雪の積もる道を、一行は進んでいました。

それはどこまでも白く輝き、その柔らかさに音は吸収され、時折”ぱさっ”という枝から落ちる音だけがやけに辺りに響きます。



あれからすぐにルヴァは道案内の方というものに引き合わされ、今この道を進んでいます。

そして、その道案内人と言うのがランディと言う名前の栗毛の若駒でした。

そしてその背には、何故だか籠が括りつけられており、その中では寒そうに丸まるゼフェルとその背中に止まって辺りを見回しているマルセルがいました。

ランディは、”他に比べてほんの僅か窪んでいるかな?”というくらいの道を戸惑いもせず、先頭をとって歩いてゆきます。

「あの~、あなたがたはいつもこんな寒い中をよく一緒に歩かれるんですか?」

猫と馬と鳥‥‥あと犬がいればある童話のような組み合わせ。

そんな中ゼフェルは”けっ”と喉の奥だけで笑いました。

「別にいつもってわけじゃねーけどさ。こいつってば一人で買い物行くと、途中でなにを買いに来たか忘れちまうんだ。大惚け野郎だからな」

「なんだとっ、ゼフェルッッ!!」

途端、なにやら乱闘が始まりそうな気配。

ですが。

「あーもう、やめてよ、二人とも! ‥‥ゼフェルってば言い過ぎだよ。そ・れ・に、ランディ、あんまり揺らすと僕達落ちちゃうんだけど‥‥」

マルセルが、ぱたぱたと飛んで二人を宥めます。

(‥‥‥そこでマルセルさんがなだめ役で役目の脱線を防ぐ訳ですね~、なる程~)





細い山道は、どこまでも続いています。一行は、黙ってその道を歩いてゆきます。

「‥‥‥あの~、よくあるんですか、こういう事は?」

ルヴァは、沈黙に耐えかねて言葉を発します。

「こういう事‥‥って、誰かが屋敷に迷いこんでくる事ですか?」

マルセルが羽ばたき、ルヴァの肩に乗ってきます。

「ええ」

「いいえ、滅多にありません。‥‥というか迷いこんでくる筈がないんです。あの屋敷の周りには、誰も入れないように『見えない壁』みたいなものがはってあるんです。

けれどもルヴァさんのように、山犬に追われたり嵐に巻き込まれたり、命が関わって来るとあの『壁』はまったく気にならなくなっちゃうみたいですね」

「あ~、そうなんですか」

「でも、屋敷の者とこんなに気安く話す人も珍しいよ。大抵はずっと気絶していて、俺が背中に乗っけて人が通る道に置いてくる事が多いから」

「普通の神経じゃ、動物や、ましてや家具が話すなんて受け入れられねーからな」

(こ、これは褒められてるんでしょうか‥‥?)

ルヴァが苦笑いしていると、ぽつりとマルセルが呟きました。

「おまけに、”あの話”の通りになるとはね‥‥」

「”あの話”? ”あの話”とは何ですか?」

ルヴァは、そのつぶやきを捉えてマルセルに聞きました。

「えっと‥‥‥」

しかし、小鳥は口籠ったままです。

「薔薇だよ、薔薇」

見兼ねたようにゼフェルが口を出します。

「ゼフェルッッ! それは言っちゃまずいんじゃないのか?!」

「うっせーなっ、貴様は黙ってろ、この四つ足大惚け野郎ッ!! こいつは当事者なんだからな!」

制止しようとしたランディの背中を蹴っ飛ばすと、子猫は続けました。

「‥‥‥あの薔薇はマスターにとって何よりも大事なものなんだよ。だから薔薇園に誰も入れないようにしている。‥‥俺達さえもだ。

許されてるのは、執事のリュミエールだけ。

だけど、あの薔薇園が出来た時、”ある奴”が言ったんだ。

『どんなに大切にしていても失う時は必ず来る。それが誰かの手によって失われた際、その償いは生きてさせるのだ』ってな‥‥‥。

その時、俺達にはまったく意味が判らなかったけど、きっと今日のことを言ってたんだな」

「『償いは生きて』‥‥ですか」

「それがなんで『帰り着いてはじめて会った生き物』と引き換えなんだか、俺にはちっとも判らねーけどな」

「あは、あははは‥‥」

それは、ルヴァにも判りませんでした。









ふと、気付くと何時の間にかルヴァは見知った道へと出ていました。

それは紛れもなく自分の村に続く道です。

本当でしたらもう二日は早く家に着いていた予定でした。娘達は、どんなに心配している事でしょう。

ルヴァの足は、自然に小走りとなっていました。

その後を、ランディ達が付いてゆきます。流石に、ここは普通の往来なので喋りはしませんでしたが。

どの位、歩いたでしょうか?

村の外れの方に割と大きめの家が見えてきました。そして不思議なことに、そこまで一行は誰一人として村人には会いませんでした。

屋根が見えて来ると、ルヴァはほっとしたような声を上げました。

「あぁ、あれが私の家ですよ~。やっと着きましたね。あなた方も御苦労さまでした~。心から感謝いたします」

馬から降り、改めて深々と動物達へと頭を下げました。





その時です。





「‥お父様‥‥? お父様なの?!」

綺麗な少女の声がしました。

次の瞬間、ルヴァの胸の中に暖かく柔らかいものが飛び込んできました。

「お帰りなさい、お父様! あまり遅いので心配してました。あぁ、でも本当に無事に帰ってきて下さってよかった‥‥‥」

「‥‥‥っ! ‥‥アンジェリークッ、あなたなのですか?!」

その時の声は”悲痛”でしかありませんでした。

何故ならルヴァの脳裏にははっきりと、あの時のリュミエールの言葉が蘇って来てたからです。





ええ。それが犬でも猫でも小鳥でもなんでも構いませんから、家に帰り着いたあなたが初めて出会い、鳴いた、若しくは話し掛けてきたものを寄越して下さい





それはてっきりいつも帰るなり、纏わりついて来る小さな飼い犬の事だと思っていたのです。

ですが現実は‥‥‥。





「あぁ、アンジェリーク。どうしてあなたがここにいるのです?!」

すぐ目の前に輝く蒼碧色の瞳に秋色の髪。それは紛れもなく可愛い末娘のアンジェリーク、その人でした。

そんな父親の気持ちも知らずに、少女はにこにこと答えます。

「お父様の帰りがあまりに遅いので、昨日から空いている時間はここに来て待っていたんです。‥‥でもよかった、御無事で」

「無事‥‥ですか‥‥」

そぉっと振り返ると、そこには思った通り、まだランディ達が立っていました。その目には、何処か哀れみとそして‥‥何故か驚きが混ざっていました。

これでは誤魔化しようがありません。

ルヴァが最初に会った生き物‥‥‥それがアンジェリークである事は、この者達に知られてしまっています。

「‥‥アンジェリーク」

「はい?」

ルヴァは愛しい末娘の顔を、もう一度見ました。

「‥‥あまりね、無事でもないんですよ~。この旅の最中、何があったか話しますから、取りあえず家に入りませんか?」

「無事でないって‥‥まさかっ、何処か怪我でも?!」

「いいえ。怪我くらいだったら良かったんですけれどもね‥‥」

そう言うとルヴァは寂しそうに笑いました。







ルヴァは、黙ってランディ達をとりあえず『少しの間だけですから』と自分の馬小屋に案内しました。自分達の存在の非常識さを分かっているランディ達は黙ってそれに従います。

そして一段楽すると、ルヴァは娘三人を部屋に呼びました。

「お帰りなさい、お父様」

「お帰りなさい、お父様」

上の娘達は今の今まで朝寝坊していましたが、父親が帰ってきたと聞いて飛び起き、飾り立て、一目散に飛んできました。

「あ~、オリヴィエ、チャーリー、変りはありませんか?」

「はい。毎日、家の掃除やら家畜の世話などをしてお父様の帰りを今か今かと待ちわびていましたわ」

‥‥‥これは嘘でした。

遊び好きの上の娘二人は、家事の全てを妹のアンジェリークに任せ、あちこち遊び歩いてばかりいました。しかし、そんな様子はおくびにも出しません。

「そうですか~、それは大変でしたね。はい、これは約束のお土産ですよ」

そう言うとルヴァは、獣から貰ったドレスと宝石の入った箱をそれぞれに渡しました。二人はそれを受け取ると、すぐさま箱を開き、中身と対面します。

途端上がるかしましい悲鳴。

「んまー! なんて素晴らしいドレスなのかしら? こんなドレス、きっと都の貴族だって持っていないわ」

「この宝石だって! こない大きくてそれで傷もないなんて、超一級品や!!」

二人は貰ったものをたがめすがめつ、一向に飽きる事なく見つめています。

そんな二人の様子を横目で見つつ、ルヴァはアンジェリークを呼びました。

「アンジェリーク‥‥これはあなたにです」

そうして手にあるのは、あの深紅の薔薇でした。

「お父様‥‥! ありがとうございますっ、覚えていてくださったんですね」

少女は、嬉しそうな笑みを浮かべると、渡された薔薇をそっと胸に抱きました。

「ええ、覚えていましたとも‥‥かなり高くつきましたが、あなたが喜んでくれるのならいいのですよ‥‥」

そう言うと、ルヴァはふふっとまたもや淋しげ微笑みを頬に乗せました。

「お父様‥‥?」

そのいつもと違った雰囲気にアンジェリークは訝しげに眉を寄せます。

けれど、ルヴァはそれには答えず、改めて三人の娘を見ました。





「あ~、みんなに言っておきたい事があるのですよ」

そして、ルヴァは話し始めました。

都での事。

帰り道で山犬に襲われた事。

もう駄目だと思った時に、大きな屋敷に飛び込んで助けられた事。

そこには喋る動物や家具やらがいて、驚き気絶してしまったが、その人達にさらに助けてもらった事。

そこで一晩宿を借りて、おまけにお土産まで貰った事。

そして、帰る前に咲いていた薔薇を一輪貰おうと折ってしまった事。





「‥‥その薔薇を御当主はそれはそれは大変大事になさっていたのですよ。薔薇を折ったのを許してもらうには、私はまた屋敷に戻らなければならないのです」

ルヴァは、獣が言っていた『帰って最初に会った生き物を寄越せ』という言葉は言いませんでした。

どちらにしても可愛いアンジェリークをやる訳にはいきません。

それぐらいでしたら自分の命を捧げる方がましです。もともとあの屋敷がなければ山犬に喰われていた命です。そう考えれば惜しくもなんともありませんでした。

 それを聞いた娘達は驚きました。

そんな夢みたいな話自体信じられませんでしたが、おまけに父親が何処かに行ってしまうと言うのも理解できません。

「お父様、きっと疲れてらっしゃるんですわ。今日は、もうお休みになって」

とか。

「さあ、お酒でも飲んで」

などと父親の気を紛らわそうとしました。

「あ~、信じてもらえないのですね~」

娘達がまったく信用してくれない。当たり前とはいえ、困りました。困り果てました。

黙って出てゆけば、いっそう娘達は悲しむでしょう。

ルヴァは眉根を寄せ、大きな溜息をつきました。

その様子を見た娘達は、段々”もしかしてこれは本当かも知れない‥‥?”と思い始めました。良く考えれば、この父親がこんな下らない嘘を言う筈がないのです。そう言うところは、昔から真面目すぎる程真面目な父親でしたから。

と、言う事は。





「あの、お父様‥‥‥冗談ではないのですか?」

おそるおそると言った感じで長女が尋ねます。

「ですから、さっきから本当だと言っているでしょう?」

それを聞いた娘達はやっと恐慌状態に陥りました。やっと帰ってきたと思った父親がまた出かける。そして何時帰って来るか判らない、いいえ、それどころか帰ってこられない可能性の方が高い。

その事態の深刻さがやっと理解できました。

「行かない訳にはいきませんの?」

「いいえ、もう約束してしまいましたから」

「でも、ここは家ですもの。戻らなければいいんですわ」

「約束ですから」

娘達はどうにかしてその決心を覆そうとしましたが、まったくの無駄でした。それほどルヴァの決心は堅かったのです。





その時、声が上がりました。

「じゃぁ、お父様。私が行きます」

それは、アンジェリークでした。

「お父様でなくても、いいと思います。もともと私のお土産の為にお父様がされた事。私が責任を取らなければなりませんもの」

にっこり微笑む末娘に、ルヴァは悲鳴に近い驚きの声を上げました。

そんな事! そうしたくないから、自分が行く事を決めたのに。

しかし、アンジェリークを止めるものはいません。

それどころか姉達は、

「そうよね~。アンジェリークが望んだ事が全ての始まりだもの。あんたが行くべきよ」

「あんたもわい達と同じようなものを頼んどけばよかったんや。かわったもん、頼むさかいお父様がこんな目にあったんやで?」

と、揃って攻め立てる始末。

「ね? お父様。私を行かせてください。でなければせめて一緒に行かせてください」

しかし、そんな譲歩も姉達は許しませんでした。

何故なら、姉達は結婚適齢期。

高名な学者・ルヴァの娘と言うだけで引く手あまたなのです。ですが、もしここでルヴァがいなくなれば、たちまち孤児同然。これから先、受ける筈の恩恵まで遠のいてしまうでしょう。

それに比べれば、末娘などいなくなっても構いません。いいえ、むしろ比べられてしまう為、可憐なアンジェリークはいない方がいいくらいなです。

姉娘達は一致団結して、ルヴァとアンジェリークを懐柔しにかかりました。

その攻撃にさしものルヴァも太刀打ちできません。











結局、アンジェリークはひとり、森奥深くの屋敷へと行く事になりました。
















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