灰のなか夜のいろ  4





 
 ローが言った20セットを選び終え、ようやくも肩の荷が下りたと思ったとき、彼は不意に腰をあげた。
 ソファに座りながら店内を見ていたローは、つかつかといくつかの棚へ歩き出し、無造作に手に取る。
 グレーのジーンズ、黒いショートブーツとハット、白いニットを手に持って、に「着てみろ」と差し出した。
 あまりの驚きには言葉も出せずに受け取り、呆然とローを見上げる。
「着せてやろうか?」
 ニヤリと笑いながらの言葉にようやくは現状を理解し、無言のまま慌てて試着室へ駆け込んだ。その耳が赤くなっていたのを目ざとく見つけて、ローはさらに笑みを深くする。
 試着室に行っている間に白いコートと手袋を手に取ると、その2点と今が試着している服の、すべての値札を切るように言った。彼女が出てくるまえにすべての支払いを済ませると、自らの能力で荷物を丸ごと自室へと送ってしまう。
 その様子を店員を見ていたが、驚いている様子はないから、自分が『トラファルガー・ロー』であることは承知だったのだろうと推測する。
「あ、あの」
 声に振りかえると、が所為なげに佇んでいた。
「あ、ありがとう」
「あァ」
 短く答えると、ローは手に持っていたコートと手袋を手渡す。
「ちゃんとそれ着てろ。おまえには必要だろう。――行くぞ」
「え? 行くって……」
「おまえな……服だけで済むと思ってんのか。何もかもお前が持ってきた荷物じゃ足りねぇんだよ。どれだけ自分に無頓着なんだ」
 ローは店員にとある店の場所を聞いている。
 店員がこの店と同系列の店が近くにあるということでそちらへ向かうこととなった。
 その店へ行くと、快く迎えてくれる。店員からあらかた話でも聞いていたのだろう、待遇がいい。海賊でも羽振りがよければ店としては申し分ない客となる。自分が禁じたクルーの服についてはもはや意味がない気もしたが、そこは目を瞑ることにする。
 今回は下着類。さすがのローもお手上げだ。ただ、は自分に合ったものを着けている様子がなかったため、前もって本人に釘をさし、ついでに先ほどの店の職員にも、に気づかれないように言ってある。
 ローは店の隣にある家具屋に入っていく。にも、自分がこの店にいることは言ってある。
 の部屋をどこにしようか考えながら、店内を見て回る。
 クルーに女性はいるが、できれば今は1人がいいだろう。人の気配があっても眠れるようになれば、女部屋という形で広げてもいいだろうと思う。
 店内を一周したところで、が店に入ってきた。
「早かったな」
 言えばは疲れた顔で「船長のおかげです」と皮肉げに笑った。
 ローは口角をあげて笑うと、「好きなものを選べ」と言いながら背を押した。
 ――ん? また?
 気のせいではないはずだ。
 だが、振り返ってまで質問してもいいのかわからず、結局、押されたまま、店内を見ることにしたのだった。










 この島のログは3日でたまるらしく、の部屋を次の日に整理することになった。
 倉庫の一つを整理して移動、そこをの部屋にすることにする。元々、そこにはそれほど荷物は置いていなかったため、時間もかからなかった。ローが自ら家具屋へ行き、置いてもらっていたものを能力で移動する。
「これ、どこに置いたらいい?」
「あ、それはあの棚に置いてください」
、これは?」
「それはこちらにください」
 クルー数人で荷物をといていく。大きな家具の移動はベポがして、女性クルーが率先して服を整理していく。
「ありがとうございました。コーヒー入れますから、食堂行きましょう」
 食堂へいく途中、ローのいる船長室へ寄る。
「キャプテン、あの手配書あります?」
 彼は無言で机の引き出しから取り出し、手渡す。
 ありがとうございます、と受け取り、そのまま食堂へと駆けて行った。
 扉を閉める後ろ姿を見送り、ローは椅子から腰をあげた。










 食堂はコーヒーの香りでいっぱいだ。だか、その部屋な雰囲気は異常なほど静かだ。
「「「えええええええええっ!!!」」」
 次に響いたのは、驚きの声。
「まぁ、脱ぐわけにいかないから証明できないんだけど。ペンギンさんとキャプテンは知ってるよ」
「ベポも知ってるぞ」
 部屋の入り口に体を預けていた船長は、靴音を響かせそう言いながらの横に立った。
「あとさ、ちょっとみんなに聞いてほしい話がある。気分のいい話じゃないんだけど、いいかな?」
 皆の頷きに、はドキドキする胸を落ち着かせようと息を吐く。
 ローはのすぐ横の椅子に腰掛けて、腕を組む。完全に聞く体制に入った船長を見て、船員たちも気持ちを切り替える。
「オレの両親は、赤髪のシャンクスの元クルーだった。オレを身ごもったために、2人は船をおりたらしい。母は流行り病でオレを産んですぐ死んだから、顔は覚えてない。オレが産まれた島は小さく、人口もそれほどいない。自給自足がかろうじてできる程度の島だった」
 はそっと目を閉じる。
「海賊すらも来ない辺鄙(へんぴ)な島。特に鉱石が取れるわけでもない。そんな島に、海賊が来た。オレが10歳の時だ」
 ローはの握られた手が震えているのに気づき、組んでいた腕をはずしてその手を取った。握られた手を力で無理矢理解くと、その手を握る。
 驚きでローを見下ろしただったが、ローの態度も表情も変わらないため、諦めた風に息を吐いた。
「オレの左目はほとんど視力がない。この目は、ログを見ることができるんだ。母方のほうで時々、オレみたいなのが産まれるみたいだった。……それを海軍が欲しがったのか、たまたまだったのかオレにはわからないけど、島に来た海賊が村を荒らして、女、子供は囚われ男は殺された。父もその時に殺された。たとえ赤髪の元クルーで戦闘が得意だった父でも、駄目だった」
 ローはいまだの手を緩く握っている。それはテーブルに阻まれていて、他のクルーからは見えていない。
「海軍がすぐにやってきて、海賊は捕まった。オレたちは海軍に助けられ、船に乗せられ、オレだけ別室に隔離されたんだ。オレのためだと海兵は言ったが、そうじゃない。このとき、オレは左目以外に、人と違うところがあると知った」
 ローの指が、強く握られる。が無意識に力をこめているみたいだ。そっと握りかえすと、びくりと体を震わせ慌てたように指をはなそうとしたが、ローが思いのほか強く力を入れていて、振りほどくことができなかった。
「目の前にいる海兵が言葉を発するのと違う言葉が聞こえる。どの海兵でも同じで……それで気付いたんだ。自分には、発音されていない声も聞こえると。心の声が聞こえて、オレは海軍が怖くなった。オレに聞こえる声が黒くなっていたから……。逃げようと思ったけど子供のオレには無理で――そんなとき、シャンクスが基地まで助けにきてくれたんだ。そして、知ったんだ。……オレのいた島は、海軍に利用されたんだと」
 ざわり、とクルーの雰囲気が一気に変わった。
「まさかと思いたいが……」
 ペンギンの呟きに、は苦く言った。
「海賊を捕まえ――そして、オレを海軍の手元に置いておくために、島一つが利用されて壊された。シャンクスの船に乗って、オレは見聞色の覇気を使いこなし、尚且つ、一人で戦闘もできるようになった。オレがいた店のマスターも赤髪の元クルーで、だから、そこに預けられた」
 は、話しながら俯きかけていた顔をあげる。クルーの真剣な眼差しを受け、なぜだか泣きたくなった。
 ――こんな自分を、受け入れてくれる人がいる。こんな自分のことを、真剣に考えてくれる人がいる。
「自制できていない見聞色の覇気の力は、オレを眠れなくさせた。今はコントロールできるから、無意識に心の声を聞いたりはしなくなった。それでも」
「トラウマになってしまったのか?」
 ペンギンの言葉に「たぶん」と頷く。
「なら、船に乗ってからずっとか? だから船長室?」
「そういうことだ」
 船長は短く肯定し、の指を解放する。温もりがなくなり寂しくなって、視線を自分の右手に移してしまう。
「すぐに俺たちの気配に慣れるだろ」
 ローは言い、先ほどまでの指を握っていたそれで、髪を緩く撫ぜる。そのあとぽんぽんと頭を叩いて、「よく頑張ったな」と彼女にしか聞こえない小さな声で言うと、は俯いてしまった。










 何度も死のうと思った。自分を傷つけようと、ナイフを何度も握った。自分の置かれている現状に耐えられず、逃げようと何度も思った。
 シャンクスはそのたびに、自分を叱りつけ――髪を撫でてくれた。
 シャンクスの指とは全然違うし、その手の温もりもまるで違うけれど――自分を……隠している自分までも見てくれている人。
ーーーーー!」
 彼女の目の前が、オレンジ色に染まる。ぎゅうぎゅうと抱き着いてきているのは、白熊のベポだ。
「おれたち味方だよ! 何があっても味方だよ!」
 だから、だから。
 ベポはどう言っていいのかわからないのか、言葉をつまらせる。
「ありがとう、ベポくん」
「ベポでいいよ! 『くん』なんていらないよ!」
「ベポ、その辺にしてやれよ」
が潰れちまうぞ?」
 ペンギンとシャチの言葉に、ベポは慌てて体をはなす。それにはくすくすと笑って。
「ありがとう。慣れるまでは迷惑かけるけど、よろしく」
「迷惑じゃなく、心配だな」
「そうだよな。俺ら、迷惑だなんて思わないもんな」
 口々に言うと、ローも「そうだな」と相槌を打って、クルーを見渡す。
「今夜は好きにしろ。宴会が開きたきゃ、を使わず自分でしろよ」
「わかってるっす、キャプテン!」
がくる前は、自分たちでやってたんっすからね!!」
、今日は逃がさねぇから、覚悟しろ!」
 シャチはにんまりと笑う。
 いつもはなんだかんだと宴の席から逃げてしまうだが、今日は彼女のための宴会だ。クルー全員で取り囲んでも、逃がさないだろう。
「ワカリマシタ」
 両手を挙げて観念すると、ローはぽんとまた頭を叩いてから食堂を後にした。










 自分から過去を語るとは思っていなかった、とローは胸中で呟く。己と向き合うのは勇気のいることだ。自分とて、まだ昔の自分と向き合えているという自信はない。あえて言葉にすることで、自分の中で再確認をしているのか――あるいは、自分の中で気持ちの整理がついたから語ったのか。
 ……どちらにせよ、彼女の中では大きな一歩となるだろう。
 ――あのとき自分はどうして、彼女の手を取ったのだろう。
 震える手が、の心を表しているようで見ていられなかった。爪が肌に食い込みそうなほど握った指。無理矢理ほどかせ握った指は、血が通っていないと思えるほど冷たかった。それほど、彼女にとっては大変な告白だったのだろう。
 食堂のテーブルでクルーに見えないことを幸いに、その指を放さなかった。いや『放せなかった』が正解か。冷たい指先に温もりを与えたくて、一人じゃないと思わせたくて。
「らしくねぇな」
 船長室に入りソファベッドに腰かけ、左手を眺めやる。
 を『女』と意識したことはなかった。生物学的には女だが、そいういう扱いをするわけにはいかない。海軍に見つかってしまう可能性をできるだけ減らすためにも、避けなければならなかった。
 あんな風に、髪を撫ぜてやりたいなどと、思ったことはなかった。俯き、いまにも泣き出しそうな表情を見た瞬間、自分は何を思った……?
 眺めていた左手で自分の両目を押さえて、ふ、と笑う。
 服を買いにいくのも、自分が行く必要はなかった。手配書で出回っている自分が一緒にいれば、海賊であることをばらしているようなものだ。それでも自分は、その危険を冒してまで一緒に出掛けた。
『キャプテン、あまり長居はしないでくださいね。――のためにも』
 船を下りる直前、珍しく強い口調でペンギンに忠告された。
『与えるならば、船が適所ですから』
 何を、とペンギンは言わなかった。どんな言葉にも適応できる台詞だが、このとき俺は軽く聞き流していた。
「……確かにな」
 に『何を』与えるにしても、船の方が適所だろう。一番は、居場所。次は、信頼か。
 ――『俺』は『何を』与えたかったのか。
 両目を抑えていた手をはなし、ソファベッドに転がり目を閉じる。
 このソファベッドは元々ここにあって、の部屋ができるまで彼女が寝床にしていた。
「俺がに与えたかったもの、か」
 ローは呟き、体を起き上がらせた。





          



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