不登校問題
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不登校体験記の一節


  ためらいの記し始め 記し辛い体験

 私は、小中学生のとき学校を長期に休んだし、辞めようとしたこともあった。
そのときどきの心の傷み乱れ、そして、自分が惨めになるのを跳ね返したく、
人を傷め、蔑んだりしてみたくもなった。それから、思い直し、立ち直るとき
の“あがき”。        
 
 それらは、自分でも嫌いな心、明かしたくない心ゆえ、長い間、秘めていた。
しかし、今、心の問題は、子供たちの心の教育を始め、多く問われている。
幾歳でも心が揺らぎ、修めなければならないときがある。
 私の体験が参考になるならば、明かさなければならないのではないだろうか
と迷っていたとき、私の祖父が、私が二十歳前のころに私に、こぼしていたこ
とを思い出した。

 その、おりおりに、こぼしていたことを、振り返って、繋ぎ合わせると、お
およそ、次のようだつた。
「長いこと生きとったらな、勘定はうとなっても世の様がよう見えてくるんや、
けどな、賢そうにしとったら、今の若い大人たちゃ、もの言わへんようになっ
てしまう。ちょっとぐらい恥かいてもええ歳や思て、ほーけたことでも言うて
人が機嫌ようなるようにしとったらええんや。
 けどな、こないせなあかんと、きつう思うとがあったら知らん顔しとったら
あかん、黙っとらんと確り言わなあかん。そやけど、理屈言うたらあかん、わ
しの体験からや言うたら仕方なしやけど聞いてくれる。生きている限りは世の
中の役に立とうとせなあかんのや」
と、くどいと思うほどに言っていた。

 祖父から見たら若い大人たちには、言えない愚痴を、私に、言っているな、
と思いながら聞いていた。その私、今、かつての祖父と同じ歳ごろ。
かつての祖父を追って、恥をかいてもくどいと思われてもよい、黙っとらん
と明かさなあかん、体験をとおして言わなあかん歳ごろ。

 私の体験は、小中学生のものだが、その方が分かりやすい。それが、他のこ
と、他の人のためにならなくはないと自分を励まし、それに、世界的自然詩人
として、よく知られているワーズワースの詩に後押しされて明かす気になった
のは、還暦を過ぎたときだった。

 それほどに、自分では思いつめて明かす、この記なのだが、これまで、こと
なく過ごしてきた人々が一見すると、きっと、
「たいしたことではない。秘めたり隠したりするほどのことではない」
と言うだろう。だが、私は、五十歳代になっても明かしたくなかった。
そのような心情は、時代や世情には関係なく、同じだろう。

  計り難い惨めの度合い

私は、山間の無医村で育ち、三歳のとき、火傷をした。全く「陰の手」と言
える救いを受けて助けられたのだが、重症で医師に見放されたとのこと。でも、
諦めなかった母の努力で息を保つことができたとのことなどは、後に記すこと
にして。
 右手の甲一面に焼け爛れ痕が醜く残り感覚が鈍くなり、小指は折れ曲がり薬
指は半曲がりで力不足になってしまった。
 小学校に入ったとき、ひ弱なのと利き手の不具合で皆と違い、劣っているの
を意識するのが強まってゆき、二年生のとき一か月ばかり休んだ。
 それが、つまずきの始まりのだった。今、省みると大節だったのだといえる。        
 それから、小節が幾つかあり、次に中学校に入るのが危うくなったのが大節で、
中学校でも小節が幾つか。そして、学校を辞めようとしたのが最後の大節だった。

 その、若人時の心情・心の傷みは、成人してからでは、自分でもはかり知れ
ないものだったのだと思い至ったことを記しもらしてはいけないと思う。
 五十歳代になってからのことだが、パソコン操作を始めたとき、利き手の五
指を連動させられず、人差し指一本でキーを叩かなければならない。
 人々より大きく劣るのと一本指操作と手の傷跡を見られたくないからパソコ
ンを習いに行けず独りで習得しなければならない。
 辛く惨めな想いをして、この歳でも、この想い、小中学生のときには、今の
幾倍もの辛さ、惨めな思いをしていたのだな、と考えさせられたのである。

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失敗を許してくれた同級生
 
 確か、小学四年生になったときだったと思う。一年生のときから、ずっと隣
り合って机に座っていた福岡君が教えてくれた。おおよそ、次のようだった。

「校長先生が内に来て、おとさんに話したそうや、体操を嫌う子が居て困る。
できんでもええから嫌わんだらええんやが、と言うとったそうや、君のことと
違うか、バトンタッチなんかで失敗してわしらの学級が負けてもみんなは怒っ
てないで」
と。

 福岡君は一年生のときから隣り合って机に座っていて、私をかばってくれた。
火傷痕が破れて血がでているのを知らないでいるときには、そっと、よく、教
えてくれた。
 このほか、私のほか五名の男子と六名の女子の同級生は、一年生のときには
私の火傷痕を注視したり失敗や不始末をなじるように凝視していた。
私の僻み心が、みんなの目を、そのように見ていたのかも知れないが。

 私が二年生で一月ばかり学校を休んで、また、学校へ行き始めたころから、
同級生たちは私の失敗や不始末を注視しないようにしてくれていたし、かばっ
てくれているな、と、私が感じることが切りなくあった。

 今省みてみると、同級生たちは一年のときには火傷痕が物珍しく、私の恥ず
かしさと落ち込みに気付かず。そのうちに、私の心情に気付き、恥ずかしさと
落ち込みを起こさないようにしてくれるようになったのだと思う。
 そのようにしてくれるのを感じるのが強くなったのは、学校を休んで再び行
きはじめたころからだった。
 
 再び学校へ行こうとせずに休み続けていたら、そのような同級生のことを知
らずに休み続けてしまって不登校生になってしまっていたのだろう。
 そのような、同級生たちの、口に出さないで、思わせぶらない思いやりを、
私は感じていた。僻んだりしないようにしようと思わせてくれていた同級生の
思いやりを、なかなか、忘れない。
  
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 さて、近頃の青少年の問題をみて、学校の校長も大変だろうと思い、私の体験
が参考になるかも知れないと、20校ばかりの学校に送ってみた。
 ある学校の女子校長から返事がきた、それに書いていたこと、
「随分小さいことになの気後れしたのですね」
と。
 私が送った文のなかで、大きい問題は、小さい問題の重なりであることを、とくと、
記してあったのだが、それを、飛ばし読みしたのだろうか、理解できないのだろうか。。
 子供のとき、始めてぶつかった、ちょっとのできごとで、たじろいだりしたとき、十分
思い直し、立ち直れたのちに次ぎの問題にぶつかるとき、前の試練で強くなっていて、
前ほどには気落ちなどしなくなる。
 しかし、立ち直り、思い直しができていないときに次ぎの問題にぶつかることが続く
と、ちょっとしたことだけでも、ときによっては完全にダウンしてしまう。その岐路に立っ
ているときが大変大事。
 そのへんのところ、経験に耳を傾けてみる必要が大いにあるはずだと私は考えて体験
記を送ったのだが。

 怪我をするとき、危ない悪条件が一つだけのときには、良く気を配っていて怪我をしない。
よって、ついつい、一つの悪条件を直さずに、ほっておく、それに、たまたま、ほかの危な
い悪条件が重なったとき大怪我をする。しかし、2つかさなっても怪我をしないときがあり、
3つかさなると大怪我をしたりする。
 工場などでの、危険、安全の鍵である。


 それから、本文にかいてあるが、惨めな思いで屈してしまうときと、跳ね返して、人を
蔑んでみたくなったりもする。それも、大仰なことで、そうなるのは当然と思うようなこと
からではなく、些少なことからで、岐路にたってしまうときがある。

 さらに、子供だから、いろいろな問題で岐路に立たされる経験も少ない。右しようか左し
ようかと迷っていることが多いはず。
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