・・・どこかで、泣き声が聞こえる。

誰? 泣いてるのは誰?

アルファンシア。あなたなの? 私を呼んで泣いてるの?

ダメ。呼ばないで。
私を呼ばないで。

ここは暖かくて穏やかで。

だから、お願い。
呼ばないで。
もう、戻らない。戻っちゃいけないの。
戻れば、また願ってしまう。
アルファンシアよりもあの人の側にいたいと。

宇宙の総てよりあの人を望んでしまう。

それは許されない罪。

だから、もう戻らない。
戻れない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・まだ、泣いているわ。
でも・・・これは、アルファンシアじゃない。
誰?
何で泣いてるの?

ねぇ、泣かないで。
どうしたら、泣き止んでくれるの?
ねぇ・・・・。



Doll 5





「どうした?」
見上げるとそれは今まで見た事ない人。



今日はね、皆の眼を盗んで、外に出てみようと思ったの。
だって、いつも私の周りには人が一杯いて『あれしなさい、これしなさい』って煩いんだもの。
私、もうそろそろ16才なのにね?
だからこっそりと。
長い事この宮殿に住んでるとね、人に見つからずに行けるところって結構あるのよ。
その中にも外にでられるとこもある。
実行できなかったのは勇気が足りなかったせい。
でも、今日こそは!


見つからないようにその部屋に行き、また見つからないように窓辺に近付き、一生懸命窓枠を越えたわ。
いつものぞろぞろした服じゃ足があがんないのはわかっていたから、今日は前に借りておいたメイドさんの服を着てきたの。・・・・それでもちょっと足引っ掛けておっこっちゃったけどね。


初めて一人で出る外。
とっても気持ちよかったの。
いつもは『よそ見しちゃいけません』とか『もっと淑やかに威厳を持って』とか煩く言われて、注意されることをみ〜んなやったわ。
こんなに空が青くて広いなんて、こんなに緑が鮮やかで優しいなんて知らなかったの。
私は走っていったわ。
ついつい足が宮殿から遠い方へ遠い方へって向かうのは当たり前ね?


降り注ぐ光の中を歩いていったら、林の中に小さな泉があったの。
漣がお日さまの光を反射してきらきらそれは眩しくて。
そこをね、とっても綺麗なヒラヒラしたものが飛んできたの。
今まで見た事ない綺麗なリボンみたいなもの。
捕まえたくって、自分のものにしたくて一生懸命追い掛けたけど、とってもそれは捕まらなくて、とうとう転んでしまったの。
その時。
「どうした?」
その声がかかったの。


転んだ体勢から見上げれば、それは大きな影。
その影は私に手を貸し、起こしてくれた。
その姿を見てとってもびっくりしたの。だって、今まで見た事もない人だったんだもの。
まず、メイドさん達や女官さん達とは体の輪郭が違うし、でも男の人だとすれば、なんで髪に色が着いてるの? 
私の周りにいる男の人たちは皆、髪の色は白いか、若しくは髪の毛自体全くないかだし、顔は皺だらけ、ひょろひょろ貧弱な体格をしているわ。
でも。
目の前に立ってる人は。
背は高く、がっちりした体格。声は低く響いて、嗄れ声なんかじゃない。顔は皺なんて一つもない。髪は赤銅色で豊かになびいている。
ほんと、今まで見た事ない人。


・・・もしかして、これが『男の人』ってやつかぁ・・・


「こんなところでどうした?」
その人はにこにこ笑いながらそう話し掛けた。
「さぼりか?」
その時私は自分がメイドの服を着ているのに改めて気付いた。
「ええ」
私だとばれたら、この小さな逃避行はすぐ連れ戻されちゃう。
とっさにそう思い、メイドさんのふりをした。
「そうか・・・君は宮殿の人?」
「ええ」
「じゃあ、丁度よかった。宮殿までの道を教えてくれないか?どうも道に迷ったみたいだ」
頭をかきつつ言うその姿はなんか可愛らしくて。
「いいわ。でも、あのひらひらしたものをとってくれたらね」
ちょっと気取って言ってみた。
「ひらひら? ・・・ああ、蝶のことか」
その人はにっこり笑うと指を一本たてた。すると、驚いた事にさっきあんなに捕まらなかったひらひらが、ふわぁ〜とその指に自分から止まったの。
「はい、どうぞ。お姫様」
間近で見る蝶はとっても綺麗で、喜んで手を出そうとしたら
「でもね、蝶はとっても短い命なんだぞ。それは知ってるかい?」
って聞かれた。
「すぐ死んじゃうの?」
「ああ。だから余計自由に飛び回れるんだ」
ゆっくり上下する羽はどんなドレスよりも綺麗。でも・・・。
「離してあげて」
閉じ込められるのは嫌。蝶も・・・私も。
「了解」
すると、蝶は指から舞い上がり、私の周りをひらひら回ると林の奥に消えていった。
「君はいい子だな」
「子供扱いしないで。もうすぐ16なんだから」
「そうか・・・あ、俺の名前はヴィルセラス。今日から宮殿警備隊に配属された」
「私の名前は・・・エ、エルディ」
「エルディ・・・いい名前だ」
こっちをにこにこ微笑みながらみる薄茶色の瞳。


なんだろう? この胸のドキドキは、なに?
なにか分からないものが胸に溢れてくる気がする。
それはとても怖くて、でもとても甘くて。
「宮殿はあっちだから」
私は逃げ出した。
なんだか分からないものから逃げ出す為に。
「あ、おい」
後ろから声はかかるけど、足は止めない。
「また、会おうな。時々、俺ここにくるから」


走って走って・・・気付くと宮殿の庭にいて。
「まあ! 姫様」
女官たちが気付いて、駆け寄ってくる。
「何処に行ってらしたのですか? 皆、探しておりましたのよ・・・それに、なんです? そのお召し物は? 今日は貴族院の方との御会食ですのに」
わらわらと側によって世話を焼きたがる人たち。



『第14代巫女姫エンデリク』・・・それが私の名前。
神に選ばれた神の為の乙女。周りにいる人は私を恭しく扱う。
それを当たり前に思っていたけど・・・。
でも。今日会ったあの人に言った『エルディ』っていうのもいいな。
自由な少しドジなメイドさん。そんなのもいいなってちょっと思った。



それから時々、私は宮殿を抜け出した。あんまり長時間抜け出すとばれちゃうから、ほんの30分くらい。
お昼休みの時間を狙って。だってその方が警備が手薄なんですもの。
行く先はあの泉。
そうすると大抵彼----ヴィルセラスがいた。
「やあ。休み時間が一緒なんだな」
にこやかに手を振る彼。
お昼休みの時間を狙うのは警備が手薄になるからよ。けして彼が休み時間なのを狙って行く訳じゃないわ。


彼はいろんなことを知っていた。蝶を呼ぶ方法。鳥を集める口笛の仕方。花の名前。木の名前。
他にもいろんな話をした。
「君に良く似た子を知ってる」
「え?」
「うちの田舎なんだけど、同じ15歳で同じようにちょっとドジでさ。料理つくる時でも三人分つくればいいところを何を間違ったか十人分もつくっちゃって近所に配り回るんだ。それがしょっちゅう。
旨いんだけどさ。
その子は君に良く似てる」
「そうなんだ」
なんか嬉しかった。彼の知ってる人が自分に良く似てる。なんでか分からないけど嬉しかった。


そう。
彼に会う度、なんか嬉しい。
どうしてだかまったく分からないけど、嬉しくて鼻歌混じりになっちゃうくらい。
でも、その分。
彼と会えない日はとても淋しい気がする。なぜか周りの景色も色を失って見えるくらい。
なに?この気持ちは?
彼に会う度、どきどき高鳴る胸。時々熱くなる頬。
これは何?
顔を見ていたくて、微笑みを見たくて。
でも、眼があうととっても苦しくなるの。嬉しいけど、苦しくなるの。
これは何?



「エルディ!」
いつものように待ってると彼が嬉しそうに飛び込んできた。
「やっと会えた。君に知らせたい事があってさ」
最近、どうやらこっそり抜け出してるのがばれてきたようで、警備が少し厳しくなってそうそう出られなくなっていたの。
「なに? ヴィン」
「彼女から手紙が来たんだ。それと写真も」
「彼女ってあの私に似てるって彼女?」
「ああ。ほら見て。君にそっくりだろう?」
差し出された写真を見て、とても驚いた。だって私がそこにうつっていたから。
違うのは私は腰まである髪。彼女の栗色の髪は肩で切り揃えられているくらい。
「ほんと・・・良く似てる」
「最初見た時、俺も驚いた。エリディアがここに来たのかと思ったくらいだ」
「エリディア・・・ってこの子の名前?」
「ああ。そう言えば『エルディ』と『エリディア』って名前も良く似てるよね」
見れば見る程それは似ていて。
「彼女が俺の帰る日を指折り数えて待ってるって。
初めてラブレターなんかもらったよ。彼女、少々内気だからこんなこと一生言って貰えないと思ってた。
婚約してても不安でさ」


え?


今、聞こえた言葉は何?
『コンヤクシテテモ』?
それはどう言う意味?


「…婚約?…」
「ああ。言わなかったけ?」
聞いてない。


でも、次の言葉は更に驚きをあおって。


「来月の二日に式あげるんだ。彼女の誕生日でさ。ほんとは結婚してから赴任する筈だったのに急にこっちに来る事が決まってさ」


私が驚いたのは『結婚してから』のフレーズじゃない。その前。
『来月の二日が彼女の誕生日』
それは。
その日は。


「ねぇ……ヴィンの街ってどこ?」
ほんとは聞かなくても分かる気がした。
そして、ヴィンの口から出た言葉はそのまま私を驚愕の淵へと追い落とした。
名前だけ聞いた事のある私の生まれたところ。
間違いない。
この子は私の双子の妹だ。


『巫女姫は双子の最初をもって、跡継ぎとする』


この子----エリディアは、私と同じ年、同じ月、同じ時を持って生まれた私の片割れ。


「彼女のとこ、すっごく家族仲良くってさ。俺、天涯孤独だからその中に入れるのが楽しみなんだ」
にこにこ笑う彼。写真の中に微笑む彼女。
・・・私とは違う世界。


「・・・よかったね」
大丈夫。笑って言えた。
まったく、離れていても双子って似るものなのかしら? 同じ人を好きになるなんて。
そう、今は分かる。この感情が『恋』ってものだったのが。
とても切なくて苦しくて、でも甘いもの。
さよなら、私の初恋。次にはもっとちゃんと『恋』を楽しむわ。



さすがに重い気持ちを抱いて、部屋に帰った。当分外に出る事もない。
失恋した相手にひょこひょこ会えるほど強い人間じゃない。
でも。そこで待っていたのは。


「巫女姫さま」
筆頭家老が私の帰ってくるのを待っていた。
「外出するのは結構ですが、供をお連れ下さい」
早速のお説教。いつもの事ながらうんざりする。先代からのお付きの一人でその厳格さは、かたっ苦しいのを通り越してうざったくさえもある。
「はいはい・・・用件は何?」
小言は軽く聞き流す。
「『はい』は一度です! ・・・実は来月の姫様のお誕生日の事なのですが、16歳におなりになられるんですよね」
「そうだけど?」
妹が結婚する日でもあるけど。
「16歳のお誕生日は巫女姫にとって、いえ、国にとって大事な行事。今日はその行事についてお話に参りました」
その口から流れる言葉は今まで知らなかった事実。
それは・・・。



闇の中を私は駈けていた。行く先はあの人・・・ヴィンのところ。
警備兵の寄宿舎は知ってる。部屋番号も聞いた事がある。好都合に一階だった。窓から入れる。


信じられない。
許されていい事なの?
巫女姫が、巫女姫がそんな存在だったなんて。


『16歳をもって姫様は神の花嫁となります。その日、宮殿の奥にある宮にはいって頂き、式をあげます。
その後、姫様は正式に神の代弁者となり、宮殿の奥深くにその存在を封印されます』


封印って? 封印ってなに?


『もちろんお付きのものも一緒にはいりますし、生活上何の御不自由もないはずです。姫様は神の妻として国民の母として総ての幸せを見守り、神聖で犯されざる国の象徴、導く存在と成らせられるのです』


なんで、なんで、なんで?!
なんで私がそんな事! なんで人の幸せを見守らなきゃならないの? 自分の・・・私の幸せは何処に行くの?
・・・ヴィンと知り合う前なら、にっこり笑って喜んで儀式に臨めたかも知れない。
でも、私は知ってしまった。
普通の幸せ。好きな人と巡り会い、話し、笑いあう幸せ。
それが『一番の幸せ』・・・・。



「ヴィン・・・ヴィン!」
まだ灯りが消えてない窓を叩く。4.5回で彼が顔を出した。
「エルディ?!・・・どうした?」
「お願い。中に入れて」
「え?」
「この際、若い娘がどうとか言い出さないで」
なにか言いたそうな顔から察しをつけて黙らす。そしてそのまま窓をよじ登り、部屋にはいる。
(最初は窓を出る時、つまづいたりしてたのにね)
ほんの少し、自嘲気味に唇が歪む。
「どうした、エルディ?」
心配げに覗き込む彼。私は一つの決心を持ってここまで来た。
「ヴィン・・・私を抱いて」
ヴィンの瞳が見開かれる。


『巫女姫は純潔ではなくてはならない』
それは当たり前。神の花嫁になるのだから。
だから、巫女姫にならない為には。


「なにを言い出すんだ」
「お願い・・・何もいわないで」
腕を伸ばし、首に齧りつく。
嫌、皆と離れるのはいや。総てを・・・私自身を投げ出すなんて絶対嫌!
「ちょっと待て!」
無理矢理外される腕。彼の瞳。
「知ってるだろう? 俺にはエリディアがいるんだ」
「知ってるわ! でも、何であの子なの。同じ顔をしてるんだから私でもいいじゃない!」
「いくら同じ顔でも、エリディアは小さい頃から一緒で、ずうっと同じ時間を過ごして来た。それは君じゃない」
なんですって。
「俺の好きなのはエリディアなんだ!」



『小さい頃から一緒で、ずうっと同じ時間を過ごして来た。それは君じゃない』
それは私のせいじゃない。本当だったら彼とはもっと早く会えていた。
ほんの少し、この世に出てくるのが早かっただけじゃない! それだけなのに、私は総てを奪われなければならなかったの? 妹だけが総てを手に入れて。


そうよ。
暖かい家族の団らんに憧れた。母さまの胸に抱かれる事も。普通に友達とおしゃべりする事も。
その総てを奪ったのは、巫女姫であり、この国総て。
それなのに私は、この国の為に尽くせと言われる。


いやよ。


なんでみんなの幸せを願うの?
私一人、不幸なのに。私だけひとりぼっちなのに。
沸き上がる暗い想い。
国なんて国なんて・・・。



滅びてしまえばいいんだわ。



心一杯に満ちた想いが空へ駆け昇ってゆくのが分かる。
見る間に、その想いそのままに暗くたれ込める雲。段々強くなる風。空を割る稲妻。身震いする大地。
「な…なんだ?」
急に変わった空模様と地震に呆然とする彼。
「エルディ・・・まさか」
「私を拒むのね・・・みんな、私をひとりぼっちにしようとするのね。ただ、ちょっと先にエリディアよりも早く生まれただけなのに・・・それだけなのに」
空ろな瞳はもう何も見えなくて。
「まさか・・・君は・・・エンデリク・・・姫・・・?」
その言葉は、私の感情を爆発させるものでしかなかった。
姫姫姫姫姫・・・・・・私は『姫』なんか望んでない!
私が望んだのは、『自分が幸せな』人生!!




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
だけど。
国は滅びなかった。


あと少しと言う時に、あの家老どもが部屋に乱入し、私を薬で押さえ付けた。
その後、この騒ぎを起こした感情を人形に封じ込めた。
人形はもともと『ひとがた』。人間に降り掛かる災いを受け止める存在。もう一人の自分になるもの。
心だけを封じたのは、巫女姫としての体は必要だったから。
先の巫女姫が死んで16年。国の結界もギリギリだった。人身御供は必要だったのだ。
後の事はよくわからない。
ただ、心のない体がそれは素晴らしい『女王』になったのだけはわかった。
でも、時折その体が人形を抱き締めて、流れるはずのない涙を流してたのは私しか知らない。



私は、もう、泣かない。
心だけの私に涙腺はない。いつか総てを手にいれるまで、”自分が幸せな”人生を手に入れるまで。



『泣かないで』



そう、私は泣かない。



『もう、泣かないで・・』



涙なんて枯れ果てた。



『私が側にいてあげる』



・・・誰? 誰なの?
さっきから私に触れてくるこの感情。暖かな温もり。



『一緒に居てあげる』





「・・・デリク様、エンデリク様」
遠くで私を呼ぶ声がする。ゆっくりと起き上がると感じる、頬を何かが流れる感触。
これは・・・涙?
そんな訳ない。私の涙はあの時枯れた。もう出ない。
「エンデリク様。お目覚めですか?」
金の髪の男が部屋にはいってくる。確かジュリ・・アスとか言った筆頭守護聖だ。
「前女王はお言い付け道理、補佐官と共に西の塔に幽閉いたしました。あそこはサクリアを押さえる機能があるところですから、もうその存在はここには全く関係なくなるかと」
「わかったわ。御苦労」
総ては私のもの。私が思うようにこの地は動いてる。
私が望む『私が幸せな』人生はこの肉体でなら手に入れられる。
総てを支配する女王になって好き放題にしてやる。
その為に・・・誰かが不幸になっても構わない。
すべては私の為に。


『そんなに自分を苛めないで』


「誰っ!」
突然聞こえたこの声。さっきの夢の声。
見回しても誰もいないし、気配も感じない。
『自分を苛める』? 
そんな事はない。すべて私の望むがまま。心の何処も痛みはしないわ。
私は、女王エンデリク。
すべてを支配するもの。





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