約 束  3





 
 店を出たは、沈みゆく太陽を見ながら船へと歩いていた。その脳裏には、捨てたはずの指輪の姿。
「女々しいな・・・」
 女であることを拒むほど自分の中に根付いたモノは、きっといつまでも消えないのだろうと自嘲する。
!」
 遠くからの声に振り向けば、鮮やかなオレンジ色の髪が見えた。
「見つけた~っ」
 歩を止め待つこと数分。自分の傍らにやってきたナミの顔をみやって胸中で苦く笑う。
 ナミと一緒だったはずのサンジが見当たらない。途中でサンジが手放すとは思えないから、ナミが振り切ってきたのだろう。
「探したのよ」
「それは悪いことをしたね」
 内心はどうあれ、表面では平静を装う。
に付き合ってほしいところがあるの」
「またさっきみたいな怪しい店?」
「違うわよ」
「怪しくないならサンジにお願いすれば? 喜んでついてくるだろ?」
 さっきまで一緒にいたのに何故だと疑問を含ませる。
じゃないとダメだからよ」
「はあ?」
 自分じゃないといけないところなどあっただろうか。暫く考えてみても答えがでない。仕方なくギブアップを申し出れば、ナミは楽しそうに行けばわかると言うだけだ。
 町並みを眺めながらナミについて歩く。両手をポケットに突っ込んだまま小さな息を吐けば、ナミが咎めるような視線を肩越しに送ってくる。
「何?」
「何? なんて聞く余裕もなくなるわよ、これから」
 何と言っても、主役はあなたなんだもの、
 ナミは含むような笑みを浮かべて表通りに面した華やかな店を指差した。
「あそこよ」
「あれってどう見ても服屋・・・」
「服屋なんて言わないでよ。ブティックって言ってちょうだい」
 店を見た瞬間にの腰が引けているのは気のせいだろうか。
「ほら、行くわよ」
 逃げ腰のの腕を掴むと、ナミは引きずるようにしてブティックのドアをあけた。





「ナ~ミぃ」
「こんなときだけ甘えた声を出さないで!」
「だって聞いてないし」
「言わなかったんだから当たり前でしょ。だいたいアンタが素直に私の言うこと聞くと思う? ココに来るなんて言ったら余計でしょ」
 一般に女性と言われる場所へは寄り付かないは、疲れた顔だ。
「んー、我ながら完璧ね。は顔のつくりもスタイルも抜群なのに、その性格が問題よね」
「悪かったなっ」
「悪いとは言ってないじゃない」
 人の悪い笑みを浮かべながらナミは言葉を続けた。
「勿体ないから私が遊ぶことにしたのよ」
「おまえなァ!」
「だって! 見ていられないのよ、アンタを」
 私はあなたに仲間として認められていない。それは私だけじゃなく、他のクルーたちも同じ。は過去を喋りたがらない。言いふらすものではないが、弱みを見せないということは信頼が成立していないということではないのだろうか。
「お客様、それではこちらにサインを」
 ナミに向かって店員が書類とペンを差し出す。受け取りながら、ナミは店員に問い掛ける。
「明日は私、用事があって取りにこられないから、代理に取りに来させるつもりなんだけど問題ないかしら?」
「では、そちら様のお名前をお聞きしておいてもよろしいでしょうか?」
「『サンジ』よ。金髪で細身の男だからすぐにわかると思うわ」
「では、承っておきます」
 ドレスアップされたのいで立ちにナミは満足そうに笑う。
 淡いブルーのワンピースとサンダル。本当は流行りのピンヒールを履かせたかったのだが、これだけはどうしても譲れないとが言うから、仕方なく諦めた。
「男の姿をするには訳があるんだろうけど、たまには女らしい恰好もしないとね」
「必要ない」
「あなたになくても、私にはあるわ。――いえ、私だけじゃないわ」
「――どういうことだ?」
「そのうち・・・わかるわよ。さ、日も翳ってきたし、宿へ帰りましょ」










 翌日、ナミは朝から出て行った。どこへ行くとも言わずに、一人で出て行った。測量の道具を担いでいるのをクルーが見かけたらしいから、多分、自分の夢を歩いているのだろう。
 船番のチョッパーは、久しぶりの一人っきりに少し不安そうだが、表向きは元気に駆け回っている。
 サンジはキッチンで船に残るチョッパーのための食事を準備している。
 ゾロはみかんの木の下で眠り、ルフィは船首のメリーの上で座っている。だがもうすぐ飽きて出て行くだろう。
 は、昨日見た指輪の存在が頭から離れない。女々しいと自分で思いながら、それでも離れないのはそれほど大切なものだからだ。
「嫌になるな……」
 あの時、人を好きにはならないと決めた。だから、自分が女であることを封印して、そして、自分は男として生きていこうと決めた。女でなければ、彼は死ぬことがなかった。女でなければ、助けることができたかもしれない。
 こんな過去に縛られる自分は愚かだと、十分わかっている。けれど、それほどに大切だった――。
 は左手を眼前で開いた。この左の薬指に、入るはずだったあの指輪。そして、彼の同じ指に入るはずだった指輪。
「こんな弱い自分では駄目だ――」
 一度きりと約束した、昨日無理矢理着せられたワンピース。あれを着てしまえば彼らの目の前で、自分はあのときに戻ってしまう――。
 左手を見つめて思考をめぐらすを、サンジはキッチンの窓から見ていた。その瞳には、何か決意のようなものが秘められていて。
……オレは君を――」
 その翳った瞳を、戻してあげたいんだ。
 サンジは洗い物を終えたあと、に見つからぬよう、そっと船を下りて街へ歩いて行った。





 サンジはナミに言われたとおり、ブティックへと足を運んで荷物を持って帰ってきた。船への帰り道に見つけた、小さな宝石店。ウィンドゥにある飾り気のない指輪が目に入った。
 らしい、となぜか思った。
「おまえさん、その指輪が気に入ったのかの?」
 宝石店から現れた老人が、サンジを見やってから続けて言った。
「だがの、それは贈る相手が決まっておるのじゃよ。……悪いが、売り物ではないんじゃ」
「売り物じゃないのに、なんでココに飾ってるんだよ? 普通は中に置いとくもんじゃねぇの?」
「まぁ、それが当たり前なんじゃが……」
「わけあり、ってことか」
「そういうことじゃ。――見たところ、お主はあの船の人間のようじゃが?」
 あの船、と言いながら、老人はゴーイングメリー号を見やる。
「よくわかったな」
「わしも昔は海賊船に乗っていたことがあった。昨日のあの子も、あの船へ歩いていった。――何かの縁じゃろうて」
 昨日のあの子。
 サンジはその言葉に目を見開く。あの子、というのは多分――。
「昨日きたあの子ってもしかして――男の姿をした、女性では?」
「そのとおりじゃよ。――ほう、やはり同じ船か。ではな、一つだけ頼まれてくれんかのぅ」
 老人は少し待ってくれと、店内へ入っていった。数分で戻ってきた老人は、小さな封筒をサンジへ手渡した。
「これを彼女に渡してほしい。必ず読むようにと。読めば、彼女にはすべてがわかるじゃろうて」
 サンジは受け取り、上着の内ポケットへしまいこんだ。





 サンジは受け取った手紙をへ渡すべく、船内を歩いた。見張り台にいた彼女を見つけて、のぼっていく。
、ここにいたのか。探したぜ?」
「あぁ、悪い。――今日は風が気持ちよかったから、昼寝をしてたんだ」
 いつもどおりの表情。だが、少しぎこちない。
「これ、渡してくれって頼まれたんだ。必ず読むようにってな。じゃ、渡したぜ?」
 誰から、と言わずに強引に受け取らせ、サンジはおりていく。呆然と受け取った真っ白な封筒を、首をかしげながらは封を切る。
「!!」
 は中を見た瞬間、驚きに目を見開いた。中に入っていたのは、見慣れた字。
「なんで今頃……」
 思い出させる?
 中に入っていた手紙は、『彼』からのものだった。
 彼は、病に侵されていた。はそれをうすうす感じ取ってはいたが、彼は隠したがっていたのであえて知らないフリをしていた。それを彼は知っていた。あと数年の命だと、彼は医者から宣告を受け、そして、この指輪をへ贈ることを決意した。自分が病で死んでも、あの指輪があれば自分を思いだしてくれる、と――これは自分のエゴの象徴なのだと、文面には綴られていた。
 愛しているのだと、彼は文面で伝えてくれる。だが、これを読むころはきっと、自分はこの世にいないのだろうとも。そして、自分が死したあと、自分のことは思い出にして――それからは新しい生活を刻んで、自分の分も長く生きてくれと、書いてあった。
 人を愛することを、誰も咎めはしない。それは、人が人として生きるのに必要なものだからだ。
「あと数年だって言われたことも知ってたんだよ……馬鹿」
 から、呟きと一緒に涙が零れ落ちた。
 全部、知っていた。知っていたのに知らずにいるフリをしたのは、怖かったから。自分に真実を知る勇気がなかったから。
「あと数年でも、一緒に生きていたかったのに……」
 思い出に、できるだろうか。彼との思い出を、懐かしいと微笑むことができる思い出に、できるだろうか。
 一歩を、踏み出そう。
 は決意して、見張り台をおりていく。
 サンジの姿はキッチンにあったが、涙したあとの顔を見られたくなくて、そっと物音をたてずに船をおりた。
 あの店へ、あの街へ行くために。