、他の人間には決して見せない柔らかな笑顔を彼に送った。
 そんな松岡に一瞬見とれた晶には、彼は気付かなかったけれど。

 結局、晶はドリームキャッチャーの現物を課題のレポートと一緒に提出した。松岡が、こっそりと同じ物を作って晶に渡してくれたのだ。滅多にない彼のサービスである。
 そして晶の作った現物は、もちろん松岡のもとにあるのである。


END 



☆講堂、2000年のクリスマス企画にUPしたものです。平凡に幸せな話を書きたかったんですが……平凡すぎるだろ……(苦笑)。

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