次の日。
アンジェリークは、朝早くに眼が覚めました。何時もでしたら、侍女に何度か起こされないと目覚めないのに、その日はどう言う訳か雄鶏よりも早く寝台から起き上がります。
17才の誕生日。
何故かこの日はこの国の民にとって大事な日らしいのです。
その理由が何かはわかりませんでしたが、アンジェリークも何処かわくわくしたような、落ち着かないような感じを受けてました。
早く目覚めたのも、そんな理由からだったのかも知れません。
アンジェリークは、そっと寝台から抜け出しました。
そして顔を洗い口を漱ぐと、着替えました。もちろんぞろぞろしたドレスなどではありません。動きやすい服です。
次に、寝台の下に手を入れると、そこから外履きを取り出しました。
‥‥どうやらしょっちゅう抜け出しているみたいです。
アンジェリークは、窓からそっと外を見て人がいないのを確かめると、布を裂いてつくってあった紐を寝台の脚に括りつけ、おもむろに外へとおりていきました。
外は、日が昇った直後の爽やかな空気に満たされてました。
そんな中を少し浮き上がった気分で歩くのはとても気持ちのいい事で。
少しスキップしながら歩いていきます。
夕べは、前夜祭だと言うのに精霊さま全員来て下さいました。
‥‥ゼフェル様も。
多分、今日も会える筈です。彼は、一度も誕生日に来ない事はなかったのですから。
毎日会える。
それはとっても嬉しい事で。
つい鼻歌混じりになってしまうのを止められません。
その時。
アンジェリークの眼に古い塔が映りました。
何時の間に王城の敷地の一番端まで歩いてきたようです。
そこは普段崩れるかもしれないと立ち入り禁止になってる場所でした。
ふと。
悪戯心が芽生えたとしても誰が責められたでしょう。
誰でも『禁止』と言われた事はかえってしたくなるものです。
それに『誕生日』というのもどこかその行動を煽ってたのかも知れません。きっと今日は見つかっても怒られる事はないはずですから。
アンジェリークは、そっと塔の入り口の扉を開けると中に滑り込みました。
中は、薄暗く何処か湿っぽい匂いがします。
明るい所に今まで居た瞳には、一瞬物凄く暗く感じましたが、それもすぐに元に戻ります。
入ってすぐのそこは、ちょっとした広間になっていました。とは行っても、広さは手を一杯に広げた三つ分と言う所でしょうか?
石畳で冷やされたひんやりとした空気が、頬を撫でました。
みると目の前に階段がありました。
それは渦を巻いて高く高く、覗き込んでも先が見えないような階段でした。
それに更に好奇心を刺激された姫君は、恐れも知らずそのままその足を最初の一段に乗せました。
‥‥どこまで昇ったでしょうか?
時々ある窓からは、日射しが時々入り、外はもう早朝でない事がわかります。
(そろそろ戻らないとみんな心配するわ)
アンジェリークは、残念に思いましたが、みなに心配をかける訳にもいきません。何しろ今日はなぜか皆の期待が大きい誕生日なのですから。
その時。
カラカラカラ‥‥‥。
どこからともなく微かな音がしました。
それは今まで聞いた事もない音で、アンジェリークは興味をそそられました。
強いて言えば、まるで風車が回っているかのような軽い音です。
その音は、もう少し上の階から聞こえてくるようでした。
今までこの国が平和すぎ、豊かすぎたのでしょう。
アンジェリーク姫は『疑う』と言う事を知りませんでした。
其れ故に。
そのまま、躊躇いもせずに昇りはじめたのです。
その音の源に向かって。
そして。
先程のところより十数段昇った所に扉がありました。古ぼけた小さな扉が。
音は、間違いなくそこからしているようです。
アンジェリークは、そのままドアノブに手をかけました。
ガチャッ。
扉は、思ったより大きな音をたてて開きました。
中は、小さな部屋でした。
そしてその窓辺の近くにアンジェリークは、小さな人影を見つけました。
それは、黒い服を纏った小さな老婆でした。
その手許では、なにやらカラカラ回っています。
「こんにちは、おばあさん」
アンジェリークは、まず挨拶をしました。
「おや? 珍しい。お客さんだなんて」
おばあさんは、皺に埋もれた小さな瞳をぱちくりし、心底驚いたようでした。
「なにをなさってるんですか?」
そう。おばあさんの手許にあるのは今までアンジェリークが見た事もないものでした。
それは片方に羊の毛の塊が、そしてそれはお婆さんの指で細く引っ張られ、もう片方の輪っかに毛糸として巻取られていくのです。
「おや? 最近の若い子は糸を紡いだりしないのかね? これは糸車というんだよ」
そういっている間にも糸はどんどん出来てきます。
「糸を紡ぐ? 糸って自分で作れるんですか? ‥‥今まで見た事ないです」
「おやまぁ! そんなんじゃいいお嫁さんになれないよ」
そう言いながらも、顔はにこにこ笑ってます。
そしてその『お嫁さん』の言葉に反応したのでしょうか?
アンジェリークは、おばあさんに話し掛けました。
「ねえ、おばあさん。私に教えてくれますか?」
「糸つむぎをかい?」
「ええ」
その機械は、何故かとても魅力的に見えました。
これを覚えて、今度精霊さま達が訪れてくれた時に自慢しようと思ったのです。
「いいよいいよ。さぁ、じゃぁまず、羊の毛を紡錘にくっつける所から始めようかね」
そう言うと、おばあさんは毛塊がついているところを指差しました。
「それを外してくれないかい?」
「はい♪」
ガチャーンッッッ!!
突然ゼフェルの手から、お茶の湯飲みが落ちました。
「おや〜? どうました〜、ゼフェル」
部屋の主の大地の精霊・ルヴァが声をかけます。それにも答えずゼフェルは自分の身体を強く抱きしめました。それでも押さえきれない震えが、彼の身体を走ります。
「どうしました〜? あ〜、また具合が悪いんですか〜?」
重ねて問いかける声にやっぱり答えず、そのままゼフェルは外に飛び出していきました。
扉を開けて飛び出した瞬間、出合い頭にマルセルとランディにぶつかりそうになりましたが寸前で避け、そのまま出ていってしまいました。
「‥‥なに、あれ?」
「さぁ‥‥?」
二人は顔を見合わせ、暫く考えた後、その後を追って走り出しました。
(なんか‥‥くるっ‥‥!)
ゼフェルの身体が、何かとても良くないものを感じていました。
次の瞬間、考える事もなく動いてました。
(‥‥アンジェッ!)
ゼフェルは、あっという間に城に降り立っていました。
彼女の居場所を探す必要はありませんでした。
まっすぐ心が教えるところに行けばいいのです。
バタンッッ!!
「アンジェッッッッ!!」
その時、彼が見たものは崩れ落ちるアンジェリークの姿でした。
床に倒れ伏す寸前、その身体を抱きとめます。
「アンジェ‥‥おいっ、アンジェリークッ!!」
いつも薔薇色の顔は、今は白く透き通るように血の気を失ってます。そしてその華奢な指先から赤い血が滲み出してました。
必死に揺さぶりますが、気のつく気配すらありません。
「‥‥おやおや…急に倒れてしまうなんて、お行儀の悪い娘だねぇ?」
突然、ゼフェルの背後で声がしました。
「‥‥暫くあわねーうちに化粧の趣味を変えたかよ」
庇うようにアンジェリークを抱きしめつつ、背中を向けたままゼフェルは呟きました。
「やぁねん♪ 世の中、遊びは大事よ。だ・い・じ♪」
その声は、何時の間にか艶やかな若い声となっていました。
「‥オリヴィエ‥‥ッ!」
「はぁ〜い☆」
ひらひらと片手を振って挨拶を返すのは、先程の老婆でした。それが、見ている内に段々大きくなり、最後『ばさっ』と言う音とともにフードがあげられました。
その下からは、きらびやかな光が溢れ出ます。
「どうも〜、お久しぶり♪」
「‥‥会いたくなかったぜ」
「そんな冷たい事いっちゃって。同じ魔法を掛け合った仲じゃない」
にこりん。そんな感じで微笑み返すオリヴィエでした。
「‥‥そうだぜ。お前の詛いは俺が変えた」
「うふふ〜ん‥知ってるわよ。でもね。いいのよ、どっちでも」
「なに?」
「この子が生きようが死のうがどっちでもいいの、私は。只みんなが悲しむか困るかすればいいんだから。
死ななくても眠るんでしょ?
‥‥きっとこの子が起きた時には、ぜ〜んぶ世の中変わってるわよね〜」
「!」
「この子が眠って、王も王妃も国民も不幸。起きてすべて自分が知らない、自分を知らないもの達に囲まれるこの子も不幸。
結構いいエンディングだと思わない?」
「くそっ!」
ゼフェルは、『力』を投げ付けました。
しかしその渾身の『力』をオリヴィエはあっさり止め、そのまま握りつぶしたのです。
「‥‥『力』弱ってるね〜。そんなんじゃ、精霊やっていけないんじゃない? ま、養生してよ」
そう言うと、オリヴィエは極上の微笑みを浮かべて、窓枠に立ちました。
「じゃね」
次の瞬間、その身体は帚に跨がり空へと浮かび上がりました。
「‥‥っきしょぉ‥‥」
腕の中でアンジェリークは寝息をたててます。
このまま百年眠るのです。
年取らぬ精霊にとって百年はあっと言う間です。
でも、人間にとっては百年は遠い未来なのです。
今、生まれた赤子が百歳のお年寄りになる年月です。
『‥‥私、この国が好きです』
『みんな仲良しで、風も緑も優しくて、小さいけれど他のどんな国にも負けない良い国だと思うんです。 ‥‥それに精霊の皆様が守って下さってるし‥‥。
この国に生まれて良かったなぁって、今、下の街の灯りを見たらしみじみ思っちゃって』
そう言って笑っていた少女。
その大好きな国から離れた時を生きていかなければならない少女。
‥‥自分のせいではないのに。
「‥‥っきしょぉ‥‥っ!!」
ゼフェルは、アンジェリークをそっと敷かれてた絨毯に横たえると、窓から飛び出しました。
そして屋根に駆け上がると、天辺で両手を空に突き上げました。
「この国の全ての鋼に司るものよ! 我が声を聞けっ!!」
その声は、国中に響きわたっていきます。
「我が声を聞け! 我が命に従えっ!」
その声と共に、ゼフェルの身体から何か物凄い力の放出が感じられました。それは眼に見える程凄いものでした。
その時。
「駄目だよっ!」
空から声が降りました。
見上げると、それはマルセルとランディでした。
「そんな身体で『力』を使うなんて無茶だよ!!」
「そうだよ、ゼフェルッ! 無茶するんじゃない!」
彼等は口々にゼフェルを止めようとしました。
しかし。
「うるせぇっ! ごちゃごちゃ言ってねーで手伝え!」
ゼフェルは耳を貸そうとしません。
「なにする気だよ!」
その力の放出は凄まじいものがありました。普通の使い方ではありません。
「‥‥この国の時を止める」
「なにっ!?」
「時を止めて、アンジェが起きた時にみんなこのままでいられるようにする」
時を止める魔法‥‥それは万物を司る精霊達にしか出来ない魔法でした。しかしその分、『力』の放出量も並み大抵ではありません。
『力』の弱っているゼフェルにとってどのくらい負担になるかは言わずと知れた事です。
「ゼフェルはもうちゃんとやったじゃない。アンジェは死んでないんだし、後は人間達に任せようよ」
「百年たったらまたおしゃべり出来るんだし」
精霊達にしてみれば、何故ゼフェルがこんなにいきり立ってるのか判りませんでした。
自分達にとってたいした先ではない時にまた生きて話せるアンジェに会えるのです。なんの文句がありましょうか?
ですが、ゼフェルは聞き入れませんでした。
其れどころか。
「おめーらが手伝わねーって言うんなら俺一人でも構わない。‥‥邪魔だ。どっかいけ」
冷たい瞳を向けたかと思うと、更に『力』の放出を高めました。
「従えっ! この国の木々よ、水よ、風よ、炎よ、大地よ!
我が名の元に集い、従えっ!」
木々はざわめき、水はあちこちで不穏さに泡立ちます。風は戸惑うように吹きすさび、炎はその身を苦しげに揺らめかせます。大地もその身を微かに震わせました。
「全ては元の姿のまま、変わる事を許さず。 その身が時の流れを遡るように‥‥」
そこまで言った時、ゼフェルの身体が大きく揺れました。
「ゼフェルッ!」
その顔は真っ青で、唇には噛み切ったのか血が滲んでます。血の気のない頬を脂汗が滑っていきます。
「うるせぇっ! とっととどっかに行けっ!」
「そんなことを言っても‥‥」
心配そうに見るマルセルの隣にいたランディがその時、掌を地上に向けました。
「全ての風よ。全ての風に司るものよ。我が声を聞け」
「ランディ!?」
その口からでた信じられない言葉にマルセルの眼は零れ落ちそうに大きく見開かれました。
「‥‥俺だってアンジェが泣く顔は見たくないよ、マルセル。
それにゼフェルがあんなに頑張っている。ここのところ殆ど起き上がれなかったゼフェルがだよ?
‥‥だったらやっぱり力は貸すべきだ」
ランディの周りに風が渦巻いてました。それは、自分の主人に纏わりつき、甘えます。
少し頭を撫でて落ち着かせます。
「‥‥さぁ、行け!」
途端、風は渦を巻き、ゼフェルの周りへと飛んでいきました。
「風よ。我が司る風よ! この国に満ちろ。この国を澱みから救え。そしてこの国の流れを止めろ。
全ては元の姿のまま。時の終わりをその身に感じる日まで」
その姿を見たマルセルは。
「‥‥しょうがないな、二人とも」
苦笑に似た笑みを浮かべ、やはり掌を地上に向けました。
「全ての緑よ。全ての緑に司るものよ。我が声を聞け」
途端に森の木々が大きくその身を揺らしました。草花がふるふると震えました。
「全ての緑よ。優しき緑よ。その身を変え、この国を守れ。そしてこの国の流れを止めよ。
全ては元の姿のまま。時の終わりをその身に感じる日まで」
すると、国の周辺から小さな芽が出てきたと思うと 見る間にそれは茨のツタとなり、茂り始めました。
そしてそれはどんどん大きく太くなり、国中をすっぽり覆ったのです。
そして。
「全ての鋼よ。我が司る鋼よ! その身を変え、この国を守れっ!
災害からも侵略からも時の流れからも!
全ては元の姿のまま。時の終わりをその身に感じる日まで」
ゼフェルが声をあげました。
すると、鋼色の風が渦巻き、そしてそれは茂った茨へと絡んでいきました。
みるみる内に茨は鋼の鎧を着せられました。
「ゼフェル! 今の内にこっちに来て! 早くしないとゼフェルも閉じ込められちゃうよ」
茨はぐんぐん大きくなり、国の空まで埋め尽くしていきます。これに閉じ込められたら、いくら精霊でも脱出は不可能でしょう。
しかし、ゼフェルは屋根に蹲ったまま、動きませんでした。
「ゼフェルッ!!」
「‥‥悪い‥‥俺、もう、動けねー‥‥」
そのまま、ずるずると倒れこむと、屋根から転げ落ちていきました。
「ゼフェルーーッッッ!!」
その目の前で、茨はその口を閉じました。
「ゼフェル‥‥‥」
呆然と二人が今閉じられたその口を見つめてると、突然嘲笑が響きました。
「きゃはははっ♪ これはとっても珍しいものを見せてもらったね〜。時を止める魔法は、私らにはどうやってもできないものだからね」
「オリヴィエッ!」
見上げると、そこには帚に跨がったあの魔法使いがいました。
「まさかあんな手を使うなんてねぇ。あ〜、おっかしい〜♪」
腹を抱えて笑っている魔法使いに二人の厳しい視線が集まりました。
「お前のせいで‥‥!」
「や〜あね☆ 別に私があの精霊に無理矢理力を使わせた訳じゃないよ? あの子が勝手にやったことだろう? 私を恨むなんて筋違いもいいとこだよ」
楽しそうに微笑む姿は、本当にきらびやかです。
「この‥っ!」
ランディはたまりきれず、殴り掛かりました。
それをあっさりオリヴィエは避けてしまいます。
「あんたもまだまだボウヤだよ。そんなに頭に血が昇っちゃ、いい風は吹かせられないよ‥‥ッ!」
その時、嘲笑っているオリヴィエの周りで緑色の霧が動きました。
「なっ、なんだい、これはっ?!」
それはみるみる内に、オリヴィエに纏わりつきその姿を薄くしていきます。
そして一筋の煙となると、差し出された瓶へと吸い込まれていきました。白い細い指がそれに固く栓をします。
「‥‥僕にはこれくらいしか出来ないから」
そう言うとマルセルはその瓶を思いっきり遠くに投げました。悪い魔法使い・オリヴィエはこうしてこの国から遠い所に行ってしまいました。
そして何時の日かその栓を開けたある若者がいろんな目に会うのですが‥‥それはまた別のお話です。
「ランディ‥‥待とうよ。 僕達にとって百年はあっと言う間だから」
「‥‥そうだな」
これから百年後。
この茨の檻が解かれるその日まで。
アンジェリークが目覚めるその日まで。
そしてこの国はだんだん周辺の国から忘れられていきました。
ただ一つ。
『この世界のどこかで茨に囲まれて眠る絶世の美女がいる』
という噂話だけを残して。
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