涙だけは嘘を吐けない 4





 
 背中を向けて寝る体勢になったをしばらく眺めたあと、ローは彼女のベッドに一番近い棚にある本を抜き取ってテーブルに置いた。
 彼女の私物は少ない。アクセサリーのようなものは、今、身に着けているピアスだけ。買って来いと言っても買わず、買ってやると言っても首を横に振る。
 服はこの船に乗せた際に無理矢理買いそろえた。だが、それ以外に購入したりはしていない。ローが買い与えたものだけだ。
 物欲がないのか、遠慮しているだけなのかわからないが、とにかく、自分の容姿に対してのこだわりがない。そんな彼女が最近本を読むようになったが、それは、どうやら本人希望ではないらしいと気付いた。
 島で本屋に寄った際、本屋で会計をしている間、の視線の先にはありえないような――ローに言わせれば甘ったるい内容の恋愛小説。だがそれを見るの目は、少し諦めたようなものだった。
 ――あまり読みたくはないが、仕方ない、ということころか。
 ローは椅子から腰をあげると、の枕元にある文庫本を手に取り、ペラペラと中身を確認して眉を寄せる。
 ――なんなんだ、これは。
 海賊と一般人との恋物語。ぱっとみた感じでもわかる、昔のに似た思考回路と行動。そして、海賊はたぶん自分に似ているはずだ。だからこそ、この小説を読ませたがったのだろう。
 グレーの布カバーのそれを、先程あけたその棚に置くと、その隣にが身に着けているピアスを入れてあった木箱を置く。
 少し長くなった髪を撫で、その感触にくすぐったそうにしたは、そのままころりと寝返りをうった。ローの方へ向いた彼女の左手を持ち上げ、その薬指に唇を押し当てる。
「待てるだけ待ってやるから……、だからいつか、心の中まで全部、俺に見せてくれ」
 が珍しく深い眠りに入っていることを確認して、ローは小さく胸の内を吐き出した。










 目を開ければ、目の前にあったのは彼の髪だった。触れてみたいと思ったけれど、それは彼の絡まった指に邪魔されて出来なかった。逃がさないと態度で表されたそれに、わたしは苦く笑った。
 両指を絡め、まるで子供のようにすり寄ってくる彼に、わたしは逃げることを諦めた。
「バカね……。わたしを手元に置いてもメリットなんかないのに」
 せいぜい、料理が人より出来ることぐらい。
 海賊船に乗り、このまま一緒にいたら、わたしは足手まといになるはず。
「恋愛に、メリットもデメリットもないだろ」
 いつの間に起きたのか、彼は絡めていた指をはずすと、そっとわたしを抱き寄せた。
「好きだ。頼む、そばにいてくれ」
「……足手まといになるよ。それでも?」
「失くしたくないなら、守ればいい。俺がそばにいてほしいって望んでるんだ。守るのは当然だろ。それに、クルーも知ってる」
「え?」
「ずっと前から公言してたからな。今回は絶対に連れて帰るつもりだった。仲間にも何回(つつ)かれたかわかんねぇ」
 (つつ)かれた?
 彼の言葉を不思議に思っていると、バツが悪そうに、顔を明後日の方へ向ける。
「前に帰ったときも連れて帰ってくるつもりだったんだよ……っ!」
「え!?」
「けど、おまえは俺が行っても知らん振りだし……言い出せなかった。ログがたまって出航するとき、仲間に散々言われた」
 島に何度も帰ってきていたのは、わたしを連れてきたかったから?
 もし、わたしが彼と話すきっかけを与えていたら――?
「……女の人と、来たことあったじゃない……」
 思い出し聞くと「あれは仲間だ」と言った。わたしの気持ちを確認したかったのだと。
「今日、クルー全員に会わせる」
 ――覚悟、してくれな。
 手放す気はないと彼は言って、わたしをきつく抱きしめる。
 この体温を、わたしは求めていたのだと気づく。だからわたしも抱きしめ返す。
「着替えないから、しばらく俺ので我慢してくれ」
 そっと体をはなすと、彼は自分の服を手渡してくれる。仕事後にそのままここまで来たから、わたしの服はそのときに着ていた白いニットと細身のジーンズ、靴は動きやすいスニーカー。オシャレには程遠い。
「外にいるから、着替えたら出てきて」
 わたしはそれに頷くと、出て行く背中を見送った。











 夜の食事と片付けが終わったあと、いつもは元自室の倉庫で本を読むのが日課だったが、今日からは現自室である船長室で本を読むことになった。
 自業自得で仕方ないのだが、非常に読みづらい。
 グレーのブックカバーが表紙を隠しているためどんな内容かわからないだろうが、まさか男として生活している自分がこんな恋愛小説を読んでいるとは思わないだろう。
 ――というのが、の見解だ。
 実際は、がどんなものを読んでいるのか、読まされている経緯もなんとなく、ローはわかっている。
 が寝ていたソファベッドは、寝るよりも、本来の目的である座ることが多くなった。一人で眠りたいと文句を言うこともある彼女だが、ローが強引ともとれる行動で自分のベッドに引き込めば、諦めたように息をつき、大人しくその腕に閉じ込められるのだ。
 それが、ローにとっては可愛くてたまらない。
 抱きしめるだけで何もしないのは、性欲よりも心が満たされているからだ。それでも唇にキスしてしまえば止まらないのがわかっているから、額や頬に唇を押し当てることで自分を律している。
 ソファに座って本を読むは、文字を追うスピードが遅い。今まで本を読む機会がなかったのだろう。時々、少し疲れたように瞬きをし、それでも続きか気になるのか、活字を追い始める。その様子を、見ていないフリをして見るのが、最近のローのお気に入りだ。
 あまり表情を出さないだが、小説を読んでいる間は気が抜けているのか、泣きそうな顔をしたり笑ったりしている。
 だいたい二時間で切り上げる。目を酷使することができないからだ。
 文庫本を最後まで読みきったらしく、は黒い布カバーのかかった本を、元自室から持ってきていた。
「なんだ、続きがあるのか」
 わかっていて、ローはに問いかける。それには頷いて。
「本当は読む気、なかったんですよ」
「だろうな。雰囲気がそうだった」
「……自分に似てて嫌だったんです」
 のローを見る目が少し潤んでいる。
 ローはをベッドに引き倒し、布団の中で抱きしめる。
 自分の体の上にを抱き上げ、の右手と自分の左手を絡め、自分の右手で彼女の背を抱いて逃げられなくする。ついでに足も絡めてしまえば、は硬直するしかない。
「昔の自分に重ねたか」
「……はい」
「それで?」
「出てくる男の人がキャプテンに似てて」
 やはりか、とローは胸中で呟く。
 それを表情に出さず、彼は続きを促す。
「本当に読みたくなかったんです。あの子のように生きてたら、オレはキャプテンと会えなかっただろうし、会えなかったらきっと、今みたいに人と触れ合うこともできなかったと思う。そうやって今と本とを比較してしまうのがわかってたから」
 はローの肩口に頬を寄せて、小さく鼻をすする。
「比較したって構わねえだろ。本よりも、の方が何倍も可愛いし強い」
「強いはともかく、か……可愛いって」
 ローの指にの熱が移る。彼の言葉に反応して、彼女は身体中(からだじゅう)を赤くした。
が男として生活してても、俺から見りゃ可愛いし甘やかしたくなる。ま、あんまり可愛いんでいじめたくなるがな」
 逃げられないように手と腕に力をこめてから言えば、は恥ずかしさに泣きそうな表情で肩口に頬を寄せたまま体の力を抜いた。
「は、恥ずかしい……です」
「恥ずかしいだけじゃねえだろ?」
「う、……嬉しい、です」
 その言葉にローは右手を背中から髪に移動させて、ゆっくりと撫でた。
「オレ、このままでいい?」
「おまえな……」
 身体中を(ほて)らせたままに問われ、ローは呆れる。
「そのままでいい。俺が気に入ったのは今のお前だ。男とか女とか関係ねぇんだよ」
 何回言えばわかるんだ、と彼は右手で、頭を小突く。
 こうやって他愛ない話で過ごす時間が楽しい。触れて欲しくて仕方なくなったりもするけれど、熱に浮かされた思考では会話が成立しないから、それは口に出さない。今は会話がしたいから。
「それにしても、弱みでも握られてるのか?」
「ナミに、ですか?」
「そうだ」
「別に握られてないと思いますよ」
 んー、と少し唸りながら考えてみるが、弱みは握られていないと思う。
「なら、なんでそんなに立場が弱い」
「弱いかな。……自分ではそんなつもりはないんですけど。キャプテンにはそう見えるんですよね」
 言いながら、はもぞもぞと布団の中で身動きして、横向きになったローの胸元に顔を埋めた。
「力では勝てますけど、口では勝てませんよ。元々、そんなに喋る方でもないし」
 ローの胸元で少し耳を赤くしつつ喋るを抱き潰したい衝動にかられたが、それを理性で止める。
「それに、オレの事情をある程度わかってるから相談もしやすいし」
 その言葉に、ローの眉が寄り、船長室中が不機嫌な空気で満ちる。
「キャプテンは正真正銘男の人だから、相談しにくいこともありますよ。ナミは思いのほかお節介だから、気になるんじゃないですか、オレのこと。的確に答えをくれますしね」
「……確かにな」
「麦わら海賊団は嫌いじゃないけど、ハート(うち)船員(クルー)のほうが大事だし、比べるまでもないですけどね」
 そう言うを見やってローは目を細める。その表情は、この部屋に満ちる不機嫌な空気とは裏腹に、普段見せることのない穏やかなものだった。
「男ってことになってるのに、あの本を自分で買うのは恥ずかしいんで、しばらくあれはナミ経由かな」
「買いに行けばいいだろう?」
「ツナギ着て、あの文庫本を買うのはどうかと……」
「ツナギを着なきゃいいだろう。髪を長くするだけでも雰囲気は変わるもんだ。一緒に出てみるか?」
「キャプテンと?」
「俺以外の奴と街におりるつもりか?」
 不機嫌を隠さずにいるローに、はふふ、と笑う。
「前にも似たような会話をしましたね」
「そうだな」
「オレが女の格好してこの船からおりたら、キャプテンが後々困るんじゃ……?」
「別に今のままで俺のモノだと主張してもいいぞ?」
「いやそれはちょっと……」
「困るのはおまえだけだ。……おまえの意思だけで、あとはどうにでもなる」
 彼はの両脇に手を入れて、自分の顔の前に彼女の顔を引き上げた。その小さな額に自らの額をあてると、そこから互いの熱が伝わってくる。
 そのままの姿勢でローは黙ったままだ。
 あとはお前次第だと、声に出さない思いが伝わってくるようだ。
 女らしい恰好は、子供の時以来していない。父がまだ健在だったころ、不器用な大きな手で髪を結ってもらった。綺麗に結えなくても、自分のためにしてくれたということが、子供ながらに嬉しかったのを覚えている。
「服も、髪も……ないですよ?」
「ナミ屋ならすぐに手配しそうだが」
「散々オレで遊んだあと、とばっちりがキャプテンにいくと思いますけど」
「……仕方ねぇな」
 ナミに遊ばれる可能性は大いにある。それを考慮に入れても、ローはと街へおりたいのだ。
 それを感じ取って、は嬉しそうに笑って目を閉じた。










          
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