朝、食卓の上にはやっぱり普段からは想像もつかないようなちゃんとした純日本風朝食。台所にはお袋の後ろ姿。でもそこに何故かユリアの姿はなかった。
「あれ、ユリアは?」
「まだ寝てるわ」
自分でコーヒーをいれつつ----例え米の飯でもこれを飲まないと目が覚めない----お袋に尋ねるとそう返ってきた。
「寝てる? まだ?」
・・・他の家はどうだか知らないが俺ん家は朝が早い方だ。春休みだと言う時さえ八時にはもう朝飯は終わってる。そして、それはユリアの家もそうだった筈なのだが。
「・・・実はユリアから口止めされてたんだけど」
お袋は、エプロンで手を拭きつつおもむろに口に乗せた。
「昨日の夜中、大変だったの」
「・・・発作、起こしたのか?」
「! なんで知ってるの?!」
俺の脳裏に、電車での事が浮かび上がった。
「本人曰く『喘息』の発作らしいんだけど」
「バカね。そんな筈無いじゃない」
お袋は、俺が出来た為辞めてしまったが元看護婦だ。そういう症例には俺より絶対詳しい。
「喘息は、気管が狭くなって息を吸うのが辛くなるの。あの子のは、呼吸自体は出来てたもの」
「じゃ・・・」
「残念だけどそれぐらいしか判らなかった。今日も何処か行くんでしょう? 十分気をつけてやるのよ」
丁度、その時ユリアがひょこっと台所に顔を出した。
「おはよ〜ございま〜す」
「あら、おはよう、ユリア。良く寝れた?」
ニコッと笑って、出来たばかりの卵焼きをユリアの前に置くお袋。
・・・やっぱり年の功か? 俺なんかいきなりすぎてまだ鼓動が止まってる気がする。
「ええ、とっても」
「そう。で、これからどうするの?」
「え〜と・・・麗ちゃんにも会えたし、明日か明後日には向こうに帰ろうかな〜って」
「え? 帰るのかよ、もう」
昨日逢ったばかりで、もう?
「用事すんだしね・・・わぁ、やっぱり麗ちゃんのお味噌汁、おいし〜♪ 家のママ、やっぱり日本食は苦手だからあんまりおいしくないのよねぇ」
「じゃ、今日は」
「今日一日は、付き合ってもらうつもりだけど・・・流矢、なんか用事あるの?」
「い、いや、別に・・・しょーがねー、付き合ってやるか」
内心、ちょっと心配だったのだ。このまま目を離して何処かで発作を起こしたら、と。
それは、お袋も同じだったらしく、
「いーわよ、使っちゃって。なんなら飛行機に乗るところまで番犬として連れてっちゃっても」
なんて言ってユリアを笑わせてた。
「で、今日は何処行くんだ?」
朝飯も食べ終わり、『マリアに渡して』とお袋から手紙やらみやげ物等をもらったユリア。
やっぱり、今日もあちこち連れまわされるのを覚悟して聞く。
「ディズニーランド? それとも浅草、鎌倉、東京タワー?」
「何よ、その場所の選択は」
「いや、お上りさん向けに」
「喧嘩売ってる?・・・違うわよ、行きたいとこは」
「どこだよ?」
「・・・」
「なに? その莫迦にしたような顔は」
「だってよー・・・」
ユリアの行きたい場所とは、家から歩いて40分程の所にある少し大きめの公園だった。
確かに小さい頃は、二家族でピクニックとかには来てたけど。
「わざわざアメリカから来て、来る所かぁ?」
「ここに来たくて、私は日本に帰って来たの」
そういいつつ、ほんとに楽しそうにユリアは歩き始めた。確かにこの公園は大きく、一周するのに40分位はかかる。緑が豊かで、中央には大きな池があり人々が釣り糸を垂れている。丘には、たくさんの桜の木が植わっていて、ほんのり薄紅色の花が少し咲いていた。
「・・・お前、なんで急に日本に帰って来たんだ?」
言葉少なく桜の木を見上げる彼女に、どうしても聞いて見たかった言葉を問い掛ける。
こいつの性格なら来る前に絶対連絡する筈だし、来たら来たでまっさきに家に来る筈なんだ。それが、来たのは二日も前で、あそこで偶然にでも会わなければ俺達に会いにも来なかっただなんて絶対おかしい。
確かに会わなかった年月が人を変えることは、ままあることだけど、昨日からの会話、態度等からユリアが(すくなくとも)殆ど変わってないことは確かなんだ。
でもユリアは応えず、俺の顔をみあげた。
「流矢・・・あのね・・・」
「見つけましたよ」
急にその場の空気が遮られた。そいつはゆっくりと俺達に近付いてくる。
「有理亜さん・・・いい加減戻ってもらえませんか」
「原田さん・・・」
ユリアが名前を呼ぶそいつは、昨日彼女を追い掛けていた奴らの一人だった。
「あなたがここに来るのは、分ってました。一日待ってあげたのは私の気持ちです。----さあ、戻りましょう」
「い、いや・・・」
手を伸ばしてくる原田に、ユリアは小さく後ずさりした。それを見た瞬間、俺は行動にでた。
「ユリアに触るなよ!」
彼女を庇うように前に出、差し出された腕をとり、その勢いでそのまま関節を決めた。昔、親父にならった護身術でそんな大したものではなかったが、まさかこんな若造にやられるとは思ってなかったらしく、ふいを突き、それはきれいに決まった。
背の方で、うろたえてるユリアの気配がする。
「行けよ、ユリア! 捕まりたくないんだろ! ・・・理由は貸しにしといてやるから、早く行け!」
「流矢・・・」
顔は見えなかったけど、泣いてるようだった。
「有理亜さんッッ!」
「あんたはうるせーんだよ!」
後ろで走り出そうとする気配がする。もしかしたらこれでまた当分会えないかもしれないな・・・と思う俺にそれは急に聞こえてきた。
ゲホッ! ゲホッッッ・・・ゲホゲホ・・・ヒュー!
近くでなにかが崩れ落ちる音がした。