自力で移動できなくなるまで堪能されたはローの隣に座らされ、甲斐甲斐しく世話をやかれる羽目になった。
大人しくちびちびと、グラスに入った透明の液体を舐める。
アルコール度が高い酒を味わいながら、ローは彼女の隣で、彼女の動きを視界に入れながら飲んでいる。
「あんまり見ないでください」
「ここにはしかいないだろう」
「そうは言っても……」
「それとも、見られているのがわからなくなるぐらいに――」
「ストップ!」
はグラスを持っていない方の手でローの口を塞ぐ。
「もう! いい加減にしてください!」
真っ赤な顔で言っても説得力に欠けるが、それでも必死な様子を見てローが笑う。
「、抱き潰していいか?」
「今日はそういう日!? 駄目って言って聞いてくれるんですか!?」
くくく、と楽しそうに笑うローにそう言っても、聞く耳を持っていないようだ。
「好きな女を抱きたいと思って何が悪い?」
――好きな女。
今日は一日中、そうやって口にするロー。その意図がわからない。嬉しい反面、困惑もするし疑いもする。
「悪いとは言ってないです」
「今まで口に出してなかった分をまとめて言ってるだけだが」
「まとめてって……あまり現実味がなくて、ちょっと困ります」
――そうやって困って考えて、俺のことしか考えられなくなるだろう。例え他に嫌なことがあったとしても、俺に支配された頭の中はすぐに上書きされない。……こんな思惑などは知らなくていい。
ローは口元を緩め、グラスの中身を飲み干した。
ふわり、と瞼に温かいものが触れた。壊れものを扱うようにゆるりとしたその動きは、の覚醒を促すには至らない。
眠るの隣で、ローは瞼にかかった髪を指先で払い、髪を梳く。
彼女が本屋で手にしたものをぱらぱらとめくりながら、それが航海術の本であると確認する。
この本を手にしたのは偶然だったのか、自分の意思で手にしたのか。どちらにしろ、これはしばらく自分が持つことにする。必要ならば渡せばいい。
本を本棚へ置くと、その指にグラスを持つ。の飲む速度に合わせて飲んでいたから、普段自分が飲む量とは雲泥の差だ。
酒は気持ちを大きくさせる。適度なアルコールはストレスを解消させるが、過度なアルコールは枷を外す。今回、の能力が勝手に発動されたのは、アルコールで枷が外れかかったからだ。
はじめてが自分の過去を語った時、彼女は言った。
『耳を澄ませば聞こえてくる声。それが幾重にも重なって聞こえた』
『発音されていない声が聞こえる。――その声は、どれも皆、黒く染まっているから』
の見聞色の覇気は、人間の欲を拾う。たぶん、それが一番強い気持ちだからだろう。
海軍基地にいる間、海兵や海軍の上層部の欲を聞いてしまったがために、彼女は心を閉ざした。誰もが欲を持つ。当然、にだってあるはずだ。だが、それを意識せずに多人数のものを一度に聞いてしまえば、トラウマにもなるだろう。
ローは、自分が他者よりも優れている容姿を持っていることを自覚している。不機嫌な顔や無表情でも、女は寄ってきた。無言で酒を飲み、その存在を無視をしていても彼にかかる声は多かった。
夜の女は、情報を持っていることが多い。
ローの姿は手配書で知っているはずだ。億越えの海賊だと知っていても寄ってくる女は、他の同業者にも同じようにしている。性欲だけではなく、情報を探る意味でも夜の女は都合がよかったのだ。
を手に入れてからは夜の女を抱いたことはない。酒場で勝手に擦り寄ってくることはあるが、手を出したりはしない。に対して誠実でありたいと思うと同時に、情報を夜の女以外で仕入れるようにした。先日あった宴で寄ってきた踊り子の女たちは、何度か会ったことがある人間ばかりだった。
――俺が街で、女を長い間抱いていないことを気付いているな……。
船に娼婦を乗せていない海賊の男は、陸にあがれば女を抱くと思っているのだろうか。全員がそうではないのだが、そう思われている可能性は十分にある。そのおかげで、ローは10日も接近禁止を喰らったのだ。
「今、何時ですか……?」
ゆったりと酒を飲みながら自らの思考に入っていたローの耳に、かすれた声が聞こえた。
「深夜の1時だ」
「深夜……」
船に戻ってきたのは夕方で、それからこの船長室で飲みはじめた。飲んでる途中でローに抱かれ、また飲んだ。そして、また――。
彼女が眠れないからと気を失うほどセックスしても、時間を置いて何度も抱かれることは今までになかった。
はローの手元に視線を向けて、少しだけ苦く笑んだ。
「足りなかったですよね」
手元にあったのがグラスで、その中身が酒だとわかっての表情だ。
「お前が気にすることじゃない」
の声は掠れていて、声音に残り香が滲んでいる。眠気から脱出できていないのも相まって、彼女の目も声も溶けてしまいそうだ。
「明日、30分ぐらいでいいので自分の部屋に戻りたいんですけど……いいですか?」
「あぁ」
「ありがとうございます」
何をする気なのか気になるが、ずっと一緒にいれば息が詰まるかもしれないと、ローは了承する。
「少し、ナミと話がしたくて」
――ナミ、とは麦わらの?
ローは問おうとへ視線を向けたが、嘆息するだけにとどめる。
は眠気に耐えきれず、眠ってしまったらしい。
その姿を見やり、ローは明日へと思考を向けた。
翌日のお昼頃。
ぷるぷるぷるぷる。
は船長室から自室へ戻ると、電伝虫で麦わら海賊団のナミへと連絡を入れる。
『どうしたの?』
今日はナミの声だけで、ロビンは一緒にいないようだ。
『ナミさ~~ん!』
背後から聞こえたサンジの声に、ナミの居場所が確定された。
「甲板?」
『そうなの、五月蠅いだろうけど、ごめんね』
「あぁ、いいよ。要件だけ伝える」
『わかったわ』
『相手はか?』
ナミの言葉のあとから聞こえてきたのはゾロのようだ。は息を吐き、早く要件を伝えて会話を終わらせようと思う。
「ナミ、オレには無理だ。……どっちかはわかるだろ」
『えぇ、もちろんよ』
「島に停泊中だ。一応見つけたんだが……ツナギ着てるから」
『あぁ……なるほどね。わかったわ。それにしても、アンタがそんなこと思うなんて』
「ナミを怒らせると怖いってのは身に染みてる。あとは好奇心だな」
『いいわ、ちゃんと手配しておくから。数日で着くはずだから、ちゃんと船に居なさいよ』
「了解、お嬢様。――今度会ったときに、ちゃんとエスコートするよ。それでチャラな?」
『エスコートだとぉぉっ!』
『サンジ君が五月蠅いから切るわね』
「あぁ」
電伝虫を眺めながら、ナミは頬杖をついて思考を巡らせる。
は流行りの小説の件は言葉にしたが、航海術の本については何も言わなかった。確かに、タイトルを見てもわかるほど女性向けの小説。それを男として生きているが購入するのは難しいだろう。それに、ツナギの背中にはドクロがある。ハートの海賊団の船員がそんな小説を手に取ったらびっくりするだろう。
それに、とナミは紅茶を飲んで思考をクリアにさせる。
は宴の事件以来、周りが過保護に動いている節がある。もしかすると、船員ではなく、船長自らが傍にいる可能性もある。
「どうしたの?」
ロビンが島から戻ってきたようだ。本屋に行くと言っていた彼女が手に持っているのは、あの小説の2巻目。
「さっきから連絡あって、本を送ってくれって」
「んふふ、そうなの。確かに『彼』だもの、仕方ないわね。それでも読もうと思ったことにびっくりだけれど」
彼女は本を手に、小さく笑う。
「それ、まだあった?」
「あったわよ。これを送る?」
「いいわ、私が行って買ってくる。2冊とも揃えて送ることにするわ」
ナミと話し終えると、は自室を出て船長室へ戻った。
「もういいのか」
「はい。それと、しばらくオレ、船にいます。見張りの奴らと交代していいですか?」
「見張りは交代制だ。代わってもいいが、規則は守れ。何日も連続で見張りをしたりしなければいい」
「わかりました」
麦わら海賊団がどのあたりを航海しているかわからないが、数日あれば届くだろう。
の、夜の見張り当番は今夜と13日後、昼の見張り当番は7日後と11日後だ。
「オレ、今夜見張り当番なんで、少し寝てきます」
自室で眠ろうと腰をあげれば、ローに阻まれ、ベッドに倒された。
「えーっと……キャプテン?」
「ここで寝ろ」
「キャプテンは?」
「寝るには早い」
「邪魔だったら起こしてくださいね?」
ローは自分の言い出したことを引っ込めたりしない。どちらかが折れなければ平行線のままだ。は諦めて、彼の言う通り布団に潜り込む。
――キャプテンの匂いだ……。
この布団で眠ることが多いだが、1人で布団に入ることは少ない。大抵はローと一緒だ。
抱き枕じゃないんですよ? とそう何回か言ったが聞き入れてはもらえず、結局は一緒に眠ることになる。1人用のベッドに2人で眠れば狭いが、ぴったりとくっついて眠ることに慣れてしまい、なければ寂しいと思うのだ。
そんなことを思いながら、は目を閉じる。
すぅ、とすぐに寝息をたてはじめた彼女へ視線を向けると、船員の誰にも見せたことのないほど穏やかな笑みを浮かべて、彼は目を閉じた。
航海中の見張りは1人で行うが、停泊中のときは2人1組になる。今夜はとシャチだ。
「大丈夫そうか?」
この問いはきっと、宴のことを言っているのだろうと思う。
「ありがとう、大丈夫。ただ、島には1回しかおりてないから、ログが溜まるまでに何回かおりてみようと思ってるけどね」
甲板に2人で出ると、見張り台を見上げる。
「はどっちが楽なんだ?」
それは、の視力を意識した問いだ。左目が見えないため、右目ですべてを見る。見張り台から見るのは遠くだから、目に負担をかけるのではないか、ということだろう。
「上より下がいいかな。夜は暗いから、どうしても目を凝らす必要があるんだ。集中しないといけないから、全方向に視野を向けないと駄目な見張り台はちょっと荷が重い」
「わかった。じゃあ、俺が上にいく」
シャチはの顔をじっと見つめてから、うんうんと頷いた。
「ちゃんと睡眠はとってるな」
どうやらシャチは、万年睡眠不足のの体調も気にしていたようだ。
「ちゃんととったというか、取らされたというか……」
眠りから覚めて何かしようとしても、ベッド横で本を読んでいたローに起きることを阻まれ続けた。
シャチはの呟きにニヤリと笑って、見張り台へ続くはしごへと足をかける。
「まさかの口から惚気が聞けるとはなー。ごちそーさま!」
「え!? ちがっ! 違うって!!」
既に途中までのぼっていたシャチはへ手を振り、見張り台へとのぼっていった。
島の方はが見ているため、シャチは海の方を重点を置いている。
宴の日、倒れたのために不機嫌になるであろう船長の元へペンギンが向かったのを、ベポの肩越しに見ていた。
は完全にベポの腕の中で、意識を失っている。
仲間になって少ししてから、の過去を聞いた。簡潔に聞いただけだが、それでも小さい頃のその出来事は、彼女の中で昇華されていないのがわかる。
――そこまで無理しなくても、な。
本人は無理しているつもりはないのかもしれない。だが、シャチから見れば十分、無理しているように見えるのだ。だから、ローは余計にを気にかけて、手元に置いておきたくなるのだろう。
彼女は船に乗ってからずっと眠れていなかった。船長からもペンギンからも「やりたいようにやらせろ」と言われていたから、それに気づいていたが見守るだけにしていた。そして、彼女がようやく深い眠りに入ったと聞いたとき、船員みんなでほっと胸を撫でおろしたのだ。
が眠っている間、ローは自室から出ることがほとんどなく、時折、医務室へ行く程度。食事はとらなくて大丈夫なのかと不安になり、ペンギンが医務室へ行く船長を見つけて食事の有無を確認するのが日課となりつつあった。おにぎりを幾つか作って持たせるが、普段の量に比べると半分以下だ。食欲を忘れるほど、のことが気になるのだろう。
『あ、キャプテン。今からコーヒー入れるところなんで、どうっすか?』
『頼む。部屋までもってきてくれ』
今までペンギンがその役割を担っていたが、今は操舵中。その間はシャチが担当だ。ちょうど、医務室から自室へ向かう途中の船長を見つけて問いかければ、そんな返事が返ってきた。
――が眠っているのは医務室ではなく船長室じゃなかったっけ?
そんな疑問を浮かべながらコーヒーとおにぎりを持って向かえば、船長室に入った途端、目に入った光景に目を見開いた。
――サングラスしててよかったよ……。
『キャプテン、朝から食べてないって聞いたんでもってきました。気が向いた時でいいので食べてください』
船長室のベッドを占領して眠り続けるの目の上には、先ほど、医務室から帰ってくる際に見つけたローの手にあったタオルが置いてあった。
シャチがトレイをテーブルに置く間にちらりとローは彼を見たただけで、すぐに視線はへと戻る。その目は、いつになく穏やかだ。愛おし気に見るその瞳は、今までペンギンだけが見ていたのだろう。
『俺は食堂にいるんで、何かあったら言ってください』
その言葉に短く返事をするローの視線は、目の上のタオルから胸へと移動する。
シャチは船長室から出て食堂へ行く間、あの雰囲気を思い出して顔が緩む。
ベポと、操舵を他の船員にかわったのだろうペンギンを見つけて、彼はどうしても言いたくなった。共有する仲間が欲しい。
基本的にベポは船長のことをイイ人だと思っているから、ここはやはりペンギンだろうと、彼に先ほどの話をする。
ペンギンは苦い笑いを浮かべた。きっと知っていたのに黙っていたのだろう。けれど、シャチに会話を合わせてくれたらしい。
――俺は思ったんだ。キャプテンとを守りたい。海賊にあるまじき、あの穏やかな空間を、と。
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