時間はちょっと戻って。
時計の針は12:55を指しています。かなり人が集まって来た時間です。
舞台は、遊園地の敷地からみるとかなり大きめ。
ヒーローショーが遊園地の目玉である事の証拠です。
その裏手。
開幕直前の忙しい楽屋裏の風景です。ばたばたと人が走り、あちこちで怒声らしきものもあがっています。
そんな中、中央の机の周りで寛ぐ一団。なにやら身体にフィットした黒い衣装を身につけた者や何やら着ぐるみを着た感じの者さえもいます。
「後五分で開幕です!!」
その声も聞き流して、数人の男達が立ち上がり舞台の裾から会場を眺めています。
「いるいる、今日も沢山。‥‥やっぱこの公演は人がはいるなぁ」
感心したような声に、
「そりゃ、今一番人気の番組だもんな‥‥その割に俺達のギャラ、少ないけど」
ぼやくような声が答えます。
「いくら遊園地の乗り物がタダだって、どう考えても割にあわねぇよな」
「そうそう。‥‥あ、そういえば今のうちに人質役の目星つけとかな‥‥あっ!!」
突然一人の男が声をあげました。
「なに? どうした?」
その声に何人かが顔を出します。
「ほら、あの子!」
そういってる面子を良く見ると‥‥どうやらさっきアンジェリークをナンパしていた青年達です。
その一人が指差す先には---皆さんお分かりだとは思いますが---アンジェリークとアン・ディアナがいました。
「いるいるっ、やっぱり」
「やっぱここの目玉だからな」
「でも、やっぱ可愛いよなぁ」
「もし、隣でにっこり笑ってくれたら‥‥‥くっっぅぅぅぅ!!」
‥‥こらこら、どうも妄想ビジョンがはいってるようですね(苦笑)
確かにこの会場の中ではアンジェリークとアン・ディアナはちょっと周りとは違って見えます。
ま、それが身についた女王のサクリアって言えばそうなんですけど、そんな事を知らない男達には、それはそれは魅力的に見えたみたいです。
「‥‥なぁ、俺いい事、考えた」
「‥‥のった」
「なんだよ? まだ、話してないぜ?」
「考える事は皆同じ‥ってことだろ?」
ここで何やら、怪しい相談が始まったみたいです(笑)
そして。
こうなる訳です(笑)
「やだぁぁっっっっ!! はなしてよっっ!! ‥‥ヴィクターはゼッタイ来るんだからっ!!」
抱き上げられた格好のまま、ゲシゲシと(笑)敵役の男に脚蹴り喰らわせているアン・ディアナ。半分泣きそうになりながらも奮闘しております。
その横では。
「あの‥‥ちょっと苦しいんですけど‥‥」
ちょっと遠慮がちに苦情を申し立ててるアンジェリーク。
それもその筈。その敵役はぎゅうっっとアンジェリークを抱き締めるようにしていたのですから。
恥ずかしいのもあり、アンジェリークがふりほどこうとすると、その耳許で、
「大丈夫。何にも変な事はしないから」
と、囁かれました。
「え?」
と、聞き返すと。
「さっきはどうも。二時の約束だったけど迎えに来ちゃったよ」
「?‥‥‥あっ!」
思わず叫ぼうとした口が、咄嗟に手のひらで塞がれました。
「‥‥ダメだよ。勝手に喋っちゃ。子供たちの夢が壊れちゃうだろ?」
‥‥はい、この時点でこの敵役さんにボ−ナス点をあげましょう。
流石、ナンパ師。その女の子がどんなことに弱いか一瞬で見抜けるみたいです。
『子供の夢をこわす』‥‥それは、母親としてとっても弱い所です。
ま、敵役さんたちは、単に彼女が優しいせいと思っていますが。
なんにせよ、その一言でアンジェリークの動きは止まりました。
「そうそう、大人しくしてて。‥‥君がこの中で一番可愛かったからつい、ね。あとでこのお詫びはするからさ」
その様子に気を良くした男は、そう囁きました。
さて、こちら。
ジュニアとヴィクトール様ですが。
「父さま、どうしようっ?! アン・ディアナちゃん達、攫われちゃったよ」
ジュニアの顔は、青ざめてます。
周りの子供達も敵役の迫力に、少々泣きそうになってる子もいます。その子らの口から零れる言葉は『ヴィクター・レオ』のただ一言だけ。
でも、その声はあまりに小さすぎます。
その声に気づいたジュニアは、顔を奮然とあげました。
(僕が怖がってちゃ、いけないっ! ヴィクターを呼ばなきゃっっ!!)
「ヴィクターっっ!! 早く来てっっっ!!」
かん高い少年の声が会場に響きました。
「なにっっ?!」
‥‥ある程度、流れを見ていたゼーウィンが驚きの声をあげました。
「誰だっ! 誰が呼んでも良いと言ったかっっ!!」
つかつかと舞台中央に歩みだし、ぐるっと大きな動きで会場中を見ます。
その動きに負けないように、更に声が上がります。
「ヴィクターは必ず来るよっ!! ‥‥お前らなんかに負けないんだからっっ!!」
その声に勇気づけられたように、あちこちから声が上がり始めました。
「ヴィクターッ!!」
「ヴィクターッッ!!」
「早く来てっっ!! ヴィクター・レオッッッ!!!」
膨れ上がる声は、会場一杯に響き渡り。
ジュニアは自分の成果に満足しました。
が。
その満足もつかの間、急に足下がぐらつき始めます。
慌ててヴィクトール様の頭にしがみつきましたが‥‥どうやらヴィクトール様は息子が自分の肩の上にのっかている事をすっかり忘れているようです。
「父さま?」
呼び掛ける声にやっと正気づいたらしいヴィクトール様は、その声に何も答えず、そのままジュニアを肩から降ろしました。
「父さま‥‥?」
何やらいつもと様子が違うような父の姿に息子の琥珀の瞳は訝しげにしかめられます。
ぷちっ。
「ぷちっ?」
どこからか聞こえた変な音にますますその眉根をしかめますが。
「‥‥ここにいろ」
ヴィクトール様は、その疑問の視線には答えず、歩み始めました。
どこへ?って‥‥舞台にです。
大柄なヴィクトール様。軍人ですから、歩き方は目的に向かってまっすぐです。
折から吹きつける風は、その赤褐色の髪を巻き上げ、まるで獅子のたてがみのようです。
何がなんだかわからない観客達もヴィクトール様の迫力に押されて、何も言わずに道をあける始末。
その身体には、間違いなく焔のようなオーラが立ち上ってみえました。
舞台では、芝居が進んでいました。
子供達の叫び声に苛立たしげに舞台を歩き回るゼーウィンは、その歩みを急に止め、観客に向かって左手を振り上げました。
「そんなに滅びを望むかっ!! だったら望み通り‥‥」
音楽が、盛り上がりと共に大音響になっていきます。
その時。
『待‥‥』
「まていっっ!!」
大声が響き渡ります。
その声に呆然と立ち尽くすゼーウィンの後ろでは、先頭に何故か人影のあるジェットコースターが行き過ぎました(笑)
「なんだ、お前‥‥?」
面喰らうのも無理ないでしょう。成人の、それもいい体格の男がまさか舞台に上がってくるとは、今までショーをしてて初めての経験でしょうから。
青年の疑問にも答えず、その男は完全に青年を無視し、先程舞台にあげたばかりの人質の方に向かいます。
「な‥なんだよ?」
その迫力に押されたように、数歩後ずさるのはアンジェリークを抱きしめてる青年です。
「ヴィクトール様‥っ」
アンジェリークの顔が輝きます。
その言葉に、青年は目の前の男に改めて視線を這わせました。
「‥‥なんだ、兄さんか‥‥よっぽど君の事が可愛いんだな」
アンジェリークの可愛い耳にそう囁きかける姿は、はっきり言って自殺行為以外の何者でもありません。ただ、それに気づかないのは不幸だったのか、幸運だったのか‥‥。
「兄、だと‥‥」
更にその言葉が、怒りを煽っています。
その光のように輝く琥珀の瞳は、抱きしめているその腕を見つめてます。
「‥‥から‥‥れろ‥‥!」
低く掠れた声は、男には届かず。
「え? なんだって? ‥‥だめだよ、いくら可愛い妹だからって青春の楽しみから奪っちゃ」
いけしゃーしゃーと言いつのる青年が次に受けたのは、衝撃。
見たのは、青空。
「アンジェリークから離れろって言ってるんだっっっ!!」
青年を右ストレートで一瞬で倒し、アンジェリークをその腕に抱きとったヴィクトール様。
「俺だって、最近満足する程触ってないのに、触るなっっ!! 減るじゃないかっっ!!」
その様子はもちろん舞台上で行われている事で、周りにも会場にも、もちろん人がいて。
目の前で、友人を殴り倒された青年達は逆上します。
おまけに彼等は、スタント役や悪役を演じてる分、アクションに自信がある事はもちろんの事、腕っぷしにも自信があったらしく、ヴィクトール様につかみかかってゆきます。
「おっさんっ! なにすんだっっ!!」
殴り掛かっていった拳は、あっさり躱され、その勢いを利用されて投げ飛ばされる青年たち。
一番被害を受けたのはもちろん『おっさん』呼ばわりした青年です(笑)
次にアン・ディアナを抱いていた青年から、少女を取り返し肩の上に抱き上げます。
「アンジェリークは俺の妻だっ! それと、この子に何かあったらこれくらいじゃすまないぞっ!」
その様子を見ていた会場の子供達と言えば。
なびく赤銅色の髪。
印象的な額から頬にかけての傷。
悪役をすべて倒していくその強さ。
それは、まぎれもなく‥‥‥。
「ヴィクターだっ!!」
「ヴィクターが来てくれたんだっっ!!」
「わぁっっっ!! ヴィクターっっ!!」
沸き上がる歓声。
それは、もう凄いもので。
「ヴィクトール‥‥ヴィクター?」
アン・ディアナは、自分を肩に抱き上げてるヴィクトール様の顔をそっと盗み見ました。
襲い掛かる悪役を次々となぎ倒していくその姿。
今までちょっと怖いジュニア君のパパというだけだったのに、その姿はほんとにヴィクター・レオのようです。
「ヴィクトール様っっ!」
自分を右脇に抱え、少女を右肩に乗っけながら、襲いくる人達を片手で倒してゆく旦那様を懸命に止めようとするアンジェリークですが、ヴィクトール様はまったく聞こえてないようです。
よぽっど頭に血が昇っているようですね。
助けに来てくれた時は、本当に嬉しかったですが、これはちょっとやりすぎなような気がします。
「やめて下さい、ヴィクトール様っ!」
‥‥その言葉は、少し遅すぎたようでした。
何故かと言うと、既にヴィクトール様は止めていたからです。理由は‥‥かかってくるものがいなかった為。
あの時の青年たち全て、地面に倒れ伏していました。
倒れた中には、何故か着ぐるみの怪獣までいます。
そんな傷だらけの男達の口から信じられない、といった言葉が洩れでます。
「妻‥‥‥?」
「あんなに可愛い子が‥‥」
「いや‥‥と、言うよりあのおっさんが旦那‥‥‥?」
「やかましいっっっ!!」
最後の余計な言葉に一喝します。
「これは、俺のだ!!」
会場は大騒ぎ。
それはそうでしょう。目の前で偶然とは言え、本物の乱闘シーンが見られたのですから。
困ったのは、ショー関係者。
このままでは、途中でショーを止めなければなりません。舞台裾の方では、演出家などが青い顔をしてそのまま気を失っていました。
その時。
悪役で独り無事だったゼーウィンと司会者のお姉さんの瞳が出会いました。
その一瞬で、なにやら打ち合わせが完了したようです。
「なるほど。すでにこの会場に潜り込んでいたとは、さすがヴィクター・レオ。俺様が認めただけあるぜ」
そう突然、指を指されたヴィクトール様はきょとんとしました。
アンジェリークを自分のすぐ側に置く事が出来て、昇ってた血もようやく下がり始めた頃。
いきなり指差されても何がなんだかわかりません。
「おまけにアンジェリカ姫までお忍びで、いらしてたとは‥‥‥」
そう言って今度はアンジェリークを指差します。
「ふ‥‥しかし、これで勝ったなどと思わない方がいいぜっ! これは、まだほんの小手調べ。変身前のお前にやられるような部下は最初から捨て石だったのだ。‥‥見ていろ」
いかにも悪役らしくゼーウィンはヴィクトール様をねめつけると、にやりと嘲笑いました。
「お、おい?」
疑問の心も鮮やかに、何ごとかを聞こうとするヴィクトール様の言葉を今度は司会のお姉さんが元気よく遮ります。
「みんなっ!! やっぱりヴィクターは来てくれたねっ!!
でも、ゼーウィンは私達のエネルギーを諦めてないみたい。ここは、ヴィクターに変身して貰おうねっ!!」
「ちょっ、ちょっと待て?!」
『変身』と言う言葉に慌てたヴィクトール様のところにツツツッッと近寄ってきたお姉さんが、小声で耳打ちします。
「大丈夫‥‥私に任せて」
そう言うと、今度はその場でにっこり子供達に向かって笑いかけました。
「取りあえず、ヴィクタ−と一緒にアンジェリカ姫を安全な所に連れていくねっ!!
その後、ゼーウィンをやっつけようっっっ!!」
「わぁっ、ヴィクター!!」
「ヴィクター、がんばれっ!!」
「ゼーウィンなんかに負けるなっっ!!」
精一杯声を張り上げる子供達の眼差しを背中に受けて、ヴィクトール様達は舞台裾に引き上げる事が出来ました。
こども達の夢を壊す事なく‥‥。
‥‥‥数分待って、イライラと待っていたゼーウィンの頭上から。
『待たせたな、ゼーウィンッ!』
勇ましい声が聞こえます。
「何っっ!! 何処だっ、何処にいるんだっ!!」
呼び掛けるゼーウィン。
『何処を見ている‥‥俺はここだっっ!!』
真後ろをジェットコースターが駆け降りてきます。
その先頭には‥‥。
「ヴィクター・レオっっ!!」
今度こそ(本当の)ヒーローショーの始まりでした。
数時間後。
ハイ・パラダイス・ランドの関係者入り口から人目を忍ぶように黒尽くめの車が出てゆきました。
その中に、”しっかり”愛妻の手を握って離さない威丈夫とそれを恥ずかしそうに甘んじて受けている可憐な女性。
「もうっ、ヴィクトール様。やりすぎですっ!!」
呟かれる言葉は、少し責める色が混じっています。
「‥‥すまん。‥‥だが、お前も悪い」
「? 何が悪いんです?」
憤然と呟くヴィクトール様に反論するアンジェリーク。隣に座ってる子供達や運転手さんに遠慮してどちらも小声です。
「‥‥どうして黙ってたんだ‥‥っ!」
「‥‥! 黙ってなんかいません‥っ。ちゃんと”離して”って言いました…っ!」
「離してなかったじゃないかっ! ‥‥それともやっぱり若い男の方がいいのか‥?」
その言葉に一瞬で泣きそうに真っ赤になったアンジェリークの右手が、振り上がりました。
あっさりそれを止めるヴィクトール様。
「‥‥すまん。今のは言い過ぎた」
「ヴィ‥ヴィクトール様は‥‥わっ、私が‥ひっく‥‥そんな‥‥おっ‥女だと‥‥思って‥ひっく‥‥思ってるんですかっ?!」
白磁の肌を滑り降りていく水晶の粒。
それはヴィクトール様の罪悪感を一層駆り立てます。
「悪かった‥‥すまんっ! 許してくれっっ!」
「知りませんっ!」
そっぽを向く妻を無理矢理抱き寄せます。
「や‥っ! 離して‥っ!」
「離さない‥‥」
ヴィクトール様は、心ゆくまでアンジェリークの柔らかい身体と甘い香りの髪を堪能してました。
その左右のの座席では。
「やっぱりヴィクタ−は、かっこいいよねっ! 僕、大きくなったらヴィクター・レオになるんだっ!!」
「‥‥ヴィクター様‥‥」
取りあえず目的のヴィクターを見れた事で御満悦の少年と何故か威丈夫の顔を見つめている美少女が乗っていました。
--今、大人気のヴィクター・レオの『本物』が遊園地に現れた。--
その話題は一瞬で世間に知れ、次の週から遊園地の興行成績はうなぎ上り。
しかし、其の時のヴィクターは、それ以後現れず、その日の騒ぎを聞き付けたマスコミ関係者が取材に訪れても、遊園地関係者全員が固く口を噤んでおり、それが何処の誰なのかまったく知る事が出来なかったのは言うまでもありませんでした。
続く♪
|