Doll 7






宮殿の中は、いつもと同じく静かでありましたが、いつもとは違って何処か空虚さが漂っていました。
行き交う人もなく、ただ4人の足音だけが廊下に響いて行きました。
その時。
ザザッ・・・
『最後のロック、外したから』
メルが握りしめた機械から鋼の守護聖様の声がしました。
「ありがとうございます、ゼフェル様」
『礼なんていいさ。ただ、その先は俺も干渉は出来ねー。気合いれて行けよ』
「わかってます」
苦笑を頬が刻む。ここに来るまでそれなりにいろいろありました。今更気など抜けるはずもありません。
とうとう最後の扉・・・玉座の間の前まで辿り着きました。
ヴィクトール様がまずノブに手を伸ばします。それは、ゼフェル様が言ったように鍵はかかっておらず、ゆっくりと回り、扉は開かれてゆきました。



再奥のまん中に女王の椅子を戴くこの玉座の間は、聖地においてもっとも神聖な場所です。平和な女王の御代を象徴すべく、華美な装いこそはありませんが、威厳があり静謐さが漂っています。
そのいつも金の髪の女王が座っている場所に、4人が見慣れぬ・・・いいえ、他の場所では見慣れている姿を見つけだすのに、そう時間はかかりませんでした。
「アンジェリーク!」
「遅かったじゃない」
その秋色のさらさらとした髪、ほんのりピンクがかった真珠色の肌、森の奥の深い湖の色よりもっと深い蒼の瞳・・・紛れもなくアンジェリークの姿でした。
彼女は、いつもの制服姿ではなく、人形と同じ深緑色のドレスを纏い、その玉座に腰掛けてました。
「待ちくたびれたわよ」
そう言いつつ、彼女は立ち上がり、一歩づつこちらに近寄ってきます。そしてヴィクトール様の前まで来ると不審そうに鼻の頭に皺を寄せました。
「・・・何で動けるの?」
「!」
驚いて振り返った先には、強ばったまま、彫像と化している三人の姿が・・・。
「ヴィ・・・クトー・・・ルさんっ・・・!」
かろうじて声が押し出されるが、それもやっと。
「何をしたっ!」
「暴行を受けるかも知れない女性が自衛手段をとっただけよ。それにしては大人しい方だと思うわ」
そう言うと彼女は、また玉座の方へ歩を進め、途中まで来るとくるりと振り向くと妖しく笑って手招きしました。
「そんな入り口に固まってないで、まん中にいらしたら? 命までは取らないわよ。彼等も動けないだけ。無理に動こうとしなければ、そんなには苦しくない筈よ」
確かにその場にいても、何も変わらない。
そう判断したヴィクトール様は、用心しつつ歩み寄って行きました。



「で、何の用・・・って、大方分かってはいるけどね・・・」
少女は腕を組みながら、男を見上げます。
「アンジェリークを返してくれ」
「・・・何で?」
「何で・・・って」
思いも寄らなかった答えです。
この少女には自分のしてる事がわかってないのでしょうか?
「それよりも・・・私、あなたにお願いがあるんだけどなぁ」
桃色の舌がペロリと上唇を舐めると、蒼碧色の瞳が光りました。細い真っ白な腕が、ヴィクトール様の首に絡まります。
「最初に見た時から気に入ってたの。あなた・・・私のものにならない?」


「何?!」
「女王のもの・・・ううん、『夫』って言った方がいいかもね。最高権力者の配偶者になれるのよ、あなたは」
白い顔が近付いて来る・・・!
避ける間もなく、ヴィクトール様の唇が塞がれました。同時に、そのほの暗く光る瞳が目の前一杯に広がります。
「私の夫になれば・・・総ては思いのまま・・・」
言葉は広がり、まるで全身を包むかのよう。



おかしいっ・・・!



思うより早く体が動いてました。
少女の体は、あっけなく突き飛ばされました。
「・・・いったー・・・」
それでも、少女はすっと立ち上がると、ぺろっと手の甲を舐めました。
「今のは何だ!」
でも、その答えは。
「あなた、人間?」
でした。



「何っ?」
「人間だとすれば、思考出来ないとんでもない莫迦か、若しくはとんでもなく・・・それこそ人並み外れた精神力の持ち主だわ」
そう言いつつも、表情は嬉しげでありました。
「今のは、まさか」
「そう。気付いてるとは思うけど、守護聖…だっけ?彼等を虜に出来た理由よ。……まぁ、接吻はあなたにだけのサービスだけどね」
にこにこ笑いながら近付いてくるのを更に警戒します。
「・・・ほんと、益々欲しくなったわ」
真正面に来て、しっかりとヴィクトール様の瞳を見上げる仕種。
「あなただって、損はない筈よ。だってこの子の身体が手に入るんだから。・・・今更『違う』なんて言うのはナシよ?」
唇の端が僅かに釣り上がります。
一瞬の間が辺りを支配しました。
「・・・断る」
そんな空気を押し出すように低い声がきつく噛み締められた唇から洩れました。
「なあに? やっぱりこんな小娘じゃ嫌?」
組んだ腕が、きゅっと見た目より豊かな胸を押し上げます。
「・・・違う」
「え?」
「俺が取り戻したいのは、あいつの外見だけじゃない。あいつの芯の強さ、心の優しさ・・・総てを取り戻したいんだ。
だから・・・返してくれ!」




その言葉は、思ったより少女に響いたようでした。眼に見えて蒼白になる顔面がそれをあらわしてます。
「そう・・・あなたも私を拒絶するのね・・・」
暗い色の瞳は、一瞬床に落ちましたが、即少し嘲笑を含んで戻りました。
「返せ返せって言うけど、私は何も無理矢理『身体』を奪った訳じゃないわ」
「なんだと?」
「あの子が自分で望んだのよ? 『人形になってでもヴィクトール様の側にいたい』って」
ヴィクトール様の胸の中で人形が身じろぎをした気がしました。



「そう。
あなたは、あの子を神聖なものとして見ているらしいけど、あの子はそんな聖女じゃないわ。
あの子は、宇宙を統べる女王としての能力を持ち、総てに期待されていながら、総てを捨ててあなたを恋い慕った・・・それは、女王になるかもしれない人間としては『許されない罪』よね」




『ソウ、ソレハユルサレナイ罪』




「本当だったら、想いに鍵をかけ、民の為に尽くすのが世の道理・・・違って?」




『ソウヨ、ユルセル筈ナイユルサレル筈モ』




「それなのにあの子は逃げ出した・・・」




『アアァ、ワカッテルワ。モウ、ヤメテ』




「私は、あの子を救ってあげたのよ? あの子の『あの人の側にいたい』という願いを叶えて、その上あの子を追い詰めていた『女王』の座を責任持って継いであげるんだから。
責めるのなら、それは私じゃない。
女王候補でありながらもっとも願ってはいけない事を願った彼女の方よ!」
強い光が、彼女の瞳に満ちます。
重苦しい空気が、辺りにたちこめました。



ヴィクトール様の脳裏に、出会ってから今までのアンジェリークの姿が浮かびました。
最初は、びくびくと床ばかり見ているので(本当にこれで女王候補なのか?)と心配しました。
そして、そのか弱さ、儚さを心配しました。
その内、その儚さの陰に隠れてる芯の強さ、本当の優しさが見え、ヴィクトール様の自慢の生徒になってゆきました。
時々見せる柔らかい眼差し、優しい微笑み・・・それは何時しかヴィクトール様にとって掛け替えのないものになってきていたのを、今、ようやく理解しました。アンジェリークの心も。
そしてそれを『罪』だと言い切る彼女に対する怒りも・・・。



「それが・・・・」
「え?」
暫く沈黙が空間を支配してました。それを破ったのは、ヴィクトール様の方でした。




「………それが、罪だと………?
・・・・それが、罪だと言うなら、総て俺が背負って堕ちてやるっ…!」




血を吐かんばかりの苦しげな声、表情、底光りする琥珀の瞳。
「何ですって?」
「人を愛するのが『罪』か?! たった一人も愛せずに全宇宙を愛す女王になんてなれる筈なかろうっ!
・・・そうだ・・・それが『罪』ならば俺はもっと重い罪人だ。
たった独り長らえ、いらぬ名声を得、一生償えない罪を背負っている癖に天使を・・・・全宇宙から敬愛される天使を『我がものにしたい』などと考える俺は、最低の罪人だ!!」
「な…なにを言ってるの?」
彼女の眼が驚きで見開かれます。
「あなたは、世界の平和より個人の感情を取るのっ?! ・・・なんという愚かな・・・っ!」
「ああ、愚か者だ、俺は。今の今まで自分の気持ちが分からなかったんだからな………。
宇宙よりも何よりも、俺はアンジェリークを選ぶっっ!」




その答えに返って来たのは。



衝撃。



「くっ・・・」
避ける間もなくヴィクトール様は吹き飛ばされ、壁に叩き付けられました。
「黙れ、下郎っ! 心にもない事を叫ぶな!
……宇宙より、だと……? この世にそのような人間がいるわけないわ! 自分達の生活が危うくなれば、女一人の人生や愛など大事の小事と簡単に捨て去る・・・それが世界だ!」
「ち…違う‥‥‥」
「まだ、言うか」
更に、衝撃波が襲います。
身を縮めて、何とか急所だけは庇いますが、それでも数の多さは確実にヴィクトール様から力を奪って行きました。
「……どう? 少しは本音が出るようになったかしら?」
蹲る男の髪をぐっと掴みあげ、対峙します。
「お…俺は…アンジェリークを………」
「まだ言うかっ!」
その手で頬をはり飛ばします。
その拍子に、懐の人形が転がり出ました。



「!………こんなところにいたの」
彼女の顔が妖しく微笑みます。
「な、何をする………」
それには答えず、手のひらが人形に向けられます。
「最初からこうしておけば良かったのよ・・・。総ては私に預けて、あなたは魂だけで誰でも恋い慕えばいいわ。そうすれば、こんな莫迦なことを言う輩に会わずにも済んだ……」
光が手に集まって来ます。
「この世に自分より大切なものなんてないわ………『愛』なんていらないっ………!」
閃光は、人形に向けて発せられました。






数十秒の時間が過ぎました。
目の前にあるのは、砕かれた人形・・・・ではなく、蹲る男の姿。
その懐には、人形が抱え込まれてました。
閃光が人形に届くより、一瞬早くヴィクトール様がその身体で庇ったのです。
「莫迦な」
呟く声に、視線が向けられます。
「お前に、アンジェリークを‥‥‥ぐっ!」
ヴィクトール様の身体を激痛が貫きます。熱い固まりが喉を競り上がってきて、それは我慢しきれず、口から溢れ出ました。


ぽたっ。


ぽたっ。


真紅の雫が床を濡らします。
「あらあら。どうやら肋骨が折れて、内臓を傷つけたみたいね? ・・・ほっとくと、あなた死ぬわよ?」
「だからと言ってっ………こいつを………渡せるものか………っ!」
雫が、人形の頬を濡らしていきます。まるで涙のように。
「次は、かわせないわよ。そんなに愛しいなら、一緒に死になさいっ!」
先程より大きな光が手に集まりはじめました。
かといって、すでにヴィクトール様は動ける状態ではありませんでした。
(すまない、アンジェリーク・・・)
人形をぎゅうっと抱き締めると、次の衝撃に備えました。



光が、放たれます。



が。
次の瞬間、ヴィクトール様を覆ったのは、暖かな柔らかい白い光でした。





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