第14代巫女姫・エンデリクは自らの心を人民の為に封じ、その神に愛された力を使い、幸せな国家を築きあげた。
(レイナール公国史・第5巻・巫女姫の章)
ヴィクトール様は自分が人形を手に入れてからの一部始終を二人に話しました。
「・・・という訳で、それからアンジェリークはおかしくなった」
「成程ね・・・それで君は、アンジェリークと人形が入れ替わったと思ったんだね」
総てを聞き終え、セイラン様は髪をさらりとかきあげました。
「ああ。そうとでも思わなければ説明がつかん。なぜ、ここにアンジェリークがいるとメルがいうんだ?」
「ふ・・・ん」
それには答えず、セイラン様は顔をうつむかせ、口元に手を当て、考えに入り込んでいきました。
しばらくたって。
「僕は君に『彼女』が何を守護聖達にしたか話したっけ?」
突如話しだした。
「? 『誘惑し始めた』というのは聞いたが?」
「それは言葉が足りなかったね。あれは『誘惑』というより『魅了(チャーム)』だった」
それはセイラン様がリュミエール様のところにいる時に起こりました。
あれこれ”天敵”という噂がありはしましたが、そこはそれ、種類は違っても同じ芸術畑に実る茄子とキュウリみたいなもの。それなりに上手くつきあっている二人でありました。
そんな二人がお茶を飲みながらゆったりとお互いの芸術感に対する意見を述べあっている時。
「失礼します」
ノックの音と共に聞き慣れた声がドア越しに聞こえました。
「おや、珍しいですね」
筆頭守護聖様が協力者達を集めてあんな会議を開く位です。アンジェリークの変化は水の守護聖様も御存じでした。
「なんなら僕は席を外しますけど?」
「いいえ、きっと育成のことでしょうから」
席を立とうとするセイランをにっこり笑って押しとどめます。そしてそのまま、ドアまで行き、女王候補の為にその扉を開けました。
「ようこそ、アンジェリーク。私の力が少しでも、あなたのお役に立てば嬉しく思いますよ」
にっこり微笑んだリュミエール様が固まったのはその時です。
「・・・・急に彼が黙りこくったんで、僕は変に思って彼女の方を見たんだ。そうしたら・・・」
光った気がした。
その眼が。
そのいつも深い湖のように澄んだ蒼色をたたえた瞳が。
まるで暗闇の蛇の眼のように。
次の瞬間。
水の守護聖は膝を折っていました。
「ようこそいらっしゃいました。アンジェリーク様」
その美しい手は恭しく少女の手を取り、麗しい唇はその甲に付けられました。
まるで女王にかしづく忠臣のように。
「リュミエール様・・・?」
あまりの変化に戸惑い、言葉をかける。
「・・・ああ、セイラン。アンジェリーク様が私に用があるようなのです。すみませんが出直して頂けませんか?」
言葉使いこそ依頼系でしたが、その口調は強制に満ちていて、セイランは部屋を辞さるおえませんでした。
「・・・と、いう訳でね」
さらりと言い放つには、かなりのとんでもない内容です。
「殆ど魔法のようだったよ」
「・・・やっぱり」
アンジェリークはアンジェリークではない。
そう、いいかけたヴィクトール様の言葉を再度その麗人は遮りました。
「もうひとつ、面白い事に気がついたんだ」
うっすら笑みを浮かべるその唇から紡がれた言葉は、さらにそこにいる人々を驚愕の地へと運び去るものでした。
ヴィクトール、君の出張先はワイル星系惑星レイナール・・・といってたね。
あそこはわりと珍しい星でね。女王の傘下にはいる随分昔から惑星統一国家なんだよ。だから、歴史等結構完全な形で残っていてね。僕達、詩人にとっては宝の山のような星なのさ。
特に、有名なのが巫女姫(みこひめ)制・・・聞いた事、ないかい?
神の花嫁たる女児が生まれながらに決められ、その子はその神に愛された力で人民を守るっていう話だ。
代々巫女姫は、先代の姫が死んだ10ヶ月に生まれる一卵生双生児の姉をもって跡継ぎとする。
なかでも有名なのは200年程前の第14代巫女姫・エンデリクだろう。
君たちも聞いた事のあるメロディだと思うけど、この歌は、
『エンデリク、エンデリク。暁の女王・エンデリク。その麗しき微笑みに日は昇り、その眼差しに月昇る』
という歌詞で、エンデリクの御代を讃えてつくられたものなんだ。
彼女はね、『人民の為に心を封じ、皆を幸せの大地に導いた』という伝説があるんだ。
おっと、ヴィクトール。不満そうな顔だね? それとアンジェリークと一体何の関係があるのかって。
まあ、最後まで話をききたまえ。
『心を封じ』ってところに、何か気がつかないか?
その『心』は一体何処に封じたんだろうね?
「・・・何を言いたいんだ?」
「ふっ、わかってると思うけどね」
長々とした関係無さそうな話に途中きれそうになったヴィクトール様でしたが、セイラン様の最後の発言は考えにも上らない事でした。
「・・・なんでこの人形がその『封じたもの』だと思うんだ」
そんな昔のもの、それも伝説に残るようなものを街頭で売ってる筈はないと思う。が、
「肉体に縛られない魂が何を望み、その望み故飛び出したとしても僕はちっとも驚かないよ」
それに。
更にの発言。
「それに僕は聞いてしまったからね。あの時、リュミエール様の口から」
「なにっ!!」
「セイランさん、それ、ほんとう?!」
つかみかからんばかりの勢いの二人を軽くいなし、
「僕が部屋を出る際、『エンデリク様』と呼び掛ける声を確かに聞いた」
その瞳は何時しか、氷のような冷たい光を宿してました。
「『アンジェリーク』と『エンデリク』・・・どちらも『天使』をあらわす名前。一体、本当の天使は何処へ行ったんだろうね?」
いつしか外は雨が降り出していました。
「とりあえず、結論をだすのは明日でもいいと思うんだ。エルンストにも話をして、相談した方がいい」
「何故だ! こうしている間にもアンジェリークが!!」
「頭に血が昇るのもいい加減にした方がいい、ヴィクトール。もし、本当に心が入れ替わってるとして、一体、君に何が出来る?
エルンストに分析してもらうのが一番得策だ」
セイラン様のいう事は正論でした。だが・・・。
押さえきれない心の苦痛は、手のひらに食い込む爪が血を流すことでなんとかおさめます。そんなヴィクトール様の袖をメルはぎゅっと握り、心配そうな眼で顔を見上げます。
「大丈夫だ、メル。きっとアンジェリークは元に戻して見せるから」
そう、総ては明日。
明日、決着が着く。
でも、この時。
三人は知りませんでした。
今日。
今、現在起きている事を。
「雨がひどくなって来たね・・・」
見上げる蒼い瞳に、暗雲がまるで聖地全体にのしかかるように見えます。
知らないのです。
この時間、何が起きたか。
総ては三人に訴えているのに。
それは。
時間が少し戻ります。
女王補佐官ロザリア様は、激しく扉が叩かれる音で眼が覚めました。
ここは宮殿でもアンジェリーク陛下の私室のある一番奥まった階です。階段や他の階から来れるところには統べて扉があり、陛下の許しを得ないものは、そこで足留めされる事になります。
その扉が叩かれる音で眼を覚ましたロザリア様。
「なに・・・?」
その音は一向におさまる事なく、自己主張を続けています。
「警備のものは一体どうしたのかしら?」
考えても始まりません。ロザリア様はガウンを羽織り、廊下に出、音の元へと向かいました。
「・・・なんです?」
一応、鍵は開けず聞いてみます。
「・・・お休み中失礼します。ロザリア様」
その声は、聖地の警備総責任者でもある炎の守護聖のものでした。
「なんだ、オスカー様でしたの。一体どうしました?」
「とりあえず、扉を開けていただけませんか? 陛下が大変なのです」
「え?」
とりあえず慌てて、鍵を開けます。ここに来る前に、陛下の安否を確かめに行かなかったことがロザリア様は悔やまれてなりませんでした。
「どうぞ、オスカー様。で、一体陛下に・・・」
なにが?と聞こうと思った視線の先に、ロザリア様は筆頭守護聖の顔を見つけます。
「ジュリアス様っ!」
「夜遅くにすまない、ロザリア。一大事でな」
そのまま、総ての守護聖たちがぞろぞろと扉の中に入ってきました。
「皆様まで? 一体何が一大事なんですの?」
その言葉に、ジュリアス様の口元がにやっと動きます。
「たった今、第256代アンジェリーク陛下が退位された」
驚きに見開かれる補佐官の視線の先には栗色の髪の女王候補アンジェリークが立っていました。
「そしてたった今、新しき女王陛下が誕生されたのだ」
その言葉と共に折られる守護聖たちの膝。
それをみつめるアンジェリークの瞳は、歓喜の色に怪しく輝いていたのでした。