真夏の雪
大澤唱二


 これは、私が地方へ旅行した、ある夏の小さな物語である。
 電車が、プラットホームに入って来た。太陽が、ほとんど真上から、強く照りつけていて、うだるような暑さである。私は、ああ、やっとこの暑さから解放される、と一種安心感を以て、電車が停まるのを待った。
 電車が停まり、扉が開くと、暑さから逃げるように、電車の中へと転がり込んだ。快適な湿度、室温。それが私の旅の疲れを大分拭ってくれた。体が軽くなったようであった。車内は、ずいぶん空席が目立つ。ゆっくりと、座席に腰を下ろす。私の後ろの窓には、ブラインドが降りている。これがなければ、私はまた、あの強い日差しを首筋や背中に受けなければならなかっただろう。汗を拭って、一息ついていると、反対側の席に一人の実に美しい女性が、座っているのに気付いた。何か考え事でもしているような、静かな表情である。真っ白な服を着て、真っ白な、縁の鍔の大きい帽子を柔らかくかぶり、そのせいなのか、それとも実際にそうなのか、顔も白く見え、全身真っ白なのである。わずかに、唇が赤くポツンとあるだけなのである。実に清潔な感じがする。体つきから何から、実に細く、少しでも力を加えようものならすぐにポッキリと折れてしまいそうに見える。しかしその表情は、静かなのだけれども、どこか簡単には折れ無そうな、強いものを感じさせる、そんな女性であった。私は、その美しさのあまり、すぐに目を背けてしまったが、自分がその女性に引かれたことに、すぐに気付いた。心臓がどきどきして、頬が紅潮し、気が付かれるのではないかと、不安でならなかった。それもどうにか収まると、私はそっと、その女性に目を戻した。先程と、別段変わりのない、静かな雰囲気と表情で、座っていた。時々、反対側のブラインドのかかっていない窓の、外の景色を眺める振りをしながらながら、ちらとその女性を盗み見たりしていた。今思えば、何ともいやらしいことをしていたものである。
 しばらくそうしていると、女性は、細い腕を窓の桟にのせ、頬杖ついて、後ろの景色を眺め始めた。その、細い体をひねっている姿が、また美しい。外の景色は、青々とした田畑が広がり、木が生い茂っていて、明らかに夏で、その暑さが伝わってくるようなのであるが、その女性の周りだけは、真っ白な雪のようで、冬を感じさせるのである。夏と冬の融合。そんな言葉が、ふと浮かんできた。この情景を、そのまま紙に写し取って絵を描いたなら、きっと素晴らしい絵ができるに違いない、などと、絵の心得などない癖に、一人前に思ってみた。女性は、何か遠くのものを、もはや手に届かぬ所にあるものを、懐かしく眺めるように、じっと、外の景色を眺めていた。
 電車は、カタン、カタン、と速度を落としながら、駅に近付いた。私はこの駅で降りなければならない。また、あの灼熱の地獄へと戻らなければならないのだ。私は、この女性も、一緒に降りてくれるといい、あるいは、目的地も一緒ならばいい、などと、虫のいいことを考えながら、また、ちらりと女性の方を見た。しかし、いっこうに降りる準備をする気配がない。電車が停まり、扉が開いても、降りようとはしなかった。さようなら、もう、お別れです、もはや二度と会うこともないでしょう。などと、きざなことを、心の中で呟くと、灼熱の地獄へと、一歩、踏み出した。むわっ、とした空気、照りつける日差し。すぐに、また汗が噴き出した。二・三歩歩くと、名残惜しげに、電車の方を振り向いた。あの女性は、体を元に戻し、少しうつむき気味にして、何かを考えているようだった。私と目を合わせることは、ついになかった。電車は、ことん、ことん、と寂しげな音を立てて、あの女性を運んでいってしまった。
 今、あの女性はどうしているのだろう。まだ、あの静かな表情で、どこか遠くを眺めているのだろうか。あの旅行を思うとき、必ず思い出す、真夏の、小さな、小さな、物語。


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