Doll 8






何処までも暖かな空間に、アンジェリークはいました。
それは、彼女を優しく包み、総てを眠りに誘いました。
時々、外の様子が流れ込む事もありましたが、総てから眼を背け、微睡みに逃げ込みました。
何故かって。
それは、自分の存在が総ての邪魔だと思っていたから。


サクリアを求めて育っていくアルフォンシアや、惑星が満ちてゆく新宇宙を素直に『嬉しい』と思えなくなった自分。
守護聖様達が、気を使い誘ってくれる様々の事を『感謝』する事が出来なくなった自分。
それでも、レイチェルのより増えていく星々。
ルーティスより成長するアルフォンシア。
総ては、アンジェリークを求めていて・・・・それに素直に答えられなくなった自分。


自分さえいなければ、レイチェルはきっと素晴らしい女王になるだろう。
そう自分さえいなければ・・・・。


それは、見方を変えれば『謙遜・謙虚』と思われ、賛美の対象にもなっただろう。
でも。
自分の心は、奥まで見えた。
総てが綺麗な薄ものに纏われた心。その衣を一枚ずつ剥がしていけば、見えてくるのはただ一つ。


あの人の側にいたい。


そんなどろどろした感情が渦巻く、見たくもない心の真の奥。

総てが自分にだけ、跳ね返ってくればまだ耐えられた。
この想いごと砕けるなら、この身も惜しまない。
胸が張り裂けるのなら、それも厭わない。

でも、自分は女王候補。
心の揺れは、全て育成にあらわれてしまう。
心の代わりに砕けた惑星。
胸の代わりに張り裂ける宇宙。

・・・想わない方がいい。自分はあの人にとって『可愛い生徒』でしかないのだもの。
分かっていても、それでも願う心は止められない。


あの人の側にいたい。

顔を見ていたい。

声を聞いていたい。




”俺が取り戻したいのは、あいつの外見だけじゃない。あいつの芯の強さ、心の優しさ・・・総てを取り戻したいんだ。”
突然、声が飛び込んで来ました。聞き違えるはずもない愛しい声………ヴィクトール様。
その声は、今まで聞いた事もないくらい、苦悩に満ちていて・・・。
今まで、総てから自分を遠ざけていたアンジェリークに、始めて外を見る気が起きました。
そぉっと外を見てみます。
自分は、ヴィクトール様の懐にいる事が分かりました。
そして、衣服の隙間から僅かに見える景色・・・それは、定期審査の時に見る宮殿の玉座の間でした。

更に、正面に立つその人影は。

”あの子が自分で望んだのよ? 『人形になってでもヴィクトール様の側にいたい』って”
聞き間違えるはずのない、自分の声。
こちらを見据える蒼碧色の瞳、さらさらと流れる栗色の髪、華奢な身体。
見慣れないドレスを着てはいるけれども、見間違え様もない自分の姿。
そしてその言葉は、もう一つの自分の心。


『女王ニナルカモシレナイ人間トシテハ”許サレナイ罪”』


そう、それは許されない罪。


『本当ダッタラ、想イニ鍵ヲカケ、民ノ為ニ尽クスノガ世ノ道理』


そうよ、許せる筈ない、許される筈も。


『ソレナノニ逃ゲ出シタ』


そう、その通り。分かってるわ、わかってるの。
もう、やめて!

それは、間違いなくもう一つの自分の心。
あの人に心を奪われてから、葛藤し続けたもう一人の自分。

多分女王候補としたら向こうの意見が正しいと思う。
一人の人間としたら、こちらの意見が正しいことも。
でも。

心が泣くの。
痛くて泣くの。

どちらの心も痛さに涙を流す。
皆の期待を、アルフォンシアを裏切る痛みに泣く心。
あの人を諦める痛みに泣く心。
そして・・・そして?

何?
もう一つ、泣く心。
これは、何?
何かに怯えて泣く心。
これは・・・?



何かに惹かれるようにアンジェリークはその光景を見続けました。
自分がした事を糾弾する自分。
言う事は、全て自分が思っていた事。

ただ。
言えなかった事。

『許されない罪』を願ってしまったなんて言えないし、思ってもいけなかった。
それを全部言い放つ。
そう言いながら、何処かで怯えている別な心を感じる。

何も言えない。
何も出来ない。
何かを感じながらも、どうする事も出来ない。


全ての言葉が重みを持ち、アンジェリークの心を完全に押しつぶそうとした時。
その声は、聞こえました。

『それが罪だと言うなら、全て俺が背負って堕ちてやるっ…!』

それは苦しげな声。
そしてその声の主は‥‥‥ヴィクトール様!

その声は、続きます。
それは、思ってもみなかった、まさかの言葉。


『宇宙より何より、俺はアンジェリークを選ぶっ!』


その言葉は、見る間に光となり、アンジェリークの心を貫きました。
そして‥‥‥熱い何かを感じさせました。
それと同時に‥‥‥たまらない恥ずかしさも。

すべてを投げ出し、逃げてしまった自分。
手に入れる事も、諦める事も選べず、ただただ悩むだけで行動しなかった自分。
あんなに精神の強さについて教わったのに、それがちっとも身に付いてなかった自分。
それに比べて、ヴィクトール様は。

その時、始めてアンジェリークは自分の心と真正面に向かい合えた気がしました。
好きになったことも、何かもかも自分で選んだ事、感じた事。
それに罪悪感を感じる事はない。
ヴィクトール様がそう言って背中を押してくれた気がしたのです。

そう思った瞬間。

衝撃。

ヴィクトール様と一緒に転がる感じ。
それと共に、先程から感じてたもう一つの心がはっきり感じられました。
それは。

怯え。
それと、恐怖?
自分には、理解出来ないものをみた恐怖。
何故?

衝撃は何度も続きました。
それと同じく高まっていく感情。
これは、誰?
もう一つの自分のようだった、この感情は誰なの?

一生懸命、考えをつなげようとしてました。
それが、せめて自分ができる事。

今の自分の感情を受け入れた時から、アンジェリークは今まで何が起こったかが全て分かってました。
自分が人形と魂を交換したこと。
育成を放棄したこと。
守護聖様達を操り、女王陛下を裏切らせた事。
そして、そのすべてを自分がどうにかしなくてはいけない事も。

考えを振り絞り、なんとか答えを見つけようとしてる時。
軽いショックと共に、急に視界が開けました。
目の前に広がる高い天井。
ヴィクトール様の懐から落ちたのです。

「‥‥こんなところにいたの」
固定された視線の向こうで自分が笑ってる、手をかざしながら。
その手には徐々に光が集まって来ていて。
「最初からこうしておけば良かったのよ・・・。総ては私に預けて、あなたは魂だけで誰でも恋い慕えばいいわ。そうすれば、こんな莫迦なことを言う輩に会わずにも済んだ……」
更に光が手に集まって至近距離にいるアンジェリークは眩しくて正視出来ません。
「この世に自分より大切なものなんてないわ………『愛』なんていらないっ………!」
光は、閃光となって襲い掛かりました。

アンジェリークは、意識を閉じ、衝撃が来る事に耐えました。
が。
それは、何時まで待っても来ませんでした。
代わりに。


ぽたっ。


ぽたっ。


熱い雫が自分に落ちて来ました。

『何?』

閉じていた意識を外に戻します。
その先に見えたものは。

ヴィクトール様!

自分を庇うかのように覆いかぶさる彼の人の姿でした。
そのこめかみから紅いものが顎の方まで流れ、その口からは更に鮮やかな赤が自分に滴り落ちてます。
「あらあら。どうやら肋骨が折れて、内臓を傷つけたみたいね? ・・・ほっとくと、あなた死ぬわよ?」
近くで嘲笑を含んだ声がします。
「だからと言ってっ………こいつを………渡せるものか………っ!」
苦しげな表情、苦しげな声。
どうみてもかなりの深手を負っているようです。
「次は、かわせないわよ。そんなに愛しいなら、一緒に死になさいっ!」
さっきよりも大きな力が向こうで集まっていく気配がします。
それと同時にアンジェリークは、ヴィクトール様にぎゅうっと抱き締められるのを感じました。
”すまない、アンジェリーク‥‥”

『ヴィクトール様っっ!!』

アンジェリークの、高まる想いが弾けました!









・・・ヴィクトール様は、次に来る決定的な衝撃に備えました。
しかし、それは何時まで待っても来ません。それどころか。
「なにっ!」
驚愕の叫び声まで聞こえたのです。
次に感じたのは、なにやら先程とは違う空気。
気付くと先程まで絶えず喉を逆流しそうになっていた血が全く感じられなくなり、痛みも大部薄れてました。 それに勇気づけられて、身体を起こしてみます。
その時。
『ダメ。動かないで下さい』
それは声---というより直接頭に響きました。
そして、それは。




決定的なダメージを与える攻撃が下されるのを三人は、歯噛みをする思いでみてました。でも、いくら思っても身体の方は動きません。
彼女の力は確かでした。
「ヴィクッ‥‥ト‥‥‥!」
「ヴィッ‥‥‥トー‥さんっ!」
「‥‥ットールッ‥‥‥!」
声にならない声があがります。
光は、狙い違わず二人に襲い掛かりました。
思わず、三人は眼を瞑りました。

が。

予想した音や爆風はまったく起こりませんでした。それどころか三人を戒めていた力さえもなくなったのです。支えを失い、三人はその場に崩れ落ちました。
しかし、身体は言うことを聞かなくても、その眼だけは逸らされることはありませんでした。
その先に見えるのは。
「あれは?!」




致命的な光がヴィクトール様に達する直前、それは起きました。
突然暖かな柔らかい光がヴィクトール様を包むと襲い繰る光を吸収したのです。
その光は、大きくなり、そして徐々に形が変わりはじめました。
小さな形の良い頭、細い首、すんなりとした肩。光が形作ったその華奢な身体は、ほんのりとした輝きを帯び、それでいて水晶のように透き通っていました。

「アンジェリークッ!」





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